第5話 北回帰線の街(5)
今日の基本食は、豆ご飯に栄養水だ。若い頃はこれだけで生きていける人間がいることが不思議だったが、今のPZには、余計なものを食べなくても生きていけるような気がしていた。それでも13ポイントあるので、三品をトレイに載せ、4ポイント消費した。
内訳は、
ショウロンポー 1ポイント
野菜サラダ 1ポイント
英国風チキンカレー 2ポイント
デザートはカフェで食べるのでここではやめておく。
結果は残高9ポイント。
素人が作っているので、料理は格別うまくはない。といってもどこで食べようと旨くはない。この世界に一流レストランはなく、プロの料理人もいない。
その代わり食糧は豊富だ。備蓄も豊富で、生産にまだ余力がある。
世界中の耕地と人口が厳密に管理されているので、よほどのことがない限り、飢餓状態にはならない。流通に無駄がなく、仮に食糧不足が生じても、餓死者が出ることは考えにくい。
そもそも人口がピーク時の百分の一なので、耕地をいくらでも増やすことができる。
食堂は四十席ほどある。
好きな席に着く。といっても、テーブルはどれも一人がけなので、どこに座ろうと同じだ。古代の学生がテストを受けるときにカンニングさせないようにするのと同じように、喧嘩などトラブルが起きないよう、他の席と余裕をもったスペースになっている。人と人との接触を減らしているのだ。
彼も昔は食堂の業務をよく選んでいた。午前中、工場で作業をし、午後から調理関係というパターンが多く、それで必須業務に売店の仕事が入るくらいだった。それがいまや売店ばかりで、工場の必須が入る有様だ。
テーブルはひとりずつ分けてあるが、隣や前後の客としゃべる者もいる。今も彼の前とその右の客が話をしている。二人とも男性だ。
「この豆料理、味が薄いから、胡椒かけたほうがいいぞ」
「そうするよ」
テーブルの上には、香辛料や塩を入れた瓶容器が置いてある。中身が足りなくなると、中身だけ補充する。
料理はどれも塩気が少なく味が薄い。それで彼はいつも、味見をする前に、塩を無造作にふりかける。
塩分のとりすぎは身体によくないが、そんなことは誰も気にしていない。自分で健康になろうという発想がない。そんなことはシステムの役目だ。
この世界では定期的に健康診断が行われ、問題がある場合は、食事が強制的かつ自動的に制限される。何も考えなくても健康的に生きていける。
健康診断は業務とは別だが、長い間行かずにほうっておくと、それが無報酬の必須業務になってしまう。
古代では、身分や貧富の違いで食べるものが異なった。この世界でも料理にポイントがいるが、3ポイントが最高で、高級なものは存在しない。地域によって、収穫物に差があるので、世界統一メニューというわけにはいかないが、世界中どこへ行っても似たような内容だ。
大飯ぐらいと小食で体格差が出てはまずいので、肥満気味な食いしん坊は、人より多く歩かねばいけないように調整される。
食べ終わると、自分でトレイを片づけた。
食堂を出た。売店の業務までまだ二時間ある。
食べ終わると、近くのカフェで時間をつぶすのが彼のいつものパターンだ。
カフェは、誰もが利用する食堂と違って、人と人との交流を禁じてはいない。
厨房前のカウンターの他、二人がけと四人がけの二種類のテーブルがあり、古代の飲食店を彷彿とさせる。
二人がけのテーブルの表の中央部は観音開きの扉になっており、開くとディスプレー画面が現れる。ポイントを消費することで、ピンボールなどのゲームを楽しむことができる。
ゲームの数は多いが、すぐにルールがわかるような単純なものばかりだ。古代に作ったゲームをそのまま使っているので、彼ぐらいの年齢になると、とっくの昔にやり飽きて見向きもしない。
彼はゲームをしないが、二人がけのほうに座った。ゲーム以外に音楽を聴くことができるからだ。
1ポイントで三十分の間聴くことができる。
ディスプレー自体が振動し、音を出す。
スーツにもスピーカーがあるので、理屈の上ではカフェなど行かずとも、システムから曲のデータを送ればいつどこででも聴けるはずだが、この世界は人々に最高のサービスを提供することを目的としていない。
この世界に音楽のプロはいない。音楽の仕事自体が存在しない。古代の音源をそのまま使っているだけだ。それでも、何千万曲ものストックがあるので、一生かかっても全てを聴くことはできない。
映画やドラマも古代に撮影したものを再生するだけで、エンターテインメントやメディア関係といった仕事はない。
大勢が同時に聴いたり観たりするような歌や映画はない。流行もなく、話題もない。
彼はテーブルの扉を開いた。縦長のディスプレーが現れる。縦のほうが長いのは、開いた扉がテーブルからはみださないようにする物理的な必要性と、向かい側の相手と対戦できるようにするためだ。
縦長画面なのでサッカーやバスケットのフィールドを再現できるが、この世界にスポーツはないので、実際にプレーしたことのないスポーツのゲームをすることになる。
カフェというからには、ゲームや音楽を楽しむのが本筋ではない。当然、コーヒーや紅茶を注文できる。
注文は次のようなオペレーションとなる。
客が店員を呼ぶ。その際、席に着いている必要がある。
店員が注文を聞く。
店員は厨房に行って、席番と注文内容を入力する。
画面から注文して、自動的に運ばれてくる仕組みも技術的には可能だったが、あえて原始的な方式を採用したのは、給仕という仕事の確保と、カフェを人間味のある空間にしたかったからだ。
それでも食材の発注や会計はテクノロジーに支えられている。
