第13話 懲戒 ――その②
「待ってください!」
気が付いた時には、ありったけの制止の声が僕の口から飛び出ていた。
自分に集まる視線を感じながらも、そんなものは全く気にならないほどの激情が僕の舌を突き動かした。
「おかしいですっ!そんな、芹花さんだけ・・・だったら僕にだって責任があります!他の人に相談することだってできたのに・・・
罰なら僕も受けます!だから芹花さんはっ!」
「龍クン。」
肩で息をする僕の訴えを、アレクさんの冷静な声が遮った。
「上官の命令に従うこと、これは部隊における鉄則だ。キミの判断は間違っていない。キミは芹花の指示を忠実に守った上で不測の事態に柔軟性をもって対処し、ミッションの決定的な破綻を回避した。芹花の現場破棄という事態をも免れたのは君の功績だ。」
歯の浮くような賛辞の数々も、今の僕には全く響かなかった。
「しかも今回が初めてのミッションだったワケだからな。研究者サイドの君への評価も上々だと聞いている。」
こんなの間違ってる。完全に見当違いだ。芹花さんに助けられたのは僕のほうだ。
ミッションのこともそうだが、それだけじゃない。
このアジトに連れられてから今日に至るまで、僕が心を押し潰されずに過ごしていられたのは芹花さんのおかげなんだ。
それなのに芹花さんだけ罰を受けるなんて、絶対におかしい。
大体、現場破棄ってなんだ。所詮僕らは要らなくなったら捨てられる研究材料でしかないのか・・・
「せりりんは・・・っ!」
憤りをうまく言葉にできない僕の代わりに口を開いたのは、水那方さんだった。
「せりりんは今までたくさん組織に貢献してきたはずだよっ!なのにそれを全部無視して一方的に処罰されるなんて、そんなのないよ!」
一旦言葉を切って、ぐっと奥歯を噛み締める水那方さん。引き締まった表情はおよそ普段の彼女からは想像できない“隊員”の顔だった。
「私はっ!薄野芹花のこれまでの功績を考慮した処分の減免を要求します!」
「はっ、何をヌルいこと言ってんだよ!」
嘲笑交じりに割り込んできたのは陣くんだ。
「組織に唾吐くような真似しやがって。処分は当然だろうが!あんな役立たずの売女のせいでこっちが危険に晒されたんじゃたまんねぇよ。」
彼の侮蔑は到底許せるものでは無かった。この怒りを抑制などできそうにない。
「おっ?なんだ、やんのかよ。」
空気の変化を察知して身構える陣くん。僕だけでなく水那方さんの全身からも蒸気の如く立ち昇る怒気に、流石に怯んだ様子を見せる。
「おい、やめろ、お前ら!ミーティングの最中だ。これ以上はオレが許さんぞ!」
一喝したアレクさんは僕と水那方さんを交互に見据え、静かに問を発した。
「それは、芹花の要望なのか?」
「えっ?」
「処分を減免して欲しいと、芹花がそう言ったのか?」
そんなことを言われても、僕も、おそらく水那方さんも処分のことは今知ったばかりで、芹花さんに確認する機会なんてあるはずもない。
意外な角度からの投げかけに、胸中のやるせない怒りが混乱に取って代わる。
「お前たちはどうだ。芹花はこのまま組織に残り続けたほうがいいというのが、お前たちの考えか?」
そこまで聞いて、僕はようやくアレクさんの言葉の真意を理解した。
「芹花の因縁の相手はもはやこの世にいない。おそらく彼らへの復讐こそが芹花の組織での活動のモチベーションだったはずだ。彼ら亡き今、組織に残り続けることが本当に彼女のためになるのか?」
圧倒的正論に何も言い返すことができない。
僕は本当に芹花さんのことを思いやれていたのか。芹花さんの将来を、人生を、幸せを考えることができていたのか。
僕が、僕自身が、芹花さんに行って欲しくないだけじゃないのか。
その気付きに僕は愕然とした。結局僕は何も分かっていなかった。アレクさんのほうが余程芹花さんのことを思いやっているじゃないか。
自分の未熟さが歯痒かった。
大人の見識の深さに敵わないのは仕方ないことだろうか。でも、せめて芹花さんの相棒として、僕も覚悟を決めるべきなのかもしれない。
水那方さんもアレクさんのこの論法には反論できず、拳を握りしめて立ち尽くしていた。
「さあ、この話はもう終わりだ。芹花の口座には被験者としてのこれまでの謝礼金がプールされてる。数年はそれで寝食に困らず生きていけるはずだ。後の人生をどう生きるかは、あいつ次第さ。」
パン、と手を叩いて、芹花さんについての話を打ち切るアレクさん。
それ以降、ミーティングで芹花さんの話題が上がることはなく、他のメンバーの状況報告が粛々と行われていった。
