第9話 冒険的必須業務(2)


 二人はトンネルを通って、自動車に戻った。バッテリーの性能がよいので、まだライトは点いている。

 行きは必須業務なのでゼロポイントでよかったが、仕事を終えた今は自動車を利用するのにポイントが必要だ。UVがポイントを負担する予定だったが、一億一ポイントの持ち主PZが負担する。

行き先は宿にした。自動運転車は前後に長くないので、狭い道でもUターンできる。


 来た道を逆に進む。

 UVは一億ポイントに興奮して、使い道についてあれこれ妄想している。

「私だったら、働くの辞めるな。それから移動は全部自動車。歩かなくていいってすごくない?」

 PZ自身は、まだ一億ポイントの実感がわかない。

「本当に使えるのかな」

 騙されているような気分だった。


 道路脇の集落に入る。各施設がひとつずつ並んでいるだけで、古代の高速道路のサービスエリアを思わせる。こんな辺鄙な場所でも、建物自体は他の場所と同じ一般的な規格だ。

「ああ早くシャワー浴びたい」彼女は言った。「おじさんなら二回でも三回でもシャワー使えるね」

 その発想は彼にはなかった。シャワーは最長十五分で停止する。



 宿も入り口に受付台がある。それぞれの部屋の番号と案内図が表示される。受付をすませれば部屋番を忘れてもウォッチで確認できる。

また明日シーユートモロー

 少女はそう言って自分の部屋に向かっていった。

 また明日……学校で習った言葉なのだろうか。人と人が再び出会う機会が少ないので滅多に使わない。多分古代では当たり前のように、翌日に再会したのだろう。

 PZの部屋番は23だった。

 二階の三番目だ。宿はどれも二階建てだが、部屋数が4から30まで数パターンある。エレベーターはない。災害時の被害を最小限にするため、この世界の建物はどれも低い。それに、メンテナンスが容易で地震に強い。


 23という番号の記されたドアの前に立つ。カチャリという音がした。

 泊まる本人、あるいは宿の係が真正面を向けばドアは解錠される。

 ドアを開け中に入る。ドアを閉めると施錠される。


 入るとすぐ目の前にトイレバスユニットのドアがある。これは表からみて部屋の左側に設置されている。ユニットのドアは部屋の左端にあるが、部屋のドアと左側との壁の間には三十センチほどの間隔がある。

 その三十センチを利用して、ダストボックスと郵便受けが設けられている。郵便制度は無くなっていたが、郵便受けメールボックスという言葉は、本来とは違う意味で残っていた。

 床から一メートル程度の高さに郵便受けの窓があり、部屋側には壁から突き出た小さな台がある。ドアを開けずに廊下から部屋に物を届けることができる。郵便受けの下に空いている四角い穴がダストボックスだ。これは郵便受けと逆の目的で、部屋側から廊下に物を出したいときに使う。


 彼は履いているシューズを脱ぐと、ダストボックスに落とした。こうしておけば、廊下側の取り出し口から宿の係が回収し、シューズを洗って、翌朝早くに郵便受けの台の上に綺麗な状態で載っている。洗いたくなければ出さないだけだが、靴下もない状態で一日中履いているので、ほとんどの場合は出す。

 足が蒸れにくくなるように研究を重ねて開発されたシューズだが、それでも休憩所などで脱いでくつろぐ者もいる。紛失して新調するとポイントを減らされるので注意が必要だ。


 バスユニットの前を少し右に行くと、部屋全体が見渡せる。

 二十平米ほどの四角い空間はクリーム色に統一され、暖かい雰囲気だ。

 奥の突き当たりの壁には窓がある。その下に横長のソファが置かれている。そこに腰掛けると、廊下から入り口側の壁にある50インチのディスプレイ画面が見える。その画面にタッチして、オプション設定などを行う。


 下着、シャワー、ベッド、映像利用、それぞれ1ポイント。

 一億ポイントの幸運がなければ、ベッドだけにする予定だったが、全て選択した。映像利用を選択したので、画面にメニューが現れる。映画、音楽などの有料サービスや、自動車の使い方など生活上必要な知識をわかりやすく教えてくれる無料サービスもある。


 一億ポイントあるので、好きなだけ映画が観られるが、まず体を綺麗にしたい。ユニットのドアの前に行く。

 郵便受けの台の上に、端がわずかに蓋に挟まるように新品のパンツが置いてある。オプションで下着を選択すると、郵便受けの蓋がゆるみ、パンツが取り出せる仕組みだ。

 彼はスーツの下腹部と臀部の部分を上に上げ、今履いているパンツを脱いで、郵便受けの下のダストボックスに入れた。後で係が廊下にある取り出し口からシューズと一緒にとりだす。


