第13話 開拓者達(2)
スラム街の貧困少年だったダニエル・クーパーは、李文鳳の援助でハイスクールを卒業し、一流大学に入学することができた。フライ級ボクサーだった父親は、引退後、道路清掃などで生計を立てていたが、彼を大学にやる余裕はない。いくら暴漢から助けたとはいえ、費用は相当なものだ。何らかの形で恩返しをしないといけないと彼や家族は考えた。
スラム街を抜け出したことは、いいことばかりではない。ハイスクールでのいじめは、彼が黒人でなければ受けなかった。
ここの学生は知的水準の高い将来のエリートばかりなので、露骨な人種差別はない。
それなのに白人は白人同士で集まり、アジア人はアジア人同士で群れている。
彼のような黒人は少なく、アフリカからの留学生アフマドが唯一の友人だった。同じ黒人とはいえ、相手はムスリムで、食生活も異なり、クリスチャンである彼と話もかみ合わない。アフマドは、二メートルを越える巨漢だが運動神経が鈍く、小柄でスポーツの得意な彼とは対照的だった。黒人が少ないうえに、体格差が大きいので一緒にいるとかなり目立つ。
アフマドの家は裕福で、彼は貧しかった。アフマドの父親はかなり高齢だが、元気そのものだという。
入学して間もなく彼の父親が亡くなった。まだ四十二歳だった。
一度サッカーのことでアフマドと大げんかしたことがある。アフマドの国のチームが国際大会に出場するので一緒に応援に行こうと誘われたが、彼は他のアメリカ人と同じでサッカーには興味がなく、しかも外国チームの応援ということで断った。
「君はどうしてフットボール(サッカー)に興味がないのか?」
「ここはアメリカだ。アメリカにはアメリカのフットボールがある」
「あれはフットボールのくせに手を使っている」
「フットボールは手を使っていいんだよ」
そのとき乗り越えられない国家の違いを感じた。
何故、人はこのように互いに異なるのだろう。
人種の壁は無くすことができないのだろうか。
体格差は無くすことができないのだろうか。
宗教の違いは無くすことができないのだろうか。
学歴の違いは無くすことができないのだろうか。
寿命の違いは無くすことができないのだろうか。
貧富の差は無くすことができないのだろうか。
国家の違いは無くすことができないのだろうか。
この頃にはすでに様々な格差に対する疑問が芽生えていた。
ダニエルは技術者だったが、ビジネスマンとして成功した。客家飯店グループが本拠地を北京に移したことで、中国政府の実力者の間にも顔を広げ、いつしかアメリカとのパイプ役になっていった。
成功の階段を上っていた彼だったが、むなしさは募るばかりだった。成人してからもときどき感じる人種の壁。彼の成功により、親兄弟もスラム街を引き上げたが、世界中に貧困はあふれていた。不況、犯罪、テロ。世界の諸問題は人知ではどうしようもないことなのだろうか。神のみが解決できるのか。
本当に神はいるのだろうか。
神が存在せず、その見えざる手で世界を治めていないのなら、人間がしっかりしなければいけない。神がいるから人間がしっかりしないのだ。
李文鳳は道教を信じていた。本当に道教の神々がいるのか尋ねると、たぶんいないと答えた。それなら何故、信じるのかと尋ねると、
「いると思っていたほうが幸せだからだよ」という返事が返ってきた。
それで彼は、道教などただの迷信と思っていたが、後にその無為思想から影響を受けた。
賢い者を重用しなければ、民の競争はなくなる。財貨を重要としなければ民は盗むことがなくなる。欲しがるものを見せなければ、民は心を乱さず、聖人の統治は、民の心を単純にし、充分な食べ物を与え、野心を失わせ、体を健康にし、無知で無欲な状態に置き、賢い者には口だしさせない。無為の策をとれば、治まらないことはない。(老子道徳経 第三章)
この考え方からすれば、学者は不要だ。学校は最低限の知識さえ教えればいい。経済発展など必要ない。賢い政治家などマイナスの存在でしかない。民衆から知識と欲望を奪い、ただ健康で食べるものが充分にあればいい。
やがて彼は、人間の暮らすこのカオスな制度が諸悪の根源だと考えるようになっていった。
いくら民主主義の大儀を掲げても、支配する側とされる側という階級がなくなることはない。
自然そのものが不平等だからだ。
限りなく人工的な世界においてのみ、真の平等は実現できる。
人は本来平等であるべきだ。強制的にでも平等であるべきだ。
しかし、経済的な平等を実現するのは難しい。
熱力学の第二法則では熱は熱い方から冷たい方に一方的に流れる。反対に人間の経済では、金は少ない方から多い方に流れていく。まるで金そのものが引き寄せ合っているように。
金の存在が不平等を生むのだ。
たとえ全ての人間の収入が同じでも、使う能力が異なるので平等にはならない。
人間が金を作ったのだ。なくすことだってできる。
金よりもたちが悪いのが自由だ。
その優秀な頭脳が存分に発揮される機会が訪れたのは、自由を尊重する国民性のおかげだった。
それでも彼は自由に感謝しなかった。
自由こそ人類の敵だ。すべての人間から行動の自由を奪う完全無欠なシステム。
他にもなくさなくてはいけないものがある。
人種差別をなくすのではなく、人種を無くす。
学歴差別をなくすのではなく、学歴を無くす。
国や宗教の違いは国家や宗教を無くせばいい。
貧富の差を無くすには、貨幣を無くす。
職業をなくし、細分化された業務をシステムの指示どおり行う。
体格差をなくすには、生まれてくる子供が平均的な体格になるよう両親を組み合わせる。
企業の定年制と同じで、一定の年齢に達したらそこで強制的(安楽死)に寿命を終える。
他にも自由、個性、思想。そういった格差の要素全てを無くし新世界を作る。彼はそう目標を立てた。
彼は人類に平等を与えた。その代わり自由を奪った。ただ、思考の自由だけは奪えなかった。
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