第3話 不知 ――その③
診察測定室に入ると、中は一見まるでスポーツジムだった。
ルームランナーなどの様々なトレーニング器具が所狭しと並んでいる。
指示通り来てみたものの何をしていいやら分からず途方に暮れていると、ポーンという電子音と共に壁掛けディスプレイに映像が映し出された。
「白峰龍輔さんですね。初めまして、私はBCL室長代理の
「あ、はい、初めまして。」
画面に現れたのは、清潔感のある白衣の男性だ。
綺麗に七三に分けられた髪が几帳面な性格を窺わせる。歳はアレクさんより少し上くらいだろう。室長代理という肩書きから受ける印象からするとかなり若く感じられる。
「早速ですが、測定を始めさせていただきます。白峰さんには修練着のままで来ていただいておりますので、まずは体力測定から入ります。次に、検診服に着替えていただいて、メディカルチェックと脳電位測定を行います。後は、30分ほどの問診を受けていただけばそれで終了です。」
槇島さんの誘導に従い、僕は様々な測定をこなしていった。
5分間走や垂直跳び、前屈、上体反らし、踏み台昇降など、最初はまさに学校の体力測定そのものだった。
ただ、それを実施するための器具はやたらと先進的で、指定された場所に腕を置いたり体を押し付けたりすると勝手にベルトが巻きつき、そこから何やらデータを取っているようだった。
それらが終わると、今度はメディカルチェック。
検診着に着がえて奥の小部屋に入ると仰々しい装置に覆われたベッドがあり、様々な測定がそこに寝たままで行われていく。
視力、聴力、身長、体重・・・果てにはそのままMRIスキャンまで実施された。
そして、次は脳電位検査だ。
案内されたのはがらんどうの部屋。中央にぽつんと置かれている椅子に座ると、ヘルメットがスライドしてきて僕の頭をすっぽり覆った。
そのままの状態で、目の前のスクリーンに様々な映像が映し出された。空を飛ぶ鳥、都会の人ごみ、難民キャンプの様子など、内容は多岐に渡った。
映像が終了すると、ヘルメット内蔵のスピーカー越しにこう指示が出された。
「それでは、白峰さん。あなたの“力”を使っていただけますか?現在この診察測定室内に白峰さん以外の人はおりませんから、なるべく最大限でお願いします。」
こんな要求があるだろうとは思っていた。ここが“力”を研究する施設ということであれば、それを測定しない訳が無い。
ただ、測定できるということは、それなりに“力”の正体が分かっている裏返しであるようにも思える。まあ、“力”そのものを測定できているのか、それとも“力”を使っている者の心身状態をセンシングするだけなのかによっても違ってくるだろうが・・・
最大限と言うからには“サイト”を使えということなのだろう。しかし、あまり気軽にサイトを使うのはどうも釈然としない。
とは言っても、今はサイトを使っても誰も傷付けることが無いと思えば、むしろこれまでで最もサイトを使うのに適した環境にあると言えるのかもしれない。
腹を括って、僕は目を閉じた。
意識を集中し、浜辺の様子を思い浮かべる。
見られている。データを取られている・・・そんな状況で集中するのは結構難しいものだったが、それでも徐々に心が渚の風景へと溶け込んでいった。
よせては かえし またよせて・・・
それでいて 海はただ青く おだやかで
この海は、どこの海なのだろう。
僕は、どこにいるのだろう。
広大な海原に揺蕩いながら、僕は自分の位置を問う。
昼とも夜ともつかない、安寧とも虚脱ともつかない、そんな場所。
汚らしい肉が、剥き出しの魂が、寄る波返す波に削られ、削られていく。
恐怖のような恍惚が、渦巻き、交じり合い、乱れ、広がる。
ここは、どこなのだろう。
僕は、どこに在るのだろう。
無慈悲な自己の壁は決壊し、僕は世界と1つになる。
同じくして、際限なく薄れゆく個の意識は、
やがて、深い碧へと同化して・・・
「・・・さん!大丈夫ですか?白峰さん!大丈夫ですか?」
事務的ではあるもののやや緊張を帯びた声に意識を引き戻され、僕は目を開いた。
「あ、はい、大丈夫です。」
「自分のお名前を言っていただけますか?」
「・・・白峰、ですけど・・・白峰龍輔です。」
「自分が今どこにいるか、分かりますか?」
「えっと、診察測定室です。」
まるで救命措置を受けた直後の呼び掛けみたいな問いに、笑ってしまいそうになる。
「・・・ありがとうございました。脳電位測定はこれで終了です。これより問診に移ります。」
ヘルメットが自動で外れ、目の前にテーブルがスライドしてきた。
正面のモニターには槇島さんが映し出されている。
「今から幾つか質問をいたしますので、回答をお願いします。画面左下に移っている画像は何に見えますか?」
「・・・何かの畑、でしょうか。」
「それでは、この画像は何に見えますか?」
「んん・・・と・・・突き出した・・・杭・・・みたいに見えます。」
このような調子で質問が続いていく。中には、「木の絵を描いてください」といったものもあれば、普通に生活習慣や体調面を訊くものもあった。
そして最後に、こんな質問が投げ掛けられた。
「先程“力”を使ったとき、どんなものを思い浮かべていましたか?」
「えっと、海の風景です。」
「それから?」
「その・・・延々と海の風景ですね。波が寄せたり、引いたり・・・」
「・・・それだけ、ですか?」
「あ、はい。それだけです。」
「・・・そうですか。」
僕は何かおかしなことを言っただろうか?
