第27話 スリーカウント

 突如として現れた渚の大叔父・稗田ひえだ ひいらぎだったが、夏希が思い描いていた『稗田グループ』のイメージとは若干違っていた。


 長い白髪を後ろでまとめあげ、羽織袴を着こなしたその姿はまさしく「達人」の風格である。見た目だけではなく、つい今しがた完膚なきまでに叩き伏せられたばかりだ。

 例の『第一次納豆戦争』の折りに肌合わせをしたことから、渚が何らかの武道を嗜んでいるだろうことは夏希にも予想がついていた。

 しかしこの柊老人の身のこなしを見るにつけ、いよいよもって『稗田家』というのは只者ではないようだ。


 仏間から居間へと所在を移した三人は、ちゃぶ台をはさんで向かい合わせに座っている。

 上座に柊老人。そして縁側を背にして渚と夏希が隣り合っている。


 渚の淹れたぬるめの日本茶を柊老人は一気に飲み干した。「今日は格別に暑いな」と、着物の合わせをあおって風を入れている。


「あ、扇風機どうぞ」

「悪いの」


 夏希は気を利かせていつもは目の前に陣取っている扇風機を柊老人に向けた。

 爽やかな涼風を受け、老人の顔が若干若返った気さえする。


「で、今日はその……」


 渚が恐縮した様子で彼に尋ねると、柊老人は「ふむ」と息をもらして顎をさすった。


「風のうわさで住人が増えたと聞いての。『本稗田』の手前もある。分家の総代としては様子を見に来るのが当然じゃと思うがの」

「あ――」

「あ、じゃないわ。勝手に『居候』なぞ増やしおって。犬猫を拾ってきたのとワケが違うんじゃぞ? ましてや嫁入り前の娘さんを――と言いたいところじゃが」


 柊老人は夏希を見やると好々爺の顔になる。まるで孫を愛でるかのような眼差しに、夏希もすこし表情をゆるめた。


「夏希さんといったかな。少々落ち着きのないところはあるが、いい子じゃないか」

「褒められたっ」

「黙れ」


 軽口を言う夏希をすぐさま渚がたしなめる。その様子を見てまた老人は笑う。


「よいよい。どうせお前のことじゃ。衆道をあらためた訳ではなかろう。この年寄りにぬか喜びをさせまいと思って黙っておったんじゃろうが――」


 老人は正面から渚を見据えるや、眼光鋭く気を吐いた。


「ワシを見くびるでない」

「すみませんでした」


 渚が深々と頭を下げると、夏希もそれにならった。

 自分のせいで彼が責められているのはとても居心地が悪い。なにか言ってやらねばと思うのだが「出て行け」の一言が怖くて口をつぐむ。


 ああ情けない――。


 夏希は心から渚に詫びたかった。


「まあお説教はここまでにして、どうかなお嬢さん。もうしばらくここに居ちゃくれんかね」

「え?」

「どうやら成り行きで転がり込んできたみたいじゃが、正式に住んでみちゃどうかな?」

「そ、それは願ったり叶ったりですけど、その――お家の方にご迷惑を……」

「むしろその『お家の方』ってヤツのご機嫌をうかがうためにも手を貸してもらいたい」

「オジキそれはちょっと……」


 渚が反論しようとすると、それを柊老人は手のひらをあげて制した。厳しい表情で彼を一瞥すると、また夏希のほうへと向き直る。


「夏希さん。渚の素性はどの程度知っておいでかな?」

「素性といいますとその……『稗田グループ』のことです……よね」


 渚に気を使いながら上目遣いで返答すると、隣に座っている本人からは「知ってたのか」と驚きの声があがる。


「名前ぐらいはね。仕事で会議に必要な書類作ってたら関連企業が出てきて、インターネットで調べてったら――まあ色々ね。でも咲良さくらさんが創設者だってことぐらいしか……」


 その会話を静かに聞いていた柊老人は「ふむ」と相づちを打って再び口を開いた。


「たしかに稗田 咲良はワシの兄にして『稗田グループ』の創設者じゃ。古くは戦国の乱世から続く我が『稗田流』を継承し、一族の専売であった要人警護のお役目を会社組織化したのがそもそもの始まりじゃった」

「はぁ……」


 分かったような分からないような。

 それでも柊老人の話は続く。


「のちに多角化経営に成功し高度成長期を経てグループ企業となったが――まあそれは置いといて、現当主の稗田 悟海ひえだ さとみはそこにおる渚の実の父親じゃ。ワシは兄者が亡くなったあとあえて会長職は引き継がずに相談役と名乗っとる」

「え? アンタ、自分は分家だって――」


 夏希は渚に問いかける。

 しかし彼は重い口を開こうとはしなかった。

 柊老人は首を横に振りながらため息をついた。そして一呼吸置いて、絞り出すように夏希の問いへの返答を口にする。


「渚が十九のときじゃ。両親にその――かみんぐあうと、とやらをしてな。将来的に自分が子を成すことはないだろうと。あれは烈火の如く怒ったのぉ……」

「あ……」


 ちらと渚の顔を見た。

 正座をした膝の上に拳を固め、自分を責めるかのように唇を噛んでいる。血が出るのではないかという力の入れように、夏希はそっとその拳のうえに手のひらを重ねた。


「悪い……大丈夫だから……」


 小さくつぶやいた彼の声に胸を締め付けられる。決して他人事ではないからだ。

 何を言われたのかもおおよそ想像はついた。

 言葉という刃は、確実に心に傷を負わせるのだ。


「それ以来、渚は家を勘当されておっての。法的にもワシの養子ということになっておる」

「だから……分家……」

「そうじゃ。渚には七つ年下の弟がおっての。いまのところそやつが次期当主ということになっておるんじゃが……ワシとしてはやはり長子継承をのぉ」

「オジキ……俺はそういうのはいいんだ。ただ早苗さなえにはすまないと――」

「欲がないのと責任逃れとは違うぞ、渚」

「……」


 心に澱が溜まっていく。

 夏希のなかにも渚と同じだけの濁りがある。親への、周囲への、人生への。

 自分を貫き通した分だけ、必ず誰かを狂わせる。

 常識や普通といった言葉を振りかざして、夏希や渚を殺しにくるのだ。

 それが痛いほど夏希には分かる。


 渚の拳の上に乗せたままの手のひらは、自然とギュッと力がこもった。


「そこでじゃお嬢さん。頑固なそやつの親父を騙くらかすのにひとつ手を貸してくれ」

「騙す?」

「ここに住んでくれるだけでええ。それであやつも勘違いするじゃろう。渚がおなごに興味を持ったようじゃとな」

「な――」

「なんじゃったら本気で子作りしてもらっても――ぶおっ!」

「調子にのんな! このエロジジイ!」


 夏希はちゃぶ台を乗り越えてラリアットを叩き込んだ。

 それはそれは見事な不意打ちだったために、さしもの「達人」もこれにはクリーンヒットを喰らわざるを得ない。そして夏希はそのまま体固めをしてピンフォールを狙う。


「カバー!」


 フォールカウントを要求した夏希に釣られて、渚は思わず三回畳を叩いた。

 さっきまでの深刻さは何処へやら。

 柊老人は白目をむいている。

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