第22話 風と珊瑚の島々(8)


 しばらくして、三名の警官がやってきた。

 五人で懸命に付近を捜索したが、UVは見つからなかった。

「後は我々でやります」

 と警官が言っても、サンディはまだ探してみるという。

 PZは、警察の車でホテルまで送ってもらった。警官は二人もいた。UVと同じように逃げられる危険性があると警戒されたのだ。

「それにしても何で基地の奴ら、奴隷のスーツはずすんだ。犬の首輪外すようなもんだろう。こいつも逃げるかもしれないし」

「ホテルの人間にはしっかり見張ってろって言っておかないとな」

 PZには警官達の会話は理解できなかったが、スーツドに対する冷たい視線は感じ取れた。


 警察の車は古代のパトカーのように黒と白で塗装されているが、アーリャンやサンディのものと同じ車種だ。乗用車は一種類しかなく、誰の車かわかりやすいよう、貨物船で輸入した車をこちらで好きな色に塗装する。自動ブレーキは搭載しているが、手動運転なので、ときどき交通事故が起こる。

 警官も古代と同じように、一目でそれとわかるような制服を着ているが、カーキ色で軍服を思わせる。ホウコも含めてこの世界には軍隊がない。もう何百年もテロも戦争も起きていない。それでも、マネーが流通し、貧富の差があるので、詐欺や盗難などの犯罪は起きる。犯罪のほとんど起きない被支配階層の社会では警察は存在しない。


 UVは、不良少年達を追いかけるつもりだった。追いつけずあきらめてゲームセンターに戻る途中、占いの店が目に入った。超自然的なものとスーツドは無縁だったが、籠の中に白い小鳥がいるのが気になって、吸い寄せられるように狭い店内に足を踏み入れていた。


 そこが何の店かもわからず、ぼうっと立っていると、占い師の老人は、彼女に前にある椅子にかけるようゼスチャーで示した。

 彼女は、そこまで歳をとった人間を初めてみた。

「ノーマネー」と彼女が懐事情を説明すると、相手は「OK」とだけ答えた。

 彼女は椅子に座った。

 名前と生年月日を聞かれ、「UV38244」とだけ答えた。占い師は姓名判断ができないと判断し、籠の戸を開けた。戸の前にはたくさんの札が並べて箱に入れてあり、小鳥はそのうちの一枚をくわえた。

 札には絵が描かれている。それを見て占い師は、漢語で何かを説明したが、彼女にはわからない。

 相手もそのことは承知のようで、

「彼らと関わるととんでもないことに巻き込まれる。逃げなさい」

 と英語で忠告をした。

 その彼らとは、サンディ達基地関連の人たちなのか、さきほどの不良達のどちらかもわからなかった。

「シェーシェー」

 彼女は覚えたばかりの漢語のお礼を言って、店を出た。


 サンディ達に見つからないよう、狭い路地に入り、港のほうに歩いていった。一億ポイントに釣られて、ここまでついてきてしまったことを後悔しながら。

 港は風が強く、ウィッグが飛ばされそうになった。岸壁には漁船が係留され、ジャンプすれば飛び乗れそうだった。

 縁に立って下を見下ろすと、恐怖感がこみ上げてくる。

 以前はスーツが自動的に海への接近を阻止してれた。入場制限が外されても、スーツが救命胴衣の役割を果たすと聞かされていたから、それほど怖くなかった。今スーツのない状態で落ちればどんなことになるのだろうか。


 助走をつけて、漁船に飛び乗った。着地したとき船が揺れた気がした。

 寒くはなかった。デッキの上で寝ようとしたが、虫が邪魔でよく眠れない。スーツを着ていればよかったと彼女は思った。

 卒業が近い頃、練習用スーツを着て野宿の訓練をしたことがある。孤独にも耐える意味もあり、校庭の真ん中で一人で夜を明かすのだ。布袋の内側の網を引っ張り出し、フードとグラスの隙間に挟み、二本ある手提げを両肩の突起にかけ固定する。完全ではないが、これで顔面をある程度カバーできる。


 彼女は船の上はあきらめて、港の近くの大きな公園に入った。公園は、ロータリーで交差する道路で四箇所に別れていて、上空から見るとどこかの国の国旗のようだ。

 実はそこはついさきほどまで警察が彼女を捜していた場所だった。彼女は警察というものを知らなかった。自分が警察に追われているということも当然知らない。システムの監視から離れれば、完全に自由だと思っていた。それでそのまま眠ってしまった。



