第44話 迷宮発動(6)
自由に動けるようになった例の食堂のスーツド達は、アーリャン達が去った後も外に出ることはなく、中で夜を明かした。
迷路から解放されたのは彼らだけではない。そのほとんどが他人の手で救い出され、自分が動けるようになると、まだ動けぬ者を助け出していた。ところが時間が経つにつれ、救助が行われなくなっていた。その理由は、自由に動ける人間が増えると、その分だけ食料を奪い合うライバルが増えることに気づいたからだ。
ウォッチが機能しないので宿にも泊まれず、食事も手配されない。すでにかなりの売店で商品が勝手に持ち出されていた。
どこの食堂も先に入った者達が、ドアに鍵をかけ、中の食料を独り占めするようになっていた。食堂に入ることを拒まれた者は、外からドアを叩き、中の人間を罵った。
「自分達だけ食べるなんて汚ねえぞ」
「ウォッチの指示に従えよ」
「そんなことしたら、ワイヤーで絞め殺されるぞ」
食堂をあきらめ、食料を貯蔵している倉庫に向かう者もいた。
フロー・ラビリンス発動後十二時間。すでに食料争奪戦が始まっていた。
黄色の中年男DR10712は、店の外から聞こえる罵声などに構わず、ホールの席で豚肉をつまんでいた。システムの指示がないので、厨房で作る料理は料理人の好みが現れる。普段は栄養バランスを考えたレシピだが、スーツドには栄養という概念がないので、自分達の思い通りに作らせると、肉を焼いて濃いめの味付けをしたものがメインになる。
迷路から解放されたときは大喜びしたが、そのうちに食料は尽きる。そうなったら餓死する。早くシステムに復旧してもらわないと困る。彼らは、頻繁にウォッチを覗くようになっていた。
しかし、何度みても迷路のままだ。
迷路から解放されたといっても、狭い食堂の中で動いていると、誤って迷路の範囲に戻ってしまうことがある。すぐに助け出されるが、することがなく退屈な今は、わざと踏み込んで迷路ゲームを楽しむ者もいる。
迷路が発動したとき、ホールの中央で食事をしていた紫の青年RT32003もその一人だ。
DRの周りをちょこまかと動き回るので目障りだ。
「邪魔だから他でやってこい」
と注意すると、
「ここしか迷路が出来ないんだよ」
といって反抗する。
それで、DRのほうが席替えをすることにした。肉の載った皿を持ち、厨房に近い席に歩いていくと、
「う、動かない」
と言って立ち止まった。
「おっさんの迷路は入り口の辺りだろう? 下手な嘘吐いてるんじゃないよ」
RTは笑った。
「ち、違う。本当に動かないんだ」
ホールにいた他の客達も異変に気づき、自分で歩いてみた。
「あれ、また動かないぞ」
「私も駄目みたい。どうなってるの?」
彼らは、DRと同じように新たな迷宮に捕らわれていた。
ウォッチを見ると、丸印が出ている。それに迷路のパターンもさきほどまでとは異なっている。
RTも釣られてウォッチを見た。
「あれ! 迷路が消えてる」
彼は叫んだ。
前後左右に足を出してみても問題ない。
「一体、何が起きたんだ?」
DRは誰にともなく聞いた。
その時、厨房にいた赤スーツの若い女性TC47108は、ホールのほうが騒がしいので、様子を見に行った。
「どうしたの?」
「あんたも歩けるのか」
DRは彼女に聞いた。
「当たり前でしょ」
「ウォッチを見てみろ」
彼女は左ウォッチを見た。初期メニューに戻っている。
「あれ!」彼女は素っ頓狂な声をあげた。「システム、直ったの?」
「それが逆に俺達は、歩けなくなった」
DRは、自分のウォッチを彼女に見せた。「あんたとあの若造だけが助かったみたいだ」
彼女は相手の言うことなど聞いておらず、自分のウォッチが使えるか試していた。
宿、食堂を見ても予定はない。現在地マップは問題なく表示される。選択業務を開くと大変なことになっていた。
宿、売店、食堂、工場などほとんどの業務の応募がかかり、いくらスクロールしてもきりがない。 なかでも普段はそれほどないレスキューや遺体処理の仕事が目立つ。
メニューを戻すと、必須業務が現れていた。その内容もおかしい。
普通は、
場所 D112514502
内容 調理
時間 16:00 ~ 20:00
備考 特になし
のように表示されるのだが、
「そこの食堂で定食を三人分作り、配送車で基地まで届けろ。車にはおまえが必ず乗ること」
という文章があるだけだった。
「基地ってどこにあるの? いつ届ければいいのか書いてないし、困る」
といって、彼女は困惑した。
彼女と同じように自由に動けるRTも、
「必須業務が出た!」と叫んだ。
「こっちに来て!」
彼女は彼を呼び、自分の業務内容と較べた。
「そこの食堂で定食を三人分作れ」とだけ記されていた。
「あんたも定食三人分? これじゃあ、それぞれが三人分で合計六人分ってことなのか、二人で三人分を作れってことなのかわからないな」
