第10話 冒険的必須業務(3)


 宿には受付カウンターもロビーもないが、チェックアウトの手続きはある。正面を向いて受付台の前に立てば、チェックアウトしたことになる。

 受付台に近づかなかったり、横向きで通り過ぎて外に出た場合は、宿泊中の外出と判断される。宿泊中の外出でも、昨日のUVのように、そのまま戻って来なければ、チェックアウト扱いになる。

 そのUV38244が受付台のそばに立っている。


「おじさん、起きるの遅いよ」

「ここで待っててくれたのか」

 PZからすれば、もう一緒に行動をする必要はなかったが、彼女にとっては金持ちのパトロンを見つけたつもりなのだろう。

 と思ったが、

「相談したいことがあって待ってたの。私にも変な必須業務が入ってる」

 そう言って彼女は、自分のウォッチを彼に見せつけた。

 彼はそれを見て、

「ただの売店業務じゃないか」と言ったが、売店の必須とは珍しい。しかも、昨日彼女は売店業務をこなしたはずだ。

「よく見て」

 言われてみれば、売店の名前と販売業務という説明だけで、勤務時間が表示されていない。

「いつ行けばいいのかわからないでしょ」

「どこの売店?」

「すぐそこ」

「この街?」街というより集落だ。「こんなところに客なんか滅多に来ないだろう」

「いつ行ったらいいかわからないし、何をするのかわからない。昨日のおじさんのこともあるし。なんか怖い」

「ひとりの客も来なくて、することなくて、いつ帰れるのがわからないのか」

 といってPZは笑った。

 そういう自分はどうだろう。彼も業務を確認した。


 人のことを笑っていられるような立場ではなかった。

「行こう」

 彼はチェックアウトの為、受付台の前に立った。

「どこに?」

「その売店に」

「一緒に働いてくれるの?」

「いや、僕は客として行く」

「どういうこと?」

「僕も必須画面にその売店が出た」

「私と同じ?」

「君は販売業務と出ているけど、僕は店の名前しか出ていない」

「お客さんってこと?」

「たぶんね」

 彼女も受付台の前に立った。

 二人はチェックアウトをすませ、そこから徒歩一分未満の場所にある売店に向かった。


 売店の入り口は閉まっていた。大きな街の場合、一店舗は24時間営業にするが、僻地なので夜間営業はない。

 裏に回った。彼女が通用口を開けて、先に控え室に入って、受付台の前に立った。

 相変わらず勤務時間は不明だが、業務内容が表示された。販売という曖昧で大きなくくりで、商品出しや荷受けなどがないのが気になる。

 PZが受付台に立つと、「あなたはここの業務は予定されていません」と出た。

「僕はやっぱり客なんだ。入り口開けてくれないか」

 彼女は店のほうに行き、彼は通用口から外に出た。


 古代の商店では、店の入り口にシャッターと呼ばれる金属製の巻き上げ式扉がよく使われたが、防犯防火対策の必要性が少ないこの世界の売店は、強化ガラスがはめこまれてはいるが、引き戸一枚だけだ。

 彼女が入り口を開け、彼は店内に入った。

「これからどうするの?」

 彼女が聞いた。

「手順としては僕が何かを買い、君が応対するはずだが、何を買えばいいのかな」

 二人は自分のウォッチを見た。

 特に指示は出ていない。


 そのとき男の声がした。

菓子スナック……クッキーじゃなくて、ドライフルーツを運べるだけ」 

 彼は店内を見回した。

「誰?」

「肩のスピーカーだよ」彼女が指摘した。

「そうなのか……」

 彼が店に第三者がいると思ったのは、通常、システムによる音声案内は専門の女性が感情を込めずに正確に読み上げた感じなのに、男の声はごく自然に話されたようだったからだ。


「今のは指示だったのか?」

 彼がそう言うと、今度は女性の声がスピーカーから聞こえた。そのすぐ後にまた男性の声がした。男女の会話のようだが、何を言っているのかわからなかった。

「誰かいるの?」UVが聞くと、さきほどの男の声で、「ソーリー」という謝罪の言葉が流れた。

「何、これ? おかしいよ」

 彼女が怯えた声で言った。

「今のは、ひょっとしてルーラーの声かもしれない」

「ルーラーが私たちに話しかけたの? やっぱり本当にいるんだ」

 支配階層の俗称であるルーラーという言葉は、誰もが知っているが、学校では教わらず、都市伝説の類と思われていた。

「普通なら機械のアナウンス音のはずだが、イレギュラーなことが起きてるから人が話しているんだ」

 昨日から彼に起こった出来事は、システムの通常業務に登録されておらず、極めてイレギュラーな内容なので、生身の人間であるルーラーが直接指示をしていると考えれば辻褄が合う。

