第7話 北回帰線の街(7)

 PZが客が散らかした店頭の商品を並べ直していたとき、珍しく問題が起きた。

「きゃあ」

 倉庫の清掃をしていた少女が悲鳴をあげた。PZは店の奥に走った。

 倉庫をすばしっこく走り回る動物がいた。


 猿だ。


 搬入口が開けたままだったので、そこから侵入したのだろう。

 PZは猿を追い回したが、倉庫の什器の間を身軽に移動するので、つかまえることができない。

 猿は菓子の入った袋をつかむと、そのまま店の方に逃げていく。

 袋の中に食べ物が入っていることを、どこかで知ったのだろうか。

 PZは、とり逃がすまいと店に駆け込んだ。


「猿だ、猿だ」

 突然の闖入者に客達が慌てている。

 猿は、店頭に食べ物がたくさん並んでいるのを見て、棚の上に飛び乗った。

 彼女も店に来て、掃除で使っていた箒で猿を叩こうとしたが、猿は素早く身をかわす。

 PZは旨い具合に猿の背後に近づき、首根っこをつかもうと手を伸ばした。猿はそれに気づき、彼の手をひっかいた。

「痛い」


「ここは猿の来るところじゃない。出ていけ。」

 客のひとりが、椅子をつかんで振り回した。

 猿は店内を逃げ回る。そして、菓子の入った袋をつかむと、そのまま外に逃げていった。

 椅子をつかんだ客も興奮して、外に出ていった。

 その客が悔しそうな表情で戻ってきた。

「逃げられた」


 何がおかしいのかわからないが、妙に滑稽な気分で、その場の全員が笑った。

 古代にはごく普通の光景でも、学校で猿の写真を見たことがあるだけで、動物園も猿関連グッズもない現代人にとっては、非日常的なドラマになる。

「初めて本物の猿を間近に観たよ」

「思ったよりすばしっこいな」

「もう少しで捕まえられたな」

 猿の出現は、退屈な毎日に活気をもたらした。


 彼女は、店の床に散らばった商品を片づけながら、

「ああ、驚いた。なんで猿が街にいるの」と文句を言った。

「食料が足りなくて、山から下りてきたんだ」

 PZが言った。

「おじさん、手、大丈夫?」

「指から少し血が出ている」

「この絆創膏使ったら?」

 ちょうど彼女は、床に落ちた絆創膏を棚に戻そうとしているところだった。それで、しゃがみこんだ姿勢で、彼のほうに絆創膏を手渡そうとした。


「絆創膏はポイントいるけど、レスキューなら無料だ」

 PZは冗談を言ったつもりだが、彼女は真剣な顔で、

「そんなことでレスキュー呼ぶの面倒じゃない?」と言った。

 客のひとりが、

「野生動物だから、ばい菌持ってるかもしれない。消毒したほうがいい」と言った。

「消毒まで買うのはちょっと」

 といってPZは笑った。絆創膏を彼女から受け取ると、紙袋を破り中身を取り出し、指に巻いた。


「これ、私が買ったことになるの?」

 彼女の疑問は当然だった。レジで会計処理を済ませる前に商品を使ってしまった。壁のカメラは棚から商品をとりあげた人物を認識して、その人物のポイントを減らす仕組みになっている。今回は、棚にあった商品を猿が床に落とし、店員である彼女が怪我をしたPZに直接渡し、PZがそれを使用した。

 システムは猿を管理しない。商品がひとりでに棚から無くなったことになる。

「後でポイント見てみればわかるよ」

 そうPZは言った。

 もしポイントが減らされていなければ、売店の商品をポイントを使わずに手に入れる手段を見つけたことになる。

 それは泥棒だった。

 下手をすれば犯罪者扱いになる。しかし、興味があるので、PZはウォッチで現在の時刻を確認した。


 午後4時25分。棚から商品をとりあげて、レジを通さぬまま四時間経過すればポイントが引かれる。8時25分に自分と彼女のポイントがどうなっているか、確認すれば結果がわかる。

