第5話 一番星みつけた

 和箪笥の上に置かれたガラスボウルに湾曲した世界がうつっている。

 古めかしい調度に囲まれた八畳間だ。

 ふすまを開ければ濡れ縁越しに中庭が見えた。


「わーい。畳のお部屋~」


 着いたと同時に部屋へとダイブする女がひとり。夏希だ。

 淡いイ草の香りに恍惚とした表情である。


「こら。先に荷物運べって……」


 二つ重ねたダンボールに視界を遮られながらも渚が悪態をつくと、夏希は「はーい」と渋々身を起こすのだった。


「『こら』なんて怒られ方、久しぶりにされた」

「俺もだ。ほら、口動かしてないで身体動かせ」

「へいへい」


 稗田邸へと到着すると、渚は母屋の一室を夏希に与えた。

 彼女の希望によりエアコンの付いている数少ない和室のひとつである。

 引っ越しといっても、いわゆる白物家電の類がないので作業はふたりで十分こなせた。それに夏希の持ち物といえば、衣類の他はほとんどプロレスグッズである。


 荷物を積んだダッジ・ラムバンと部屋を往復すること四度。

 最後は夏希が持参した五キロのダンベルを畳の上に置いて終了と相成った。

 ふたりとも心地よい疲労感に顔を見合わせる。

 額には玉の汗が輝いていた。


「ふふーん。あたしのお部屋~」


 にへらと顔を緩ませる夏希に、渚も思わず頬をほころばせる。

 しかし喜んでいるとも思われたくないので、すぐに咳払いで誤魔化した。


「大事に使えよ。その辺の家具だって、そこそこいい値段すんだから」

「ホントだね。この机なんて超カワイイじゃん」


 飴色の輝く猫脚の文机。

 ところどころに傷が目立つが、それもまた風合いである。


「爺さんがちょっとした書き物するとき書斎代わりに使ってた部屋だってよ」

「へぇ……万年筆片手に原稿と向かい合ってるおじい様の姿が浮かぶわ」

「や、執筆は全部ノートパソコンだ。Wi-Fiも通ってるから、月末の通信は気にするな」

「ろ、ロマンが……」


 ふすまを開け放ち、夜風を入れればたちまち時代劇の世界だ。

 慎ましやかな日本庭園に、夏希の目も輝く。


「それにしても維持費が大変そうだね」

「そうだなぁ」

「そうだなぁって随分と他人事じゃない?」

「だって他人事だもん」


 ぶっきらぼうな渚の物言いに、夏希も怪訝な表情だ。

 彼は濡れ縁に腰を掛けると、庭先にある大きな離れ家を眺めながら「ふぅ」と一息ついた。


「言ったろ。俺は住んでるだけ。管理は『本稗田ほんひえだ』がしている」

「『本稗田』?」

「ウチの本家だよ。俺んちは分家なの」

「何やってるお家なの?」

「まあ色々とね」


 夏希は彼の横に座り、短い脚をバタバタとさせた。

 見上げた先には一番星が瞬いている。


「あたしもあるよ。色々」

「そうかい」

「色々同士。仲良くやってけそうだね?」


 少年のような童顔をくしゃくしゃにして夏希が笑う。

 渚もつられて口の端を持ち上げた。


「おまえ、勝手に転がり込んできといてよく言えるね」

「それは言いっこなし」

「あ~あ。俺の静かなる毎日が――」


 よよよ、と両手で顔を覆った渚の肩を、夏希がポンッと叩く。

 眉根を寄せて、首を振って。


「ご愁傷様です」

「おまえが言うな!」


 広い屋敷に男女がふたり。

 ルームシェアと呼ぶにはあまりにも立派な邸宅である。

 でも孤独(ひとり)よりはふたり――。

 そんな気持ちを言葉に出来ないまま時は過ぎてゆく。


「あ、猫だ!」


 夏希の声に振り向いた渚が垣根の植え込みを見ると、野良猫の親子が庭を通り抜けようとしている途中だった。

 夏希は猫たちに手を振って「これからよろしくね~」と言っている。


「暢気なもんだ」

「挨拶は大事よ」

「――俺には」

「あ……」


 忘れてたのか、意図してたのか。

 バタつかせていた脚を引っ込め三つ指をつくと、彼女は栗色の髪を深々と下げた。


「あ、よろしくお頼み申します~」


 ベベンベンベンっと三味線の音でも聞こえてきそうな芝居がかったセリフに、思わず渚も苦笑する。長い一日がようやく終わりを告げようとしていた。

 それを猫たちが不思議そうな顔で見ている。

 あっちも家族が増えたのかとでも思っていそうだ。

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