 PZはホテルに着いた。一緒に来た警官がフロントに説明すると、フロントは彼の帰りが遅いので、夕食をキャンセルしたと伝えてきた。

 エビや蟹などをふんだんに使った海鮮料理だったそうで、本人でもないのに残念がっていた。

 個室に入ると、寝間着が用意されていた。シャワーをあびた後に着替えたが、服を着替える意味がどこにあるのかわからなかった。

 UVのことはそれほど心配しなかった。彼のいた世界では屋外が危険という感覚が弱く、若い女の子が公園で野宿することも珍しくなかった。


 彼は、ふかふかのベッドで寝た。

 翌朝、警官が迎えにきた。昨夜とは別人だった。

 基地に着くと、サンディからUVがまだ見つかっていないと知らされた。

「警察のほうで、あのときゲームセンターにいた男の子達を見つけだして聞いたところ、あれから彼女のこと見かけてないって話で、他にもあの付近の店に聞いて回っても駄目だったそうよ。どこか行きそうなところわかればいいんだけど」

 PZもUVと知り合って日が浅い。彼女だけではなく、行動が予想できるほど人と深く関わったことはない。

 そこからは新人オペレーターとして、簡単な実務をこなした。難しくなかったが、面白くもなかった。一億ポイントもらっているので不満はいえない。



 UVはどうにか公園で眠ることができたが、虫の羽音で目を覚ました。顔や首が刺されていて痒い。

 それから眠れぬまま、時間をすごした。

 夜が明けた。最初にホウコに上陸したときは、珍しい姿の人間がいるものだと驚いたが、ここでは逆に自分が珍しい人間だ。公園は広く、人目を避けるには好都合だ。

 それでも時間が経つと、空腹を感じてきた。

 何か食べるものが欲しい。すぐ近くの街にはたくさんの店がある。

 昨日と違う場所なら大丈夫と考え、足が進んだ。まだ人通りは少ない。


 知らずに警察署の前を通り過ぎた。

 この辺りは公共施設が多い。ある建物の前を通りかかったとき、入り口から背の高い男が出てきた。彼女を見つけると、驚いた。

「スーツド?」

 男は日に焼けた逞しい体つきで、あごひげを生やしていた。

「そうだけど」

「どこから来たの?」

「ここじゃないところ」

「名前は?」

「UV38244」

「僕はパトリック。民宿のオーナーをやっている。どちらかというと、シュノーケリングのインストラクターが本業みたいになってるけど。君は出稼ぎに来たのか?」

「違うよ」

「それなら筏かなにかで漂流して港に着いたんだな。警察に行こうか? すぐそこにある」

「警察って何?」

「悪いことした人を捕まえる人たち」

「悪いことなんかしてないよ」

「迷子も警察に行くんだよ」

「それより、お腹空いたから何か食べさせて」


 パトリックは彼女を近くの店に連れて行き、昼食をおごった。ライスを炒めた料理で、ここではチャーハンという。

 今はシステムに盗聴されていない。おごってもらったことで気を許した彼女は、出会ったばかりのパトリックに知っている限りの事情を話した。

 パトリックにはこれまでスーツドと話をする機会はなかった。せっかく英語を習ったのに使う場面はなく、古代の映画を観たり、小説を読むときに役に立つ程度だった。しかも相手はスーツドの少女だ。生まれて初めての体験に少し興奮した。


