第46話 スーツド(被支配層)の乱(1)


 FF87878は、自分の下の名が英文字のFと数字の7と8だけで構成されることに、ある種の不快感を覚えていた。学校で習ったネーミングルールでは、最初はスマートスーツの製品番号シリアルナンバーをそのまま人の名とし、その後は亡くなる人が出て空いた番号を、学校を卒業した新成人が順に埋めていく決まりとなったということだ。

 厳密なルールに基づき、恣意が入る余地はないのだが、不公平な気がしていた。


 それ以外でも、最近同じ地域にずっといるような気がする。いや、気がするだけでなく、間違いなく狭い地域から離れられないでいる。

 彼のいる場所の東のほうには山がある。西に行こうと努力したが、必須の仕事で戻された。宿も食堂もその狭い地域内にあるものばかりだ。

 これは不公平だ。

 この世界は、理念の上でも実質的にも完全に平等だと学校で教わったが、自分の運が悪いのだろう。間もなく彼は、そんなこれまでの不運を吹き飛ばすようなチャンスに遭遇することになる。



 また必須だ。

 東の山間部にある林道整備。彼は、自動車を拾い、ノーポイントで現地に向かった。

 車は、林道の突き当たりで停まった。車の前に行くよう、ウォッチに指示が入っている。車と林の間の地面は、縦横一メートルほどのコンクリートになっており、真ん中に古代のマンホールより少し大きな蓋がある。

 ウォッチを見る。

 最初の仕事は蓋の点検だった。

 蓋と蓋を乗せる周囲は金属製で、きっちりと乗せてある。取っ手をつかんで持ち上げ、横の地面に置く。裏返しても問題はない。欠けてもいない。

 ウォッチで完了報告。次は蓋の下にある階段を降りる。林道の続きのように同じ方向だ。階段からトンネルが続いている。

 照明問題なし。床も壁も綺麗だ。突き当たりの階段で今度は上に上がる。

 また蓋だ。内側から開ける。点検の結果、問題なし。


 地上に出ると、目の前に青や白のタイル張りの小さな建物があった。建物の清掃、点検をすませると、今度はまたトンネルに入るように指示が出た。階段を途中まで降り、内側から蓋を閉める。トンネルを抜け、林道に出る。横に置いてあった蓋を閉めて業務終了。


 車に乗り、ウォッチで指示された宿に行くように指示した。

 あの建物は一体なんだったのだろうと思いながら、窓の外を見ていたとき、道路沿いの集落での人の動きと自分のウォッチがおかしいことに気づいた。

「ストップ」

 と、声をかけ停車させた。


 カーステーションに入ろうとしたが、操作パネルが受け付けず、車を乗り捨てた。

 一般の乗用車は、相乗りする場合を想定している。降車は中に乗っている人間なら誰でも指示できるよう、システムによる管理の対象から外れる。一時的に降りて再び発車する場合でも、システム上は誰が発車指示を行ったから管理している。ウォッチが機能していないと、発車の受付ができない。自動車に限らず、ウォッチが機能しなければ、全ての受付処理ができない。


