第14話 捜索 ――その①
「キミの銃・・・?知らないな・・・」
叱咤されるのを危惧しつつも、最も高い可能性に賭けて問を発したつもりだったが、アレクさんの返答はそんな僕の計算を脆くも瓦解させた。
「アジトに戻ってきたときには確かに付けていたよ。病院で治療受ける際はガンホルダーごとオレが外した。芹花も治療が先決だったが意識はしっかりしていたから、銃は芹花に預けておいたんだけどな・・・皐月、お前はどうだ?病室で見掛けなかったか?」
「えっ、私?う~ん、どうだろ?見なかった気がするなぁ。」
「どうせお前はあっても無くても覚えてやしないだろうから聞いても無駄だったかもな。」
「なにを~~っ!さては私のサバト並の記憶力を知らないな!?」
「昨日の夕食が何だったか答えられるか?」
「馬鹿にするなそれくらいっ!・・・あ、あれ?え~~っとほら、映像記憶ばっちりだけど料理名が出てこない、的な?」
「どちらにせよ砂浜の落書き並の記憶力じゃないか。」
溜息をつくアレクさんに、心外そうに口を尖らせる水那方さん。
「まあいい、アジトに戻ってからの話なのは確実だからどこかで見つかるだろ。キミも昨日は朦朧としていただろうしな。今日中に見つからなかったら本腰を入れて捜索をかけるようにしよう。」
結局銃の行方は分からないままではあるものの、とりあえず懲罰沙汰にはならなそうな様子に僕はホッと胸を撫で下ろした。
とにかく足を動かしてありそうな所を回ってみる以外に方法は無さそうだ。
僕がまず向かったのは自分の病室。
研究棟内の病室に移動する際は毎回チェックを受けることになるが、今日のところは荷物を引き揚げるまでいつものような申請が不要だ。
病室は僕のいない間に綺麗に整えられていた。
(櫻井さんがやってくれたんだろうか・・・?)
いつもならありがたい限りなのだが、今回はどうしても疑惑のほうが先立ってしまう。
(でもやっぱり、櫻井さんが銃をくすねる理由なんて全く思いつかないし・・・)
犯人ではないにせよ、何かしら心当たりを持っている可能性はある。後で使用人室へも寄ってみよう。
(それより・・・)
実験棟に戻った僕は、まず自分の居室に向かった。
誰かが銃を持ち出したとして、それが善意からの行動であれば、居室に届けられているというのが一番あり得るんじゃないか?
居室には鍵が掛けられているはずだが、以前の歓迎パーティーでも証明されている通り櫻井さんならマスターキーで出入りできる。探してみる価値はあるように思う。
居間、寝室、果てにはバスルームやトイレまで、自室のどこを探してもやはり銃は見当たらなかった。
次第に、胸のうちの不安が嵩を増してきた。
組織に来てからいつも手元にあった銃が、今は傍に無い。
僕は今、無防備なんだ。
そしてその銃を持った誰かが、この瞬間、この組織内にいるとしたら、その人物は一体誰を狙っているのだろうか・・・
もしかして、僕なのか?僕は狙われているのか?
巧妙な暗殺者が“自殺に見せかけようとしている”というのは、銃を盗み取る理由としてそれなりに合理性のあるものに思える。
やはりまずい、誰かと連れ立って捜索したほうがいいかもしれない。
(水那方さんっ・・・水那方さんは・・・)
今日は彼女も非番だったはずだ。
僕は歩を速めて水那方さんの居室に向かった。
コツコツと反響する足音が異様に神経を逆撫でする。
薄暗い静寂に押しつぶされそうだ。怯え切った心に急かされるように、気付いたら駆け足になってしまっていた。
しかしこうやって水那方さんの許に駆け込んだとして、どう事情を説明すればいいんだ?
“紛失した銃で自分が狙われているかもしれないと思うと1人でいるのが怖くなった”・・・言葉にしてみるとなんとも情けない、臆病風に吹かれたとしか言いようのない泣き言だ。
なぜもっと大胆になれないのか。その時はその時だと開き直れないのか。
脳裏に浮かんだ芹花さんの姿は強さの象徴だった。どうしたって僕はああはなれない。
組織における芹花さんの存在の喪失は、思っていた以上に僕の心を弱くしているようだった。
(・・・っ、そうだ!芹花さん!)