待っている間に客が席を変わったり、そのままカフェからいなくなっても、注文を受けた時点で、店員の名前と席番、客の名前がシステムに記憶されるので、客のポイントは引かれる。
厨房で係が作り始める前なら、キャンセルは可能である。
並んで座るカウンター席や向かい合うテーブル席を置いているので、カフェは食堂よりも、人と人の交流が行われやすい。PZがひとりで座っていると、隣のテーブルの二人組の男の会話が耳に飛び込んできた。
「え、そんな仕事が世の中にあるのか?」
と、水色の若者CE28055が向かい側にいる同世代のJW33056に聞いた。
「俺も初めて聞いたときは信じられなかったよ」
「気持ち悪そうだな」
「一度で10ポイントもらえるんだぜ。俺ならもしそんな仕事がウォッチに出たなら、すぐに予約いれる」
「いろいろと資格がいりそうだな」
「資格じゃなくて、適正らしい」
「どんな適正があればいいんだ?」
「秘密を守れること。なんでわかったかというと、一度、人に話したらもう二度とその仕事が来なくなったから」
「せっかくの10ポイントを勿体ない。俺だったら、絶対、人には黙ってるけどな」
二人組は、ついさっき知り合ったばかりのはずだ。興味があったので、彼も会話に加わった。
「何、その仕事って?」
「死んだ人間を運ぶ仕事さ」とJWが言った。
彼は死んだ人間を見たことがなかった。人がどこでどのように死ぬのか知らなかった。
「楽そうだな」そう感想を言うと、
「楽じゃないみたいだよ。人って死ぬと腐るし、急に重くなるらしいし」
「そうなのか」
初耳だった。
必須業務で、病人を担架に乗せて運ぶレスキューの仕事をしたことならある。二人一組だったが、楽ではなかった。
「そんな仕事、選択欄で見たことないけど。一番下の方までスクロールしていけばいいのかな」
選択業務は上にあるものほどシステムが勧めている。通常、十件以上はあり、ウオッチの一画面では一件しか表示できないので、全部を見るには、画面を繰り返しスクロールさせる必要がある。
「たぶん、おたくのウォッチには出てこないんだよ。もう一つ適正がいるみたいだからね」
「やっぱり資格がいるんじゃないか」
「資格はいらない。性格が向いていないとだめらしい」
「どんな性格ならいい?」
「俺が会った奴からするも、物事を気にしないタイプだろうな。妙に明るくてへらへらしてた」
「神経質じゃだめというわけか」
彼自身は神経質という自覚はないが、システムがそのように分類している可能性は否定できない。選択業務に遺体処分の募集がかかるような連中は、よほど鈍感な人間に違いない。
ちょうどそのとき、CEの肩のスピーカーから案内が流れた。
「後五分で一時間になります。一時間を越えると1ポイント消費されます。延長をしない場合はカフェから出てください」
「わかったよ」
鬱陶しそうにCEは言った。
カフェは一時間以内ならポイントを使わないが、それ以上いる場合は一時間につき1ポイント必要だ。
いつまでもいられては迷惑ということだ。
それからも三人でおしゃべりしていると、
「後一分です」と警告してきた。
「わかったよ。出ればいいんだろ、でれば」
JWは、「俺も出るよ」と相手に合わせた。
CEはPZのほうを見ると、
「また会おうな(シーユーレーター)」と言った。
また会おうな……あまり聞かない言葉だった。一度離れたら、もう一度会う確率はかなり低い。普通は「さよなら(グッバイ)」だが、この辺りで流行っている別れの挨拶なのだろうか。
PZも一時間以内にカフェを出た。売店の仕事は午後四時からだ。まだ一時間以上ある。
悩み事のほとんどないこの世界では、暇な時間をどう過ごすのかが大きな問題だった。開拓者が産業の完全自動化を進めず、人類に労働を残したのは正解だった。それでもやはりどこかで時間をもてあます。
古代に作られた音楽やゲームなどの受け身の娯楽があるだけで、自分が参加するスポーツや、自分で弾く楽器などはない。大昔の暮らしがかいま見える古代の作品はやまほどあるが、消費ポイントが高く一般的ではない。新規に生み出される小説も漫画も映画もない。お笑いも流行もファッションもグルメもない。過度なエンターテインメントは不平等を引き起こすと開拓者は考えたのだろうが、時間を潰すことが難しい。
組織の誕生を恐れた開拓者は、音楽サークルやサッカーチームなどの人と人がつながるコミュニティの存在を好まなかった。
そう、この世界はないものばかりだ。
事件がない。
ニュースがない。
情報がない。
芸能界がない。
舞台がない。
ビルがない。
観光地がない。
教会がない。
モスクがない。
宗教がない。
図書館がない。
博物館がない。
刺激がない。
ビジネスがない。
破産がない。
借金がない。
投資がない。
クリスマスがない。
ハロウィンがない。
誕生日がない。
パーティがない。
葬式がない。
結婚式がない。
趣味がない。
見せ物がない。
評価もない。
家がない。
家庭がない。
税金がない。
会社がない。
行政がない。
役所がない。
警察がない。
就職がない。
起業がない。
倒産がない。
失業がない。
歴史がない。
西暦など今が何年かわかるようなものはない。
何月何日かもわからない。
カレンダーがない。
手帳がない。
筆記具がない。
書籍がない。
新聞がない。
テレビがない。
ラジオがない。
ポスターがない。
インターネットがない。
ゴシップがない。
トレンドがない。
不況も好況もない。
政治がない。
時代がない。
話題がない。
変化がない。
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