第45話 迷宮発動(7)


 “EXCEPT RT32003 TC47108”という条件で、フロー・ラビリンスから逃れた二人は、必須業務の指示に従い厨房に入った。

 ホールは他の食堂と何ら変わらないのに、厨房が普通の倍以上の広さがあるのは、特別な料理の注文に備えてのことだ。今回は定食というごくありふれた注文だが、作るだけではすまなくて、出前をする必要がある。

「あなたはいいわね。歩くこともできて、届けなくていいもの」

 じゃがいもを洗いながら、TCがそう言うと、

「できれば僕が届けたかった」とRTが言った。

「どうして。殺されるかもしれないのに」

 TCは声を潜めた。

「その逆もあるだろう?」

 RTはさらに小さな声でそう言って、芋の皮を剥くナイフを見つめた。

「いやよ。そんなの」

「冗談だよ」

 RTが微笑んだ。


 十分後、三人分の定食ができた。ただの定食ではない。本日の定食は世界中でここだけだ。

 RTは厨房のドアを開けたが、すぐに閉めた。配送車はすでに到着していたが、食べ物を求める輩が外にあふれていたからだ。

 彼はナイフをつかみ、外に出た。

「どかないと切るぞ」と言って、腕を振り回した。

 邪魔者達は去っていった。


 その隙に二人で車の荷台に三人分の定食を運んだ。TCは車に乗り、外からRTがドアを閉めた。

TCは緊張した表情を浮かべ、古代の携帯ゲーム機を思い起こさせる操作パネルを手に取った。携帯ゲーム機と違って無線ではなく、ケーブルで車内コンピューターと繋がっている。理由は紛失しないようにするためだ。

 行き先を一番上の候補に変更した後、発車を選んだ。


 道路はいつもより人が多かった。一度は迷路から解放された者も、再び迷路に捕らえられ、今度は救助してくれる者が現れていないようだ。

 街を過ぎると空き地があり、その先に途方もなく長い壁がある。

 車はその壁の門をくぐり、また空き地に出た。その先には工場のような低い建物が建っている。他にも小さな建物がいくつもある。

 その工場のような建物の前で停まった。彼女はドアを開けて、車から降りた。

 緊張が高まり、心臓がどきどきする。


 目の前の壁の一部が下に沈んでいく。

 その先に茶色スーツの若い女がいた。TCよりも十歳くらい若そうだ。

 胸の名前は、UV38244。


「よく来たね。殺されるかもしれないのに。私だったら断るよ」

 相手はそう言った。

「行かなくても殺されるかもしれないので」

「一人五月蠅いのが殺されたからね」

「あなたの仕業ですか?」

 UVはその質問には答えず、荷台の料理を覗き込んだ。


「三つのうち最初にあなたが食べ、次に私、最後にボスが食べるって言われてる」

「はい」

 UVはドアを開けて、トレイを一つ持ち、彼女に「あなたも一つ運んで」と言った。

 彼女がトレイを持つと、

「それやめて、残りのほうに替えて」

「え?」

「毒が入ってるかもしれないから」

「そんなことはありません」

「私はボスに言われた通りにしているだけ」

「わかりました」

 彼女はトレイを替えた。

「先に行って」


 彼女は搬入口から入った。その先は廊下だ。UVが後ろからついてくる。

 ある部屋の前に来ると、

「ストップ!」とUVが言った。

 彼女は立ち止まった。

「それ自動ドアだから、ドアをちょっと押すと開くよ」

 彼女は、手に持ったトレイでドアを押した。

 引き戸が開いていく。


 彼女は、トレイの縁を臍の辺りにくっつけるようにした。そうする理由は腹のポケットに手を近づけるためだ。すぐに右ポケットからナイフを引き抜き、体の向きを変えた。トレイが床に落ちた。

 彼女は、ナイフを相手の顔に向けて突き出した。

 先端が相手のあごの辺りに触れた。

 血が飛び散る。


「ギャー」

 相手はトレイを投げ捨て、廊下を搬入口のほうに向けて走った。

 彼女は追った。相手は外に出て、そのまま東の方へ逃げていった。

 彼女は建物に戻り、搬入口を閉めた。

「一人しかいないくせに、ボスがいるふりしても無駄よ」

 彼女は、そう独り言を言った。

 彼女は、食堂でアーリャン達の会話を聞いていた。UVが犯人、オペレーションルームにいるという言葉が記憶に残っていた。

 残念ながら、彼女では迷路を解除することはできない。しかし、相手がオペレーションルームに入りさえしなければ、被害が少なくなる。



 その日の夜には、ピーターは大陸行きの船便に乗っていた。自動車ごと運搬できるフェリータイプだ。自動車も大型で、同行者は警官五名、医師一名、建築作業員三名、市役所職員二名の計十二名。全員男性だ。

