第55話 エピローグ(2)


 北京城の外は、血の海という表現がふさわしかった。いや、海というより川だった。道という道には遺体が重なり、車の通行どころか、歩いて通るのも難しい。

 もちろん、そんなことは想定済みだ。ヴィンセント・リーは、基地の外に待機させてあるヘリコプターに乗った。

 操縦士は、マーカスという元英国の軍人で、二十年前の大虐殺のときもヘリに乗って、生き残った人間を見つけ次第殺害したという。

 ヴィンセントは、双眼鏡で地上を観察した。デジタル時代の申し子だった彼の持ち物にしては、アナログな道具だ。


「あそこに降りられないか」


 パレードで使った黒いオープンカーが見える。後部座席のクッションにもたれ、空を仰いでいるのは、彼の叔父だ。古代より黄色は、天上の色とされた。皇帝の衣装黄袍を着るだけでなく、車に龍の模様の入った黄旗を立てているのは、天から授かった権力を誇示しているのだ。

 皇帝になろうとした男にふさわしく、上から見るとふんぞり返っているように見える。


「着陸は無理ですが、縄ばしごを使えば降りられます」

 マーカスは、彼の質問にまじめに答えた。

「そこまでしなくてもいい」

 市街地をすぎると、スーツド達が歩いているのが見える。この辺りにいるのは、人を殺した連中の可能性が高い。


 カーステーションに着陸した。

 車はたくさんあるが、どれも自動運転車だ。スーツドの助けがなければ乗ることができない。彼自身が考案した仕組みだが、融通が利かないので、スーツがなくても操作できる特別仕様車を開発しなければいけない。

 今回はマーカスにスーツを着てもらっている。スーツドは大きすぎたり小さすぎると、淘汰の対象になる。大柄な彼には合うサイズがなかったようで、傍目からみてもきつそうだ。それにスーツの色も強面の軍人に似合ってない。


「桃色とはいい趣味だな、EY94113君」

 と彼が冷やかすと、

「私が選んだのではありません」

 スマートスーツのコストは高いが、ボタンがとれたり、生地が破れたり、糸がほつれたりすることはない。メンテナンスさえしっかりすれば、数十年は持つ。

 着るものだけでなく、この世界ではあらゆるものが、種類を少なくすることで、生産や流通を容易にし、コストをおさえている。


 自動車がいい例だ。業務用の車輌を除けば、単一車種しかない。しかも塗装まで同じだ。

 だから、カーステーションに並んでいる車を選ぶのに迷うことはない。

 一番手前の車に向かっているとき、

「危ない」

 後ろからマーカスが叫んだ。ヴィンセントは咄嗟に横に交わした。

 マーカスの肘が自動車の窓ガラスに当たり、ガラスにヒビが入った。


「私ではない。体が勝手に」

 桃色の戦士はそう言うと、体をかがめた状態で、右足を出し、ヴィンセントの足を払った。

「まさか、私がやられるとは」

 ヴィンセントは仰向けに倒れ、シューズの裏が自分の顔面に近づいていく瞬間を目撃した。

 九十億人を殺害した史上最大の虐殺者は、彼の叔父と同じように、仰向けの状態で最期を迎えた。



「成功したな」

 ホウコ基地のオペレーション・ルームにいる李呈詰は、端末画面の映像で父親の死を確認した。

 随行させた兵士が慌てている。

 骨肉の争いという言葉がある。意見の相違は、肉親であろうと敵に変える。

 たとえ敵であろうと、親は親だ。彼は、兵士に遺体を埋めるように指示を出した。


 今回の陰謀には妹達も賛成してくれた。

 彼は、一庶民として生き抜くことを望んだが、父は隠居した皇帝になろうとした。 

 望安島に大豪邸を建て、すべての部屋を世界中から集めた財宝で飾り、人々に見せびらかして暮らす。それでは大叔父と同じだ。

 小さなホウコ諸島でそんなことをしたら、人々の恨みや嫉妬を買い、いずれは身の破滅につながる。

 だから彼は、馬公本島の一般住宅に住み、立場も一介の公務員にすぎない。財宝は誰も寄りつかない場所に隠すことにする。その在処は古文書に記すことはなく、システムだけが記憶しておく。だから、彼の子孫といえども、それを眺めて悦に入ることもない。



 マーカスは、ボスの遺体のそばに立って、ホウコ基地と連絡をとろうとしていた。

「応答してくれ。ボスが大変なんだ」

 しかし、いくら呼びかけても反応はない。

 HOTのリーダーの唯一の随行者である自分が、相手にされないのはおかしい。

 これは事故ではなく、遠隔殺人だ。

 軍人の彼でも、そのくらいはわかった。それでも他に頼るところもなく、連絡をとろうとしているのだ。


 五分以上呼び続けたが応答がない。

 あきらめて北京城に戻ろうと、ヘリのほうに歩きかけたとき、自分が城にいることは相手方からすればやっかいなことになり、基地の入り口をロックするか、城に着くまでにスーツのワイヤーを締めて殺すはずだと気づいた。

 逆に今自分が生きていられるのは、相手に殺害する意思がないことになる。


 どうすればいいのだ?


 ほんの二日間、スーツを着るだけだと言われ、簡単な研修を受けただけだが、ウォッチを見てみる。

 必須業務が出ている。


 ヴィンセントの遺体を埋めること。


 ヘリにスコップを載せるように指示があったのは、このためか。相手は自分の行動を逐一観察しているはずだ。疑われないように、

「スコップをとりにいくので、一旦、ヘリに戻ります」

 と声に出した。

 ヘリに乗ると、

「ヘリコプターはどうすればいいでしょうか?」と聞いた。

 ウォッチの必須業務に「こちらで片づけるので、そのままにすること」と表示された。

「了解」

 彼は、ボスの遺体を近くの空き地に埋めた。

 必須業務は消えていた。



「私は、ホウコに行けばいいのでしょうか?」

 マイクは彼の声を拾っているはずだが、相手から返事はなかった。

 見捨てられたともいえ、見逃してくれたともいえる。

 ホウコ基地にいる相手は、残虐非道な虐殺者ではない。虐殺者を退治した普通の人間だ。自分は虐殺者に仕え、大勢の罪のない人間を殺害した。

 このくらいの罰は受けなければならない。

 彼は、EY94113という名のスーツドとして生きることを決意した。



        

 二度目の虐殺から三十年が過ぎると、世界の変化は完全に止まった。

 今日も李呈詰は、オペレーションルームで端末画面と向き合っている。

 表向きは馬公特別行政区IT推進室システム運用所の所長という一介の公務員にすぎず、地味な暮らしをしていても、彼は世界の皇帝だった。これまでに見つかったシステム上の課題は、すべて彼が解決している。

 唐の玄宗皇帝は政務に飽きて、道楽にうつつを抜かしたが、彼は日々のオペレーション管理にうんざりしながら、続けるしかなかった。


 今の世界にはリーダーがいない。

 馬公特別行政区は、システムの運用を行う義務があるが、外の世界における権利を持たない。

 選挙で選ばれた市長は、管轄地域の行政長にすぎない。

 皇帝でさえ、画面にしがみつくただのオフィスワーカーだ。

 そういう意味では、ダニエル・クーパーの望んだ人類平等化計画は成功したのだ。

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