 そこで彼は、彼女の帰り際に、その時刻以降に結果を教えて欲しいと頼み込んだ。

「え~面倒くさい。それって後で会わないといけないじゃん」

 この世界では。人と人が約束して会う習慣がない。

「それなら、結果を書き残して欲しい」

 筆記具はほとんど使用されず販売もされてないので、地面に落書きするのが、情報交換の手段だ。 そのため地面の清掃は落書きを消すことも仕事に含まれる。

「そうだな、ここの裏の地面にでも書いてくれれば」

「やだよ。暗いし、猿がまた出てくるかもしれないし」

「じゃあ、どこならいい?」

「もう暗いから私に宿にいるはず。宿の入り口出たすぐの地面」

「人の出入りが激しいから、踏まれたりして文字が消えないか?」

「文字じゃなく、石を置けばわかるでしょ。石があればポイントが減ってたってこと」

「石がなくても君が忘れたかもしれないじゃないか」

「ああそうか。それなら石を丸く並べたら減ってない。×印なら減ってたってこと」、

「それでいい。ありがとう」

「ちょっと待ってよ。人にものを頼むのにただってことはないよね。ここで今から5ポイント使わせて」

 といって彼女はねだった。


 カフェで3ポイント使って今は6ポイント。今5ポイント使って、ここの仕事で4ポイント増えるから、5ポイントの状態で夕食をとることになる。宿のオプションや明日の朝の分も考えると少しつらいが、

「わかった。仕方がない」といって、彼は譲った。


 彼は、彼女の指示した飲食物を棚からとり、自分でレジ台に載せた。レジ台のセンサーが購入者と購入商品を認識する。これで販売手続きは完了だ。

「ありがとう」

 彼女は、自分の布袋に彼が購入した商品を入れ、そうお礼を言った。それから、布袋を肩から下げ、機嫌よく裏に向かおうとした。

「おごってやったんだから、忘れるなよ」

 彼は言った。

「食い逃げなんてしないよ」

 と彼女は言ったが、まだ食べていなかった。


 PZは八時に次の当番と交替し、食事を後回しにして、彼女から聞いていた宿に向かった。まだ少し早かったので途中の公園に寄った。

 公園にはトレーニングマシンや遊具などはなく、屋根付きベンチと常夜灯、水道以外は実用的なものはない。景観のために、椰子の木が数本植わっているだけの簡素なものだ。

 八時半までそこにいて、ウォッチを見ながら6番目の宿まで向かう。

 目的地に着くと、周囲の建物の看板を見る。

「6……あった。?」

 宿の窓から漏れる光で入り口付近に人がいるのがわかった。

 彼女もPZに気づいた。


「あ、なんだ。今来たんだ。石探さなくてすんだ」

 ちょうど石を探しているところだった。

「これはちょうどいい。で、どうだった?」

 少女はウォッチを見ながら、

「さっき13ポイントで、今8ポイントあって、夕食で5ポイント使ったから、減ってない」

「13もあったのに、人におごらせたのか?」

「13なんてすぐになくなるよ」


 マネーが流通していた古代、彼くらいの歳の男性は、学校を出たばかりの少女と資産を比較するようなことはなかった。それが今では菓子を何袋買えるかを競っているのだ。これが究極の平等社会だった。

 彼女は、彼の言葉に少し心を動かされたのか、

「これ、食べきれないからあげるよ」

 といって、彼のポイントで購入したスナック菓子を差し出した。

「ありがたくもらっておくよ」

 彼は菓子袋を受け取った。


「おじさん、どこ泊まるの?」

 彼は、その日の宿をウォッチで確認しようとした。

 おかしい。今朝必須業務を終えたばかりなのに、また新しい必須業務が出ている。

 鬱陶しい必須業務は後回しにして、宿をチェックした。

 もう八時すぎているのに、宿泊予定の宿が表示されていない。

「まさか。泊まる前に必須業務をしろというのか? 今日は二箇所で働いた。もう勘弁して欲しい」

と彼は言った。宿が出ない理由を、急な仕事が入ったからだと考えたからだ。


 以前にも、逃げ出した家畜を見つけだすため、宿が手配されないことがあった。ただそのときは、午前中働いただけだけで、午後は働かなかったので、さほどきつくはなかった。

「もしかしたら猿狩りか」

 さきほどの猿騒動を思い出した。

 彼は必須業務を調べた。

 その内容を見て無言になった。

「どうしたの?」

 彼女の問いかけに何も答えることができなかった。


 通常は場所と内容が表示されるのだが、今彼が見ている画面には、星印の付いたマップが表示されているだけで説明がない。画面はスクロールできず、それ以外に情報はなかった。

