第40話 迷宮発動(2)


 AO88246は、自分の名前に使われている数字が偶数だけだということに、少なからず誇りを持っていたが、今の自分の年齢が三十一歳という奇数だとは知らなかった。

 スーツドの世界に偶数や奇数という概念はない。彼は自分の頭だけで、2で割り切れる数とそうでない数を分類したのだ。世が世なら天才と呼ばれる頭脳の持ち主だが、それをいかせる環境ではなかった。それでも彼は、古代の学者にもっとも近い仕事をしていた。

 教育関係の資格をいくつか持ち、選択業務は学校で働くことが多かった。

 もちろん彼は教員ではない。この世界では知識を教えるのは人間ではなく、機械だった。ここでの役割は教師の補助といったところだ。古代に製作された動画を見せたり、クイズの結果があっているか確認したりする。学校は、システムの指示で運営され、数時間契約の臨時の職員がいるだけで、校長も責任者もいない。


 午後は調理や工場で働くのが日課だが、できれば一日中学校で働きたいと、彼は常日頃から思っていた。それが駄目な理由は学校で教えている。同じ仕事ばかりしていると、それが身分となり、不平等を発生させる要因となるからだ。

 もし、学校で子供に教えるという仕事が身分になったら、不平等社会の下のほうなのか上のほうなのか、彼にはわからなかった。


 学校には古代と同じくらいの数の子供達がいる。彼らは、大人のようにスーツを着てはいないが、ユニフォームと呼ばれる名前をプリントした制服を着ている。位置情報を把握できるが、簡単に脱げるので、スーツのような拘束力はない。スーツと同じように十二色あり、その色が大人になったときのスーツにそのまま引き継がれる。


 彼は、これまで千を超える学校で働いた。アジア大陸の東の端からヨーロッパ南部まで絶えず移動してきた彼は、子供の名前や顔などは覚えていなかった。一人の例外を除いて。

 卒業時点で体格が基準から外れたり、病気を持っている子供は大人になれない。つまり、淘汰される。そう聞いている。

 その女の子とは、二回しか会っていないが、記憶に残っている。

 特別に体が小さく、このままだと淘汰の対象になるのではと、彼は心配した。システムのほうも食事を多めに摂らせるはずだ。彼は、食事を残さず食べるよう指導した。あれから数年経った。

 今頃は卒業して大人になってるか、淘汰されているかのどちらかだ。


 具体的な数字はわからないが、世界にはおよそ一億の人間がいる。学校ではそう教えている。死ぬ人間が多ければ、生まれる人間が少なくなるよう調整される。彼女一人が死のうと全体には何の影響もない。

 学校の運営で最も人手をとるのが食事関係だ。生徒一人一人食事の量が異なるので、調理に手間がかかるのだ。大人は自動で基本食の量だけが調整されるが、成長期の子供はおかずの量まで異なる。

 学校関係では他にも清掃、備品手配、警備などあるが、彼は授業補佐だけを選択した。生徒からは先生と呼ばれる立場だ。


 午前中の授業が終わり、彼は子供達を生活棟にある食堂に誘導していた。

先生ティーチャー、LPとIYが喧嘩してる。こっち来て!」

 中庭でそう叫ぶ声がした。声のほうを見ると、薄橙色と青色の男の子が取っ組み合いの喧嘩をしている。スーツの拘束のない子供はよく喧嘩する。だから、大人が必ず近くにいるようにする。