その時僕は、あり得そうな可能性をもう1つだけ思い付いた。
芹花さんはそもそも病室に僕の銃を持ってきたのか?
昨日、僕が治療を受ける前に銃を預かった彼女は、それをどこで僕に返すつもりでいただろうか。
不特定多数が出入りする病室に置いていくだろうか?それよりは実験棟の居室に返そうとするんじゃないか?
でも、僕がそっちに帰るまで居室の鍵は開かない。だったらそれまで自分の居室で預かっておこう・・・芹花さんがそう考えてもおかしくはない。
案外、退去の際に忘れられて芹花さんの居室に置きっ放しになってたりするんじゃないか?
根拠の無い想像で何の確証も持っていないが、それでも他のどこかより遥かに見つかる望みが大きいように思えた。
ちょっとだけ勇気を出して、水那方さんに相談に行く前に芹花さんの部屋だけは回っておこう。
都合よく見つかるとは限らないが、見つかってくれれば思い悩む必要もなくなる。
幸いにも丁度ここを曲がれば突き当りが芹花さんの部屋だ。
僕は思い切って足の向きを変えた。
主のいなくなった空部屋の前に立ち、ドアノブを捻る。
ガチャリ、とラッチの外れる音がした。
(よかった、空いてる・・・)
芹花さんか櫻井さんが鍵を閉めてしまっていたら面倒だった。些細な幸運に感謝しつつ部屋に足を踏み入れた、その瞬間・・・
強烈な違和感が僕を襲った。
何かが見えたわけではないが、何がおかしいのかと考えるまでもなかった。
匂いだ。
涙が出そうなほど強烈な匂いが辺りに漂っているのだ。
決して悪臭ではないが、それも度を超せば耐え難い刺激となる。
香水の香り。ラベンダーの香り・・・僕にとって、これは芹花さんの匂いだった。
匂いの元を辿って慎重に歩を進める。
発生源はすぐに判明した。
廊下脇の小部屋の洗面台。その脇で香水のボトルが無残に割られ、中身がぶちまけられていたのだ。
何だ? 何なんだこれは? 何が起こっている?
頭の中で得体のしれない危機を知らせる警報がガンガン鳴り響いている。
誰がこれをやったのか、芹花さんが出ていく前なのか、出ていった後なのか・・・
(・・・そうだっ!)
1つの気付きに、稲妻が走ったかの如く全身が震えた。
そう、匂い・・・匂いだ。
今朝方、芹花さんの様子に抱いた違和感の原因がやっと分かった。
匂いがしなかったんだ。今朝の芹花さんはこの香水を付けていなかった。
だったらこの有様は芹花さんが自分でやったのか?何のために?
分からない・・・分からないが、僕は、芹花さんが存在そのものをここに置き去りにしてしまったかのような錯覚に陥った。
更に奥へと進み、リビングに足を踏み入れた僕の目に、見慣れた革のベルトが飛び込んできた。
(あれはっ!)
駆け寄った先、木製のテーブルの上には、空のガンホルダーが1つ、無造作に置かれていた。
芹花さんのガンホルダーは確か退所の際に銃と一緒にアレクさんに手渡してたはずだ。だったら・・・これは・・・僕のなのか?
そこからはさして難しい推理でもなかった。
芹花さんはエントランスで自分の銃をアレクさんに手渡した。だがもし、バッグの中に2丁の拳銃が入っていたとしたら?
あるいはトランクケースのほうかもしれない。いずれにせよ、芹花さんは1丁の銃をアジトから持ち出したことになる。
一体何のために? 芹花さんの仇は、もうこの世にはいないのに?