「そうだ。海に潜らないか。ここの海は綺麗だぞ」

「息ができなくて死ぬよ」

 死ぬのは苦しい。そう学校で教わった。

「シュノーケルというパイプをくわえて、海の上から空気を吸い込むから死なないんだ」

 彼女はものすごく長い筒をイメージした。

「私も潜れる?」

「もちろん」

 彼女は人を怪しむという発想がない。パトリックの車に乗って、そこから南にある彼のビーチに向かった。



 マリンスポーツのシーズンなので、パトリックの民宿には、学生のグループなどが大勢泊まっていた。

 これからシュノーケリングの時間だ。その前に簡単な講習がある。客が集まっている場所にパトリックがUVを連れてきた。

 未発見の深海魚でも見たように客達は驚いた。

「こちらUC35440さん」

 パトリックが誤って紹介した。

「違うよ。UV38244」

 誰もスーツドの名前になど興味がないが、間近で若いスーツドの女性を見るのは初めてなので、

「英語が話せるの?」

「どこから来たの?」

「ホウコのほうが楽しいよね?」

 といったどうでもいい質問が殺到した。


 講習が終わり、彼女はウェットスーツに着替えた。

 ウェットスーツは世界中で利用されているが、シュノーケルはごく一部の海岸でしか利用されないので、生産量は少ない。娯楽のために利用するのはホウコだけだ。

 民宿はビーチのそばにある。全員で歩いてビーチに向かった。客達が下手な英語でやたらと彼女に話しかける。

「もしかして留学生みたいなこと?」

 物知りの学生が聞いた。

 留学というシステムはとうの昔になくなっていた。

「基地に呼ばれたの」

「基地ってシステムの? どうして?」

「頭のいいおじさんと一緒にいたら、ついでに呼ばれたみたい」

「?」


 砂の上を歩くと、足跡ができることを知った。

 彼女は生まれて初めて夏というシーズンを意識し、生まれて初めて海に浸かった。冷たくて心地よかった。顔を沈めると、太陽の光が底まで届いていた。

 海の中には魚がいた。

 近づくと逃げた。

 他の客達は馬鹿みたいにはしゃぎまわっているが、彼女は神秘的な海の世界に魅了された。


 シュノーケリングが終わると、彼女は動きやすいように作業服を渡された。

「また着替えるの?」

 着替えの習慣のない彼女には、何度も着替えるのは時間の無駄に思えた。

 彼女は宿泊費を払っていないので、夕食の手伝いをさせられた。

 海鮮バーベキューだ。すぐ近くの漁港で水揚げされた新鮮な魚介類が、一昨日食べた焼き肉のようにじゅうじゅうと焼けていく。

 彼女も一緒に食べた。

 食べ終わると、片づけを手伝った。

 そこからはほぼ民宿の従業員だった。


 若者が少なくなり、ホウコのサービス業は慢性的な人手不足に陥っていた。パトリックのところはマリンシーズンなので今は猫の手も借りたいが、募集をかけても人は集まらない。その日は業界の代表として行政に対して、工事以外でもスーツドを働かせることができるように陳情に行っていた。

 市の担当はいつもの通りだ。

「私達の暮らしは外部の労働力をふんだんに使って成り立っています。古代ローマ帝国もうらやむ世界で一番贅沢な場所です」

「そんなことはわかってますけど、人手が足りないものはどうしようもないんですよ」

「道路工事は一箇所でまとめて働いてもらえますが、サービス業となると管理が大変です」

「そこは経営者が工夫するから、どうか試験的に導入してもらえませんか」

「試験といっても難しいです。間違いなく基地の人たちが反対しますし」

 話し合いは平行線を辿るだけだった。

 その帰りに彼女に出会った。


 スーツドなのにスーツを着ていない。基地の連中は彼女を管理していないということだ。

彼女なら賃金を払わずに働いてもらえるかもしれない。

 違法のような気がしたが、背に腹は替えられない。繁忙期がすぎたら警察に渡せばいいだけのことだ。


 彼女は住み込みの従業員のようなものだが、客と同じ個室をあてがわれ、仕事から解放された時間は、リゾートの観光客とさほど変わらない。

 一昨日のホテルではカーテンを締めていたが、今は窓から海を見つめていた。

 距離的には五十キロ程度離れただけだが、はてしなく遠いところに来てしまったと感じていた。

 ここ数日の出来事が嘘のように思える。

深夜にトンネルを潜った先に謎の建物。

一億ポイント。

初めて食べた牛肉。

無人の船。

謎の島の奇怪な顔の人たち。

幅の狭い高い建物が密集している街。

初めて食べる珍しい食べ物。魚や貝も食べた。

スーツをはずしてドレスを着る。

漁船の上や広い公園で夜を明かす。

海の中の神秘的な光景。

民宿の手伝い。

一番の変化はシステムから指示を受けていないことだ。

 これが平等を失った世界。いや、世界はもともと平等ではないので、平等を手に入れる前の世界だ。


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