 彼は仲裁に入ろうと、そちらに向かった。しかし、後二メートルというところで異常に気付いた。

 おかしい。体が先に進まない。


 海や川など危険な場所に入ろうとすると、システムはスーツを操作してそれ以上先に進めなくします。

 ジャンプなど無理矢理進もうとした場合、スーツが勝手に後ろ歩きして、倒れていても匍匐前進で危険ゾーンから抜け出します。

 そう学校で教えている。

 ここは、危険な場所とはほど遠い学校の中だ。

 何故、前に進めないのだろう。


「先生、どうしたの?」

 周りに子供達が集まってきた。

 喧嘩をした二人の男児LPとIYは、知り合って三日目だったが、IYは明日別の学校に転校する予定だ。そのことで喧嘩をしたのだが、転校どころではなくなった。


 AOは左ウォッチを見た。横長の迷路が表示されている。

 こんなものは初めだ。学校で教えていない。

 迷路の左下のほうに赤色の丸がある。彼の現在地に違いない。反対側の端に矢印が一箇所ある。ゴールだ。

 ウォッチが何かと接触して、彼の知らない機能を呼び出したのだと考え、右ウォッチに触れたが、初期メニュー画面のまま反応しない。

 仕方なく、迷路を解くことにした。


 ウォッチを見ながら移動すると、彼の動きに連動して丸印が動く。線にぶつかるとそれ以上足が動かない。線と線の間の幅は1メートルもない。

 試しにジャンプで線を越えてみた。すると、足が勝手に動き、もといたほうに押しやられる。

 前に倒れてみると、肘が足のように地面の上を動いて元の場所に戻った。

 次は後頭部をぶつけないように注意しながら、後ろ向きに倒れてみた。その状態で肘が動いていく。

 やはり元の位置に戻る。

 また立ち上がり、右腕を横に伸ばしたまま横向きに倒れ、右掌で地面を支えた。

 すぐに右肘が曲がった。左肘を地面につけないように、スーツと格闘した。一人でレスリングをしているようだ。結局、仰向けの状態で元の位置まで這うことになった。


「先生何やっているの?」

 子供達は、不思議そうな顔をしている。

 喧嘩の当人達も、それどころではなく、大の大人が壊れてしまったシーンを目に焼き付けている。

彼らにどう説明していいかわからない。

「みんな先に食堂に行って食事をしなさい。先生は後で行く」


 迷路は1分もあればでクリアできそうだ。実際にやってみると簡単で、すぐゴールにたどり着いた。

 しかし、矢印の先に進むと、また別の迷路が表示された。

「糞っ! きりがない」

 彼は、自分のウォッチが故障したと考え、校内にいる他の大人にレスキューを呼んでもらうことに決めた。

「すいませ~ん。どなたか来てください」

 と大声で人を呼んだ。



 子供達が生活棟にある食堂に入ると、そこでも異変が起きていた。

 配膳をしていた二人の女性が、おかしな動きをしている。

「そっちに行きたいんだけど、足が動かないのよ」

 と、料理を載せたトレイを持った一人が、厨房に戻ろうとしていたもう一人に訴えているが、相手も自分と同じ問題を抱えていた。

 そこで子供達に「厨房の人呼んで」と伝えた。

 子供達が厨房に入ると、そこもパニックになっていた。

 右手にフライパンを握っている男は、子供を見ると、

「悪いけど、ホールのおばさん呼んできてくれる」と訴えた。

 子供達は緊急事態と悟り、廊下に出て相談した。そして、学校の中を手分けして調べることにした。


 調査の結果、校内で働いている大人達は全員、ウォッチに迷路が表示され、そのルート通りにしか進めないということがわかった。

 校庭のような広い場所なら迷路をクリアできるが、教室のようなところではルート上に入り口がない場合、部屋から出られない。

 運良く広い場所にいて迷路を解いたとしても、またすぐに次の迷路が出てしまう。


 外部に助けを求めないといけないが、子供達は、校門のドアを開けることができない。

 子供が脱走しないよう、スーツを着ている者だけが、ドアを開けることができる仕組みだ。校門と表現したが、学校は高い壁で囲われ、外部との出入りは、ドアが二箇所ある通路を通り抜けなければいけない。通路は五メートルほどの長さがあり、監視カメラが目を光らせている。

 もちろん、大人が協力したり、開けた瞬間を狙って無理に抜けでることは想定ずみだ。子供は、大人と違ってスーツを着ていないので、物理的に阻止することは難しい。それで、子供が内側のドアを越えた途端、警報音が鳴り響き、外のドアが開かなくなる。大人がわざと逃走させれば、大変なことになることくらい、学校で教わっている。


 しかし、外のドアを人がゆっくり通っているとき、内側のドアを別の人物が開けた場合、全力で突破すれば外に出てしまう危険性がある。子供が集団で脱走を試みればもっとやっかいだ。両方のドアが閉まらないように、二人が押さえ、他の子供達が悠々と通り抜ける。

