第38話 開拓者達(9)
北京に集まった支配階層の中でも、
アーノルドは、父親からソンウェイの弟の孫娘アイリンを紹介された。意気投合し酒場に向かい、酔っぱらって気の緩んだ彼女から、秘密をうち明けられた。
秘密の一部をレイモンドに知らせたのだが、スーツの攻撃をかわせたとしても、あの混乱の中で生き延びているとは思えない。
あれから二十年。世界は急ピッチで再建されている。大虐殺から生き残った少数者や、反乱を起こした兵士が、未だに抵抗を続けているらしいが、大局には影響ない。
最近、ソンウェイが正式に大統領に選ばれた。高齢で先の短い彼は、今を逃せばチャンスはない。
就任式は、莫大な予算をかけた盛大なものになる予定だ。パレードの当日は、老人、子供を問わず、全市民が通りに出て彼を祝福するように、通達が回ってきた。強制的に参加させられることに文句を言おうにも、一市民には発言権がない。
最後は、太和殿で重大発表があるということだ。噂では皇帝としての即位宣言をして、かつて皇帝の寝室だった乾清宮で暮らすらしい。
大統領選もないのに、大統領に選ばれたことになって、それで足りずに今後世襲が続く家系の初代皇帝となるのだ。
支配階層の世界は民主主義とはほど遠い。中世、いや下手したら古代以下だ。
被支配階層のほうがずっと楽だ。だから、あれほどレイモンドにスマートスーツを着ろと言ったのだ。
アイリンの父、李長宇はソンウェイの甥で、極めて優秀な人物だと聞く。彼が開発したアプリは、スマートスーツの普及に貢献したことは誰も否定できない。それがいまや、オペレーションセンターの所長という地位に甘んじている。皇帝にとって最も危険な存在だということをわきまえているのだろう。
娘アイリンもオペレーターだ。結局、李一族も長男一家だけが特別で、他は使用人にすぎないようだ。
この街の大半の人間は、世界各国屈指の有力者とその家族のはずだ。それが現実は、大半が中流以下に落ちぶれている。
アリの社会では、その二割が働かない怠け者だ。その二割を取り除いても、怠け者がいなくなるわけではなく、残りの二割が働かなくなってしまう。人間の社会も同じだ。上流の人間ばかり集めて、中流以下を取り除いたこの街も、結局、上位一割を除いて中か下になってしまった。
アーノルド自身も、英国の上流階級の出身でありながら、今の職業はただの英語教師だ。イングランド出身というのが採用理由だ。しかし、ほとんどの人間が米語を話し、英語に直そうとする気もない。無意味な仕事だ。
ここに集まった人たちは、以前は広大な敷地に立つ大豪邸に住んでいた者が多い。ここではこれ以上狭苦しくならないよう、人口抑制策がとられている。そのため、彼は結婚も認められない。これではまるで中華帝国の宦官だ。
支配階層にしてやるという口車に乗って、飛びついた結果、ほとんどの人間が以前より生活水準を落としている。アジア人と黒人が組んで、白人を騙したのだ。
すっかり耄碌した彼の父は、こんなことなら自宅に帰ると息巻いているが、由緒ある邸宅や手入れされた庭は今はなく、被支配層の簡素な宿が並んでいる。
今更悔やんでも遅い。
結局、得しているのは、ソンウェイのごく狭い身内だけなのだ。
つい先日、長宇の家族は彼を残して北京を離れ、台湾の隣の小さな島に観光にでかけたという。親戚の大統領就任式に参加しないとは、よほど不満がたまっているのだろう。長宇本人も出かけたかったことだろうが、オペレーター長の立場では、北京を離れるわけにはいかない。
大統領就任式の日が来た。
アーノルドは、見物人の整理を命じられていた。全ての通りにはロープが張られ、見物人を押さえつけているが、それだけでは足らず、彼のような整理係が押し寄せてくる人の群れを、力づくで押し返していた。
「すいません。ロープから出ないでください」
と彼が注意すると、高齢の紳士が口汚く彼を罵った。
「こんな狭いところに、何人立たせるつもりだ。私はもう帰る」
紳士のいうことも尤もだった。全ての住民が道路の両脇や空き地に押し込められ、アジア諸国の満員電車のようだった。
寝たきりの病人を除いた全ての住民に、外出命令が出ていたからだ。
それでパレードの進行は遅れていた。
群衆の不満は爆発寸前だ。
「一体、いつまでやるんだ」
「勝手に大統領になって、一日外にいろって命令だして。ただの独裁者だろう」
「こんなことなら北京に来るんじゃなかった」
彼らの気持ちは痛いほどわかる。彼自身もできることなら直接大統領に文句を言いたかった。
そのとき南の方角で悲鳴が上がった。
ついに暴動が起きたようだ。
ただでさえ混雑している道路に、人の波が押し寄せる。逃げてくる者達の表情は必死だ。
転倒し、そのまま踏みつぶされ亡くなる者もいる。それを見て建物の窓を割って中に入ろうとする者もいる。
何故、危険を犯してまで逃げようとするのか。パレードへの不満で暴動が起きたのなら、同じ不満を抱える民衆を襲うのは変だ。警察が無差別の発砲でもしたのか。
彼も人に押され、自分の意志とは無関係に動いていた。
「痛い、痛いから押すな」
もう整理どころではなかった。
郵便ポストが目に入った。彼はポストに抱きついた。ポストの上に乗った若者に頭を踏まれたり、彼がポストに抱きついたように、彼に抱きつく女性もいた。
我慢して濁流が過ぎ去るのを待った。
どれだけ時間が経ったのかわからない。
周囲を見回すと、道路中に人が倒れていた。運悪く転倒し踏みつぶされた犠牲者と思ったが、後頭部や顔が血だらけなのに気付いた。
パレードはどうなったんだろう。
彼はポストから離れた。
すると、目の前に色の黒い男が立っていた。まだ少年と言って良く、黒人と他人種の混血だろう。顔は黒かったが、服装は上下ともピンクだった。
何故、スーツを来た人間がここにいるのか、彼には理解できなかった。
それで、「どうやって入った?」と質問した。
相手の答えは、彼の心臓を狙った頂心肘(八極拳の肘法)だった。
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