ミーティングが終わってすぐ、僕は芹花さんの居室に向かって駆け出した。
「ちょっと待って!私も一緒に行く!」
僕の向かう先を察した水那方さんも後に付いてくる。
エレベーターを待つ時間ももどかしく非常階段を駆け上がり、岩盤削り出しのタイルを蹴りつけながらひたすらに走った。
あの角を曲がって、廊下の突き当たりにあるのが芹花さんの部屋だ。
今の僕に何ができるだろう。芹花さんにどんな言葉を送ればいいだろう。
芹花さんと離れたくない。行かないで欲しい。
でもそれは、芹花さんの未来を無視したわがままでしかない。
芹花さんの相棒として、芹花さんのために、僕は自分の都合なんか考えてちゃいけないんだ。
芹花さんが心配しなくて済むように、1人でも大丈夫だと見せるために、僕は・・・
「おわっ!なんだよ危ねぇな!龍、皐月、何をそんな慌ててるんだ?」
今朝方から追い求めていたその姿は、廊下の曲がり角の死角からひょっこり現れた。
「っ!芹花さん!」「せりりんっ!」
思わず名前を叫んだものの、続く言葉が出てこない。
色々と頭の中で考えていたものは、不意打ちの事態によってすっかり吹き飛んでしまった。
「・・・せりりん、行っちゃうの?」
代わりに水那方さんの口から漏れた呟きは、僕の誤魔化し切れない心情を表すものだった。
「ああ、やり残したことも無いしな。」
見慣れたカーディガンを羽織った芹花さん。
引き摺っているキャスター付トランクは出立の荷物にしてはかなり小さいように思う。必要最低限な感じがいかにも芹花さんらしいともいえる。
もうここを発とうとしているのか。もっと夕方くらいまではいてもいいんじゃないか。
未練じみた想いが頭をもたげる。
「薬は、大丈夫ですか?ここを出た後はどうやって調達するんですか?」
別に薬をダシに芹花さんを組織に縛り付けようなんて微塵も考えてはいない。それは純粋な疑問だった。
「ん、ああ、それは大丈夫だ。発作はもう起こらないからな。」
「えっ?」
「アレが出ないよう気を付けることはできるんだよ。だけど組織にいる間はアレが必要だった。それだけのことだ。
悪いな、それについては色々迷惑かけたと思ってる。」
「そ、そんな、迷惑だなんて・・・」
芹花さんの返答は、アレクさんの仮説の正しさを示すものだった。
芹花さんは自分の意志であの発作を頻発させていたんだ。
ではなぜそんなことをしていたのか?
“サイトに最も近い存在”とはどういう意味なのか、サイトとは何なのか・・・絡まった糸が少しずつ解けていくのを感じる。
「まあ何にせよ心配はいらねぇよ。」
別れが近付いているとは思えないほどにごく普段通りの芹花さんだったが、その雰囲気に僕は言い知れぬ違和感を覚えていた。
一言で表すなら、“さっぱりした”というのが妥当だろうか。
形はどうあれ寺門の死によって怨恨が晴れたのであれば、憑き物が落ちたような表情になるのも頷ける。
だが、何かそれだけではない変化・・・まるで芹花さんの存在そのものが薄くなってしまったような印象がどうにも拭えない。
もしかしたら僕のほうに問題があるのかもしれない。きっとこれは、芹花さんと会えなくなることに対する不安の表れだ。
芹花さんに心配を掛けないと決心したばかりなのにこんなことじゃいけない。
「・・・荷物、持ちます。」
「あ、ちょっ、いいって!」
半ば奪い取るように、僕は芹花さんのトランクを代わりに運んだ。
こんなことで埋め合わせになるとも思えないが、今まで芹花さんからもらったものを少しでも返したかった。
「あ~~っ!私も!私もせりりんの荷物持つ!」
「おわっ!やーめーろ!ダメだ、これは持たせねぇよ。」
ショルダーバッグを引き剥がそうとする水那方さんの試みは流石に拒否する芹花さん。
「ぶぅ~~っ!いいよーっだ。りうっちと一緒にトランク運ぶから!」
それに不満げな水那方さんは無理矢理僕の隣に肩を寄せてきてトランクの持ち手を半分奪う。
正直このサイズのトランクだと2人がかりで運ぶのはやたら持ちにくい。余程1人で運んだほうがマシだ。
しかしこの奔放な感じこそ水那方さんだ。おかげで、どうしても別れの寂しさに囚われがちな心を幾分か前へと向けることができた気がした。
いよいよエントランスに辿り着いた僕ら。
別れの瞬間はもはや目前に迫っていた。
組織を脱退したメンバーは、組織から徹底して隔離されるのが規則だ。そのため僕は、今後芹花さんに関する任務を与えられない限り芹花さんの行方を知ることができないし、それを調べることも禁止されている。
