おまけ其ノ七 餃子
最近の冷凍食品は質がいい。
とくに餃子などは各メーカーがしのぎを削り、ただフライパンに乗せフタを被せるだけであっという間にパリパリのハネまで出来る。
あまりの感動に普段は立ち入りを制限している同居人を台所に呼んでまで、製造元の企業努力や日進月歩の食品業界を礼賛したものだ。
だが渚はいま、毎夕のように眺めている同居人の顔を見て驚愕している。
食べてるときと飲んでいるときだけは片時も笑顔を忘れない、あの大島 夏希が。
事もあろうに自分が絶賛した餃子には目もくれず、ずっとねぶり箸で物思いにふけっているではないか。
許せなかった。
自慢の夕食をないがしろにして、上の空でなにかを考えている同居人を。
夏希よ、いまお前の心を捉えているものは一体何だ?
何なのだ!
マルレイの「水なしパリッと羽根つき餃子」よりも大事なことなのか。
それとも――。
「おいこら! 箸をねぶるな、箸を!」
「ほえ?」
「それとも何か? 冷凍食品そのものを舐めてるのか! 言っとくけど手抜きじゃないぞ、手抜きじゃ! 純粋にこの餃子の味がだな!」
「ちょ、ちょっと! 何怒ってんのよっ。あたし、なんかしたぁ?」
驚きのあまり、ねぶっていた箸を吹き出す。
すでに何年もまえに成人を済ませている「大人の女性」がすることではないが、渚の激昂ぶりにさしもの夏希もうろたえているようだった。
いつもの軽口さえどこへやら。
鳩が豆鉄砲どころか、厳重なホワイトハウスにICBMでも撃ち込まれたような顔をしている。
「ご飯時に考え事なんかしている子に、食べさせる餃子はありません! アスパラの肉巻きも没収します!」
ちゃぶ台のうえに、ドンッと降ろされた渚のたくましい腕が、餃子とアスパラの肉巻きの乗せた平皿をさらっていく。
慌てた夏希は二枚の皿の端っこを掴んで、必死の抵抗をみせた。
「ごめん、ごめん! よく分かんないけど、ごめんなさい! ちゃんと食べる! すぐ食べるから持ってかないでえええええ!」
「ったく! 最初からそうすりゃいいんだ、最初から!」
「ふぇええん……あ、ほんとだ。餃子おいしっ」
泣いたカラスがなんとやら。
餃子をひとつ、口元に運ぶや否やである。
にんにくとニラの効いた餃子の味がまだ口腔内で漂っている間に、白飯をかっこむ。
そしてまたひとつ、彼女の箸は餃子を掴んだ。
その笑顔を確認して、ようやく溜飲をさげた当家の料理人は一安心。
どうやら彼女の物憂げな表情は、我が絶賛の冷凍食品が作り給うたものではないらしい。
「で」
「ふい?」
「何考えてた。おまえさんが飯時に考え事なんて、天変地異の前触れかと思ったぞ」
「ちょっとそれ言い過ぎぃ」
口を尖らせて夏希がぶうたれると、対する渚は口の端を持ち上げてかぶりを振った。
だが、しばらく沈黙が続いたかと思うとまたぞろ夏希はねぶり箸に戻っていた。
「おい、また――」
「あ、そうだ。あんたに聞きゃいいんじゃん。一応、男なんだし」
彼女は箸をくわえたまま、飛び跳ねるようにして上半身をちゃぶ台のうえに乗り出した。
夏希の顔が急接近し、思わず渚はのけぞった。
にんにくとニラの香りが周囲に漂う。
「な、なんだよっ」
「あのね。男がプレゼントに貰って嬉しいものってな~んだ?」
渚は耳を疑い、持っていた箸を畳のうえに落とした。
ただでさえ深い眉間のシワにさらなる切削加工をして、あらん限りの力で夏希の言葉を訝しんでいる。
1足す1は2じゃないぞ、俺たちは1足す1で200だ。10倍だぞ10倍――とは、某プロレスラーの有名な迷言であるが、そんな気分だった。
「お、お前まさか、フラれたショックで……」
「え? あ、違う違う! バカ! 何考えてんのよ!」
渚の考えてることが伝わったのか、夏希が顔を真赤にして叫ぶ。
手にした箸を投げつけて、全力でそれを否定する。
「こないだの誕生日会のお礼! ほら……幹事してくれた佐々木くんには、ちょっと申し訳ないことしちゃったじゃない? あれからなんだかぎごちなくって」
「あ? ああ……アレか……」
それは夏の盛りのことだった。
当の本人にはバレバレだったサプライズの誕生日パーティ。その幹事をしていたのが、密かに――というかそっちもバレバレだったのだが――夏希に想いを寄せていた佐々木某だった。
あの日、夏希に思いの丈をぶつけ、見事に玉砕したらしい。
詳細はよく知らないが、現場に居合わせた渚としても、その胸中や想像にかたくない。
ましてや自分もつい先ごろ、懸想していた美青年に厳しい現実を叩きつけられたばかりではないか。期せずして三者三様のハートブレイク。これを機縁と言わずしてなんと言おう。
ともあれ。
「焦ったわ。まさかおまえがノンケに堕天するとか考えて、正直キモってなったわ」
「勘弁してよね、気持ち悪い。なんであたしが男なんかと付き合わなきゃいけないのよ!」
「悪い悪い。……んで、なんのプレゼントだっけ?」
「だからお礼のだってば。女の子たちは、別にいいよ~って言われたから、男子にはなんかお返ししなって、吉岡が……」
夏希の同僚の吉岡 麗の顔はすぐに思い出せた。
渚をして麗人と思わせる稀有な存在である。まだガッツリと話したわけではないが、例のヒーローショーの二次会で二言三言、会話を交わした仲である。
まだ自分が『稗田』であることも、夏希の同居人であることも彼女らは知らない――。
「パンツとかかな? 一時期流行ったよねそういうの?」
「ばっか。おまえ、また気があるとか思われんぞ。みんな営業だろ? ネクタイとかにしとけ」
「ふ~ん。そんなもんなんだ」
夏希が投げつけた箸と、自分が落っことした箸を拾い上げて、渚は台所へと向かう。
新しい二膳の箸を持ってくると、ふたりはあらためて夕食を再開した。
何事もなかったかのように。
それが当たり前のように。
「よし。明日買いに行こう」
「行ってらっしゃい」
「何言ってんのよ。あんたも来るのよ?」
「なんでっ」
「男に気があると思われない程度にオシャレで気の利いたネクタイを、あたしがひとりで選べるとでも思ってるの?」
「思わない」
「ほら、ごらん」
なんで自慢げなんだよ、と。もはや言う気力もなかった。
ふとちゃぶ台のうえに目を移すと、すでに餃子もアスパラの肉巻きも綺麗に平らげられたあとだった。
夏希の笑顔と綺麗な皿。
満足感と面倒臭さと。しかし。
何着ていこうかな――。
とっさにそんなことを考えてしまう自分が、案外嫌いではなかった。
勃たない男と濡れない女 真野てん @heberex
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