最終話 同じ星に乗って

 都会の喧騒のなかに身を置くと、自分が孤独(ひとり)だったことを思い出す。

 夏希は、自分の誕生祝いの三次会を抜けて、ホッと一息ついていた。


 ビルの谷間の交差点。その植え込み花壇にちょこんと腰を下ろし、もらった花束やプレゼントに顔を埋めて震えている。


 自分の気持ちをごまかし続けるにも限度がある。

 もうこれ以上、つくり笑顔は出来ない。


「大島さん!」


 顔をあげると、佐々木が手をあげて走ってくる。

 相変わらず爽やかなヤツだと思った。


「探したよ、大島さん。電話にも出ないし」

「……ごめんなさい」


 相当探し回ったのだろう。

 中腰になって肩で息をしている。額に浮かぶ珠の汗は、きっと気温のせいだけではない。

 本気で心配している彼の顔に、夏希の胸中をちょっとした罪悪感が満たした。


「吉岡さんから帰ったって聞いて……ごめん、なんか気に障ることでもあったかな?」


 すると夏希は静かに首を横に振って「ううん」と答えた。


「今日は本当にありがとう。嬉しかったよ、佐々木――君。みんなあなたがセッティングしてくれたんでしょ?」

「はじめて『君付け』で呼んでくれたね。うん……だからなにか問題でもあったかなって」

「大丈夫だよ。あたしはもう十分満足したから。ほら。お花だってこんなに」


 夏希はもらった花束を佐々木に見せた。

 色とりどりの美しい花を。


「じゃあどうして……」

「ちょっと――疲れちゃった」

「大島さん?」


 もう泣くまいと思っていたのに、自然と涙が頬を伝った。

 シブちゃんのこと――。

 あれだけ渚には強気に行けと言ったのに、いざ自分がその立場になってみるとどうだ。

 涙の分だけ、自分が彼女をどう想っていたのかがいまになって分かった。

 本当に好きだった。

 彼女がほかの誰かを――男性を愛していることなど考えもしないほどに。


「大島さん!」


 ふと気がつくと夏希は佐々木に抱きしめられていた。

 公衆の面前にも関わらず、彼は臆することもなくキツく優しく。

 むせ返るほどの男臭い汗の匂い。

 でも夏希は振りほどくこともせずに、そっと瞳を閉じた。


「好きだ――」


 遠く聞こえるエンジン音に耳を澄ませていた。

 低くかすれるように歌う、あのエキゾーストノート。


「ありがとう」


 夏希は佐々木の背中をポンポンと優しく叩くと、静かに立ち上がった。

 両手に抱えきれないほどのプレゼントと花束を抱いて。


「でも――あなたの『好き』には応えられないの……」


 路肩にはすでに『彼』の姿があった。

 クラシックなサイドカー付きのバイクに跨った長駆の男だ。古めかしいゴーグルにハーフタイプのヘルメットをして、ジッとこちらの様子をうかがっている。


「ごめんね」


 儚げな笑顔を残して夏希はその場を去った。

 サイドカーに色んな想いと小さな身体ひとつを乗せて。


 響き渡る空冷Vツインの歌声は、さながらブルースの音色だ。

 都会の喧騒を背中に受けて、ふたりは夜のしじまへと消えていった――。


「いいのか?」

「何がぁ」

「彼――すげえ顔してたぞ」

「じゃあアンタ、女に告られてなにかしてあげられるワケ?」

「ごめんなさい」

「ほらごらん」


 見上げれば満点の星空だ。

 星なんてくくられ方をしているが、本当はそのひとつひとつが別の「なにか」である。

 人間だってそうだ。誰ひとりとして同じひとなんかはいない。


 ふとサイドカーから渚の背中が見えた。

 不思議とさっきまでの不安感が薄れていったような気がする。


 ああ――。いま同じ星に乗ってる――。


 そんな安心感なんだと、妙に納得してしまった。


「何だよ」


 信号待ち。急にしおらしくなった夏希に渚が聞いてきた。もちろん返事はいつもの――。


「別に」

「別に」


 口癖を真似られておかしくて。

 涙を流しながら大笑いした。

 渚のバイクは夏希の泣き声をかき消すように、大きな排気音をあげる。

 何度も何度も。

 渚は夏希のためにアクセルをふかした――。






 とある朝。

 食卓には数週間ぶりに納豆が並んだ。


「なによこれは」

「なにって納豆だろうがよ。おまえの言った通り、今日は混ぜてからタレ入れたぞ」

「納豆たって、これひきわり納豆じゃない! こんなの邪道よ!」

「食いもんに邪道も外道もないね! 出されたもんをありがたく食いやがれ!」

「なにをー!」

「やんのかー!」


 ひょんなところで出会った男女が、妙な具合に意気投合した。

 飲んで、騒いで、笑って、泣いて。


 ふたりは、まだ一緒に暮らしているのです――。



             『勃たない男と濡れない女・完』

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