「あなたは基地に行かなくていいの?」
二人で相談していると、彼女のウォッチのメニューの「必須業務」の右に「NEW」が新たに表示された。
追加情報があったということだ。
必須業務を開くと先ほどの文章が表示される。右下に下向きの矢印があるのは、まだ続きの情報があるということだ。スクロールする。
「二人で三人分だ。基地の場所は配送車の操作パネルの行き先の最初の候補を選べ。時間はでき次第でいい」
とまるで、ここの会話を盗聴しているような内容だった。
「怖いわ。ここの話が聞かれてる」
彼女は怯えた。
「たぶん、俺達のマイクの声を聞いているんだ」RTが言った。
「誰が?」
「基地にいる奴らさ」
二人の会話を聞いていたDRは、
「それなら面白い。おい、基地にいる馬鹿、聞いているか。おまえのせいで俺達はひどい目に遭ってるんだ。本当ならここに来て謝ってもらわなければいけないが、俺の顔に免じて許してやるから、すぐに迷路をどうにかしろ。それからお詫びの印に俺様に百万ポイント寄こせ」
と、大声で二人のほうに語った。
それを聞いたホールの客達は、
「いいぞ! もっとやれ」といって、賞賛した。
調子に乗ったDRは、ありとあらゆる罵詈雑言で基地にいる敵を馬鹿にした。
ホールは笑い声で包まれた。DR本人も大笑いした。
そして、DRがなにげなくウォッチを見ると、迷路は消え初期メニューに戻っていた。
「やった! 基地の馬鹿野郎がついに降参しやがった」
他の客達は、相変わらず解放されなかった。
「こうなると百万ポイントも期待できるな」
彼はウォッチを眺め続けた。すると、必須業務が現れた。
「出た!」
わくわくして開いてみると、
「死ね」
という文字だけがあった。
彼は、相手を怒らせすぎたことを後悔した。
「すまなかった。俺が悪い。なんでもするから許してくれ」
ホールの中は静まりかえった。
沈黙を破ったのはやはり彼だった。
「うわっ!」
DRはいきなり激しい悲鳴をあげ、後ろで縛られているように両手を回した。
「おい、どうした?」
彼は何も答えない。苦しみにゆがんだ顔が答えだ。
続いて立ったまま体がエビぞりになっていく。体のバランスを崩し、後ろに倒れ、頭頂部が床に当たる音がした。
口から泡を吹くのを見ると、周りの客達は目を背けた
今度は後ろに回していた両腕が、肘の先から普段と逆の方向に動き出した。足も同様に膝の先から横に反っていく。
ゴキッ、ゴキッと骨の砕ける音がする。
そのまま動かなくなった。
客達もその場に立ちすくんだ。
深夜十二時になっても、システムの運用は北京のままだった。
端末画面のオペレーション履歴は、フローラビリンス以降何も入力されていない。72時間何も入力されなければシステムの運用はホウコに切り替わる。だが、その時点では遅すぎる。
ピーターは、自宅に帰らず、基地で夜を明かした。
何時間か仮眠室にいたが、心配のあまり一睡もできず、神経が高ぶっていた。それでも午前十時頃には机に突っ伏して、いびきをかいていた。
そこへ女性オペレーターが駆け込んできた。
「大変です」
彼は、寝ぼけたまま顔を上げた。
「どうしたんだ?」
「フローが解除されました」
「なんだって」
彼は飛び起きて、彼女より先に部屋を出た。廊下を走っていると、反対側からまた別のオペレーターが走ってくる。
「大変です」
「また大変か」
「さっきフローがキャンセルされたのに、また同じフローがかかりました」
「何だ、そりゃ?」
オペレーションルームに入ると、誰もいなかった。つまり二人で留守をしていたということだ。
画面を覗くと、彼女たちの言った通りだった。但し、二度目のフローはパラメーターが少し違っていた。
“AA00000-ZZ99999 EXCEPT RT32003 TC47108”
RT32003とTC47108の二人だけ対象から外されている。
その直後に、TC47108の入場制限が無効にされ、RT32003とTC47108の二人に必須業務命が指示されている。
「次は車だ」
基地から直接車輌に指示を出している。
そのまま画面を見ていると、またフローが解除された。
「どういうことだ?」
その後で、DR10712に処刑が下り、二度目と同じフローが繰り返された。
「このDRの処刑のために、全体のフローを一時的に解除したというわけだな」
さすがに所長だけあってピーターの理解は早い。
「二人だけはずすのは、どういうことでしょう?」
最初に彼を呼びにいったオペレーターが聞いた。
「そういうことは必須業務でわかる」
ピーターは、業務命令の内容を調べた。
「食事を三人分用意して基地に持ってこいだと? 基地にいる人間も腹が空くようだな。敵は三人ということがわかった。警察に報告しよう」
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