槇島さんの声色はどうも納得がいっていないように感じられた。
「お疲れ様でした。これで定期診察測定は全て終了です。」
槇島さんにそう告げられ、僕はほっと息を吐いた。
先程の修練と併せてかなり運動もしているし、やはり少し気を張っていたのだろう。溜まった疲れが一気に肩にのしかかってきた。
「結果に関しましては解析後に白峰さんの端末にも送らせていただきます。何か質問等ございますか?」
「あの・・・やっぱり、僕の体力値って、かなり低いですよね・・・」
躊躇いがちに訊いてみると、僕を安心させるような笑みが返ってきた。
「そのようなことはありませんよ。白峰さんは全体的に余力を残す傾向にあるようですが、この施設の装置はそういったマージンまである程度検出できます。それを加味して、身体能力系の総合ポイントは狩谷さんを少し下回るくらいでしょうか。
個別に見ると、筋や心肺の持久力にやや難はありますが、瞬発力はスポーツ経験者のレベルに達しています。」
意外な高評価だ。狩谷くんに近い能力があるというのは出来過ぎと言えるだろう。運動音痴の僕には有り得ない結果に思えるが、機器が故障しているなんてことは無いだろうか?
「ただ、1つ気になるのは、かなりバランス維持能力が低い点ですね。あくまで推測ですが、もしかしたら三半規管周りに軽障害が存在しているかもしれません。
比較的高水準にある足回りの筋力は、乏しいバランス維持能力を補うために発達した可能性があります。」
「け、軽障害ですか・・・」
いきなりの宣告に、一瞬目の前が暗くなった。
「ああ、言葉足らずで申し訳ございません。ただの推測に過ぎませんし、もし事実だとしても発作的な眩暈や痙攣などの自覚症状は無いようですので、決して深刻なものでは無いと言えます。」
この歳になっても、意外と自分の身体で知らないことは残されているらしい。確かに平均台の上で落とし合うようなゲームは大の苦手だったが、バランス感覚の欠落が客観的にも何らかの異常を疑わせるほど如実だという認識までは持っていなかった。
「他には質問はございますか?」
「えっと、その・・・」
ゴクリと唾を飲む。研究者側の人に話を聞けるチャンスは結構貴重かもしれない。
「この施設の、研究の目的って、何なんですか?」
「BCLの現在の研究の目的は、白峰さんのような能力の持ち主にご協力いただき、その能力の性質を解明することです。」
「それは、何のためですか?」
「応用分野に関しては様々です。軍事方面への活用も考えられますが、平和的な利用・・・例えば精神医学などにも有効と思われます。
まあ、私見を申し上げるならば、研究者にとっては往々にして研究そのものが目的だったりするものですけどね。“力”がどういうものかを解明したいという純粋な知的好奇心・・・私自身についてはそれが研究の動機です。」
そう語る槇島さんは少し楽しそうにも見える。初見で抱いた印象どおり典型的な科学者気質の持ち主ということか。
「研究のクライアントは誰ですか?」
「申し訳ないですが、その質問にはお答えできません。クライアント情報は極秘情報に類するものですから、イグザミニーズの方々だけでなく一般の研究員に対しても非公開となっております。」
返ってきたのは不本意ながらも想定内の回答だ。安易に公開できる研究であれば何もこんな地下施設で行ったりはしないだろう。
「“力”については、もうかなりのことが分かっているんですか?“サイト”を使える人と使えない人の違いって何なんですか?」
僕の問いに、槇島さんは少し首を傾げた。
「白峰さんは、“サイト”をどのようなものとお考えですか?」
「えっと・・・人の心を読み取る“力”を使える人がいて、その中に、その・・・より破壊的な“サイト”という力を使える人がいる・・・みたいな感じでしょうか。」
黙り込む槇島さん。眉間に若干皺を寄せ、難しい表情をしている。
「・・・あの・・・?」
「・・・ああ、すみません。そうですね、白峰さんの認識について2つ程訂正させていただきます。
まず、白峰さんのお話に“心を読み取る力”という言葉が出てきましたが、“力”は原則として双方向です。」
「双方向?」
「はい、双方向です。従って相手の心を読み取るのみの“力”は存在しません。“力”を使うと、相手の心が伝わってくると同時に、自分の心も幾許か相手に伝わることになります。」
「・・・えっ?だって・・・そんな・・・え・・・?」
確認するまでも無い当たり前の認識・・・その筈だった。
そこに異論を挟まれ、僕の頭は混乱を来たし始めていた。
(でも・・・だって・・・)
そんなワケない。嘘だ。槇島さんは嘘を言っているとしか思えない。
「白峰さんは、相手の心を読み取るときどのように“力”を使うと教わりましたか?」
「それは・・・意識を集中して、できるだけリラックスして、心を落ち着けて・・・」
(・・・あっ・・・!)
