第3話 不知 ――その②
ドスン、と鈍い衝撃音が響いたかと思うと、壁に体を打ちつけたらしい鉄真がそのままずり落ちそうになるのを必死に堪えている姿が目に入った。
一方の鴉は、まるで何事も無かったかのように、その傍らに平然と佇んでいる。
強烈な違和感が僕を襲った。
つい数瞬前まで、鴉は完全に追い詰められていた筈だ。
もはや万策尽きて鉄真の圧力に蹂躙されるのを待つのみだった筈なのだ。
しかし実際にはダメージを受けたのは鉄真のほうであり、鴉はいつの間にか立ち位置を変えて楽々と難を逃れている。
・・・瞬間移動?
いや、違う。何だろう、このモヤモヤした感じは。
「こればっかりは俺にも解説しようがない。何が起こっているのかさっぱりだからね。同じサイトのキミなら何か分かったりするのかい?」
「い、いえ、全然。」
そう答えつつ、僕の脳裏には鴉と出会った時のことが蘇っていた。
ミルクを注がれたにも関わらず、キャラメル色に染まることなく黒々とあり続けたコーヒー。
どこか歯車がかみ合っていないようなこの奇妙な感じは、あの時味わった感覚と同質のものだ。
「・・・ちっ。」
すぐさま体勢を立て直して再び鴉と正面から対峙する鉄真。しかしその闘志には目に見えて翳りがあった。
「時間切れだよ、マー。鬼ごっこはこれでおしまいだ。」
不承不承ながらも鉄真はその声に従い、鴉の前から引き下がる。
鴉は僕のほうに振り返り、にっこり笑い掛けてきた。
「どう?」
いや、どうと言われても、圧倒されて何が何だか分からない。
「えっと、す、凄いね。」
「龍さんにも出来るよ。だって、龍さんもサイトだもん。」
開いた両手に目を落とす鴉。
「ぼくらはこの“力”がなければただの子供さ。戦いの場に出ても単なる役立たずだ。でもね、この力を磨けば神にだってなれる。
そうだよ、龍さんだって、神になれる資質を持ってるんだ。」
たった今奇跡を目の当たりにした僕には、鴉の言葉を大言壮語と笑い飛ばすことはできなかった。
(無理だよ。できっこない、こんなの・・・)
そう思いつつも、体の奥底からじわじわと熱が昇ってくる。
(本当に・・・?僕にも?)
そうだ、僕がここに来たのは銃を習うためでも、格闘技を習うためでもない。
“力”だ。
僕にはこの“力”しかないと悟ったからこそ、それまでの生活を捨てて鴉に縋ったんだ。
今、目の前で鴉が示したのは、この“力”の無限の可能性だ。
本当に、僕も鴉みたいになれるのだろうか・・・
彫刻のような無色の笑みを向けてくる鴉。
その人間離れした雰囲気に、僕は胸の高鳴りが全身を支配していくのを感じていた。
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自分とは何なのか
何が出来て、何が出来ないのか
人と比べてどうか
僕の身体は、頭脳は、僕がこの世界において意義のある存在と認められるべき特長を、僅かでも備えているのだろうか
答えはもう分かっている 分かり切っているんだ
自分がどれほど無能で、愚鈍で、無価値であるかなんて、既に知っている
だけど、それでも、外部の物差しで自分を測られることが、僕には怖い
自分を確定されてしまうことが怖い
要するに、僕は僅かでも浸れる幻想を残しておきたいんだ
まだできる 本気じゃない 可能性を試していないだけ・・・そんな言い訳が、僕には必要なんだ
都合のいい寝物語だと知りつつも、必要なんだ
僕の全てが暴かれたとき、本当に僕には何にも無くなってしまうから
僕が存在する理由が、無くなってしまうから
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体術修練場から引き上げ、僕は診察測定室へと向かっていた。
携帯に入っていたスケジュールの説明を読む限りでは、そこで僕の生体データを定期的に収集することになっているらしい。
こういう辺り、研究施設にいるのだということを改めて認識させられる。
しかし、一方で、研究施設にいることを忘れかけていた自分が意外でもあった。
理由の1つに、この施設の特異性が挙げられるだろう。
ここに来てから今まで、研究員の類には1人も巡り会っていない。アレクさんによれば、この区画に常時滞在しているのは、僕を含めたイグザミニーズ8人と櫻井さん、それにまだ顔を合わせたことは無いけれども専属の料理人が1人いて、総勢ではその9人だけだそうだ。
