第34話 並ツユダクで……

 夕陽が沈み、稗田邸のお茶の間を静寂が支配する。

 いつまでもウジウジしていても仕方がないと、気落ちする渚をちゃぶ台の前まで引きずってきた夏希は、テイクアウトの牛丼を食卓に並べて手を合わせる。


「食べよ。冷めちゃう」

「あぁ……」

「いっただっきま~す」


 紅しょうがは少し。七味はいらない。

 タレのよく染みたごはんを煮込んだ牛肉と共にかっこむ。


「ぬふぅ~ん」


 美味しいを大袈裟に伝えようとするとこうなりますよ、といういい見本だった。

 割り箸片手になぜかテキサスロングホーンのポーズ(小指と人差し指だけ伸ばして残った三本の指でOKサインのような丸を作る。いわゆるスタン・ハンセンの『ウィー!』)を取る。


「牛つながり?」

「そう。牛つながり」

「ははっ」

「やっと笑った」

「そりゃどうもご面倒掛けましたねぇ」

「いえいえ」


 ようやく箸を手に取った渚は、牛丼の湯気を吸った。

 見た目にも幾分、生気が戻ってきたように感じられる。感情のないビー玉みたいだった瞳に光が灯り出す。まだまだ弱々しいけども、それでも夏希はホッとした。


「ごめんね」

「あん?」

「作戦失敗だったんでしょ?」


 作戦とはユウ――夏希は美山みやま ゆうを『花屋』としか認識しておらず名前も知らない――を夏希の会社が主催するヒーローショーへと渚が誘うために授けた手管である。

 コンビニで買ったキャンディトイを「くじで当たった」と称してプレゼントする。

 そこで特撮への興味の有無をはかり、つぎへのステップとする作戦だ。


 これにはふたつほど利点がある。

 いい歳をしたおっさんが子供番組に血道をあげていることを、それと悟られずに相手に興味があるかを確かめることが出来るのだ。

 もし相手に興味がなければ「俺もくじで当たっちゃって仕方なく」と言えるし、万が一にも共通の趣味が見つかったのならばこれ幸い。

 そして、それがきっかけとなり本丸であるヒーローショーへのお誘いが容易となるのである。


 無論、趣味への没入度によっては「は? ヒーローショー? 大人が?」となる可能性もゼロではない。むしろそっちの懸念のほうが気掛かりだった。

 ましてや男同士で二人っきりで平日にって――。

 勘が鋭い人間であれば、渚の下心など造作もなく看破するかもしれない。


「言わなきゃよかったね。誘えなんて――」


 今度は夏希が気落ちする番だった。

 あんなにも楽しそうにしてたのに――出勤前の渚を思い出すと罪悪感で胸が痛くなった。


 しかし渚は意外にも「いや、そうじゃないんだ」と答えた。


「ばっちりだったよ、おまえの作戦。優くん、めちゃくちゃ喜んでたんだよ、あのフィギュア」

「は?」

「たまたまシークレット引いてさ。ようやくコンプリートしたって」

「え? え? ちょっと待って。ごめんごめん――なに成功したの?」

「うん」

「つまりその――相手も特撮ファンだったワケ?」

「まさかのメタルヒーローまで網羅したクソ廃人だったよ」


 なにを言ってるんだコイツは――夏希はそう思わざるを得なかった。

 じゃあ、さっきのこの世の終わりでも見てきたような沈みっぷりは一体なんだったのか。

 夏希は牛丼をちゃぶ台に置いて、再度問うた。


「えっと――じゃあヒーローショーは?」

「行くよ。誘ったもん」

「誘ったもんじゃねえよ。じゃあ何にへこんでんだよ?」

「それは……」


 まただ。またあの死んだような目になった。

 ゾンビのように垂れた首と、脱力しまくった上半身。このまま即身仏にでもなってしまうんではないかという動かなさだ。


 しかしそんな即身仏・渚は、渾身の力を振り絞って右手をあげた。

 さらにゆっくりと小指を立てて「コレ」とだけつぶやいた。


「おんな……?」


 コクン、と。

 糸の切れたマリオネットのように首が落ちた。赤ん坊でもまだ座りがいいというくらいには、項垂れている。


「そこの花屋の店長さんでな……後家さんなんだが、まだ二十五歳で器量良し……」

「なにそのマニアックなスペック」

「もともと特撮も彼女が好きだったんだと。それで気を引くために観始めたらハマったって」

「――で、そのふたり付き合ってんの?」


 渚は小さく首肯した。

 いたたまれないというか、見るに堪えないというか。

 まるであの日の自分である。

 家に帰ったら家財道具一式と共に恋人が消えていたあの日と――。


 気がついたら夏希は渚を抱きしめていた。

 小さくなった彼を頭からギュッと。

 ノースリーブから溢れ出さんばかりの豊満な胸を押し付け、窒息しろとでも言わんばかりに。


「泣いていいぞ。あと猫に男の名前付けるくらいは許してやる」


 すると渚の大きな手が、夏希の背中へと回った。

 弱々しいがあったかい手だ。

 料理を作り、ときにはバイクを直す手。それから暴走する夏希を止めた手だ。


 あたしのおっぱいを揉んだこともあったな――。


 たかだか一週間。

 なのにもうこんなにも思い出が沢山ある。

 ふたりだけの時間が流れていた。もう孤独(ひとり)じゃないと――。


「だから今日だけ泣いていい」

「――さんきゅ。でもいいよ。俺、大人だから」


 渚は夏希の身体を自分から離した。

 ただでさえタレ目がちな瞳が、さらにしょぼくれている。本当に泣いてないの?

 そう聞くのは流石に野暮か――。


「そっか……でもヒーローショーには一緒に行くんだよね」

「そ、楽しい楽しいデートだよ――サンニンデ」

「なに? ちょっと最後聞き取り難かったんだけど、もしかして三人とか言った?」

「……」


 渚は黙して語らず。ただ夏希からずっと顔を背けている。


「なに敵に塩を送ってんのよ、馬鹿ーっ! 二人っきりならワンチャンあったでしょうが!」

「あるかアホ! 相手ノンケやぞ!」

「知るか! 多少強引でも押し倒して、言うこと利かせるくらいのことしなさいよね!」

「できるか! 俺の主義に反する!」

「なにをー!」

「やるかー!」


 立ち上がったふたりは牛丼そっちのけで取っ組み合いを始めた。

 まずは手四つからの力比べ。それから肌合わせに夏希がフェイスロックへと持ち込んだ。

 ふたつの乳房が渚の頬に当たる。

 お互いに、だからどうしたの世界である。


「うおおお! ここじゃダメだ! 道場行くぞ、道場!」

「望むところよ、おりゃああああ!」


 野良猫ファミリーが何事かと、居間をのぞいている。

 渡り廊下をつたって道場へと消えるふたり。このあとめちゃくちゃプロレスごっこした。

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