 しかし、彼に使い切ることも難しい一億ポイントも与えたり、売店でドライフルーツの買い物をさせて、何の意味があるのだろう。


「で、結局、どうしたらいいんだ」

 声による指示が無くなったので、彼はウォッチを見た。

 必須業務にT232212009という街の名が出ている。そこに行けということだろう。経度から判断するとかなり西に進むことになる。

「私も同じ場所」

 彼女は、自分のウォッチを彼に見せた。

「二人でそこに行けということか。ここで買い物をしてから行くんだな」

 彼がそう言うと、

「一億あるんだから、好きなもの買おうよ」と彼女が言った。

「それはだめだ。ドライフルーツを運べるだけって聞いてるから」

「あれ、業務命令なの?」

「下手な憶測はやめて、ドライフルーツを買って、港のほうに行けばいい」

 それで二人の布袋に詰められるだけ、透明な袋に数種類のドライフルーツの入ったマルチフルーツパックを買った。


 ここの会計は客が棚の商品をとってレジカウンターの上におくだけで成立する。袋に入れたければ、自分の布袋に自分で入れるか、カウンターの上においてあるビニル袋をとって自分で入れるだけだ。

 買い物を終えると、

「ここの店はどうするの?」と彼女が聞いた。

「替わりが来るまで待つか」

 それから二十分で、中年の男が通用口から入ってきた。

「急に必須業務が入って、驚いたよ」

 男はそう言った。


 店を男に任せて、二人は整備工場もなく三台しか自動車が停まっていないカーステーションに行った。

 自動車に乗る。仕事で利用する場合、操作パネルで行き先を入力しなくても、ウォッチから指示できる。今回は必須なので、ポイントはかからない。

 西に向かうので、昨日来た道を反対から進んだ。明るいので周りの景色がよく見えるが、今の彼にはそんなことは気にならない。一億ポイント、わけのわからない必須業務……これから先何が待ち受けているのだろう。期待よりも不安のほうが大きい。


「フルーツ食べようよ」

 向かいに座っている彼女が言った。

「それは駄目だ。どうしても食べたければ、港に着いたら売店で同じものを買えばいい」

「今食べたいのに」彼女は不満そうだ。

「昨日はよく眠れた?」彼が聞いた。

「覚えていないからすぐ眠ったと思う。せっかくポイント富豪が近くにいるんだから、安い映画とか観ればよかった」

「僕もすぐ寝たけど、すぐには眠れなかった」

「ねえ、今度100ポイントの映画一緒に見ようよ」

「残念だけど、宿で二人が同じ部屋に入るのは無理だ」

「子供作るときは一緒だよね」

「君はもう体験したのか」

「私はまだ。おじさんは?」

「昔はあった。多い年で年に三回くらい。もう十年以上機会がない」

 古代では性についての会話はタブーだった。システムに完全管理された現在では、性に倫理など求められない。

「女は若いときしかないじゃない」彼女が言った。

「子供産むのに体力いるからな」

「大変だよね。私も男に生まれればよかった」

「女が全員が産むわけじゃない」

「産まない人もいるの?」

「いくらでもいるさ。その辺のおばさんに聞いてみるといいよ」

「それ聞いてちょっと安心した」


 若い女性は出産に対する不安があるのは彼も知っている。妊婦は出産まで産婦人科と呼ばれる診療所と宿を合わせたような施設で暮らす。分娩時には麻酔を使用するが、つわりや陣痛まで対処することはできない。古代と違って、自分が産んだ子供の顔を見ることもないので、出産は痛い思いをするだけの嫌なイベントだ。

 男女間の不公平を解消するため、産婦人科にいる間は低ポイントで作品が観れるなど特典が多い。さらに、出産終了後100ポイントが進呈される。


「おじさんの子供ってどこかにいるの?」

「さあ、自分で産むわけじゃないからわからない」

「わかるといいのにね」

「会うことがあるかわからないのに、知ってどうする」

「自分の子供がどこかにいるって知ってるだけで、何か気分が違うんじゃない?」

「そんなもんかな」

「ねえ、おじさん。子供作るときの相手の女の人との間に恋ってあった?」

「さあね。昔のことだから忘れたよ」

 そう誤魔化したが、たしかに恋愛感情はあった。今の彼はそれが人工的に作られたものだと知っている。 

 彼女との出会い自体が運命的なもので、そうなるようにシステムが仕組んでいたはずだ。


 偶然自動車に乗り合いになったことが、最初の出会いだった。

 翌日、ひとりでカフェにいたとき、不思議なことに周りに客はいなかった。いつもの習慣で音楽を聴いたが、ムードを盛り上げるような曲ばかりだった。この世界に音楽家はいない。古代の音源が利用されるだけだ。その中から恋愛に効果がある選りすぐりの名曲が選ばれ、目の前に広がる世界全体がその曲のイメージで包まれた。

 テーブルのディスプレーに、不思議な模様が現れた。グラスをかけると謎が解けるという説明があったのでそうした。そのとき、一人の女性がカフェに入ってきた。


 不思議なことに彼女は、スーツをはずして体のラインがあらわな衣装を着ていた。顔には化粧を施し、妖艶な雰囲気がある。

「昨日はどうも」

 最初は昨日の女性とはわからなかったが、話をすると彼女だとわかった。

 彼女はドリンクを二人分注文した。すると気持ちと性欲が高まった。きっと中に催淫剤が入っていたのだろう。ウォッチを見ると必須業務が入っていて、その内容は宿の名前だけが表示されていた。二人でそこに行った。受付台に表示された部屋番号は二人とも同じだった。

 行為を終え、「これからもずっと一緒」と誓いあったが、システムは強制的に二人を引き離した。 一緒に部屋を出た途端、彼のスーツが動かなくなり、二人組の男が彼女を抱えて連れ去っていった。それ以来、彼女とは二度と会っていない。

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