第27話 支配層の棲む城(3)


 二人の乗った車は、目的地の近くにあるT395311624という街に到着した。

 そこは嘗て北京市の中心部天壇公園付近だった。古代なら歴史的建造物や繁華街のある場所だったが、今は一点を除き他の地域と変わらない。


「二人ともお疲れさまです。もう車から降りてください。少し遅いですがこれから昼食です」

 アシストは事務的にそう言った。

 PZは車から下りると、両手を思い切り上に伸ばし、深呼吸した。


 近くの食堂を見つけたとき、UVが「大きくない?」と言った。

「基地が近くにあるかもしれないんだ。普通と違うことくらいあるさ」とPZは答えた。

 彼女の言うように食堂の外見は大きかった。しかし、中に入るとホールは他と同じ広さだ。厨房が大きいということのようだ。

 彼らの他には客はいない。

 昼食の時間にしては遅いので、アシストが二人だけにしようと、店舗の画面を開き、他の客の予約を外し、貸し切り状態にしたのだ。

 しかし、食事の内容は普通だった。

 貸し切りにしたのは、アシストがここで指示を行うためだ。


「食事中すみませんが、食べながら聞いてください。そこから北に二キロほど歩くとすごく長い壁があります。壁は長方形で四辺の合計は十キロくらいの長さがあって、東西南北それぞれの中央に門があります。

 その中には古代の皇帝エンペラーが住んでいた、紫禁城と呼ばれる大きな宮殿が建っていました。紫禁城は歴史的な建造物なので、取り壊されずに残っているかもしれません。

 壁は古代ではなく開拓時代に作られたもので、当時の大きな通りで仕切ったエリアを囲っています。私たちはここを北京城と呼んでいます」

 城とは本来、壁で囲われた街のことだ。


「北京城の中にメイン基地がある可能性が高く、現時点では最も有力な候補地です。

 もし宮殿が残っていたとしても、文化的な理由とは限りません。私たちのところは離島なので基地を隠すことはしていませんが、スーツドがすぐ近くにいるそちらでは、わかりにくいように地下に作られている可能性もあります。そのとき古い建物がたくさんあれば、そこを入り口にすることで侵入者を防ぎやすくなりますので、木造の古い建物も注意してください。

 これまで他のスーツドを壁に近づけたところ、壁から五百メートルくらいの空間に入場制限がかかっています。ズームでみたところ、南門だけは開いているようでした。今回お二人は、入場制限をはずしてありますので、門をくぐって中にはいってください」


「いきなり? 中にルーラーいるんじゃないの?」

 UVは怯えた表情を浮かべた。

「そうかもしれません」

「ルーラーに捕まったらどうするの?」

「危険を感じたらすぐに引き返してください」

「何それ!」

「それから近くの食堂が混み始めていますので、食事はお早めにお願いします」

「ここに客を入れても問題ないと思う」とPZは言った。

「二人が一緒にいるところをできるだけ見られないようにするよう、チーフから言われています」

 ゆっくりと食事をしている暇もなく、二人は食べ終わるとすぐに外に出た。


 道路は碁盤目状に整理されている。

 道の両側は売店、宿、カーステーションなどどこにでもある建物ばかりだ。車や人の通行量が少ないのは、道の先に見える紅い壁のせいだ。

 ある地点から建物が一切なくなる。その先は人っ子一人いない。これだけまとまった空き地があれば普通は畑や太陽電池などに利用されるが、むき出しの地面のままだ。それが壁の周囲全体を囲んでいる。人だけでなく、雑草の侵入も拒んでいるように綺麗に整地されている。清掃車は入れるということだ。

 ホウコが貨物船で外から物資を輸入しているように、ここも門から中に車を入れて、食料などを調達しているのだろう。

 車をスムーズに通すために門が開いたままなのだ。

 歩行入場制限のあるスーツドは、ここから先に進めない。

 壁はそれほど高くない。縄ばしごでも越えられそうだ。おそらく被支配層から中を見られないようにするためのものだろう。プライバシーを覗かれたくないのではなく、支配階層の存在を知られたくないからそうしたに違いない。


