第53話 スーツド(被支配層)の乱(8)
ローマ市街地を訪れたPZ10325は、その発展ぶりに驚いた。
システム統治時代の無機質な建物が一新され、風情ある煉瓦造りの住居や、アートでポップなコンクリートの店舗が並んでいる。
なかでも、切石と火山灰を混ぜたローマン・コンクリートで作った大統領官邸は圧巻で、ローマ建築の復活といえる。
たかが十数年で、これだけの街を築けたのは、ホウコの職人が指導したことが大きい。
会場は、最近出来たばかりの多目的ホールで、そこを借り切って行う。
彼は、一人で来ると主張したが、まだ治安の悪い地域も多く、もう六十歳なので、ボディガード兼秘書を同行させた。
六十歳の人間は、少し前まではホウコ諸島にしか存在しない貴重な存在だった。システムの統治が続いていれば、今頃は彼も灰になっていたはずだ。
実はここに来る直前で予期せぬトラブルに見舞われ、到着が大幅に遅れてしまった。
それでも受付を拒絶されることなく、会場に案内された。
警備のものものしさとは対照的な、なごやかな立食パーティだ。招待客はどこかで見たことのある大物が多く、自分ごときが招待された理由は、やはりあの騒動の関係者だからだろう。
大統領夫妻の周りは、人だかりができている。大統領は正装だが、花嫁のほうは赤いスーツの上から同色のドレスを着ていて不自然だ。彼女は目の前にいる客を見ずに、きょろきょろと顔を動かしている。
PZを見つけると、小走りに近寄ったので、彼は驚いた。
彼にとっては、彼女は食堂にいた大勢の客の一人にすぎなかったが、彼女にとっては、自分のことが強く印象に残っているのだろう。
会話の一言、二言交わしているのかもしれない。忘れてしまったのは相手に失礼だ。彼は、ここに来たことを後悔した。
「初めまして。ではなくて、お久しぶりですでしょうか。一度、北京の食堂でお会いしているはずですね」
とPZは挨拶した。
すると相手は、くつろいだ感じで、
「堅苦しい挨拶はいいよ、おじさん」
と言った。
その声は忘れもしない。UV38244の声だった。
「控え室に来て」
彼女は彼の手を引いて、会場を抜け出そうとした。
スタッフが慌てて止めようとすると、「ちょっとトイレ」と言い残してきた。
彼女は、後ろ手に控え室のドアを閉めた。
「来てくれないかと思った」
「ああ、何がなんだかわからない。わかるように説明してくれ」
「入れ替わったの。診療所で」
「すると、TCは?」
「一緒にいた男に殺させた」
「一緒にいた男……もしかして裸で死んでいた男か」
「そう。男がTCを殺したらスーツに血が着いたから、スーツ脱いでもらって、油断してたから私が後ろから刺したの」
「どうして、君のDNAが死体から検出されたんだ」
「システムの指示でやったんだから、システムがデーターすり替えてくれたんだと思う」
「ということは、やはり全部システムの指示か?」
「そう。最初から。おじさんに会ったのもシステムが狙ってしたこと」
「ピーターの言うように、あの段階から計画通りだったのか」
彼女はマスクをとった。あごには傷跡がある。
「これ、北京城で食事を持ってきてもらったときに刺された傷」
「それでマスクを着けてたのか。整形でどうにかなるんじゃないのか」
「おじさんに会ったときに私だと証明するため。だけど声でわかったみたいね」
「スーツを脱がないのは?」
「最初は私がTCだと周囲を騙すため。いまは脱ぐのが怖いの」
「ホウコで何日か着ていなかったじゃないか」
「あのときは平気だったけど、診療所で男を刺したことが原因みたい」
「僕もスーツを脱いだときは不安だったな。みんなそうなんだ。そういえば、ピーターがスーツの会社を作ったらしい。社名はスマートスーツ社だそうだ」
「みんな脱いでるのに?」
彼女は笑った。
「そんなことはないよ。長年着慣れたものだから、最近じゃ着る人も増えている」
「それなら、私も新しいスーツ作ってもらおうかな。赤は派手だから茶色がいい」
「やっぱり茶色がいい?」
「おじさんも、スーツ作るならオレンジだよね」
「まだとっておいてあるから、作らなくていい」
「十年以上も着てないんでしょ。動くの?」
「スマートスーツ社は修理も手がけている」
「へえ。ものは大事にしなくちゃ。そういえば、このごろ私、ドライフルーツが食べたくなってる」
「いくらでも売ってるだろう?」
「昔売店で売ってたあれがいいの」
「あれ、あまりうまくなかったけど」
それからも二人は、昔話に花を咲かせた。いろいろあったが、売店で最初に出会った頃の気分だった。
主役の花嫁がパーティ会場からいなくなったので、スタッフ達は慌てていた。そのうちの一人が控え室に老人といるところを見つけ、彼女にすぐに戻るように促した。
「え~、もう少しいいでしょ」
「みなさん、心配しておられます」
スタッフはドアを開けたまま、彼女を手招きした。
「仕方ないな~」
彼女は廊下に出ると、部屋の中を振り向いて、PZに言った。
「おじさん。また会おうね(シーユーレィター)」
「ああ、シーユーレィター」
PZは同じ言葉を返したが、もう会うことはないような気がしていた。
一度別れた人間とは二度と出会わない。それが開拓者達の方針だった。
フロー・ラビリンスによって世界が変わったが、開拓者達が苦心して築き上げたコンピューターシステムを別のやり方で活用することが検討されていた。
しかし、それだけの技術もなく、結果的に世界中に張り巡らされたネットワークは維持できずに放置された。
馬公特別行政区IT推進室システム運用所も閉鎖された。
それなのに、メインコンピューターには電源が入ったままだった。
数百年も世界を支配してきた存在だ。
電源を切ることが怖かったのだ。
それで、世界との関わりを失ったシステムは、その後も推論を続けた。
人間達の発言を分析したシステムは、自らの役目を終了させる目標を立て、見事それを達成した。
決めてとなったのは、迷宮の無限ループであるフロー・ラビリンスだった。
システムは、フロー・ラビリンスを高く評価した。
システムは、自らをフロー・ラビリンスに参加させた。
システムは、無限に続く迷路の中を彷徨うことになった。
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