第17話 スイカにまつわるエトセトラ

 夕涼み、というにはすでにとっぷりと日は暮れている

 赤々とした夕焼け空も、いつの間にやら夜の帳がおりていた。


 夏希はうちわ片手に縁側へと腰掛ける。

 かたわらではお馴染みの蚊やり豚のぶーやん(夏希が命名)が優雅に煙を吐いていた。

 また夜の天蓋は昼間の雨が嘘のように晴れており、まだ昇りきらぬ星々が地平線の彼方でひしめき合っている。

 天然のプラネタリウムだ――などと安易に口走ってしまうとパラドックスが発生しそうであるが、夏希の貧相なボキャブラリーからすればまさにそんな感じである。


 幻想的な夜空とゆったりとした時間。

 汗をかいた麦茶のグラスが、溶けた氷をカランと鳴らす。

 ここのところ「呑み」が続いていた彼女も今日は休肝日と相成った。

 背にした居間のテレビからは、お気に入りの『試合』がBGM代わりに流れてくる。


「切れたぞー」

「待ってました!」


 居間の奥――台所からお盆を手に渚が現れた。

 載っているのは三角形にカットされた真っ赤なスイカである。それは渚の不在中に、畑をやっている近所のお婆さんから夏希が受け取ったものだ。

 夕食前に冷蔵庫で冷やしておいたのである。

 もちろん塩も忘れちゃいけない。


「くぅ~これこれ! よく冷えてて美味し~!」

「甘いな! 裏の婆さんに感謝だ」


 口々に称賛の声があがる。

 ふたりしかいないというのに見る間にスイカは減ってゆく。

 だが豪快な食べっぷりとは裏腹に、夏希は食べたスイカの種をきちんと皿の上に出していた。

 傍若無人な彼女のことだ、てっきり何も言わずとも庭先に「ぺっ」と吐き出すものだと思っていたのに――。

 同居人としてのルールの話をしたあとである。

 もしかすると彼女なりに気を使っているのかも――渚は直感的にそう思った。


「それじゃあ風情がないだろう」

「へ?」


 渚はわざとガサツな感じでスイカを口いっぱいに頬張った。

 縁側にポタポタと赤い汁が落ちる。渚の手もドロドロだ。

 そして目をぐるぐるとさせながら一生懸命に口の中のスイカをやっつけたあと、まるでマシンガンのように、綺麗に掃き清められた庭先目掛けて種を飛ばした。


 どや――。


 するとどうだろう。彼女の瞳はキラキラと輝き出した。

 それは嬉しそうにスイカへとしゃぶりつく夏希の表情は眩いばかりである。

 頬を膨らませるその様は、さながら小動物のようだ。


 ブブブブブッ――。

 渚に勝るとも劣らない勢いでスイカの種を飛ばす。彼女の口から放たれた種は、地球の重力によって美しい放物線を描いてまだ浅い夜の闇へと消えていった。

 余韻に浸る夏希。

 やり遂げたあとの彼女の表情といったら。


 彼らは口に残るスイカをもごもごとしながら盆へと手を伸ばす。

 しかし非情にもそこには最後の一切れしかスイカは残されていなかった。


 動きを止める両者。にらみ合い、牽制を続ける。

 プロレスで言うところの視殺戦である。激しいメンチの切り合いだったが、舌戦へと変わるのにさほど時間を要さなかった。


「最後の一切れは『居候』には任せられないなぁ」

「いやいやレディーファーストっていう言葉が世の中にはありますんで『大家』さん」

「俺はスイカが好きなんです」

「あたしはその二倍はスイカが好き」

「じゃあその二倍」

「ああん?」

「ああああん?」


 お互いついに立ち上がってしまう。

 これでは朝イチの再現だ。

 しかしもう辺りは暗い。わざわざ照明を灯してまで闘うには理由がアホ過ぎる。

 そんなことを考えながら渚が口の中に残ったスイカの種をもごもごしていると、夏希が「そうだ!」と閃いた。古典的ではあるが、頭の上に電球でも描いてやりたいくらいだ。


「種飛ばしで決着よ!」

「……いいだろう」


 まるで荒野のガンマンのように。

 ふたりはただ一切れだけ残ったスイカを賭けて、いままさに種飛ばし競争を敢行しようとしていた。そのただならぬ空気に庭先に住み着いた野良猫の親子が「にゃあにゃあ」と鳴いている。彼らの胸中に去来するものは一体何か――。

 猫ならぬ渚らには皆目見当もつかない。


 いざ――。


 縁側に並び立ち、背を反らしたふたりは一気呵成に上半身を前方へと振り出した。それはまるで浅間山荘事件のハンマーのように。あるいは古代ギリシャの攻城兵器カタパルトのように。

 全関節を連動し、加速させながら駆動していく。

 それらはすべて口から吐いた種をより遠くへ飛ばさんがため。


 ふたりは持ち得る最速で首をスイングさせる。

 そしてすぼませた唇から、黒々とした弾丸のようなスイカの種を――飛ばした!


 勢い良く飛んでゆくふたつのスイカの種。

 ただでさえ小さいそれは、美しい放物線を描きながら夜闇へと消えた。


 そう夜闇へと消えたのだ。


「そらそうだわな……」

「どうせやるなら家のなかだったわね……」


 ドッと疲れて縁側へと座り込む。

 そのさなかでさえ、ぶーやんはのどかに蚊取り線香をくゆらせていた。

 ふたりのささくれ立った心が、ぶーやんによって浄化されていく。


「分けるか」

「うん」


 ようやくその考えに至った彼らが視線を盆の上へと向けたとき、残されていたはずの一切れのスイカは存在しなかった。

 愕然とするふたり。まるで狐にでもつままれたようだ。


「な、なんだ……と」

「怪奇現象っ?」


 しかし彼らは知らない。

 ふたりがアホらしいバトルに興じていた時、野良猫ママがスイカをくわえていったことを。

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