第3話 北回帰線の街(3)

 列車が近づくと、ベルの音が流れる。上りと下りで音は異なる。上りとは、ルーラーの住む首都に近いほうに向かうことで、下りはその逆だ。だが、今では誰もその意味をしらない。

 ルーラーとは支配階層のことだ。世界のどこかで集団で暮らし、システムを都合よく操作し、この世界を操っているらしい。そのように言われているが、ルーラーに会ったという者はいない。学校で正式に教わったわけでもなく、うわさ話の類かもしれない。

 ルーラーはスーツではなく、布製の服を着ていると言われる。それで、被支配層のことをスーツド(SUITED:発音的にはスーティッドのほうが近い)と呼ぶことがある。スーツを着た、という意味だ。


 業務のため鉄道を利用するよう指示があった場合、運賃ポイントは不要だ。業務以外で鉄道を利用することなどまずない。

 業務以外で鉄道を利用する場合、隣の駅まで1ポイントが相場だ。

 ポイントを使ってまで、鉄道を利用しようとする者は少ないので、駅も列車内も乗客で混雑することはまずない。

 この世界に混乱はない。全てシステムが調整している。人口も、生産も流通も、常に最適な状態に保たれている。


 売店には店員がいるのに、駅には駅員がいない。改札口もないので、乗客は勝手に入って、勝手に降りるのだ。


 今、何年何月何日なのか誰も知らない。被支配階層はそんなことを知る必要はない。人と会う約束をすることはない。だから、列車の時刻など誰も気にしない。

 それ以前に暦がない。秒、分、日という単位は知っているが、週、月、年という言葉は使用されていない。スーツに温度調節機能があり、気候の異なる地域に移動を続けるので、四季という概念が弱いのだ。


 ベルの音が鳴った。列車が来たようだ。彼らはホームに行く。三輌編成だ。どの車輌も同じ型式の同じ鼠色だ。大量生産でコストを下げるためであり、多様な車種が必要ないからでもある。

 正確な位置に列車が停車し、ドアが開く。列車に搭載されたカメラが、乗り降りを監視していて、最適なドアの開閉を司っている。

 何人か降りた。彼は乗った。座席は両側にあり、乗客は中央を向く。座席は常に空きがあり、満席になることはない。同じ列車に定員以上乗らないようにシステムは調整する。次の列車にしろ、駅に入るな、駅に向かうな、仕事をキャンセルしろ、など程度によって様々だ。


 彼は座った。

 車内はカメラで監視されている。列車だけではない。街中至る所にカメラがある。列車の先頭にもカメラがあり、線路に人間がいないかチェックしながら走っている。

 車内には吊り広告もなく殺風景だ。

 列車が動き出した。

 列車の中ではくつろげる。必須業務に伴うシステムの指示で乗ったので、どこで降りるか気にする必要はない。降りる駅が近づいたら、肩のスピーカーが教えてくれる。荷物もないので、車内に何かを置き忘れることはない。

 車内放送は基本的にない。あっても使い回しの音声データを流すだけだ。


 街の造りは世界共通でどこも似ているが、耕作地は地域によって特徴がある。この辺りは稲作が豊富で、田圃が多い。地域という概念がないので、車窓から外の景色を眺る者は少ない。


 列車は自動運転だが、万が一のときは手動で操作する。運転席もあり、運転手が控えている。基本的に運転手はすることがない。必要なときはシステムが起こしてくれるので、居眠りしていてもかまわない。不審者もおらず、喧嘩もめったにないので車掌はいない。

 列車の運転は講習を受けなければいけない。講習を受けるのにもポイントがいる。資格を必要とするわりには運転手の獲得ポイントは低い。


 次の駅「S232612029」に着いた。何名か降り、同じ程度乗る。

 その次の駅「S232612030」が近づく。

 彼が降りる駅だ。どの駅で降りるか、駅名を気にする必要はない。肩のスピーカーが、「次の駅で降りてください」と案内している。彼は機械的に立ち上がり、駅のホームに降りた。


 初めて来る駅なのか、これまでに来たことがあるのかわからない。ここがどこなのか気にすることもない。確かなのは、世界のどこかだということだ。


 人々は皆同じような姿形をしている。長身の男性と小柄な女性といったように、容姿や体格が均等化するよう、両親が組み合わされた結果だ。食事で調整もする。小柄な体格の子どもは食事を多く与えられ、身体の大きい子どもは腹をすかせることになる。それでもどうしても小さい者や大きい者が現れる。大人になった時点で、4フィート10インチ以下と、6フィート2インチ以上の場合は淘汰される。

 古代にはアフリカ系黒色人種やヨーロッパ系白色人種といった人種の違いがあった。システムによる統治が始まっておよそ百年で全ての人種が混ざり合い、人種差別は地上から消え失せた。