 船は定期便が従来通り往来していたが、船員、乗客ともスーツドの受付ができなくなっている。

彼らは、自動車に乗ったまま乗船した。車輌はシステムの管理対象となり、その乗員は荷物と同じ扱いで対象外だ。スーツドも同じように、車に乗車したままなら乗船できる。 


 船内に入ると車から降りた。乗客用の個室は使えない。食堂も利用できない。食材が搬入されておらず、調理する者がいないのに出航するのは、乗客がいないことになっているので、問題がないと判断されたからだ。システム上は、一台の車のために出航したことになる。

 休憩室は動物でも入れるので、持参した弁当を食べる。

 船内で一泊するので、寝袋で寝る。

 船が船員なしでも自動的に出航するのは、今回のような非常時に備えてのことだ。だが、いつまでこの状況を続けられるのか、ピーターにもわからない。


 翌日早く、大陸側の玄関、旧アモイ港に着いた。

 自動車に乗ったまま、埠頭に降りた。

 作業員の姿はない。

 街に入ると、道路に人が倒れていたり、座り込んでいる様子が目に入った。

 交通事故の心配が少ない状況ですごしてきたので、彼らは道の真ん中でも平気で、通行車輌の邪魔をする。

 クラクションを鳴らしても、もう息がないのか、あるいは動く力がないので、どこうとしない。

 自動運転車ではないので、うまい具合に避けて通ってきたが、集団で道を塞ぐ者達がいて、どうにもならない状況が起きた。仕方なく力ずくでどかした。すると、邪魔者達は迷路から解除された。さきほどまでの無気力が嘘のように勢いよく走り出す者までいた。


 ピーターは、すぐにその理由がわかった。

「迷路の中から対象がいなくなったということだな。坂道を転げ落ちたり、台風で飛ばされても同じだ。そうだ。自動ブレーキはずして、車で撥ねればいい。死なない程度にね」

 隣にいた市役所の職員には理解できなかった。

「人を撥ねるのはまずいですよ」

 運転をしていた作業員は、障害物の多さにいらいらしていたところだった。ピーターの言うとおり、道を塞ぐ者達をそっと撥ねとばしながら進んでいった。


 物流がストップしているので、高速道路は空いていた。彼らの車は時速100キロを越えるスピードで走った。システムはスピード違反を取り締まらない。高速で走るモノなど存在しないことになっているからだ。自動運転車はもちろん、アクセルのある手動運転車もあまり速く走れないように設定されている。

 その例外がホウコ諸島だ。狭い島でもパトカーやレスキューは速いほうがいい。輸入した自動車の速度制限をはずす場合も多い。

 それでも、古代のスポーツカーのような猛スピードはもう出せなくなっていた。

 だから、車内の誰もが焦っていた。一刻も早く到着しないと大変なことになる。いや、今北京基地に入って迷路を解除しても、大変なことには違いない。早く着いて、大変の度合いが上がるのを防ぐのだ。


 ピーターの頭の中では、今回の被害のシュミレーションが行われていた。

 フローラビリンス発動からすでに一日半経っていた。問題なく基地に入れたとしても、後丸一日以上かかる。

 ということは、三日間に近い間スーツドの大半が水が飲めない状況に置かれると想定できる。人は水がないと三日で死ぬと言われている。

 いや、その想定は甘い。フローを解除して歩くことができるようになったとしても、三日近く飲みも食べもせず、精神の朦朧とした人間が水のある場所まで自分の足で歩くだろうか。

 スーツドの大半が乾き、飢え、疲労で命を落とす。


 フローが解除されて、スーツドに通常の指示が出たとする。動ける体力のある者でも、素直に指示に従うとは思えない。

 おそらく現時点で、食料の奪い合いが起きていると思われる。

 食堂、売店、倉庫などが襲撃され、食料が奪われる。

 一度奪うことを覚えた者は、システムの指示など無視して、奪い続ける。社会の構成員全員が働いて、世界は成り立っている。少数が働くだけでは機能しない。


 物流がストップしているので、食堂に働きにいっても食材が届いておらず料理ができない。客としていってもカウンターに料理が置いていない。

 子供はどうなるのだろう。外に出ることができなければ学校の中で死んでいく。外に出ても壮絶な奪い合いに巻き込まれる。

 誰も働かない状態で、奪い続けることはできない。原始社会と同じように土地の囲い込みが起こる。個人では無理なので集団が発生する。土地を守るために軍隊が結成され、古代社会が復活する。

 もう世界のことなど考えている場合ではないのかもしれない。

 ホウコの繁栄と安全だけを第一に優先すべきだ。

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