第39話 エキゾースト
次第にぬるくなる缶酎ハイに眉をひそめながら、渚は視線をモト・グッツィへと注いだ。
磨き上げられた燃料タンクが、ガレージの照明を反射してキラキラと輝いている。
足もとでは蚊取り線香が渦を巻いて、真っ赤な火種がゆっくりと螺旋のうえを進んでいた。
愛用していた蚊やり豚を夏希に取られてからは、もっぱら市販品に付属しているトレイに載せてむき出しのまま煙が立ち上っている。
「いいひとだったね。お父さん」
夏希はすでに飲み干してしまった空き缶をもてあそんでいる。
渚と視線を合わさないのは、気を使っているせいか。
「まあな。財界人としてもクリーンなイメージで通ってるからね」
「そうじゃなくって!」
「分かってるよ……」
渚は残っていた缶酎ハイを一気にあおると「ふぅ」っと大きく息を吐いた。
アルコール臭い吐息が、キャブコンディショナー(エンジンのパーツを洗浄する液剤。独特な刺激臭がする)の香りと混ざって大気に溶けてゆく。
そして言葉を選ぶようにして「親父は」と口を開いた。
「親父はグループの長として、何万人もの人生を背負っている。俺のようにハンパは出来ないのさ。あのひとの決断はいつも正しいと思うよ。俺との絶縁も含めてね」
「そんな――」
「言ってたろ親父、理解出来なかったって」
「う、うん」
「それでいいんだと思うよ。親だからって、何から何まで分かってもらう必要なんてないさ」
渚は空き缶を床に置くと立ち上がった。
そしてほとんど完成と言える状態にまで組み上がったモト・グッツィへとまたがる。
前後のサスペンションが渚の体重を受けて、ギシギシと沈み込む。
上背のある渚には、縦置きV ツインのゴツいバイクがよく似合った。
「大事なのは、俺が生き方を曲げないって知ってもらうことさ。これが俺の――俺たちの真っ直ぐなんだってことをね。違うか?」
すると夏希は無言で首を振った――違わない、と。
その儚げな笑顔に、やはり自分たちが似ていることを再確認する。
きっと自分たちは、生まれ持った感性を誰かの『常識』に委ねたくないだけだと――。
「バイク……凄いね。もう出来たんだ」
ほろ酔いの夏希がそう言った。
「ああ……とりあえず走れるようにはしたから、あとはサイドカー付けて登録だな」
「そっか。じゃあ間に合うね」
「何に?」
「サプライズパーティーに迎えて来てもらうの」
「まだ言ってんのか。楽しんでこいよ」
「えぇ~だってぇ~」
座っている椅子をガコガコと前後に揺すってダダをこねる仕草は、まるで子供のようだ。
その姿は昼間、ヒーローショーのピンチを救った立役者とはとても思えない。
「みんないいひとじゃないの。あのやる気が空回りしてる彼とか。佐々木くんだっけ?」
「何よ、なんか言われたの?」
「別にぃ~」
「あ、また真似したぁ!」
じつは夏希には内緒にしているが、こんなことがあった――。
ヒーローショーのあと、夏希の同僚である佐々木某に誘われてお食事会と称した合コンに参加した渚であったが、ロクヨンの割合で女性が多く、飛び入りということもあって当然楽しめるはずもなかった。
一応夏希の顔を立てるため付き合いはしたものの、後悔先に立たずである。
すきを見て抜け出すつもりだったのだが、タイミング悪く例の佐々木某に捕まった。
いい男ではあるが、渚のタイプではないのでとくに話も弾まなかったのだが――。
「そうだ。今度の土曜日、ここで大島さんのバースデーパーティをやるんですけど、フブキさんも参加しませんか? サプライズパーティなんですよ、彼女に言っちゃダメですよ?」
渚は『稗田グループ』との関係を勘ぐられるのが嫌だったので「フブキ」で押し通していた。
夏希の知り合いで、ただのヒーロー好きということになっている。
佐々木某は、まるでイタズラ小僧のようにキラキラとした瞳で「サプライズ」を強調しているが、すでに夏希には悟られていることを知っている渚からすると滑稽を通り越して何やら、小動物を愛でるときのような感情すら芽生えてくる。
しかし渚は「いやぁ」と頭をかく仕草をして、誘いをやんわりと断った。
「自分、彼女とはそういう付き合いじゃないので遠慮しときますよ」
「えっ? あ、そ、そうなのっ。な~んだ。てっきり付き合ってるとかそういうのかと」
「勘弁してくださいよ。腐れ縁ですよ、腐れ縁」
「そうですかぁ!」
佐々木某は非常に分かりやすい態度で安堵していた。
彼の反応はおかしいやら、可愛らしいやら。渚はノンアルビールのジョッキを掲げて、彼と笑顔で乾杯をした。
きっと、いいひとなんだろうな――。
渚は馬鹿にするでもなくそう思った。
しかし同時に夏希はこういう、処世術というか立ち回りの上手なタイプは苦手だろうなとも感じていた。おのれの行動に何ひとつ迷いのない人種には、渚も少し思うところはある。
その後、結局抜け出すタイミングを逸して、二次会のカラオケにまで駆り出されたのだ――。
「じゃあこうしよう」
「ん?」
夏希は手にした空き缶をスマホに見立てて、何やらジェスチャーをした。
「たすけてフブキ~って打ったら来て」
「何だよ、それ」
「いいじゃん。そうしよ」
「勝手に決めんな」
「あはは」
渚は呆れた様子で鼻で笑う。
そして――。
渚はおもむろにモト・グッツィのキーを回した。
常時点灯式のヘッドライトは、アクセサリ電源が入った瞬間にシャッターを照らした。
渚はキックレバーのうえに乗り、何度か小刻みに蹴りつける。
エンジン内部。ピストンの圧縮上死点を探っているのだ。
キックスターターならではの、エンジン始動の神聖なる儀式。
ガルンと、キックレバーが振り下ろされる。
ヘッドライトはやや暗くなり、排気管から少量の生ガスを吹いた。
だがつぎの瞬間。
空冷エンジン特有のバサついた排気音と共に、モト・グッツィV7は産声をあげる。
アクセルをあおる渚に合わせて、Vツインは咆哮する。
まるで歌っているみたいだ、と夏希は言った――。
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