 全人種が均等に混じり合った結果、人々の顔は、古代におけるインド人と東南アジア人の中間のような容姿になった。

 一応、知能の均質化も考慮されているが、体格のように見た目でわからないので、優先順位は低い。それにどんなに高知能に生まれても、それを生かせる環境がない。反対によほどの愚鈍でも、この世界では問題なく生きていける。なにしろ自分の頭で考える必要がないのだから。


 知識の均質化はかなりうまくいっている。余計なことは知らなくていい。知ってはいけない。

 全ての人々は英語を話すが、5000語程度の単語しか使わずに一生を終える。

小説、詩、論文などに限らず、書物の類はない。

 宿にある大型画面で古代の映像を見たか見ないかで、知識に差がつく可能性がある。特に検閲などしておらず、白人や黒人など消え去った人種が出演しているものもある。ただし、映画などはかなりのポイントが必要なので、利用する者は少数だ。大抵は食事のオプション、売店の菓子やカフェのゲームなどで使ってしまう。


 ウォッチの必須業務を見ると目的地への案内が表示されている。駅から職場までは徒歩五分。

たぶん、初めて行く場所だ。大抵の職場は初めてだ。でも、職業がないこの世界の人間でも、似たような傾向の職務を選ぶ傾向があるので、することは一緒の場合が多い。自分に向いていて慣れていることをするほうが楽だから、どうしてもそうなってしまう。

 必須業務の役割の一つに、職務選択の偏りを修正することがある。ホワイトカラー的な選択が多いと、ブルーカラー的な必須が入る。


 今回、PZに工場での作業という必須業務が入ったのは、最近売店の仕事ばかり選んでいて、工場作業を避けてきたからだ。工場作業は2ポイントのことが多く、売店は通常1ポイントだ。

売店業務は、古代の小売業と違い、接客というものがほとんどない。決まり切った少品種のものしか置いてないので、商品知識も不要だ。店に誰か来ても、「いらっしゃいませ」という挨拶ひとつ言わない。

 完全自動発注で在庫管理はシステムで行い、クレームもトラブルも起きない。電話での問い合わせもない。


 店員の主な仕事は、店内清掃と商品の荷受け、商品を棚に並べる、の三つだ。

会計は、レジカウンターの台に客が商品を置くだけで済む。

 要するに、売店の仕事は簡単で楽なのだ。忙しくて仕方がないという状況にはまずならない。この世界ではある程度のスキルを必要とする職務はあるが、忙しくて猫の手も借りたいということは基本的にない。


 PZも、若い頃は菓子などを食べるために工場作業をいとわなかったが、歳をとってきて食欲も衰え、それほど何かが欲しいということがなくなった。ポイントを多く稼ごうという動機が失せれば、当然、楽な仕事のほうを選ぶ。

 この世界では、働くことに誇りや生き甲斐を感じることはない。資本もなければ企業もない。営利目的で何かが行われるということはない。

 努力しても報われない。そもそも努力する対象がない。働きすぎると、ウォッチの選択業務に仕事が入らなくなる。

 自分が何者かという自覚がない。

 誰もが同じだ。同じジャンパー姿の褐色のホモサピエンス。それ以外の何者でもない。


 工場の仕事が始まるまであと一時間以上あるので、駅の近くの理容店に入った。

 彼は、五日に一度くらいのペースで理容店に行く。自分で決めたわけではなく、そう指示が入るからだ。個人差はあるが男は少なくとも十日に一度はウォッチの連絡欄に指示が出る。髭が伸びるからだ。髭は毎回剃るが、電気バリカンで頭を刈るのは一月に一度だ。

 古代では自分で髭を剃るのが一般的だったが、鏡のない世界では他人の手に任せるしかない。鏡がないので、仕上がり具合も判断できない。

 人種の違いもなく、遺伝子レベルで体格を揃え、服は一パターン、自分の姿は見ない。人間は自分の容姿を意識することがない。

 予約は入れない。たとえ混んでいてもあまり待つこともない。

 髭を剃るか、バリカンで坊主頭にするだけなので、時間はかからず、作業は早い。

 六席あったが、店員は四人しかいない。客は三人だ。それで、彼はすぐに古代の床屋と同じように、背もたれの倒れる椅子に座った。

 時間に余裕があるので、散髪も頼んだ。その場合、髪を洗い流すが、十分ほどで終わる。

電気バリカンは誰でも使える。床屋の主な仕事は散髪ではなく、客のスーツや床に落ちた髪の掃除だ。

 ポイントは不要だが、店の入り口に入退を管理する受付台がある。床屋に限らず、大抵の施設には受付台がある。客は受付台を意識しなくていいが、働く側は受付台の画面に出る情報を見る必要がある。そこに勤務時間や業務内容が表示される。 


 さっぱりしたので、理容店を出て街を歩く。

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