 カーステーションまで歩き、不自然な動きをしている男に声をかけた。

「ここで何してる?」

「そこの車に乗ろうとしてるんだけど、近づくと足が動かなくなる」

 ウォッチを見せてもらうと、自分と同じように迷路が出ている。較べて見ると異なる迷路で、男のほうにだけ赤い丸が出ている。

「迷路のとおりに動いたらどう?」

 彼が指摘し、男はその通りにした。

「本当だ。動ける」

 幸い迷路のルート上に車のドアがあった。男はドアを開けて車に乗り込んだが、車は発車しない。

 男は車から降りた。

「どうなっちまったんだ?」

 男は困惑していた。彼は男の迷路を見て、

「何が起きたのかわからないが、たぶんこの矢印がゴールだ。そこまで辿り着けばいい」

 とアドバイスした。


 一分ほどで男はゴールした。しかし、すぐに違う迷路が出てきた。

「きりがない」 

「助けを呼んでくる」

 彼は男にそう言い残し、宿と売店に行ってみた。さきほどの男と同じように中の人間が自由に動けずにいる。

 レスキューを呼ぼうにもウォッチが動かない。

 ここにいてはまずい。そう思い、道を歩いてもっと人の多い場所に向かうことにした。

 さきほどのカーステーションの男が、

「お~い、置いていかないでくれ」

 と後ろから声をかけた。

「街に行って人を呼んでくる」

 といって、その場を去った。


 急ぎ足で西に進み、いくつかある集落を通り過ぎ、ようやく工場のある地区にたどり着いた。

「ここも同じか」

 市街地から少し離れているが、人通りが多い気がする。この状況では屋内に入る気がしないのか、屋内に入れないのだろう。やはりどの通行人も、同じように迷路に束縛され、滑稽な動きをしている。

 喉が渇いた。まずは水分を補給したい。

 たいていの工場には水道の蛇口がある。すぐ目の前の工場に入ろうとしたら、入り口から一人の男が出てきた。

 彼を見つけると、

「一体、何が起きたって言うんだ?」と聞いてきた。


「僕にもよくわからない。そっちはどうだった?」

「そこの縫製工場の仕事が終わって、受付台に向かったら、足が止まってしまって。ウォッチには迷路が出てた。そこで、迷路を解きながら外に出たけど、これ一体どういうことだ?」

「あんたは運がいいよ。こんな簡単な迷路なんか誰でも解ける。迷路をクリアする上で、通らないといけないルート上に工場の壁があれば、外に出られない」

「そうか。俺は運がいいんだな」

「いくら運がよくても、これから迷路の通り進んで、どこに行けると言うんだ?」

「そう言われると、食堂に行くのも一苦労だな」

 男の認識は甘い。

「迷路のルート上に食堂の入り口がなければ、中に入れない。中に入っても、カウンターでトレイをとれるとは限らない。運良く食事にありつけても、今度は食堂から出られないかもしれない」

「本当か?」

「ああ」


 彼は、水を求め工場の中に入った。

 喉を潤した後は、今後のことを考えた。

 ウォッチが動かなければ、これまでシステムの指示で動いてきた社会が、全く機能しなくなる。

そのなかで生きていく必要がある。寝ることはどこででもできるが、食べ物だけはどうにかする必要がある。

 食堂に行けば食材ならあるはずだ。だが、厨房に侵入しても人がいて、そこで調理するのは難しい。

 これが長引けば、倉庫から食堂に食材が届かなくなる。それは売店なども同じだ。物流が停まるだけではない。農作業は行われず、食料は生産されない。

 これが世界規模の出来事だったら、救援物資も届かない。


 自分は運良く自由に動けるが、大多数の人達は迷路の通りにしか進めず、数日で息を引き取っていく。

 他人の心配などしている暇はないのかもしれない。彼自身が生き延びられるかどうかの瀬戸際だった。

 売店の菓子で腹を満たしたくはない。期待できないが、まずは食堂に行ってみよう。



 FF87878は、古代に嘉義かぎ市だった場所を歩いていた。ウォッチは迷路の処理を実行中で、他の処理が割り込むことができない。もちろんマップも使えない。目と足で食堂を見つけだした。入り口横の受付台を通ったが反応はなかった。

 運がいいことに、カウンターにはまだ料理が残っていた。誰かの予約分だが、本人が迷路に驚いて食堂から出てしまって、余ったのだと推測した。


 トレイに料理を乗せ、ホールに行く。ホールから出られない客達が何人かいた。

「お~、レスキューが来たぞ」

「俺は食事に来たんだよ」

 彼は空いている席に着いたが、客達は納得しない。

「ここにいる人間は自由に動けない。レスキューじゃなくても、目の前で人が困ってるんだ。助けるのが筋だろう」

「俺だって助けたいよ。でも、どうやればいいかわからない。残念だが、あきらめてくれ」

「このままじゃ死んじゃうよ」

「俺に言われてもどうしようもない」

 彼は、相手をするのをやめて食べた。料理は冷めていたが味は悪くない。食べ終わると、無言のまま食堂を出た。


 宿に行きたいが、この様子では危なっかしい。

 そこで公園で寝ることにした。スーツの保温機能はシステムと切り離されても作動するが、厳密に言うと彼はシステムから切り離されたわけではない。迷路処理がループして、他の処理が実行できない状態なのだ。ただ他の大多数の人間と違うのは、その迷路処理でルール違反が起き、まともに機能していないので、自由に歩けるのだ。

