おまけ劇場

おまけ其ノ一 デジャヴ

 これは夏希の誕生日から数日が経ったある日の出来事だ――。


 仕事を終え、いつものように稗田邸へと帰ってきた夏希はとある異変に気づいた。


「あれ? 鍵開いてる――」


 まるで武家屋敷のように立派な門構えをしている稗田邸には、滅多なことでは使われない大門と普段使い用の潜り戸とがある。

 年代を重ね風格の出てきた門扉に対していかにも取ってつけたようなスチール製だが、防犯性そのものは高い。

 が、しかし。

 いつもであれば固く閉ざされたその潜り戸が、こともあろうか施錠されていないのだ。


 ふとスマホを見る夏希。待ち受け画面には『18:15』の文字が浮かんでいる。

 渚が帰宅するにはまだ時間があるはずだ。

 とくに連絡もない。


 夏希は軽いデジャヴを感じつつ、そっと門戸を潜った。


 玄関まで来てみるとやはり鍵は開いていた。そして屋内に入ってようやくホッと一息ついた。

 なぜならそこには綺麗に脱ぎ揃えられた草履が置いてあったからだ。

 一見して量販店などでは扱っていないだろう高級品だということが分かる。

 夏希はこんな立派な履物を普段から使っている人物など、ふたりと知らない。


 正体が分かってしまえば気楽なものである。

 安心して悪戯心がはしゃいだ夏希は、物音を立てないよう静かに廊下へ上がる。

 荷物をその場において、抜き足差し足――まるで忍者のようだと自分でも思った。


 以前、渚が『稗田流』を忍術のようなものだと言っていた。

 であるならば彼も幼いころに、きっとこんな修行をしたのではないかという気がしてちょっと可笑しかった。


 バレないようにそっと居間を覗き込む――いない。

 そこにはいつのものように丸いちゃぶ台と、扇風機があるだけだった。


 となればあとは『あそこ』しかないだろう。

 そう思い、夏希は仏間へと早足で所在を移す。ちょこまかと動き、靴下で廊下を滑ってまるでローラースケートのようである――ハッキリ言って子供の所業だ。


 夏希は仏間の前に立つと、躊躇なくふすまを開ける。

 障子戸が柱に勢いよく当って「スパァン」といい音がした。


ひいらぎお爺ちゃん、来るなら来るって――」


 仏壇に手を合わせていた人物が、音にびっくりして夏希のほうへと振り向いた。

 夏の盛りだというのに羽織袴に身を包んだ、物腰柔らかな――若い男だ。


「――前もって言って………………だれ?」


 若い男は仏壇に一礼すると、あらためて身体を夏希の正面へと向けた。

 毛先を遊んだ退色気味のブリーチが印象的だった。それに対して顔立ちは幼く一見すると少年のようにも思える。身にまとった羽織袴に「着せられている」感じが否めない。

 それはまるで成人式のヤンキーのようだと夏希は思った。


 すると若い男はムッとした様子で口角を下げる。

 まん丸だった瞳も眇められ、眉間には深い縦ジワが刻まれた。


「誰だはないでしょう、『居候』のクセに。あなたこそ何様なんですか、まったく」

「なっ――」


 何だコイツは――。

 夏希は言葉を飲み込んだ。

 見た目のイメージとはうらはらに言葉遣いは丁寧だ。しかしいわゆる慇懃無礼のタイプだと、直感的に悟った夏希は、瞬時に「コイツ嫌い」が脳裏に浮かんだ。


「まずは名前から伺いましょうか。いや失礼。まずは自分から名乗りを――」

「やかましい! 盗人に名乗る名前などない!」

「へ?」

「このあたしを『居候』と知ったうえでの狼藉か! この大島 夏希、容赦はせん!」

「名乗ってるじゃないか! や、そうじゃなくて……」

「問答無用!」

「ちょ、まっ!」


 うおりゃあああ、とフライング・ニールキックで突っ込んでいく夏希に対し、間一髪で上体を反らした男が攻撃をかわした。

 しかし座ったままの姿勢から寝そべっただけという、非常に無防備な体勢になる。


 夏希がそれを見逃すはずもなく、左腕をキッチリとらえて腕ひしぎ逆十字をキメていく。

 寝そべった相手の腕を、肩下に尻を滑り込ませてしっかりと股で挟み込む。

 さらに両脚で胴体を押さえ込み、自分と相手の身体があたかも十字に交叉しているかの如くに締め上げていく関節技だ。

 キマれば肘の逆関節をてこの原理で破壊していゆく。大変危険な技である。


 腕がこのまま伸び切ったらキマってしまう。

 男も必死に抵抗する。自らの右手の指で、夏希に掴まれている左手の指をロックする。自分の胸の前に、両腕で輪を作る要領だ。

 ロックが完全であれば、さしもの夏希も容易には腕を伸び切らせることは出来ない。


「ぬおおおおおおお!」

「やらせるかあああ!」


 お互い断末魔の形相で渾身の力を振り絞る。

 膠着状態となり握力が弱まってくれば、一瞬のすきが命取りになる。それは夏希も同じこと。

 抜け出された相手に手痛い反撃を食らうのだ。


 だが、ここでふたりにとっての転機が訪れる。

 額に汗をし絡み合う夏希と若い男に対し、『彼』は呆れた顔をして廊下に突っ立っていた。


「……何やってんだ、おまえら」


 半開きの口と細められた瞳。渚はそれ以上の言葉を失っている。


「な、渚、泥棒よ!」

「兄さん、なんなのこのオンナ!」


 時が止まる。

 夏希は腕ひしぎを掛けたまま、あらためて男の顔を見た。逆立った眉に丸顔。それはあの渚の父親・稗田ひえだ 悟海さとみを彷彿とさせた。


「にいさんんんん?」


 静まり返った仏間に素っ頓狂な夏希の声が響き渡る。


 そう。彼こそが渚の実弟にして『稗田グループ』の次期当主とされる男。

 稗田ひえだ 早苗さなえであった。

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