第17話 解明 ――その②
「ドクター神谷要女・・・そいつは、BCLの所長だ。」
鉄真が明かした事実は、しばらく僕の脳に受け入れられないまま頭蓋で反響を続けた。
要女先生が、所長・・・?
・・・馬鹿な、そんな・・・え・・・?
だって先生は、昔の研究で医師免許を剥奪されて、裏の世界で生きる道しか・・・
いや、むしろ、だからこそ、じゃないのか?
今まで気付かなかったことのほうがおかしいのかもしれない。地下組織が抱える研究者としてこれほどの適材はそうそういないだろう。所長とまでは想像つかなかったとしても、何らかの関わりがあると考えるのは、今思えば当然という気がする。
要女先生の現状は、隠居生活などではなかった。住む世界は変われども、要女先生は今も研究者として第一線に居座り続けているのだ。
「おい、どういうことだ?所長、あんたがどうしてここに・・・」
「話は後にしましょう、それより・・・」
鉄真の問いを、要女先生が遮る。表情にはいつの間にかピリッとした緊張感が漂っていた。
「龍輔くん、すぐに手術室に移動して!銃創の検査と手当をするから。」
要女先生の厳しい視線は、何故か僕に向けられている。
「え・・・ま、待ってください!僕は大丈夫ですから、今はこの娘のことを・・・」
「腹部を撃ち抜かれてるのよ!?大丈夫なワケないでしょ!」
「弾丸は貫通してますし、出血も少ないですし・・・」
「素人判断で怪我を甘く見ないで。腸を傷つけてたら感染症起こす可能性があるし、弾丸の破片が臓器に食い込んでるかもしれない・・・負傷直後は大したことないと感じていても時間が経ってから容体が急変したなんて事例はいくらでもあるのよ?」
要女先生の剣幕に圧されそうになるが、僕も引いてはいられない。
「でも・・・この娘が先ですっ!この子のほうが危険な状態なのは明白じゃないですかっ!」
僕の隣にある、唇を震わせ今にも心が擦り切れてしまいそうな顔をした芹花さん。
このまま、この少女まで失ってしまったら、芹花さんはもう・・・
「ダメよ」
「・・・っ!なんでっ!」
言い返そうとする僕の両肩に手を置き、僕の目を見据える要女先生。
「あなたは、特別なのよ。」
・・・特別?
何だそれ?
「何ですかそれっ!特別とか何とか、命の重さに差でもあるって言うんですか!」
「あるに決まってるじゃない。」
平然と断言してのける要女先生に呆気に取られ、僕は次の言葉を継げなかった。
「今回の保護作戦も、この施設での治療許可も、あなたの我儘をどうして何度も聞いてあげてると思ってるの?あなたにそれだけの価値があるからよ。」
要女先生は厳しい表情でそう言い放つと、不意に頬を緩めて諭すような論を続けた。
「命の価値ってのはね、平等じゃないの。」
学校では習わなかった倫理だ。だけどそれは、とっくに気付いていた筈の事実。ずっと知っていて、目を逸らし続けていた事実だ。
世の中に平等なんてない。持てる者は生まれつき持っていて、持たざる者は理不尽な我慢を強いられる。
僕はそれを身をもって知っていた。いや、世界を見渡せば僕の境遇なんて可愛いものだ。
世の中には努力の機会も抵抗の余地もなく、無残に失われていく命などいくらでもある。
よく言う“普通の一日”なんて、幸運にも豊かな国に生きることを許されたごく一部の人間の贅沢でしかないのだ。
「あなたの自由は、あなたの価値に応じて与えられたものよ。あまり無茶が過ぎて組織の利益を損ね、それがあなたの価値と釣り合わなくなれば、組織はあなたの我儘を聞く以外の方法を採らないといけなくなる。」
脅しにしか聞こえない要女先生の言葉。
「自分の価値をよく見定めて、うまく立ち回ることね。」
しかし一方で、極めて重要な示唆を含んだ忠告のようにも感じられた。
何が正しいとか、そんな拘りはいい加減捨てなきゃ駄目なんだ。こんな僕に価値があるっていうなら、それを最大限利用することを覚えなきゃいけない。
「・・・この娘を今すぐ治療するなら、僕も治療を受けます。」
「逆よ。あなたが今すぐ治療を受けるなら、その娘も助けてあげる。」
「・・・」
もはやこれ以上の問答は無意味に思えてくる。この娘が早く治療を受けられるようにするには僕が従うのが結局一番早いのかもしれない。傍らから縋るような視線を送ってくる芹花さんが、消え入りそうな声で「龍・・・」とだけ呟くのが聞こえた。
要女先生はそんな僕らの様子に1つ溜息を吐くと、やれやれといった感じで肩を竦めた。
「別にその娘を何時間も放っておこうってわけじゃないの。2組の手術くらい一緒に進められるだけのスタッフを奥に待機させてるから、あなたさえさっさと動いてくれればその娘の治療もすぐに始められるのよ。」
「そっ、それならそうと最初からっ・・・!」
「ごめんなさいね。でも確認しておきたかったの。私たちにとっての優先順位をね。」
僕の非難をさらりと受け流す要女先生に悪びれる様子はない。
「さあ、行きましょう。」
「・・・はい。」
言い返す言葉もなく僕はその背についていく。
「・・・りうっち、無理しないで、所長の言うこと聞いてしっかり治してね。」
後ろから掛かった声に振り返ると、ひょこひょこと足を引き摺って付いてくる水那方さんが目に入った。
「あのっ、要女先生!水那方さんの治療は・・・」
