勃たない男と濡れない女
真野てん
第1話 男女におけるありがちな勘違い
ファミレス。二十五時。
ひょんなところで出会った男女が、妙な具合に意気投合した。
飲んで、騒いで、笑って、泣いて。
終電逃して今に至る。
「だからね。若手のレスラーは大技を安売りしすぎだって言ってんの。それが一発キマれば確実にスリーカウント取れるってのが本当の必殺技ってもんじゃない?」
冷めたフライドポテトを振り回して
テーブルを挟んで向かいに座っている男――
「ジャーマン連発しすぎて後半、投げてる方がバテバテだったもんなぁ。あれじゃ勝てる試合も勝てんわ」
「でしょう?」
程よくアルコールの残った身体に、心地よい酩酊感が続いている。
彼らはお互いのプロレス観が似ていることに気を良くしていた。
「さっきの第三試合だってさぁ――」
と、夏希は数時間前まで観戦していた女子プロレスの試合を振り返る。
ふたりが出会ったのは、じつは今日が初めてではない。
過去に数回。
同じ女子プロレス興行の会場に足を運んでいた。
一度目はニアミス。夏希がグッズ売り場の列に並んでいるところを渚が通りがかった。
二度目は会場外の露店で渚がケバブを食べていると「それ美味しいよね」と夏希が話しかけてきたのだ。しかしこれはお互いを意識していたわけではなく、現場の空気でいつもより三割増しで人間関係がフランクになるアレである。
そして三度目の今日。
突如起こった場外乱闘に夏希が応戦しようとしたところを、偶然近くの席に座っていた渚が見かねて羽交い締めにしたことが会話のきっかけだった。
ケバブの件もあり、顔見知りだったふたりが意気投合するのにさほど時間は掛からない。
三軒のはしご酒を経て、現在深夜のファミレスにいる。
しかし始発までの時間をフライドポテトとコーヒーだけで潰すのはさすがに厳しい。
そろそろ腰を上げるかと、渚が不意に口にした言葉がこのふたりの運命を変えた。
「明日、休みだろ? 家泊まってけよ。近いから」
アルコールの余力もあったのだろう。軽い気持ちだった。
本当に他意はなく、ただそれだけの意味だったのだが、キョトンとした夏希の表情を見るや彼は後悔した。
「あ――」
やってしまった。
ここまで気の合う女性も初めてだった。まるで大人になってから出来た『幼馴染』のようで。
そんな気安さが彼の心のリミッターをいつの間にか外していたのだ。
「ごめん。そういう意味じゃ」
「いいの?」
頬を染めているのは果たしてアルコールのせいなのか、それとも。
ふたりは夜風に吹かれながら、帰路についた。
「うわっ。すごっ」
夏希がそういうのも無理からんことだった。渚の案内で着いたのは、まるで武家屋敷のような立派な邸宅だったのである。
「死んだ爺さんの持ち家でね。空き家にするのもアレだから住んどけって言われてるだけさ」
大門の脇にある潜戸の鍵を開けながら渚は言った。
屋敷の玄関前まで続く飛び石に乗ってふたりが歩くと、センサー付きの照明が主の帰宅に反応する。浮かび上がる母屋はまるで時代劇にでも出てきそうだと夏希は思った。
玄関の戸に手を掛けた渚は、一度動きを止めて天を仰いだ。
言わなきゃな――。
彼女を家に入れるにあたって渚にはどうしても打ち明けておかねばならないことがあった。
いい歳をした男が酒の勢いとはいえ、家に女性を招き入れる。
それを難なく承諾した彼女の微笑みとその意味を。
ほかの女性ならいざしらず、相手は彼女なのだ。
ここまで意気投合した夏希に対して、告白する恐怖もある。
だが――それ以上に、彼女にだけは「知ってもらいたい」という気持ちがわずかに上回った。
嫌われたならそれまでだ――。
そう自分に言い聞かせるようにして。
「あのさ」
「ん?」
「期待させたようなら悪いんだけどさ。ちょっと言っとかないといけないことがある」
神妙な顔をした彼の表情に、夏希も何かを思ったらしい。
クリクリっとした大きな瞳をさらに見開いて彼女は「あたしも」と言った。
「俺さ」
「あたしね」
生温い初夏の夜風がふたりの間を吹き抜ける。
淀んだ空気をすっきりさらって、重い息づかいを闇へと霧散させた。
ジンと熱くなる頭のてっぺんに渚は震える。
もう一度彼女の顔を見た。まるで少年のようにピュアで頑固な眼差しだ。
湧き上がる想いが、彼の背中を押す――。
「ゲイなんだ」
「レズビアンなの」
時が止まる。ふたりの顔といったら。
お互いがお互いの言葉に呆れ返っている。
次第に熱を帯びる自分の顔に気づいて、ふたりともあらぬ方向を見た。
は、恥ずかしい――。
きっとふたりとも自分に気があると思ってた。
そんな勘違いにお互いが身悶えている。
「と、とりあえず上がろっかっ」
「え、ええっ」
ひょんなところで出会った男女が、妙な具合に意気投合して――。
だからってくっつくとは限らない。
この晩、彼らは好きな女子プロレスの話を心置きなくしたという。
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