第28話 まばゆい世界の端っこで

 初夏のお茶の間一本勝負。

 浴びせ倒すかのような低空ラリアットで夏希からピンフォール負けを喫した稗田 柊は、それでもニコニコとした表情であごをさすり、養子である渚の運転する軽四の助手席に座っていた。


 夏希に倒されたあと何を納得したのか分からないが「よしよし」としきりに頷いた柊老人は、そのまま長居することなく帰ると言い出した。


「オジキ、夕飯ぐらい食べてけば」

「いやぁ。若いもんの邪魔はしたくないでの」

「だーかーら。そういうのじゃないってば!」

「ほっほっほ。夏希さんはからかい甲斐があって、ほんにええのぉ」


 ならばせめて駅まで送らせてくれという渚に応じて、いまふたりは自動車に揺られていた。


「随分と機嫌が良さそうだね」


 助手席に座る養父を横目にとらえて渚が言った。その横顔は在りし日の祖父と瓜二つになってきている。確か十ほど歳が違ったはずだが、破天荒な兄を持つと下の者は自然と苦労人になるということだろうか。


 柊老人は「ふむ」と相づちを打つ。

 ドアに肘をついて頬杖をすると、まるで愛くるしい孫娘の話をするかのように目尻を下げた。


「あれは面白い子じゃの」

「夏希?」

「おうさ。どこのなく華さんに似とるしの」

「婆ちゃんに? あのちんちくりんが?」

「雰囲気の話じゃ。ああ見えて華さんは若い頃、合気の達人じゃった。あの兄者ですら三本に一回は投げられとったからな」

「うそ。それは初耳」

「そうじゃろうなぁ。華さんが亡くなったのはまだ悟海さとみが十五のとき。まだ彼女が四十歳になるかならんかという頃じゃからの。遠い昔の話じゃて」


 悟海とは渚の実父であり『稗田グループ』の現当主・稗田 悟海のことだ。

 人生観をめぐっていざこさがあり、現在親子の縁を切っている。


「十五歳か……そりゃ余命少ない母親をバイクの旅に連れ回されたら恨みもするか」

「それは言っても詮無いことよ。あの旅が結果的に華さんの寿命を縮めたのは確かじゃ。しかしそれもまた華さんが望んだこと――」

「親父は――」

「ん?」

「親父は爺さんに嫉妬してた。必死で引き止めたのに、婆ちゃんが爺さんを選んだってさ」

「そうかい」


 沈黙が車内を支配した。

 ラジオからは名前も知らないアイドルのポップな曲が流れてくる。

 西日の眩しい時間帯に、渚は運転席のバイザーを下げた。


「またおまえが兄者の若い頃によう似ておるからのぉ。腹立たしさもひとしおじゃ」

「とばっちりもいいところさ」


 冗談めかして肩をすくめた渚だったが、その表情は決して明るいものではない。

 下げたバイザーが生み出した影が、そのまま彼の心象を表してるかのようだ。


 すると気を利かせたのか、柊老人は「あの娘さんは~」と口にする。それとなく話題を変えてくれたことに渚は密かに感謝した。


「ワシを泥棒だと思ったんじゃと」

「は?」

「仏間にひとり座るワシに向かって『泥棒だ』と叫びおった」

「ったくあの馬鹿……」


 運転中であるにもかかわらず渚は目元を覆う。

 ようやくあの乱闘騒ぎの理由が判明したことに軽くめまいがしたのだ。

 さすがは――というか何というか。


 大島 夏希のやることだけは予想がつかない。


「じゃがの。あの娘、ワシになんと言ったと思う?」

「え?」

「遺影を守ると言ったんじゃ。兄者と華さんの」

「そんなことを――」

「どこまでが本気か分からんがの。ワシは嬉しかったんじゃ」

「アイツ……」


 嬉しさとも気恥ずかしさともつかない綯い交ぜとなった気持ちが、渚の心を満たした。

 もともとアイツはそういうヤツだと――。

 あの日、プロレス会場での場外乱闘騒ぎの発端は、選手のひとりがあやまって近くに座っていた少女を突き飛ばしてしまったことが原因だった。

 勿論、選手だってわざとではない。少女もべつに怪我はしていなかった。

 しかし夏希は怒った。

 周りの誰もが場の雰囲気に流されるなか、彼女だけは怒ったのだ。

 そのあまりの憤慨ぶりに、少女もその母親もかえって引いていたくらいだった。

 おそらく渚が羽交い締めにして止めなければ、もっと面倒なことになっていたことだろう。


「彼女のことはワシが取りなしておく。好きなだけ居させてあげなさい」

「オジキ……」

「聞けば恋人に去られて住むところもままならぬと言うではないか。まったくあんないい娘を袖にするなぞ、ひどい男もいたもんじゃ」

「ははは」


 女――なんですけどね。

 とは流石に言えなかった。

 カミングアウトとは違い、意図せず他人の口から性嗜好やジェンダーの悩みをバラされてしまうことをアウティングと言うが、それは彼らにとってご法度だ。軽い気持ちで話していいことではない。

 ましてやこうまで気に入られている大叔父に対して、わざわざ言うことでもないだろう。

 彼女にその気があれば、きっといつか自分の口から伝えるだろうから。

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