第24話 困惑の麻婆茄子

 昼休み――OLにとってそれは戦場である。

 限られた時間内に空腹を満たすことはおろか、午後からのもうひと仕事に向けて英気を養わねばならない。


 近頃はコンプライアンスに過敏な国内企業のことなかれ主義も相まって、仕事の能率とは無関係に休憩だけはきっちり取らされることもあり迂闊にデスクにもいられない有様である。

 本末転倒というか有名無実というか。

 いちいちやることが極端ではあるが、それでも休みが多いに越したことはない。


 出来ればまったりとした時間をおしゃれな空間で過ごしたいため、フォトジェニックなカフェにでも行きたいところではあるが、どこぞの富豪夫人でもあるまいに毎食それでは財布が先に音を上げてしまう。


 そんな夏希たちの強い味方が定食屋『やまだ』である。

 おしどり夫婦が切り盛りするこじんまりとした店舗ではあるが、掃除も行き届いていてとにかく居心地がいい。

 しかもすべてのメニューにハーフサイズがあり値段も手頃だ。

 分煙化も進んでいて、タバコの煙嫌いの夏希にはこれ以上ないくらいの好条件である。

 さらにはオフィスビルから歩いて五分という立地はまさに奇跡的と言えるだろう。


「うっそ! 稗田グループの御曹司と住んでんのアンタ?」


 今日の日替わりランチである麻婆茄子セットを食べる麗の手が止まった。


「だからぁ情報がちょっととっ散らかっててまだよく分かんないんだって……」

「分かんないも何もないでしょうが。大体なんで男と一緒に住んでんのよ。聞いてないし」

「まあ言ってないしね……」


 麗にまくし立てられる夏希の隣にはシブちゃんが座っている。

 幸せそうにトンカツとエビフライのハーフ・アンド・ハーフ定食を食べていた。

 タルタルソースをしっかりと乗せた揚げ物たちを頬張るたびに、たぷたぷのほっぺに手を当てて恍惚としている。夏希としてはそれを見ているだけで幸せなのだが、麗の尋問めいた言葉のひとつひとつに彼女がどう反応するのか正直気が気でない。


 いまのところは色気より食い気。

 シブちゃんの意識はお昼ごはんに向いている。


「ちゃんと順追って説明しなさいよ。アンタのことだから騙されてるまであるんだからね?」

「失礼な。そこまで馬鹿じゃないわよ!」

「ある日突然、家財道具全部ルームメイトに持ってかれた馬鹿にはなんて言えばいいのかしら」

「うぅぅ……どうぜ馬鹿でしゅよぉぉ」


 痛いところをつかれて反論の余地もない。

 麗と同じく日替わりランチを頼んだ夏希の麻婆茄子が時間と共に熱を失っていく。

 すると横から頼もしい声で「大丈夫です」とシブちゃんが助け舟を出した。

 いわく女子プロレス好きに悪いひとはいない――と。


「女子プロレスを観に行って知り合ったひとだって今朝言ってましたもんね?」

「そうそう。やっぱりシブちゃんはあたしの味方だー」


 ドサクサに紛れてシブちゃんに抱きついた夏希。

 ほんのりトンカツソースの匂いがした。


「だから。どうしてそこで意気投合して同棲するまでいくのよ。早い話が赤の他人でしょ?」

「や、だからアパートの更新が――」

「それで向こうも『はい、いいですよ』ってオッケーしたわけ? どんだけお人好しよ」

「だってほんとなんだもん……」

「なんかそいつ企んでるんじゃないの?」

「企んでるってなにを?」

「そんなこと私が知るかってーの。それともアンタが惚れてんのか?」

「あーそれはナイナイ。百パーない」


 頭の上で手のひらを横にあおいだ。その仕草の適当さ加減に、うんざりとした彼女の胸の内が投影されている。


「なんで? もしかしてすっごい不細工とか?」

「や、わりと二枚目なんじゃない? 知らんけど。背も高いし、清潔感あるし」

「じゃあ性格が悪いとか」

「毎日ごはん作ってくれるし、洗た……世話好きだから色々気が回るし」

「はぁ? もう付き合ってんじゃんそれ」

「でもお互いに恋愛対象として興味ないんだよね」

「え、なに――彼その……不能なの?」


 麗は美しい指先をクンっと斜めに突き上げて真顔で言った。


「麗ちゃん。お昼ですよ」


 さすがにシブちゃんにたしなめられたが、彼女の目は真剣だった。

 夏希は「あははは」と乾いた笑いしか出ない。


「聞いてないけど多分違うと思うよー」

「じゃあなおさらワケ分かんないわよ。アンタら一体なんなの?」


 一体なんなの――。


 問われてはじめて意識した。

 自分たちは一体どういう関係なのだろうか。


 戦友というほど古い付き合いではない。かといってただの同居人という気もしない。

 女子プロレスが好きで、人生観が似ていて。

 喧嘩もするけど、それがものすごく楽しくて。


 彼はあたしにとって一体なんなの?


 朝起きてアイツがいて、家に帰ってアイツがいる。

 ただいまを言い合える相手。おやすみを言い合える相手。

 それは家族?

 いや違う。

 でも、もっとも近くにいる他人。


 鏡でうつしたもうひとりのあたし――。


「まさかね……」

「は? なんか言った?」

「なーんにも。まあ『大家』と『居候』ってことで」

「なによそれ」

「いいじゃんもうっ。お昼休み終わるよ」


 言って夏希は猛烈な勢いで麻婆茄子をかっこみ始める。

 それを見た麗もまた諦めた様子で、食を進めた。

 一方その頃シブちゃんといえば、シメに頼んだハーフうどんを平らげようとしていた。


 夏が来る。蝉しぐれもそろそろ本番か――。

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