 トイレバスユニットのドアを開け中にはいる。

 便器、シャワー、洗面台の構成で浴槽はない。部屋の温度が適温に調整されているので、風呂で体を暖める必要はない。

 洗面台には鏡がない。洗面台だけではなく、この世界には鏡が少ない。理容店にもない。業務上必要な場合しか鏡は使用しない。銀を使用したくない、割れると面倒ということより、人々に自分の容姿を意識させないためだ。カメラ類も一般的には販売されていないので、人々は普通に生きている限り、自分の顔を思い起こす機会は少ない。


 尿意があったので、先に用を足した。

 それからウォッチでスーツを入浴モードにする。スーツの各パーツの間に隙間ができる。

 シャワーかけにシャワーをかけたまま湯を流し、頭の上から浴びる。一旦シャワーを止め、体を洗うための棒の部分が曲がるブラシを手にとる。中に液体ソープが入っていて、スーツの隙間からブラシを入れ、体をこする。

 今度はシャワーを手にとり、全身を洗い流す。

 湯を止め、代わりに温風をシャワーの先から出す。ドライヤー兼シャワーだ。


 体を乾かすとドアを開けてユニットの外に出た。郵便台の上にあるパンツをはく。それからウォッチで入浴モードを解除する。スーツの隙間が閉じる。

 これで入浴は終わりだ。毎日していることだが、三回業務をこなした後なので、普段より心地よく感じる。

 それから歯磨きのため、ユニットに戻る。

 歯磨きは古代とあまり変わらないが、歯ブラシの中に液体歯磨きが入っている。

この世界に入れ歯はない。一般に販売していないのではなく、作っていない。歯が全部抜け落ちるような年齢まで生きることはないが、手入れがひどくて、歯が少なくなると大変だ。


 窓際のソファにこしかける。ちょうど真正面にディスプレーが見える。ソファの肘の部分にディスプレーを操作するリモコンが置いてある。紛失しないように、ケーブルでソファと繋がっている。

 映像作品動画を選ぶ。

 古代に製作された映像作品のなかから、思想的あるいは生理的に有害でないものを選んだもので、2から100ポイントまである。

 100ポイントクラスになると大作映画と言われたものになる。100ポイント貯まっていることなどまずないので、観る者はごく少数になる。そのため審査がかなり甘くなっていて、かなり過激な作品もある。

 今の彼なら余裕で観ることができるが、眠いのでソファの背もたれを後ろに倒し、ベッドにする。オプションでポイントを使用しなければ、背もたれが倒せず、ソファの上で寝ることになる。

 ソファの下は大きな引き出しになっている。そこに何枚かの毛布が入っている。これもオプションを使わなければ引き出しが動かない。

 毛布を一枚だけ出してかぶり、そのまま眠りに着いた。

 すると部屋の照明が弱くなり、ディスプレーも消えた。


 翌朝、目が覚めるともう十時をすぎていた。まだ眠いのは自然に起きたのではなく、ディスプレーから流れる音で起こされたからだ。

「腕を前に上げて、はいそのまま止めて。ゆっくりと息を吐きながら横から下ろしましょう」

 50インチ画面ではCGで描かれたキャラクターが体操を行い、軽快な音楽も流れている。


 運動不足解消と健康維持のため、毎日宿では体操を行うのが基本だ。

宿泊者が実際に体操を行って終了するまで映像は流れ続ける。無視してチェックアウトすることもできるが、運動不足がひどいと判断されると、必須業務にトレーニングセンター行きが出ることになる。

 睡眠時間は管理されている。学校や会社の時間に合わせて起きた古代社会と違い、ここでは個人の寝始めた時刻を起点にして起床時間が設定される。


 PZは起きてすぐ動く気にはなれず、ソファの背もたれを戻し、しばらく座ったままの状態でいた。

 動く気が起きなくても映像を観ていると自然に体を動かし始める。壁に埋め込まれたセンサーが彼の動きをチェックしている。体操は同じものが繰り返し流れるので、途中から始めてもかまわない。ひととおり終えると、映像が消えた。


 内側からドアを開ける。廊下に出て閉めると、ガチャリという音が聞こえた。この状態でまた部屋に戻りたければ、来たときとおなじようにドアの前にきちんと立てばいい。

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