第14話 捜索 ――その②
時が止まったかの如く、空気が硬直する。
呆然としたようなアレクさんの眼差しは、しかしすぐに相手の心の底を暴く鋭い眼光へと取って代わった。
「・・・・・・本気か?」
「はい、本気です。」
「それが許されるとでも思っているのか?」
ここで引き下がるワケにはいかない。この状況で動けるのは、組織から受ける束縛が最も小さい僕しかいない。
「許されると思ってます。僕はまだ仮所属の身。僕の意志で自由に脱退できるという条件だったはずです。」
「それはそうだが・・・」
「だから、今がその時です。僕はその権利を行使します。」
呆れ顔で首を振り、深く息をつくアレクさん。
腰かけていたレザーチェアから腰を上げ、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「それで、どうするつもりだ。」
「どうって・・・」
やや気怠そうな、それでいて見下すような威圧感を含むアレクさんの声に、体が強張るのを感じる。
「組織を抜けて、ここを出ていったとして、お前は何を手掛かりに芹花を探すつもりなんだ。」
「・・・」
何も言い返せない。
そう、それが一番の問題なんだ。1人になった僕に、芹花さんを探すアテなんてどこにも無いのだ。
僅かに可能性があるとすれば、先のミッションで利用したベトナム人情報屋か・・・他に裏社会と繋がりのある人物で知っているのは達治さんくらいだが、1回会ったきりで知り合いとは程遠い。
いずれにせよ、その2人から芹花さんへと辿りつく可能性などほぼ皆無だろう。この差し迫った状況においては尚更絶望的と言える。
やはり、組織が持つ情報を得ることが不可欠なんだ、そのために僕が選ぶべきは・・・
バキィッ!!!!
突如、強烈な衝撃が頬に叩きつけられた。
足の裏から地面の感触が消える。いきなりのことに、受け身を取るのがやっとだった。
「ぐっ・・・」
地に這いつくばる僕の見上げる先に、憤怒の形相で僕を睨みつけるアレクさんの顔があった。
「りうっち!!」
僕を庇うように水那方さんが間に割り込み、さらに詰め寄ろうとするアレクさんに向かって構えを取る。
そんな彼女の小さな体を飛び越えてアレクさんの声が響いた。
「どうした白峰龍輔!これがお前の選択なのだろう?お前は組織の機密性を破綻させ、組織に害を与えようとしている敵だ!」
更に距離を詰めようとするアレクさん。
間合いに侵入された水那方さんが咄嗟に蹴りを放つも、アレクさんは蹴り足を掴んで強引に弾き飛ばす。
僕は慌てて跳ね起きアレクさんから距離を取った。
「来ないのか?あ?芹花を追うってことは今ここで組織から情報を奪っていくってことだろうが!まさかそんな覚悟も無いまま脱退とか抜かしたんじゃないだろうな。」
その通りだ。僕は甘えていたんだ。
単独で行動するのなら、僕は自分自身の力だけで戦い、勝ち取らなければいけない。戦士としての覚悟を持たなければいけない。
そんな当たり前から、僕は目を逸らしていたんだ。
「ほら、何をしている。2人でかかってきてもいいんだぞ?」
傲然と言い放つアレクさんに向かい、拳を固め、構えを取る。
水那方さんと散々組み手を重ねて身に付いた構えだ。
しかしどう足掻いてもアレクさんに体術で敵わないのは明白。
心を落ち着かせ、意識を集中し、相手の気配を察知するために“力”を発動する。
アレクさんは一転、待ち構えるようにその場を動かない。
このまま睨みあっていても埒が明かない。
反逆者は僕の方だ。僕は奪う側だ。
だから、僕から行かなきゃいけないんだ。
恐怖、躊躇・・・それを悟られてはいけない。
頭を空っぽにし、ただ闘うことだけを考え、僕はアレクさんの方へじりじりと歩を進めた。
威圧感からか、風格からか、アレクさんの間合いは体格差以上に異様なほど広く感じられた。
この中に踏み入らなければ僕の攻撃はアレクさんに届きすらしない。
その上、アレクさんも“力”を使っている。同じ“力”の持ち主である僕にはそのことが察知できた。
僕ごときに力を使う・・・そのことからもアレクさんの本気が伺われた。
油断による隙など無い。
フェイントなどあらゆる手段を頭の中でシミュレートするも、どれもが軽々と潰されることは明らかに思えた。
(・・・どこかに、どこかに隙は・・・)
踏み込めず逡巡する僕のセンサーが、突然、攻撃の気配を察知した。
「・・・くっ!!」
何とかガードしたものの、そんなのお構いなしにアレクさんの拳が僕の腕に打ち付けられた。
「っ!つうっ!!」
いつの間に間合いを潰されたのか全く分からなかった。
身体ごと浮かされ、たたらを踏みながら後退する。
体勢を立て直す余裕もなく、アレクさんが更に追い打ちをかけてくる。
弓を引く拳。しかしどうにかバランスを取りもどそうとする反射で勝手に手足がバタつき、防御もままならない。
せめて気絶は免れるようにと歯を食いしばった瞬間・・・
バキィィッ!!!!