 そもそも迷路処理は、古代のゲームを歩行制限に応用したもので、特定の人間をある程度の広がりを持った場所に留める目的で開発されたものである。完全に動けなくしてしまうと人体に悪いので、多少は歩いてもらってかまわないというだけの、ほとんど実用価値のないものである。


 それが全人類に作用し、世界に大混乱を起こすなど、開拓者達は想像すらしていなかった。なにしろほとんどの開拓者が存在すら知っていないのだから。それが何故、前代未聞の影響を世界に及ぼしているかというと、オペレーターチーフとして知識をひけらかしたいアーリャンが、自慢の種に他のオペレーター達に吹聴したことが遠因になっている。


 どのベンチにも先客がいたので、地面に直接横になった。こんな状況では誰だって寝付けないだろう。

 眠りに就いたのは明け方近くになってからだった。それで目が覚めると、太陽が高かった。

「宿で寝たほうがよかったかな」

 公園には彼一人しかいなかった。

 街の様子を見ようと立ち上がり、歩きかけたとき、足が止まった。左ウォッチを見た。さきほどまでとは迷路が違う。しかも赤い丸がある。自分も迷路にとらわれてしまった。


「そんな馬鹿な」

 彼はそう言って嘆いた。

 原因は不明だが、現実は現実だ。しっかりと対処しないといけない。

 公園は柵で囲ってあるが、入り口は二箇所あり幅も広い。よほど運が悪くない限り道に出られるだろう。


 二度目の迷路が屋外で作動した自分は、まだましなほうだ。

 屋内にいて、運悪く部屋の入り口が迷路のルートから外れていた場合、その人物は部屋から出ることができなくなる。

 まず水だ。

 水ならどこでも手に入るが、下手に工場など大きな施設に入ったら、水のある場所に着くまでが大変で、出るのにも苦労する。それよりカフェや売店のような小さな建物のほうがいい。

 彼は、黙々と迷路を解きながら、わずかずつ移動した。


 売店は道の向かい側だ。

 運良くルート上に入り口があったので、二時間かかって売店に入ることができた。店内を一目見ただけで唖然とした。かなり荒らされている。

 持ち去られているのは、やはり食料、ドリンクの類だ。迷路をクリアしながら人が殺到したのか。

 あるいは彼以外に動ける人間がいたのかもしれない。

 店内に女がひとり倒れている。構っている暇はない。


 トイレに行けば水道の蛇口がある。売店は結構広いので、トイレは今の迷路の範囲外だ。

 ゴールはレジカウンターの近くだ。そこでゴールした。すぐに次の迷路が現れた。

 新しい迷路でトイレに近づく。

 売店のトイレは、個室がひとつあるだけだ。その外に洗面台がある。幸運の女神は彼を見捨てなかった。個室には入れないが、洗面台にたどり着けた。

 そこで水を飲んだ。売り場に戻り、迷路をクリアした。次の迷路を見た。

 そこで運が尽きた。入り口にたどり着けない。あきらめるのはまだ早い。今の迷路をクリアして、次の迷路に期待をかける。

 次も駄目だった。入り口から離れてしまう。幸い店の奥に続くドアがルート上にある。彼はドアを開けた。


 売店は、どこも同じ大きさの建物だ。彼にも勤務経験があるので、大まかな間取りは把握している。ただ店によって倉庫の什器の並べ方が異なる。ここは店の前の道路に対して水平に二列並び、什器の間隔が狭い。

 倉庫は荒らされておらず、在庫が豊富にある。什器の商品をどかして、間を潜って、奥に向かわなかればいけない。

 それから在庫の山と格闘しながら搬入口の前までたどり着いたが、それを開けるためのスイッチは右側の壁のところにある。残念なことに今の迷路では、そこにたどり着くことが出来ない。

 万事窮すか。

 いや、ここには食べ物も飲み物もたくさんある。当分の間、死ぬことはない。外にいても食べ物がなければ餓死するだけだ。

 やはり彼は運がいいのだ。

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