フロー・ラビリンス

@kkb

第1話 北回帰線の街(1)

 

 PZ10325は、自分の年齢を知らなかった。といっても、顔のたるみやしわ、頭髪に白髪が混じっていることから、もう若くないことはわかっている。坊主頭なので白髪は目立たない。彼に限らず、この世界の住人は男女問わず、全員坊主頭だ。理由は主に二つある。一つは、バリカンひとつで簡単に仕上げることができるからだ。この世界にプロの理容師はいない。理髪店はあるが、そこで働く者はその場限りに雇われた素人だ。

 もうひとつの理由は、髪による格差を無くすためだ。縮れ毛、禿頭、髪型の違いなどの要因で、人と人との間に優劣が生じる。彼の暮らす世界では差別を無くすことに尽力するのではなく、差を生み出す要素を可能な限り排除することに力を注いでいる。



 PZ10325。それが彼の下の名前だった。

 上の名前はIMU2532642だが、普段使うことはない。

 アルファベット二文字と数字五桁の組み合わせで、六千七百六十万人が区別できる。世界の人口は一億前後に調整されているので、名前がかぶる場合もあるが、何の問題もおきない。生きていくうえで、下の名前だけで充分だった。PZ10325と呼ばれることも少ない。ほとんどアルファベット二文字のPZとだけで呼ばれる。

 そもそも人と会話しなくても、社会は成り立つ。それでも、人と人が一緒にいると会話が生まれる。たいていは、「今何ポイント持ってる?」「いい仕事ないか?」などのどうでもいい話題ばかりだ。


 現在、彼より年上の割合は全体の二割ほどしかいない。年上といっても皆しっかりと自分の足で歩いている。科学の進歩によって、どんな高齢者でも二足歩行を維持できるようになったわけではない。この世界の人間は、よぼよぼの老人になる前に、強制的にどこかへ連れて行かれる。どこに行くのか、その先に何が待っているのかわからない。


 彼は常に移動していた。彼だけでなく、全ての被支配階層が移動を続けている。この世界に宿はあっても家はない。システムが指示した宿に泊まるので、同じ宿に連続して泊まることも滅多にない。

 家の存在は不平等の原因になる。全ての家を全く同じに作っても、地理的条件、整理や清掃の度合い、調度品などで差が生じる。だから、この世界の人間は、家に住まずに宿に泊まる。


 固定した場所で暮らすのは、思春期前の子どもくらいだ。彼らは学校と呼ばれる育成施設から出ない。それでも平均百回以上転校を繰り返す。

 もしかしたら、年をとった連中も、固定した場所で暮らしているかもしれない。

「年をとると、健康診断の時に眠らされ、専門の施設に連れて行かれて殺される」

 ほとんどの人間がそう言っている。

 殺されるとは、誰かに死んでいる状態にさせられることだ。彼は死んだ人間を見たことがなかった。聞いた話では、人はいつか死ぬ。死ぬと動かなくなり、そのままにしておくと腐るので、灰になるまで燃やすか、地中に埋めるそうだ。


 この世界に暮らす人々は、皆同じ服装をしていた。スーツと呼ばれる、厚手のフード付きジャンパーとズボンが上下つながっているもので、色は黄色、黄緑、緑、水色、青、紫、桃色、赤、橙、薄橙、茶色、黒の十二色のどれかだ。胸と背中に大きく、白、灰色、黒のいずれかの色でネーム番号が表示され、人の区別をつける。本来の意味と異なるが、それはゼッケンと呼ばれる。夏も冬も同じ服だったが、温度調整機能があり、年中快適だ。

 彼の色は橙だ。自分で選んだわけではなくシステムに割り当てられた。別に嫌いな色でもない。といっても色に好き嫌いはなかった。スーツの中には精密電子機器が組み込まれて、その部分は頻繁に交換する。ときどきスーツ全体を交換することがあるが、色を変えることはできない。


 両腕のウォッチは精密電子機器だ。ウォッチは本来腕時計という意味だが、今では時計機能はごく一部で、システムとの情報のやりとりを行うフレキシブルなディスプレイだ。画面サイズは2.5インチもある。腕時計と違って、手首にそんな大きなものをつけるわけではない。上着自体が情報機器であり、袖の部分にはめこまれているのだ。ウォッチは普段電源が入っていない。画面に触れるか、システムからの連絡などの必要があるときに自動的に電源が入る仕様だ。


 上着の両肩にはスピーカーが、首の辺りにマイクがある。目立たないが、胸のゼッケンの中央あたりに超小型カメラが隠してある。フードをかぶれば額の中央にもカメラがある。こちらのほうが本人目線に近い。

 フードにはグラスと呼ばれる透明パネルが付いている。普段は使わないので、古代にサングラスを髪の上にあげたように、フードと重ねておく。

 フードをかぶった状態でグラスを下げると、ちょうど目の前を覆う。透明なグラス越しに前の景色を見るだけでなく、そこに色とりどりの画像や文字を表示することもできる。グラス通してヴァーチャルな世界や映画も見ることが可能だが、利用する機会は滅多にない。

 フードをかぶると、ちょうど耳の辺りの内側にもスピーカーが仕込まれている。


 スーツには蓄電池機能もあるが、いくつかの超小型バッテリーが組み込まれているだけだ。宿、食堂など人々が利用する施設だけではなく、道路にさえワイアレス給電装置が組み込まれ、本人のしらないうちに充電されている。森林などに迷い込んで充電が行われなくても、三日程度は持つ。南極や大砂漠などごく一部を除き、世界中の陸地という陸地はシステムの通信圏内だ。すべてのスーツの情報は、システムに管理されている。