心に生じた微かな引っ掛かり・・・それを切欠に、正しいと思い込んでいたロジックの積み木がガラガラと崩れていく。
「一般的な感覚と必ず一致するとは限りませんが、大雑把に言うと、“力”のフィールド内では強い感情ほど相手に伝わりやすくなります。そのため、“力”を使って相手の感情を探るときは、心を平静に保って相手への影響を最小化するという手法が採られます。」
槇島さんの話を聞きながら、僕はかつて太田先生が語ったことを思い出していた。
『心に触れられてる側にしてみると、シンクロによってある種の安らぎが得られるらしい。心の負担が軽くなるからだと言ってしまえば簡単だが・・・まあ、原理なんか追求しても始まらんか。』
・・・違ったんだ。
逆だったんだ。全てが。
意識を集中して心を落ち着けると“相手の心を読み取る力”が発動し、心に触れられたほうは何故か安らぎを感じる・・・なんていうのは、嘘だ。
相手の心を読み取る意図で“力”を使うには、相手への影響を抑えるために自分の心を安らかにする必要があり、その結果として“力”を受けた人間は僅かながら安らぎを得る。
つまりは、そういうことだったんだ。
太田先生はこのことを知らなかったのだろうか?
それとも、知っていてわざと誤った理解を僕に促したのだろうか?
でも、だとしたら、一体何のために・・・
「それともう1つですが、“サイト”というのは“力”の名称ではありません。一部の“力”の使い手に与えられる称号です。」
この2つ目の認識違いは、1つ目程の衝撃をもたらしはしなかった。
“力”の名称か“力”の使い手の称号かというのは些細な違いに思える。普通の“力”でなく特殊な“力”を使える人間がいるということに変わりは無いのだから・・・
しかし、この情報だけでは根本的な疑問が残ったままだ。
「それなら、サイトっていうのは何なんですか?何でこんな“力”が使えるんですか?」
「白峰さん・・・」
槇島さんの真っ直ぐな視線が僕を射抜く。たじろいだ僕に語りかけるその声は静かだった。
「白峰さんは、“力”の保有者の中でも極めて特殊な存在です。サイトでありながら正常な人格を保ち、普通に日常生活を送ってこられた・・・そのような例は白峰さんを除いて皆無と言っていいでしょう。」
鴉からも同じようなことを言われたが、いまいちその真意が伝わってこない。まるでサイトは人格破綻者であるべきと言わんばかりだ。
まあ、それならそれで、僕は人格破綻者だという結論でも間違いは無い気がする。単に彼らが僕のことをよく知らないだけで、本当は僕はとっくに壊れているのかもしれない。
「サイトとしての白峰さんは、非常に繊細なバランスで成り立っていると考えられています。
そのバランスが形成されている主要因は、白峰さんがサイトの本質を知らないことである・・・という仮説があります。
私自身はその説を積極的に支持していたわけではありませんが、問診を終えた今では最も有力な説だと思うようになりました。」
槇島さんの言い回しは婉曲的で、即座には意味を掴み切れなかった。
(えっと、つまり・・・)
サイトのことを知らないから、僕はサイトでいられる?
・・・ということは・・・
諭すように、槇島さんは今しがたの言葉が示唆するその先を述べた。
「もし、サイトの本質を知ったならば、白峰さんはサイトでなくなるか、もしくは自我に重大な変質を来たす可能性があります。」
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