「ここに行けということか。で、どこなんだ?」

 それだけではどこなのかよくわからなかった。

 画面の下のほうに+や-の記号がある。このマップは拡大や縮小ができるということだ。縮小すると、そこが現在地より東に進んだ山岳地帯に近い場所だとわかった。


「何なんだ、これは。一言の説明もない」

 初めてのことに、彼はシステムに文句を言った。

 彼女も、彼のウォッチを覗き込んでいた。

「やっぱりそこに行けってことだよ」

「結構、山のほうになるな」

 星印は、東にかなり進んだ場所にあった。

「行くのはかまわないけど、行って何をするのか何も書いてない」

 彼は不安だった。

「冒険みたいで面白そうじゃない」

 彼女はそう言って笑った。


 彼女のいう冒険とは学校にいた頃、上級生が社会に出る準備のため、数人で一グループを作り、指定の場所に行ってミッションをこなすといった一種の社会見学だ。スーツはまだ着ていないので、大型で文字の見やすい携帯ウォッチを渡される。携帯ウォッチは学校で使う教材だ。本物と使い方は同じだが、一部使えない機能がある。どこかによく置き忘れ、専門の器具で充電する必要がある。


「久しぶりに冒険という言葉を聞いたよ」

「おじさんも昔冒険したんだよね?」

「最初のグループが公園の木の根っこに伝言を書いて、次のグループがそれを見に行った。ところが、最初のグループがインチキして、次のグループにこっそり教えたりした。しかもわざと違う答えだったりした」

 それを聞いて彼女は笑った。

 人の入れ替えが少なく(それでも一人当たり百回以上転校する)、集団生活を送る学校は、地域や時代によって多少の特徴がある。


「私のときは、売店の商品の数を数えて戻って来いって言われた。そのときついでに万引きしたけど、非スーツド(スーツを着ていない者。通常は、社会に出る前の子供のことを指す。ルーラーの意味で使う場合もある)だからばれなかった。そのときはラッキーって思ったけど、非スーツドはシステムにチェックされないって知ってたら、もっととっておくんだった。非スーツドは動物と同じって習ったのにね。ポイント使わなくていいから、猿がうらやましい」

 彼は猿と聞くと、「徹夜で猿狩りか」と嘆いた。

「時間指定ないんだから、仕事は明日にして、休憩所に泊まればいいでしょ」

「早く捕まえるため、宿に泊まれないようにしているから、それはよくない。でも、時間指定のないのは変だな」

「私に5ポイントおごったせい?」

 彼女は、彼が宿に泊まれないのは、ポイントが足りないせいだと思っていた。

「ポイントはまだある。シャワーとかベッドの問題じゃなくて、宿そのものが手配されてなくて入れないんだ」

「泊まれないの? そこに行くまで寝るなってこと?」

 彼女は、ようやく問題を理解した。


「冗談じゃないよ。休憩室だろうがどこだろうが眠る」

「ただそこに行けばいいだけでしょう? そんなに意地張ってないで、今から行けばいいじゃない」

 彼女はついさっき逆のことを主張したのに、PZとのやりとりで意見が変わってしまう。いい加減な性格のようだ。

「必須業務だから、行くのはポイントなしで車に乗れるけど、帰りのポイントが足りない。それに終了時間が決まっていればいいけど、時間指定がないということは、つかまえるまで終わらないということかもしれない」

「システムへの連絡で聞いてみれば?」

 彼女は学校を出たばかりなので、それがほとんど役に立たないということをまだ知らない。

 それでも正論なので、彼はいくつか具体的な質問をした。

 反応はない。

「たぶんというか絶対聞いてない。ルーラーも忙しいからね。忙しいくせに、手間のかかることをしてるのはどうしてだろう」


 その言葉を聞くと、彼女はひらめいた。

「わかった! 泥棒した罰だ。絆創膏盗んだって判断されて、嫌がらせされてるんだ」

「そういうことか……」

 彼も一瞬納得したが、

「いや、絆創膏ひとつでそこまでされることはない。システムの盲点を探ろうとした罰なんだ」


 彼の言葉を分析したシステムが、彼がポイントをつかわず商品を手に入れようとしたと判断し、罰を与えた?

 彼の推測が正しいとすると、ちょっとやそっとの罰ではない。

「君が、『私が買ったことになるの?』なんて聞くから、システムにこちらの意図をしられてしまった。なんてことをしてしまったんだ」

 彼は悔やんだ。

「私のせい?」

「いや、君は当たり前のことを質問しただけだ。それを僕が悪用したのがいけなかった」

 彼女は、彼が自分のせいで困っているので、

「私も猿狩りに行くよ。帰りの車は私のポイント使っていいから」と提案した。

 古代では若い女性が、よく知らない男と二人だけで行動することはある種の危険が伴った。レイプされる危険性がなく、犯罪自体が希な世界では、人を警戒する習慣自体が失せていた。

「それは悪い。僕ひとりで行くしかない」

「一人で捕まえられるの?」

「二人でも難しい」

 背に腹は代えられない。PZは彼女の好意に甘えることにした。

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