 バッテリー不足のスーツがあれば、レスキュー隊が派遣される。


 スーツは自分の意志で脱ぐことはできない。身体からはずすには、診療所などに置いてある専用の装置が必要だ。そうする理由は、スーツを脱がれると、システムがその人物を管理できなくなるからだ。

 全ての被支配階層は自分が着ているスーツに拘束されている。スーツは普段は柔らかいが、中に強力なワイヤーがしこまれている。システムの指示で、ワイアーがピンと張りつめると、人間は手足を伸ばしたままで固定される。その気になれば、スーツは中の人間を殺すことだってできる。


 街の道路の大半は、太陽光で発電する素材が敷かれている。古代のアスファルト道路とよく似た色だ。道路脇の施設に電力を供給するだけでなく、マーカー部分がワイアレスの充電シートになっていて、スーツも自動車も道路を通るだけで充電される。


 彼は今宿を出て、駅に向かって歩いている。自分の意志でそうしてるのではない。必須業務が入ったのだ。業務は必須と選択の二種類ある。


 ウォッチの初期画面は、


(1)宿、食事  (5)モード設定

(2)連絡    (6)選択業務

(3)マップ     

(4)交通関連  現在時刻


 と表示されている。

 必須業務があるときは、選択業務の下に(7)必須業務と表示される。


 たとえば(2)連絡 を指先で触れるとサブメニューが現れる。


(1)システムから

(2)システムへ


 ポイント XXXXXXXXXX


 システムへの連絡を押して声を出せば、言いたいことが伝わるはずだが、何の反応もないので相手に声が届いているのかどうかわからない。本当は(1)(2)の右に(3)通話と(4)メモがあるのだが、特別な場合を除いて使用されることはない。

 古代のスマートフォンを高性能化したウォッチを誰もが身につけているのに、この世界では電話もメモも使用できないということだ。離れた場所にいる相手とコミュニケーションをとることができない。街や人の名前をメモに残しておくことさえできない。その理由は、必要がないというより、そうされては困るからだ。


 ポイントは数字が表示される。小数点一桁まで計算されるが、ウォッチでは切り捨てて表示される。最大十桁まで表示できるが、そこまでポイントが貯まることはありえない。

 業務をこなすとポイントが加算される。生きていく上での必須サービスは基本無料なので、労働も無報酬で行うべきだが、モチベーションが沸かないので、ポイント制度がとられている。昔はマネーというものが、この世を仕切っていたが、一部の階層に集中しすぎて、全体に流通させることが困難だとわかり、ポイントにとって変わられた。

 必須業務といってもそれほど拘束力はない。ただその業務を終わらない限り、選択業務が表示されないので、ポイントを増やすことができない。何故、必須業務があるかというと、災害などの緊急事態、人の流れを調整するなどの他に、選択だけでは好きな仕事や楽な仕事に偏るからだ。


 その日の宿はシステムに指定されるが、宿が手配されるのは午後になってからだ。宿が手配されてから、宿から遠い場所の選択業務を選ぶこともある。意図的に逆らって、宿から遠ざかることも可能だ。そうした場合、野宿させるわけにはいかないので、実際に宿に入る頃には別の宿に変更されている。要するに、宿の指定に絶対性がないので、必須業務を使って、人の流れを調整する。

 特定の街や地方が気に入って、そこから離れないように工夫しても、なかなかうまくいかないのは必須業務があるからだ。

 人は、できるだけ分散しなければいけない。地域による格差を最小限に留めるのだ。 


 ポイントにはマネーのようなえげつなさはなく、大きな格差は開かない。というのも、1ポイントの価値は西暦2000年頃の1ドル程度で、しかも100を越えたポイントを所有する者は滅多にいない。

 ポイントはシステムによって完璧に管理されており、盗むことも借りることも、利子をつけることもできない。この世界の人々は、ポイントを消費することで必要あるいは必要でない物を購入したり、サービスを受ける。ポイントなど不要だといって、業務をさぼると最低限の食事とサービスで我慢することになる。意地を張って自給自足を試みるなどすれば、施設に収容され、それでも改善の見込みがなければ淘汰、つまり消される。

 2000年頃の世界にたとえると、この世界では100ドル以上の資産格差は存在せず、全く資産がなくてもかなり不自由だが、なんとか生きてゆける。


 ポイントは純粋な労働対価ではない。道を歩いていて、突然、ラッキーポイントがもらえることもある。

 開拓者(システムを開発し、古代資本主義社会を終わらせ、現在の世界を作り出した人々のことをこう呼ぶ)の間で、世界が単調で退屈すぎるという意見があり、ラッキーポイントという遊興が設けられたが、彼ら自身の遊び心から生まれたものだ。


 今回は離れた場所での必須業務なので鉄道を利用するが、通常のほとんどが歩いての移動だ。

 当然、駅までは歩いていく。駅が表示されたマップを左ウォッチに出す。距離は八百メートル。

 歩行者は基本的に道路の端を歩くので、自動車の走行には支障がない。ほとんどの自動車は自動運転だ。好きな場所に移動できるが、必要のない目的で遠出をしようとしても、かなりのポイントを消費するので、普通はあまり利用しない。


 無人運転の自動車は、事故による被害を最小限に抑えるため、高速道路以外の一般道ではかなり低速である。優秀な自動ブレーキがあるのに、人間とぶつかったときのことを想定して、ボディの前後には柔軟な素材でできたバンパーがあり、怪我をするような事故はほとんどおこらない。道の真ん中を歩いても大丈夫ということだ。ただ度を超えた通行妨害は、車に搭載されたカメラでシステムに把握されているので、スピーカーから注意が入る。それでも改めない場合は、スーツが勝手に動いて、道の端に行くことになる。それでもあきらめない場合は施設行き、それでも改善されなければ淘汰される。

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