第38話 父と子と
とんでもない一日だった――。
ガレージの照明を浴びながら、レストア中のモト・グッツィを前にして渚は物思いにふける。
平日の昼下がりに
とにかく必要以上に気を使ってただでさえメンタルが削れているところにアレである。
実際ノリノリだったことは認めよう。
ちびっ子たちとの触れ合いも、まあまあ悪い気はしなかった。
しかし最後のアレだけは――。
「ふぅ……」
眠れない夜の決まりごと。バイクいじりにも身が入らなかった。
大きなため息ひとつ吐いて、ガックリと項垂れる。
「おーい。入っていい?」
しょぼついた瞳をガレージのドアへと向けると、そこには夏希が立っていた。
手にしているのは缶酎ハイにつまみ。
相変わらずだな――と、かぶりを振って渚は彼女が座る椅子を用意した。
「さんきゅー。はい。今日は色々とお疲れさまでした」
「どーも」
手渡された缶酎ハイはキンキンに冷えていた。
作業後の火照った手のひらには丁度いい。
「ゴメンね。
まるで拝むように缶酎ハイを手にした夏希は、眉がハの字になっている。
ヒーローショーのあと、夏希の同僚である
二次会のカラオケまで含めると、何だかんだで四時間ほど連れ回された。
「いや――かえって助かったよ。バカ騒ぎに付き合ってたほうが余計なこと考えなくてすむ」
「お父さんのこと?」
「……」
それはヒーローショーも大詰めとなる、ちびっ子たちとの撮影会のときに起こった――。
「稗田 悟海と――申します」
突如として現れたのは誰あろう、渚の父にして『稗田グループ』の現当主である悟海だった。
夏希に対してうやうやしく頭を垂れ、どこか物憂げな瞳をしていた。
驚いたのは夏希よりもその周辺である。
一介の中堅企業OLに対して、経団連の役員でもある財界では『超』が付くほどの有名人が親しげに話し掛けているのだ。
この異常な事態に、誰もが関わり合いを拒否していた。
渚は幅一センチの視界から、その光景を眺めている。
親父、白髪がちょっと増えたかな――。
たまに会ってもいまや
燃えるように逆だった眉毛は祖父の咲良ゆずりである。しかしそれ以外は祖母の華によく似ていると昔から言っていた。
逆に渚は咲良の若い頃にそっくりだと言う。したがってふたりが並んでも、言われなければまず親子とは思わないだろう。
「あの――あ、あたし――」
さすがの夏希も動揺している。だが何かを感じ入ったのか、彼女は小さな身体を盾として渚の前に立ちはだかった。
そのおかげで何とか渚も冷静さを失わないでいられる。
「相談役――いえ、叔父の柊からお話は聞いています。ウチの……息子と暮らしているとか」
「――はい」
息子と呼んだ。あの稗田 悟海が。
それに気づいたのだろう。夏希もまた困惑するばかりだった顔つきが変わる。
キュッと唇を引き締め、覚悟を決めたような表情だ。まるで子を守る母親のようだと、渚には思えた。
「息子を――お願いします」
「え?」
「私には彼が理解できなかった……無論、今でもです」
悟海の瞳はさらに深い悲しみに染まっていく。ガッチリと固められたオールバックから、はらりと一本の髪の毛が垂れた。
それを撫でつける様子に、渚は鏡でうつった自分を見た。やはり親子なんだと実感する。
「彼は自分を曲げなかった。私もです。このままでは一生分かり合えないものと……」
「そんな……」
「でも、あなたには息子が理解出来たのですね。それが親として悔しくもあり――ありがたくも思うのです」
悟海は、一度、吹き抜けの天井を見上げるとフッと笑顔になった。それはまだ絶縁を言い渡される前に見た『お父さん』の顔だと渚は気づく。
幅一センチの視界が、ちょっとだけ霞んだように思えた――。
「今日はそれだけ言いたくて、寄らせてもらいました。イベントご苦労様……君もな」
悟海は夏希に握手を求めると、そばに立っている仮面ドライバー・フブキにも声を掛けた。
思わず渚はドキリとした。
それからヒエダ警備保障のスタッフと夏希の会社側のスタッフにも挨拶をして、その場を颯爽とあとにする。
あとから柊老人に聞いたところ、駅前再開発事業の進捗を視察に来ていたらしい。今日のヒーローショーや夏希の情報も、彼が事前に悟海へと伝えていたようだ。
しかしこのときの渚には奇跡的な偶然としか思えなかったのである。
夢のような一時に、しばし恍惚とした気持ちになった――。
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