横合いからの衝撃にアレクさんの顔が大きく弾かれた。
水那方さんの跳び回し蹴りがアレクさんの横っ面にクリーンヒットしたのだ。
ちらりとこちらに目配せをし、そのままアレクさんへと飛び掛かっていく水那方さん。
そうか、水那方さんはこれを狙っていたんだ。
力を持つもの同士、立ち合えばお互いの挙動が筒抜けになり、自ずと膠着状態になりがちだ。だが技量や間合いに差があれば、片方だけが牽制の攻撃を通じて一方的に優位になり得る。
ただし複数人で連携できるならやりようはある。
“力”を行使する者の弱点は自らが攻撃を仕掛ける際の隙。すなわち、誰かが攻撃を受ける瞬間を、別の誰かが突けばいいというわけだ。
ガッ!! ガッ!! バシィッ!!
水那方さんの仕掛ける怒涛の攻撃を、アレクさんは冷静に全て捌いていく。
僕はアレクさんの間合いギリギリまで詰め寄り、距離を保ちつつ2人の応酬を注意深く追う。
水那方さんは果敢に攻め続けた。お互い相手の攻撃の気配を知ることができる状況では圧倒的に“待ち”の姿勢でいることが有利であり、水那方さんの攻勢は無謀ともいえた。
水那方さんがそれでもこうやって攻撃を続けるのは、誘っているからだ。
敢えて自分の身を危険に晒し続けることで、アレクさんの攻撃を引き出そうとしているのだ。
水那方さんは先刻、一度は離反を思い留まったはずだった。何かは分からないが、きっとままならない事情を抱えているのだろう。
だが今はこうやって決断を下し、危険を冒して戦っている。
彼女の加勢を無駄にするワケにはいかなかった。
ジャブ、ジャブ、右ローと見せかけてハイキックに変化、さらにジャンプしながらの後ろ回し蹴り・・・“力”を行使したアレクさんと言えども、凄まじい捨て身の連続攻撃を全ていなすことはかなわず、ブロックを用いた防御が多くなる。
小柄ながら体重の全てを乗せた攻撃は想像以上の威力を孕んでいるらしく、ガードするアレクさんは険しい表情を浮かべていた。
流石に猛攻の継続を嫌い牽制のジャブを繰り出すアレクさん。その踏み出した左脚を、水那方さんの前蹴りが捉えた。
いや、前蹴りではない。
アレクさんの脚を踏み台にして、水那方さんの体が大きく浮き上がった。
重力を存分に攻撃に乗せられる高さ。
バネの利いた渾身の浴びせ蹴りは、しかしスレスレのところでアレクさんに躱されてしまう。
慣性のまま回転し、無防備を晒す水那方さんの背に向けて、引き絞られるアレクさんの拳。
(・・・今だっ!!)
初めて察知することのできた、アレクさんの明確な攻撃の気配。
僕は恐怖を捻じ伏せて飛び出し、自らの間合いへとアレクさんを捕えた。
ガゴォッッッ!!!!
何が起こったのか分からなかった。
暗転する視界。
唇を噛み締めて何とか意識を繋ぎ止めた僕の背中に硬い床の衝撃がもたらされ、一瞬息ができなくなる。
混乱する思考が、ようやく1つの結論に辿り着いた。
そうか、誘われたのは僕のほうだ。
最初から狙いは僕だったんだ。攻撃の意志を悟らせたのはわざとなのだろう。こちらを見てこそいなかったものの、それは水那方さんではなく、僕に向けられたものだったんだ。
ダラダラと鼻血が流れ落ちてくる。
攻撃が入ったのが顔面だということすら、それで初めて認識できたことだった。
水那方さんはすぐさまこちらに駆け寄ってきた。
その背後に僕を隠すように、アレクさんと対峙する。
守られている。
こんな状況になっても、僕は未だに守られる存在でしかない。
「りうっち、大丈夫?」
小声で訊ねる水那方さんに応えるように、僕は立膝に力を込めて立ち上がった。
これじゃ、ダメだ。このままじゃダメなんだ。
共闘に見えて、実質的には闘っているのは水那方さんだけだ。そんなんで勝てる筈がない。
自覚しろ。これは僕自身の闘いなんだ。
水那方さんの肩にそっと手を置き、静かに囁きかける。
「僕が、行くよ。隙を狙うのは水那方さんに任せる。」
「・・・?りうっち・・・?」
何かを言い返そうとする水那方さんを手で制し、僕はガタつく脚に拳骨で活を入れながらアレクさんの方へ歩いていく。
水那方さんも諦めたように、ややサイドへと流れて隙を突ける位置を探る。
アレクさんの間合いがどんどん迫ってきている。
いくら決意を固めても、痛みの刻まれた身体は前進を拒否し、硬直が足を阻もうとする。
捨てろ、自分を捨てるんだ。
今の自分は一枚の木の葉だ。踏まれようと、砕けようと、ただそれだけのことだ。
何も考えるな。体の力を抜け。
アレクさんの間合いに無造作に踏み込んだ時、僕の頭は半分眠っているかのように霞がかっていた。
風圧が唸りとともに鼻先を掠める。