僕らが自由に行動できるのは一番下のエントランスから地下13階まで。12階より上は研究区と呼ばれていて、互いに行き来が制限されている。
僕らが研究区に行くには申請が必要で、それなりに理由が無ければ許可が下りないらしい。
それでどうやって研究ができるのかと疑問になるところだが、ここでの研究は徹底した低干渉を掲げているらしい。
すなわち、可視光カメラ、サーモグラフィ、録音機等、諸々の測定機器が僕らから分からないように配置されていて、データ収集はこれらの機器による“非干渉型測定”と、これから向かう診察測定室での“干渉型測定”の両面から行われるとのことだ。
その上で“干渉型測定”の回数を減らし、なるべく自然な状態でのデータを取得したいという考えらしい。
常に見られているということを意識するとかなり気持ち悪いが、トイレや各人の居室にはこれら機器が配置されないことが約束されているので、居室に篭ればとりあえず一息吐くことができる。
そうは言っても結局は色々と気になって普段通りに行動など出来ないのではないかと思っていたが、実際、もう既に監視されているのを忘れかけていることを考えれば、この方法はそれなりに効果をあげていると言えるかもしれない。
「とりゃーっ!必殺九文半キーーーック!!」
「おわっ!!」
物思いに耽っていると、突然背中に衝撃が走り、僕はたまらず床に突っ伏した。
「ありゃ、勢い付け過ぎたか。おーい、りうっち、大丈夫?」
聞こえてきたのは少女の声。僕を“りうっち”と呼ぶのは1人しかいない。
「だ、大丈夫じゃないよ!いきなり蹴らないでよ!」
苦笑する水那方さんの顔には、反省の色などまるで窺えなかった。
「もー、そんなに怒らなくたっていいでしょ?これくらいの小突きあいは男同士の挨拶みたいなもんじゃない!」
そっちは女の子だろ!・・・そう突っ込もうとして、僕は慌てて言葉を飲み込んだ。
男?・・・男・・・?
そうだ、僕は何も水那方さんの身体を見た訳じゃない。
女の子だと思っていたのが、僕の早とちりだったのか?
確かに、ボーイッシュだなと感じてはいた。思えば“皐月”という名前だって、別に男性に付けられていたとしても、珍しくはあるが有り得ないことも無い。
ということは、つまり・・・水那方さんは、本当に・・・
黙り込んだ僕を見て、水那方さんが急に泣きそうな表情になった。
「・・・あれ?・・・あれ?“お前は女だろ”ってツッコミは?
まさかホントに私が男に見えたってことは無いよね?ね?ね?」
あ、やっぱり冗談だったのか。
・・・どうしよう、僕が真に受けかけたせいで何やら水那方さんが傷付いてしまったうようだ。
「い、いや、そんな事は無いけど、その・・・万が一ってこともあるし・・・」
「うがぁーーーーっ!!万が一ってなんだーーーーーー!!!!」
水那方さんはどこぞの暗殺拳の如く手刀を連打で突き刺してきた。
「いたっ!いたたっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「許すかぁっ!乙女の純心を踏みにじった罰だっ!ほあたたたたたたた!!」
断じて言うが、これは乙女の繰り出す技ではない。
「いたっ!やめっ!やめてって!参った!参ったからっ!」
尖った指先が雨あられと降り掛かり、時折脇腹にまで襲い掛かってくるものだから痛くすぐったくて堪らない。
「ちょっと!何やってるのさっちゃん!お兄ちゃんを苛めないでよ!」
割り込んできた救いの声に僕はほっと息を吐いた。僕を“お兄ちゃん”と呼ぶのはこれまた1人しかいない。
「
いや、そんなことは言った覚えが無い。というか、そもそも僕が勘違いしかけたのは水那方さんの冗談が原因なのだから、僕だけ一方的に非難されるのは理不尽な気もする。
多分に誇張された訴えを聞いて、玲香ちゃんがポツリと呟いた。
「・・・えっ?さっちゃんって女の子だったの?」
「うわぁぁぁぁん!れいちゃんまで苛める~~~~!!」
しれっとトドメをさすこの娘は想像以上にS気質なのかもしれない。
「もう、冗談だって。そんなに納得がいかないなら証明してあげればいいじゃない。さっちゃんが女の子だってこと。」
「ん?証明?」
首を傾げる水那方さん。得意げな玲香ちゃんの笑みに何だか嫌な予感が走る。
「さっちゃんもお兄ちゃんと一緒にお風呂入ろうよ!ちゃんと女の子らしいとこ見せればお兄ちゃんも認めてくれるよ!」
(・・・お風呂??・・・って、えぇぇ~~~~~~!!??)
