第16話 揉んでもモメないこと

 いい加減、夏希の乳も揉み飽きたといった頃である。


 渚はいつも使っている洗面台の、その隣にしつらえられたユニットバスへと所在を移した。

 風呂好きだった故人の設計により、もちろん大きな風呂場もあるのだが夏場はどうしてもシャワーで汗を流すだけとなっていまうことが多い。

 夏希にも風呂場のことは伝えてあるのだが、元来ズボラな彼女には何をか言わんやである。


 洗面所のドアを閉めると足元にある脱衣用のカゴが目に入った。

 そこには無造作に投げ入れられた夏希の衣類がある。当然のことながら下着もだ。その光景を目の当たりにした渚は眉根を寄せる。

 たとえ下着であっても、女性用のものと自分のものとが同じ場所に置かれることに不快感を覚えるのだ。それは夏希とて例外ではない。


「つかアイツ何日分溜めるつもりだ?」


 荷物を運び入れたその日を入れたらすでに同居生活は三日が経過している。

 その間、彼女は洗濯自体をしていないようだった。

 カゴに脱ぎ捨てられた三日分の洗い物を見て、渚は怒るでもなくそうごちる。


 仕方なく渚は、脱いだものを洗面台のうえへと仮置きするとシャワールームへと入った。

 適度に鍛え上げられた肉体が鏡にうつり、胸元のドロップキックの痕を見る。

 優に塗られた軟膏が効いているのか、赤みは若干引いていた。

 むしろその時のことを思い出し、紅潮したのは渚の頬だ。思い出して止まらないニヤニヤをかき消すようにして頭から熱いシャワーを浴びると、視界は瞬く間に土砂降りとなる。


 目を閉じながらシャンプーへと手を伸ばした。

 しかしすぐに違和感を覚えて目を開けると、掴んでいたのはボディソープのボトルである。置き場所が変わっているのだ。同居生活を始めるとこういうことが随所に起こる。

 最初のうちは許せても、なあなあにしておくとやがて大問題に発展することさえある。

 所詮は他人同士が暮らしているのだ。多少なりともルールは必要である。


「あ゛~」


 シャワーを終えた渚が居間へ戻ると、夏希はまだ扇風機の前に陣取っていた。

 強風で撫で付けられた前髪が、そろそろライオンのたてがみのようになろうかとしている。


「まだやってんのかよ」

「お゛ーか゛ーえ゛ーり゛ー」

「だからおかえりじゃねえわ。おまえ洗濯物ぐらい自分で洗えよ」

「え~。一緒の脱衣所で脱いでるんだから一緒に洗ってくれてもいいのにぃ」

「女の場合、下着の洗い方とか色々あるだろうが」

「ないよー。それにあたしお父さんのパンツとかとお洗濯一緒でも問題ないタイプだから」

「だれがお父さんだ。おまえが問題なくても俺が気にするの」

「うるさいなぁ。やっぱりお母さんだ」

「どっちでもねえ。あと色々と当番制にします」

「ええええええええええっ」


 夏希は驚愕のあまりその場へペタリとへたり込んだ。

 据え膳上げ膳の毎日に浸りすぎた彼女にとって、そのセリフは相当に堪えたらしい。

 小柄な体型に不釣り合いなおっぱいは、重力に抗うことなくノースリーブの隙間からこぼれてゆく。まるで煮崩れたジャガイモのようだと渚は思った。


「あ、そうだ」


 煮崩れたジャガイモ、あるいは浜辺に打ち上げられたミズクラゲの夏希は、急に何を思い立ったのか起き上がりこぼしのようにピョコタンと跳ね起きた。

 揺れる乳はやはりその動きにだらしなく追従している。


「さっき近所のひとが色々と置いてったよ? おすそ分けだって」

「近所のひと?」

「野菜とか果物とか。台所に運んどいた」


 怪訝な表情で台所へ向かうと、コンビニのレジ袋がふたつぞんざいに置かれていた。

 なかにはナスやきゅうりといった夏野菜と、リンゴや桃をはじめとするフルーツが詰められるだけ詰められていた。

 さらにテーブルの上には、丸々とした大きなスイカが鎮座している。

 緑深くしましまも立派だ。

 渚はスイカの表面を軽く叩くと、寄せていた眉間のしわを緩めた。


「裏の婆さんだ。いつも悪いなぁ」

「あ、そうなんだ」


 あとを付いてきた夏希がレジ袋から桃を取り出すとそう相槌を入れた。

 割れ目を凝視するその姿には、取り立てて何を考えているかなど尋ねる気にもなれない。


「ウチの爺さんが生きてる頃からの付き合いらしくてね。今度また何かお礼しないと」

「ふーん」


 渚はふと夏希の格好を見て思った。


「おまえ、まさかその格好で門外まで出たのか?」

「当たり前でしょう。鍵掛かってんだから」

「いやそういうこっちゃ無くてさ……」


 上は煮崩れたジャガイモ。下は生足魅惑のマーメイド。

 そろそろ喜寿になりなんとする農家の年寄りをして、この娘の艶姿は一体いかにうつったか。


 稗田の若い衆が、屋敷に乳放り出した娘を住まわせている――。


 狭い世間だ。

 ウワサが広がるのも時間の問題であろう。

 これから近所の奥様連中と顔を合わせるのが辛いところだ。


「夏希。おまえゴミ捨て係な」

「何よ、藪から棒に」

「いいから。洗濯くらいはしてやっから」

「ほんとっ?」

「ただし下着は自分でやれ」

「へいへい」


 気がつけば降り続いていた雨もあがっていた。

 また暑くなりそうだ。

 黄昏時。西の空が真っ赤に燃えている。

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