頬、脚、脇腹・・・アレクさんの繰り出す拳打を、僕はすんでのところで躱していた。
感じるまま、反応するがままに任せ、身体を捻る。
見える景色全てが、今までと一変したように感じられた。
ゲームで一番集中しているときの感覚に似ている。
まるで、ビットとビットの接触を避ける無心の作業だ。
標的として身体を投げ出し、拳打を浴びせ続けられているこの状況でも、水那方さんの攻撃は一向にアレクさんを捉える気配が無かった。
それもそのはず。僕を一撃で仕留める威力がある攻撃でさえ、アレクさんにとっては全て牽制でしかなかった。
僕を相手にするにはそれで充分なのだ。逆に言えば、僕がギリギリで躱し続けていられるのも、アレクさんが牽制で済ませていることによってようやく保たれた均衡だった。
かといって、僕からも攻撃はできない。頭を空っぽにして脱力した状態から瞬時に攻撃を繰り出す技量など僕は持ち合わせていない。
攻撃の意図すらアレクさんに“力”で把握され、カウンターを浴びる自殺行為となるだろう。
痛みを負う可能性を厭わない・・・そんな覚悟で不充分なことは重々承知していた。
自分を捨てるつもり、ではなく、実際に捨てなければ勝機は掴めない。
シュッ!! シュッ!!
アレクさんの放ったジャブ。上体を逸らして躱すべきそれを、下に潜る。
そのまま僕は、アレクさんの胴体目掛けて頭から突っ込んだ。
タックルを仕掛けてしがみ付くことさえできれば、僕であってもアレクさんの隙を作ることができる。
それは、死地に飛び込むことではじめて得られる勝ちへの可能性だった。
しかしそれすら読んでいたかのように、アレクさんの膝が跳ね上がってくる。
もはや僕は
とは言っても、元々躱すことなど考えてはいなかった。
これこそが僕の誘い。これこそが僕の覚悟なのだから。
(・・・堪えろ・・・っ!!!!)
ボゴオオオッッ!!!!
僅かに頭部を外したその膝が、僕の右肩に埋まった。
何が鳴っているかも分からない不吉な音が内側から飛び出す。
爆弾を抱え込んだような衝撃を味わいながら、僕は必死にその脚に抱き付いた。
片脚タックル。相手の動きを封じるには理想的な形だ。
「やあああああっ!!!!」
水那方さんの雄叫びが耳に届いた。
バキィィッッッ!!!!
続けざまに衝撃音。
アレクさんの身体から伝わる振動が、その威力の重大さを物語っていた。
(・・・けどっ、まだだっ・・・!!)
まだアレクさんの身体には充分に力が残っている。
ここを逃すともうチャンスは無い。
僕はそのままアレクさんの膝を巻き込むように自分の身体ごとアレクさんを床に引き倒した。
(よしっ!あとは水那方さんがっ・・・!!)
しかし、目の前まで迫った希望を嘲笑うかのように、アレクさんの脚が信じられないほどの力で一気に引き抜かれた。
即座に立ち上がるアレクさん。
「ふうっ、ふうっ・・・」
髪を振り乱し、荒れた呼吸を抑え込むその口からは、一筋の血が垂れていた。
それなりのダメージは与えられたようだが、それ以上でもそれ以下でもない。
むしろ、深刻なダメージを負ったのは僕のほうだ。
骨が折れたのだろうか、右腕がまるで上がらない。
どうにか立ち上がりつつも、戦況に一筋の希望をも見出すことは困難だった。
どうすればいい?
今のをもう一度やるのか?この肩で・・・?
背中を、つーっ、と一筋の冷たい汗が伝った。
「あーっ!もう、やめだやめ!」
突然構えを解き、気の抜けたような声を上げるアレクさん。
何が起こっているか分からない僕は、同じくきょとんとしている水那方さんと目を見合わせるしかなかった。
「サイトが組織の決定に不服を示し、離脱を表明。説得を試みるも失敗、制圧を試みるも失敗。」
投げやりな口調で、アレクさんは唐突に現状説明を始める。
「もはやこのままでは貴重なサイトを失うことになりかねないため、臨時作戦遂行の容認により、サイトの翻意を促す以外に方法は無いと考える。」
まるで誰かへの報告だ。
硬い言葉を並べているものの、それが示唆する意味に引き込まれ、僕は徐々に前のめりになっていく。
「白峰龍輔、水那方皐月、両名とも携帯端末を出せ!」
今度は命令口調になったアレクさんに、僕と水那方さんは言われるがまま端末を取り出した。
同様にアレクさんも端末を手にし、何やら操作している。
ブーッ ブーッ ブーッ・・・
鳴り響くバイブ音。
表示されたメッセージのタイトルに、僕は息を呑んだ。
「それが、薄野芹花保護作戦の作戦書だ。」
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