 外から見る門は、壁にアーチ状の穴を開けただけのものだ。

 あの先に何があるのかと思うと、PZの恐怖感が高まる。

「そうだ。もうここまで来れば人に見られることもない」

 彼は、ウィッグをUVに返した。

 彼女はウイッグをつけて、位置を調整した。

「どう、合ってる?」

 ウィッグは、額が出るように向きを合わせないといけない。

 少しずれている気がしたが、「完璧だ」と言っておいた。


 彼女は目の前に広がる空き地を見て、校庭を思い出した。

 この世界に陸上競技はない。学校では走り方を教えるが、競争させたりはしない。それでも子供達は、校庭を走り回っている。

「そうだ、あそこまで駆けっこしない?」

「ふざけてるのか?」

 五百メートルも走れば、かなり体力を消耗する。

「自信ないんだ」

 彼女は笑った。こんなときによく笑っていられるものだと彼は感心した。そして、恐怖を忘れるためには走るのもいいかもしれないと思った。

「昨日に較べればこの程度は楽なものだ。いいだろう」

 PZは挑戦を受けた。

 一般に男のほうが女より体力はある。ただ年齢からいうと彼女のほうが有利だ。


 二人は、壁の門のまっすぐ前の位置に並んだ。

「どこがゴールだ?」

「門を通って壁を越えるまで。よーい。スタート」

 出だしは彼が有利だったが、すぐに抜かされた。

 蛇に遭遇したときの強制的な走りを除けば、彼は全力で走ったことがない。生きていくうえで走る必要などないからだ。体力維持は毎朝宿で行う健康体操だけで充分だ。


 それで二百メートルも走ると息切れした。彼女との差は十メートル。彼の負けは確定した。

 そう思った瞬間、突然彼女が前に転倒した。

 彼は、すぐに彼女を抜き去り、門をめがけて勢いよく走った。

 彼女はゆっくりと立ちあがり、彼の後を追った。その差は百メートル。

 もう勝負はあきらめたのか、ペースが鈍い。

 調子に乗った彼のほうは、ラストスパートをかけた。

 門のすぐ手前でペースを緩めたが、次の瞬間には門を越えていた。

 そこは空き地だった。空き地の向こうには、巨大な門楼が聳えていた。


 PZが息を切らしながら、後ろを振り向くと、門の向こうにUVがゆっくり歩いているのが見えた。彼は門の中に入って、内側を調べた。

 壁の厚さは一メートルほどで、両側から厚い扉がスライドする仕組みのようだ。

 かつてこの辺りに正陽門と呼ばれる城門があった。城壁の上には門楼が聳え、五百年の歴史を誇る保護文化財だったが取り壊され、いまは名も無き門にすぎない。

 彼女がやってくると、

「自分が先に入りたくないから、競争させてわざと転んだんだな」

 と彼は言った。

「ばれた? でも、問題なかったからいいじゃないの。怖い人がいっぱいいるかと思った」

 彼女はそう言って、前方の景色を見つめた。


 壁の内側は古代に天安門広場があった場所だが、今は平らな地面にならされ、清掃車が作業しているだけだ。国家博物館、毛沢東記念館、人民英雄記念碑などは跡形も無くなっていた。

 その先には歴史的な建造物が残っている。

 二人は北に聳える門楼目指して歩いた。近づくとその途方もないスケールがわかる。

 中華人民共和国万歳、世界人民大団結万歳というスローガンや毛沢東の肖像は外されたが、そこは天安門だった。紅く高い基台の下に門洞をくりぬき、上には瑠璃瓦の門楼が構え、堀や白い大理石の欄干まで保存されていた。


「あそこにルーラーが住んでるの?」

 UVは門楼を見上げて聞いた。確かにそれは巨大な家のように見えた。

「暮らしてはいないと思うが、基地の入り口があるかもしれない。だけど、いちいち調べていたらきりがないから、今は中に進んで基地っぽい建物を探す」

 二人は掘にかけられた橋を渡り、複数ある穴のひとつに入った。天井は高く長さもあり、トンネルを通っている気分だ。

 門を抜けると、その先にも同じような門楼が見えた。またそこまで歩かねばいけない。


「どれだけ馬鹿でかいものを作るんだ」

 歩き疲れたPZは、古代の皇帝に文句を言った。

 端門を越えた。石畳の向こうには、左右がコの字にせり出した紅い基台の上に大小五つの楼閣が見える。紫禁城の正門にあたる午門だ。

 穴は三つあった。

「どれにする?」

 PZは彼女の質問には答えず、左側に向かう。基台に穿たれた穴を通ると、やはりトンネルのようだった。

 その先にもまた門があった。

「何個も同じようなもの作らなくてもいいのに」

 今度は彼女が文句を言った。

「エンペラーとやらは、無駄にでかいものを作って自分の威厳をみせつけたかったんだろう」


 太和門を越え、広大な太和殿前広場に出た。

「うわぁ。広すぎる」

 UVはあっけにとられた。、

「おそらくここが城の中心だ」

 知識のないPZにそう思わせるほど、その光景は圧巻だった。

 広場の先にある太和殿は、現時点でもまた古代においても世界最大の木造建築物だ。

 ここにも清掃車が作業していた。時代の流れを感じる。


 PZは皇帝の気分を味わおうと、太和殿に向かう。

「あそこにルーラーがいるの?」

 彼女が聞いた。

「あんなところは住みにくいと思う。入り口を隠す場所としてもふさわしくない」

「それならどうして行くの?」

「あれだけのものを見れば、誰だって上がってみたくなるだろう」


 太和殿の前の幅の広い石段を登っていく。中央が装飾の施されたスロープになって、その両側が階段だ。

 石段を上がると、彼は広場を見下ろした。古代、ここで儀式が行われた。今彼のいる位置に皇帝が立ち、大勢の臣下がこの広場に並んだ。

 彼は、開拓者が拠点となる都市を選ぶならここにしたはずだと、本能的に感じた。

 だが、これまでのところ人の気配はない。

 この北京城内に基地があるなら、支配階層の生き残りが住んでいるはずだ。オペレーションが停まったことから、ごく少人数しか残っていないのかもしれない。

 もしその少数の生き残りが自分達を見つけたら、不審なスーツドとして警戒するはずだ。容易に姿を現さない可能性が高い。

 人を見つけるのは難しくても、建築物は動かない。まずは基地から探す。


 UVも隣に立ち、広場を見下ろしている。

「なんかとんでもないところに来ちゃったね」

「今頃言う言葉じゃないだろう」

 そう言った彼も、ホウコに来た時とは較べものにならないほど高揚していた。


「ここからどこに行くの?」

 UVが聞いた。

 選択枝は多いが、西側の門楼が目に付いた。

「あそこから向こう側に行ってみよう」

 そこは西華門だった。その先には中海、南海という大きな掘があり、まとめて中南海と呼ばれる。古代の権力者の居住区だった。

 二人は石段を下りた。

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