つまり、ここで別れたらもう2度と芹花さんとは会えないということだ。
ふと、入り口のドアの脇に、腕を組んで佇む人影を見付けた。
「おう、来たか、芹花。」
アレクさんだ。
頬に湛えた笑みは優しく、それでいてどこか寂しげだった。
「ほら、お前の携帯だ。NAVIOUSを消去して市販のOSをリストアしてある。」
僕が組織に入った時とは逆の操作が施された芹花さんの携帯。
後で聞いた話だが、この操作自体はリモートで実施可能らしい。わざわざ一旦回収してエントランスで返却するのは、万が一にもデータを持ち出されるリスクを回避するためだそうだ。
これでもう、芹花さんと連絡を取る手段すら無くなった。
「あとは銃の返却だ。ちゃんと持ってきてるか?」
「ああ、忘れてねぇよ。」
芹花さんはショルダーバックから銃とガンホルダーを取り出し、アレクさんに差し出した。
それを受け取ってマガジンとスライダーを手早くチェックするアレクさん。
「ふむ、いい状態だ。きちんと整備されている。」
感心したように呟きつつ、芹花さんの肩にポンと手を置く。
「この2年間よく頑張ったな。お前の働きには本当に助けられた。」
先程のミーティングでの事務的な口調とは打って変わって、実感の篭ったアレクさんの言葉。こっちこそが彼の本音なのだと素直に信じられる。
「はっ、私なんかどう考えてもイグザミニーズで1番の問題児だろうが。本当は説教する相手がいなくなってせいせいしてるんじゃねぇか?」
「仕事の流儀は人それぞれさ。均一過ぎても上手くはいかない。お前の大胆さは組織にとって重要なファクターだったよ。穴埋めさせられる側からしたらお前が抜けていくという状況にこそ愚痴を言いたいね。」
含みのある軽口の応酬が、別れを惜しむ大人の流儀であることは何となく理解できた。
「それじゃ、そろそろ行くわ。」
「扉の向こうに車が置いてある。地上出口まではそれを使うといい。そのまま乗り捨てておけば後で回収する。」
放り投げられたキーを受け取った芹花さんが、鉄造りの扉を押し開ける。
この外まで付いていくことは許されていない。
「・・・っ、せりりん!」
堪えきれなくなったように水那方さんが声を上げる。
「何か足りないものとかない?ちゃんと生活していける?本当に1人で大丈夫?」
「ああ、お前よりはな。」
捲し立てる水那方さんに苦笑しながら答える芹花さん。
「お前のお陰だよ、皐月。お前が私を強くしたんだ。」
ああ、もう泣いてしまいそうだ。
でもダメだ、堪えなきゃ、涙を見せちゃいけない。
これは芹花さんの新しい人生の門出だ。形の上では懲戒でも、芹花さんにとっては喜ばしいことのはずなんだ。
だから、僕が芹花さんの枷になったらいけない。笑って送り出さなきゃいけない。
「芹花さんっ!」
僕は今、笑えてるだろうか?震えてままならない頬は、ちゃんと持ち上がってくれてるだろうか?
限界だ。これ以上は感情を抑えきれない。
僕は思い切り頭を下げ、裏返りそうな声で叫んだ。
「ありがとうございました!」
言葉にできる精一杯に、思いの丈を込める。
「龍。」
呼ばれて顔を上げた僕の目に、一瞬だけ映った、芹花さんの眼差し。
くるりと背を向けつつ、芹花さんは一言だけ、静かに呟いた。
「お前に出会えて、よかったよ。」
閉まりゆく鉄の扉。芹花さんの姿が向こう側に消えていく。
最後のあの眼差しの意味は何だったのだろう。
喜びでも悲しみでもない、寂しさともまた違った、透明な眼差し。
それが気になり、つい後を追って駆け出しそうになった僕の手を、アレクさんが捉えた。
ガシャン
それは、2つの世界の断絶の音。僕と芹花さんの人生が、今後交わることは無いだろう。
どちらが過酷かといえば間違いなく僕のほうだ。
これから僕は、芹花さんの助けを借りずに組織で生き抜いていかなければならない。
どうすればいい?何ができる?
(・・・大丈夫だ。問題ない。)
すべきことは全部芹花さんが教えてくれた。行き詰まったら芹花さんの姿を思い出せばいいんだ。きっとそこに答えがある。
彼女の顔に泥を塗らないためにもみっともないマネはできない。
たとえいなくなっても、僕は芹花さんの相棒なのだから・・・
そこで、ようやく僕は、自分に降りかかるかもしれない最も差し迫った懲戒の可能性について思い出した。
(・・・探さなきゃ、僕の銃・・・)
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