「少し待ってもらうけど、追加のスタッフが到着次第すぐに治療するから。・・・って、水那方さん!その足でちょこちょこ歩き回ってないで座ってなさい!」
「私は大丈夫だよっ!ほらこんなの大したことないって!・・・いつっ!」
強がってはいるが、水那方さんは明らかに無理をしてる。
その傍らに立つ鉄真が、冷めた目で呆れたように口を開いた。
「そうやって意地を張って足が使えなくなれば、体術しか取り柄のないお前の価値はゼロだ。受けられるときに適切な処置を受けるという基本もできてないガキはいなくなってくれたほうがマシだがな。」
「なにを――っ!鉄真だっていっつも無茶ばっかじゃん!」
「俺は任務遂行上最も確率の高い選択をしてるだけだ。頭の足りないお前の無鉄砲とはワケが違う。」
「・・・ぐっ・・・」
「分かったらウロチョロしてないでさっさとそこの長椅子に座れ。包帯替えるぞ。」
しぶしぶといった感じで鉄真に従う水那方さん。
これはこれで思いの外いい感じのコンビにも思えてくる。
水那方さんを大人しくさせた上に手当までしようなんて、鉄真にも意外と面倒見のいいところがあるということか。
「さ、急ぎなさい。芹花さんはそっちの治療室にその娘を運んで。中で槇島先生が準備を整えてるから。龍輔クンはもうちょっと先まで付いてきて。」
僕が通された病室には、水色の手術服に全身を包んだスタッフが待ち構えていた。
「まずはこれに着替えて、それからそこに仰向けに横になって。とりあえずはCTスキャンよ。傷の内部を確認してから治療の手順を決めるから。」
上着を脱ぎ、シャツを脱ごうとしたとき、布擦れによって呼び起こされた痛みが脇腹を走り抜けた。
「・・・ぐうっ!」
痛み、というか、体内をナイフが突き抜けたような異様な感覚に、思わず身を屈めてしまう。
「緊張が解けてアドレナリンが切れてきたようね。もうちょっとだけ我慢なさい。CT撮ったら麻酔してあげるから。」
検査着を身に纏うのも恐る恐るにならざるを得ない。
CTスキャナ台に仰向けに寝そべった瞬間、今度は背中から電気のような刺激が突き抜けた。
異物がこの体を貫いたという現実を今更になってまざまざと思い知らされる。
僕は本当に大丈夫なのだろうか、思ったより事態はずっと深刻なのではないか・・・
不意に頭をもたげた言いようのない不安が、むくむくと急速に立ち昇ってくる。
僕を載せたまま、台はゆっくりとドーナツ状の装置に吸い込まれていく。
どくん、どくん・・・
胸の鼓動と脇腹の疼痛が、妙な同期を保って体内を揺さぶる。
たった2分ほどの検査の筈なのにやたらと長い時間に感じられた。
「ふむ・・・」
鋭い視線をモニターに送る要女先生。
その唇から診断結果が発せられるのを待つ僕に、できるのは祈ることだけだった。
「損傷はほとんど腹斜筋だけのようね。腹腔を通ったかはギリギリのところみたいだし、内臓の損傷も否定できないから開腹はするけど・・・」
要女先生の言葉だけでは、医学に明るくない僕に怪我の軽重の判断はつかない。
だが、それでも、先生の和らいだ口調に僕の不安は少しずつ溶かされていった。
「出血も少ないし、基本的には洗浄消毒と射入射出口の縫合で済みそう。なかなかの強運ね、白峰くん。日頃の行いの良さかしら。」
要女先生の零した笑みを見て、僕はなんだか涙が出そうだった。
よかった、今度も無事に済んだ。僕はまだ生きていられる・・・
組織に入って危機を経験するたび、自分がどれだけ生きたがっていたのかに気付かされる。
組織に入る前の、かつての僕の生が希薄だったのは、死が希薄だったからなのだろうか。
納得できる理屈ではある。
でも、それでは説明がつかないことも残されていた。
生を欲する僕とは真逆の僕が、今も確かに存在する。
こうして安堵を噛みしめている自分とどうしても整合のつかない、矛盾したそれに、僕は合点のいく答えを与えられずにいた。
「さて、それじゃそっちのベッドに移動して、このマスク付けてもらうから。」
言われるがままにベッドのほうに横たわると、スタッフの1人が僕の口に透明なプラスチックの管付きマスクを当てがった。
「そのまま、頭の中でゆっくりと数を数えてください。はいどうぞ、1、2、3・・・」
眠気とはまた違った感覚で、ごく自然に意識が遠のいていく。
これでようやく終わりだ。
目が覚めた時には、きっと全部丸く収まっている筈だ。
芹花さんに、あの少女・・・不安材料が山積みなのは認識しているが、全てが快方に向かうに違いない。
今までもそうだった、ここのところ破綻スレスレの危機的状況が立て続けだったが、結局はどれもどうにかなったじゃないか。
これはもういわゆる“持ってる”というやつなんじゃないか?
強運・・・そう、強運だ。僕は自分の持っている運をもっと信じてもいいのかもしれない。
運勢がどうのといったオカルトは信じない主義なのだが、たまにはそんな迷信に心を委ねてみるのも悪くはない。
何より、難しいことにごちゃごちゃと懸念を巡らす余力は、僕の頭にもはや残されていなかった。
7、8、9・・・
大丈夫だ、問題ない・・・
心地よい平安に満たされながら、僕の思考は闇の中へと溶けていった。
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