途端、汗が滝のように湧き出した。
いつかの芹花さんの言葉が鮮明に蘇ってくる。
『私は生きる価値の無い女だよ。あの瞬間、私は人間として最低限のものをドブに捨てたんだ。自分の存在なんて、明日にでも消えてしまって構わない。』
『私はな、あのとき死んでもよかったんだ。生きる価値なんて無かった・・・あいつらの寮から抜け出して、路地裏に逃げ込んで・・・手には途中の雑貨屋でパクった果物ナイフを握ってた。』
『あのときに・・・あのときに全部終わりにする事だってできたんだ。
なあ、教えてくれよ。あいつらをこの手で殺せないんだっら、私は何のために今まで生きてきたんだ?』
今だったら・・・何もかもを成し終えた今だったら、芹花さんはその手に持った銃でどんな選択をするだろうか?
今度こそ、消えてしまう、存在を終わらせてしまう・・・そうしないと言い切れるだろうか?
嫌な想像しか浮かばない。
芹花さんの居室を飛び出し、ちゃちな恐怖心に煽られた先程とは比較にならない勢いで、僕は猛然と走った。
今すぐにこのことを伝えないといけない。
ガシャンッ
「水那方さんっ!」
力任せにドアを開け放って転がり込んだ僕を見て、水那方さんは目を丸くした。
「ど、どうしたのりうっち?オバケでも出た?」
「芹花さんがっ、芹花さんがっ・・・!!」
僕の様子にただならぬものを感じたのか、口を噤んで先を促す水那方さん。事情を話すうちに、その顔はみるみる青ざめていった。
「う、嘘だよね?そんな・・・せっかく過去が清算出来たんでしょ!?これからが本当の人生じゃなかったの!?なのに何でっ?何でそうなっちゃうの?ねぇっ!」
「分からない・・・勘違いかもしれない、けど・・・追いかけなきゃ。会って話をしなきゃ!」
「でもどうやって?私たち、もうせりりんと連絡すら取れないよ?」
「・・・アレクさんに頼んでみるのはどうだろう。アレクさんの権限なら、作戦としてなら色々情報が得られるかも。」
「それだっ!ほらねぇ早く行くよっ!」
聞き終わるやいなや僕の手を引いて駆け出す水那方さん。
確かに1秒だって無駄にはしていられない。
アレクさんなら、芹花さんの置かれた状況を知ればきっと力になってくれるはずだ。
縋るような思いで、アレクさんの執務室へと急いだ。
--------
「ダメだ、許可できない。」
芹花さんの危機を訴え、後を追うことを願い出た僕ら2人にもたらされたのは、アレクさんの無情な返答だった。
「っ!どうしてっ!?早くしないとせりりんがっ・・・!」
「それが掟だからだ。芹花は先刻の退所をもって正式にBCLからの脱退手続きが完了した。
今の芹花はイグザミニーズでも何でもない、赤の他人だ。」
その言い回しに、僕は瞬時に頭に血が上った。
「・・・本気で、言ってるんですか。本気で見捨てるつもりなんですか。」
極度の興奮で息が上がる。深呼吸をしながらでないと言葉もろくに喋れなかった。
「ああ本気さ。龍クン、理不尽に死にゆく人なら世界中どこにでもいるぞ。中東で、アフリカで、内戦や飢餓で今この瞬間も多くの人が命を落としている。なぜキミは彼らを今すぐ助けにいかない?」
子供騙しの詭弁だ。茶化しているようにしか思えない。耐えられなくなって僕は大声を上げた。
「ば、馬鹿にしてるんですかっ!!」
「馬鹿になんかしてないさ。要するに、その線引きをどこでするかって話だ。」
「つい今朝方まで仲間だったんですよ!?差別的だろうが何だろうが、顔も見たことの無い人たちと同列ではあり得ない!」
「今朝方までは、な。これまで仲間だった者が次の日には敵になってるなんてことはこの世界では珍しくもない。」
「何なんですか一体!芹花さんが裏切るとでも言いたいんですかっ!?」
「違うっ!!落ち着いて聞け!!」
鼻に付くほど冷静だったアレクさんが急に声を荒げたことに意表を突かれ、僕は少し怯んだ。
「いいか、龍クン。」
しかしその眼差しには激昂の影も見えず、ただ真っ直ぐ僕の目を見詰めてくる。