 そんな場合でも、学校の外で子供が指名手配されるので、たいていはすぐに捕獲される。それに、何度も脱走を繰り返すなど、あまりに目に余るようだと子供といえども淘汰されると、説明されているので、試みる者は少数だ。


 今回は、非常事態なので、システムによる処罰を恐れている場合ではない。脱走しないともっと大変なことになる。

 しかし、大人達は校門までなかなかたどり着けない。出口に一番近い大人に期待がかかる。子供達は、校庭で奮闘しているAOのところに集まった。



 AOは大人を呼んだのだが、大勢の子供が集まっていた。

「君たちは来ちゃ駄目だよ」と言うと、

「大変だよ。大人の人がみんなおかしい」とのこと。


 AOは、校内にいる他の大人達にも自分と同じ現象が起きているのがわかった。各施設にある受付台には、その施設の運営を担うコンピューターが備わっている。きっとそこに問題が起きたのだろう。

 この状況ではレスキューが呼べない。外にいる通行人や向かいの工場にいる人間に知らせないといけない。しかし、迷路のルート通りにしか進めないので、出入り口にたどり着けない。迷路をクリアし続ければ少しずつ移動できる。しかし、それは自分の望んだ方向ではなく、迷路のスタートとゴールの位置関係で決定される。


 学校から出るには、別の手段を考えないといけない。そうだ、子供達を利用しよう。

 子供といえども集団なら、力づくで彼を動かせるはずだ。

「すまないが、先生を出口まで引っ張ってくれないか」

 彼は仰向けに横たわり、手足を伸ばした。

 両手両足をそれぞれに二人が持ち、合計八人で彼を運ぼうとした。しかし、スーツの手足が勝手にばたつき、子供が手を離して、彼は地面に落ちた。

 次は胴体だけを持って運ぼうとしたが、やはり手足をばたつかせ、体をくねらせるので運びにくい。


「あそこに台車があったよな」

 彼は、校庭の隅にある物置のほうを見て言った。

 三人がそこに行き、台車を引いて戻ってきた。

 彼は台車の上に座った。

 一人の子供が台車を押した。迷路の線を越えると、暴れ出して、台車から落ちてしまう。

「ゆっくりやっているからいけないんだ。大勢で一気に押してみろ」

 数人係で台車を思い切り前に押し出した。


 同じようにスーツが勝手に動き、彼は台車から落ちた。

「駄目か」

 しかし、台車のそばに座ったままだ。スーツが勝手に動いて元の位置に戻ると思ったが、その場から動かない。

 彼はゆっくりと立った。

 子供達は、固唾を飲んで見守っている。

 ウォッチを見た。迷路は前のままだが、現在地が表示されていない。

 彼は前に歩いた。問題なく歩ける。何歩でも歩ける。向きを変えてみても足が止まることはない。


 迷路から解放されたのか?

 これはどういうことなのだろう。

 迷路は、ウォッチ画面の縁の余白を除いた部分に表示され、迷路の端から強引に出ても、余白にいると判断されれば元の位置に戻される。ところが、勢いよく台車を押した結果、彼はその余白すら越えてしまい、迷路プログラムは、彼の現在位置を把握できなくなってしまった。それで歩行制限がかからないのだ。


「やった!」

 子供達は理由がわかっていなかったが、大喜びしている。

 彼は、子供達のところに戻った。

 しかし、途中で足が止まった。

 ウォッチを見ると現在地の丸印が復活している。

「しまった。迷路の場所に戻ってしまった」

 だが、同じやり方で脱出できるはずだ。

「もう一回お願いしていいかな」

 子供達には理由がわからないが、同じことをもう一度した。今度は迷路の端のほうなので、一度で成功した。


「外を見て来る。君達は、他の先生に同じことをしてあげてくれないか」

 彼は、迷路から抜け出ると、子供達にそう言い残し、すぐに学校の外に出た。

 そこでも通行人がおかしな動きをしていた。自分も同じことをしていたはずだが、はたからみると滑稽だった。

「これは大変なことになったぞ」

 路上の歩行者が迷路状態ということは、少なくとも街の人間全てがそうなのだろう。システムがどうエリア分けをしているか知らないが、かなり広範囲、ひょっとしたら全世界が同じトラブルに見舞われているのかもしれない。

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