第35話 その名はフブキ
それはよく晴れた平日の昼下がりの出来事だった。
ここ数年で再開発された駅前の繁華街には、全国展開もしている有名な百貨店の入った大規模商業ビルが建っている。
その一階――海外ブランドの専門店やフードコートがひしめくなかに併設された、吹き抜けのパブリックスペースがあった。
いつもはオシャレな若者たちの集まる憩いの場という雰囲気が強いこの場所も、今日は子供連れの主婦たち、またはファミリーの姿が多く見受けられた。
それもそのはず。
今日はここにヒーローがやってくるのだ。
鋼鉄の身体に正義の魂を宿した終末の救世主、仮面ドライバー・フブキである。
会場は早くもヒートアップだ。子供たちは来場者特典で配られた指ぬきタイプのうちわを振り回して遊んでいる。
五十席以上用意されたパイプ椅子がすべて埋まり、立ち見の客も出る勢いだ。
広いパブリックスペースに設営されたステージの裏には、スタッフ以外に立ち入りを禁じているバックヤードがある。大きめのパネルパーテーションで囲われた、簡易的な小部屋といった感じだ。
そこにヒーローショーを運営するスタッフとアクター、そして夏希たちの姿があった。
会場は危険のないように警備スタッフを配置している。
また、万が一にも子供たちがヒーローの『中の人』たちと鉢合わせしないようにとつねに監視の目を光らせているのだ。ある意味こちらがメインの業務である。
彼らの制服にはアルファベットの『H』をモチーフにした会社のロゴマークが入っている。
夏希はそれをバックヤードの陰から眺め、彼らがヒエダ警備保障から派遣されてきたスタッフであることに気がついた。
「なるほど。そういう感じなのねぇ……」
今更ではあるが、弊社と『稗田グループ』の関連を垣間見た夏希であった。
一方、すでに満員御礼状態の会場へと視線を移すと、可愛らしい幼児たちに混ざって「大きなお友達」の姿も散見された。
一体何を撮ろうとしているのかもよく分からない巨大な望遠レンズを搭載したカメラを三脚に乗せて、ヒーローの登場を今や遅しと待っている。果たして彼らはどういった仕事をしているのかと、夏希は他人事ながらちょっぴり不安になった。
そして観客席の隅の方に仲睦まじく談笑している三人の男女の姿を見つけた。
子供たちの席をあまり奪わないようにと、女性ひとりだけを椅子に座らせて残りの男性ふたりはすぐそばに立っている。
背の高い外国人のような彫りの深い顔立ちに、まるでホストのような身のこなしの男と、もうひとりはアイドルユニットの真ん中にでもいそうな笑顔が眩しい好青年のコンビだ。
ひとりは誰あろう、夏希の『大家』である稗田 渚そのひとである。
「結構美人ね。男のほうも女のほうも……あ~あ、無理して愛想よくしちゃって」
渚は積極的に女性と会話をしているようだった。
大袈裟なジェスチャーを交え、終始笑顔で。
女性のほうもまた彼の冗談を聞いて楽しそうに微笑んでいる。とても綺麗で上品そうだ。
一見すると仲のいい三人グループ。
皆一様に美しくて華がある。
しかしその実情が、ゲイの片思いを含んだ悲しい三角関係であることを知っている人間は本人である渚と夏希しかいない。
渚の笑顔がかえって胸に刺さる。
いたたまれない気持ちになった夏希は、ドア代わりであるバックヤードのカーテンをそのままそっと閉めた。
「そんなぁ! 困りますよ、いまさら!」
「いやそのぉ……本当に申し訳ありません……」
背後から怒号が聞こえて振り返ってみると、同僚の
夏希に気があるということもあって普段から温厚な彼しか知らない夏希には、少しショックな光景だった。
叱責を受けているのはヒーローショーを運営しているプロダクションの責任者である。
タオルを巻いた額から流れる汗が尋常ではない。
佐々木は顔を真赤にして、まだ激高している様子である。そんな彼を女性社員の
「ど、どうしたの急に?」
「あ、夏希……それがねぇ――」
「どうしたもこうしたもないよっ。本番目の前にして役者がダメになったとかふざけるなよ!」
「というワケなのよ……」
いつも沈着冷静で何があっても涼しげな顔をしている麗だったが、このときばかりは困惑しているようだった。言葉少なに、ただ佐々木を落ち着かせようと彼の背中に触れている。
「あの……何があったんですか?」
夏希は青ざめた男――プロダクション側の責任者――に声を掛ける。
すると彼は神妙な面持ちでこう答えた。
「フブキのスーツアクターがその……急性盲腸炎になってしまって……」
「へ?」
「朝イチの別の現場からこちらに向かう途中だったみたいで、いま救急車で病院に……」
「そんなのは言い訳に――」
「佐々木さん、ちょっと黙って!」
「――お、大島さん?」
夏希は佐々木を一瞥すると、あらためて男のほうを見る。
この失態に対して彼はすでにとんでもない重圧を感じているのが表情で分かる。佐々木の気持ちも分かるが、まずはこれからどうするかを考えることが先決だ。
夏希は言葉ではなく行動でもってそれを示す。それが彼女のポリシーだった。
「怪人役のひとがフブキのスーツをかぶることは出来ないんですか?」
「それが……今日のメンバーはほとんどがバイトで、プロのアクターはひとりしか……」
男はすでにやられ役のスーツを着てスタンバイしているバイトスタッフたちを見た。
面をかぶっているため表情は分からないが、とても申し訳なさそうに感じる。
「もうバイトでもいいよ! こんだけ入ってるお客さん帰らせる訳にいかねえだろ!」
「や、それはちょっと危険過ぎますっ。万が一事故があったら、これからの営業が――」
「そんなもんはウチだって一緒だ! これからのデカいプロジェクトに傷が付くんだよっ!」
不毛なやり取りが続くなか、夏希はひとり考えていた。
あごに手を当てて『中の人』がいない、萎んだままの仮面ドライバー・フブキのスーツを見つめながら――。
「分かった。もういいや。中止だ、中止! あとで損害賠償で訴えてやるからな!」
「そ、そんなぁ。勘弁してくださいよ――」
「待って!」
夏希の声にいがみ合う男ふたりが動きを止めた。
鷹と疾風をイメージした流線型のヘルメットを手に、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「用意できますよ、代役――」
彼女だけは知っていた。
この会場で唯一、天高く舞い上がり必殺のドライバーキックを放つことが出来る男が存在することを。
その名は――。
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