「オレたちのいるこの世界はな、表の世界とはまるで別モノなんだ。キミはもっとそのことを知らないといけない。」
そんなこと今関係あるのか。新参者は黙ってろということか。
反射的に言い返したくなるのをグッと堪える。勢いに任せて口走るだけじゃ説得もできやしない。それだと結局芹花さんを追えなくなってしまう。
「法を逸脱した裏の世界で生き抜くためには、結束が何より大事だ。何となくの仲良しグループではない。血盟だ。いくら優秀でも個人の存在なんて脆いものさ。
我々はBCLという括りの中で互いを守り合うことで安全を確保している。BCLに所属する限り、我々はファミリーだ。」
ファミリー、家族・・・それは元の生活で得られなかったもの、ようやく得たと思った途端に幻想だと思い知らされたもの・・・
過酷であるはずの組織の生活の中に不思議な温もりを感じるのは、ここに追い求めていた“繋がり”が存在しているからなのだろうか。
「選択を迫られたとき、何より優先すべきはファミリーの利益だ。そして芹花は今や外の人間。外様の事情を優先してファミリーを不要な危険に晒すつもりか?」
納得など到底できない。だがその上で、アレクさんの言っていることが正しいことも理解はできる。
必死に何か言い返そうとするものの全く反論が浮かんでこない。
一刻の猶予もない状況だ。焦りが思考の混乱に拍車を掛ける。
不意に、水那方さんがくるりと後ろを向いた。
そしてまるで何事も無かったかのようにトコトコとドアのほうに向かう。
「おい、待て!皐月!」
「・・・ちょっと街の空気を吸ってきたいだけだよ。私には構わないで・・・」
「そんな言い逃れが効くと本気で思えるほど子供でもないだろう。待機だ。お前たち2人の外出は制限させてもらう。」
アレクさんの言葉に水那方さんが足を止めたのは一瞬だけだった。そしてまるで聞こえていないとでも言わんばかりにすぐさま歩みを再開する。
「皐月!」
2度目の呼びかけには、もはや反応すらしない。
ここは水那方さんについていった方がいいだろうか・・・どさくさでも何でもいい。チャンスは逃せない。僕は小走りで彼女の後を追った。
「おい!」
現実の全てを拒否する頑なさが感じられる、水那方さんの足取り。
「待つんだ、さっちゃん。」
その愛称をアレクさんから聞いたのは初めてだった。
ぴたり、と、水那方さんの足が止まる。
「オレらがどうしてここにいるのか忘れたのか?自分が何を背負ってるのか思い出せ。」
その短い言葉に込められた意図を窺い知ることは僕にはできない。
しかし、効果は絶大だった。
「・・・っ、ぐぅ・・・っ!!」
一歩も動けなくなった水那方さんが、押し殺した唸り声を漏らす。
ちらりと覗いた横顔には凄まじい苦渋の表情が浮かんでいた。
「耐えろ。隊員としての責務を果たすんだ。」
アレクさんと水那方さんが組織に来る前からの知り合いだったと教えてくれたのは芹花さんだったか・・・ここにいるメンバーはそれぞれ、決して軽くはない頸木を負っているのだろう。
きっとBCLに入ることで、自分を、あるいは大切な何かを守ってきた人たちなんだ。
アレクさんの言う通り僕の考えが甘かったのかもしれない。
BCLに属する限り、何よりも内部の人間が優先。組織に守ってもらいながら、組織外の人間も保護したいなんて、都合のいい我儘だったんだ。
「龍クンも、いいな。オレだって意地悪を言いたいわけじゃない。関わった者全てを抱え込めるほど、オレたちの腕は長くはないんだ。」
「・・・分かりました。」
思ったより落ち着いた声で応じることができた。下した決断を、自分でも驚くほど冷静な心持ちで受け入れていた。
それを聞いたアレクさんがほっとしたように言葉を継ぐ。
「分かってくれたか。ならもう部屋に戻って休むといい。昨日の今日だ、まだ随分疲れが残って・・・」
「脱退します。」
「・・・は?」
「本日、現時刻を以て、僕はBCLを脱退します。」
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