「玲香も昨日はお兄ちゃんと一緒にお風呂入ったんだよ!」
「へ~~~!れいちゃん大胆~~~~!」
「ふふん、玲香の身体でお兄ちゃんが知らないところなんて1つも無いんだから。」
「な、何言ってるんだよ!大体、玲香ちゃんは、その・・・タオル巻いてたじゃないか!」
このまま黙っていると無茶苦茶に歪められた認識が出来上がってしまいそうだったので、僕は思わず口を挟んだ。
「え~~、お兄ちゃんわがままだなぁ。分かったよ、今度はちゃんとタオル取るから。そもそもお兄ちゃんが自分だけ体洗ってもらっておいてすぐに上がるのがいけないんでしょ?今日は玲香も洗ってもらうんだからね!」
「そういう問題じゃな~~~~い!!」
堪らず大声を上げた僕に、玲香ちゃんと水那方さんは目を丸くした。
「もう分かったから!水那方さんは充分女の子に見えるから!だから一緒にお風呂なんて話はナシ!分かった?」
「へへ~ん、残念だったねさっちゃん。さっちゃんは一緒にお風呂入ったらダメだって。」
「だ~~~っ!だからっ!玲香ちゃんもダメだって言ってるの!」
「え~~~っ!お兄ちゃんのケチ~~~!!」
ケチとかそういう話ではない。玲香ちゃんは涼子ちゃんと2歳差ということらしいから、学年的にはもう中学2年生の筈だ。それなりの恥じらいというものがあって当然なのではないか?
(いや、待て待て・・・)
つい勘違いしてしまうが、彼女は涼子ちゃんの姉だ。妹ではない。
それなら、涼子ちゃんより2歳“年上”ということになる訳で、ということは、つまり・・・
(・・・高校・・・3年生・・・?)
最早、冗談としか思えない。頭が痛くなりそうだ。
「ところで、りうっちはどこに向かってるの?」
水那方さんが話題を変えてそう訊いてきたので、僕はようやくこの流れを断ち切れるチャンスと思い乗っかった。
「ん、ああ、診察測定室だよ。」
「なるほどね~、りうっちこれから定期測定か。」
「うん、そうらしいんだけど・・・定期測定って何するの?」
「んっとね、だ~~っと走ったり、ぴょ~んと跳んだり、じ~~っとしてたり。」
分かりやすい説明に涙が出てくる。まあだけど、学校でもやっている体力測定みたいなものかなとは想像できた。
「結果出たらすぐに教えてね!勝負だよ!りうっち!」
勝負?勝負ってどういうことだろう?
「さっちゃんって凄いんだよ!身体能力の総合ポイントがマーくんに次いで2番目なんだから!」
玲香ちゃんが横からそう説明を挟む。マーくんというのは鉄真のことだろうか。ということは・・・
「えっ!?それって、アレクさんや狩谷くんより上ってこと?」
ふふん、と鼻を鳴らして胸を張る水那方さん。こんな小さな身体に男性にも勝る能力が秘められているなんて俄かには信じ切れない。
そういえばさっきの修練で最初に鉄真の相手を務めていたのは水那方さんだった気がする。あれはミスマッチでも何でもなく、妥当な組み合わせだったということか。
(それにしても・・・)
僕は小さく息を吐いた。
これから行われる定期測定とやらは、成績が点数化され、順位まで出るものらしい。
正直、気が重い。
ここでの僕は、サイトであるということもあって、それなりに注目を受けているように思う。
しかし、この定期測定の結果が悪ければその眼差しが失望に変わるのだろうかと想像すると、恐ろしくもなる。
そう、ここは研究施設なのだ。いつまでもサイトというベールに隠れ続けることなど、できはしないのだろう。
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