第13話 懲戒 ――その①

ジリリリリリ・・・


目覚ましの音に追い立てられて、僕は心地よい眠りの底からゆっくりと浮き上がった。

ぼんやりと焦点のあってきた目に映ったのは、いつもの居室のベッドとは違った簡素なアルミのサイドフレーム。

当然だ。昨日はそのまま研究等の病室で寝たのだから。

まだ少し頭がぼんやりしている。

随分とぐっすり眠れた気がするが、流石に全身に重石をぶら下げたようなだるさを感じる。

昨日あれほどのことがあったのだから無理もない。

思い返してみると本当に信じられない。もしかしたらすべてが夢だったのではないかと疑ってしまうくらいだ。

しかし、この体の重さと、包帯を巻かれた左腕に残る疼くような痛みが、紛れもなく現実の出来事だったことを思い知らせてくる。


非番ではあっても朝のミーティングは原則参加必須・・・なのだが、傍らの携帯で今日のスケジュールを確認すると、そこには体調次第で休んでもいい旨のメッセージがアレクさんから入っていた。


どうしようか・・・正直このまま寝ていたいが、芹花さんとも早く顔を合わせたい。

そうだ、まだ伝えてない感謝の言葉を、僕からも言わなきゃいけない・・・そう決めたんだった。


芹花さんのことを考えた瞬間、昨日寝る前の記憶が鮮明に蘇り、ボッと一気に体温が上がるのを感じた。

(・・・柔らかかったな・・・)

肌を包んだ蕩けるような感触が、今も僅かながら留まっているように感じられ、僕は思わず自分の頬に指を伸ばした。


コン、コン、コン・・・


不意に響いたノックの音に、慌てて手を引っ込めつつ答える。

「は、はいっ」

「おはようございます、龍輔様。朝食をお持ちいたしました。」

(わ、こ・・・この声は、櫻井さんっ!)

「あ、え、えと、はいっ、どうぞっ!」

どうしよう、そう返事したものの、どんな顔で出迎えればいいのか全く分からない。

昨晩、櫻井さんには酷いことをしてしまった。

櫻井さんだって僕を心配して、彼女なりのやり方で僕を労ろうとしてくれていたに違いない。

冷静になって考えてみると、僕の態度は流石に有り得ないものだった。

穴があったら入りたい。

しかし鍵の無い病室にて既に入室許可を与えてしまっている。心の準備の暇など無く、すぐにガチャリとドアが開いた。

「失礼いたします。」

ワゴンを押して入ってくる櫻井さんの顔は、拍子抜けするほど普段と変わらない穏やかな笑みを湛えていた。

クローシュを持ち上げた途端に立ち上る湯気。

美味しそうな匂いに誘われてテーブルに着いた僕の前に配膳されたのは、鰹節の添えられたお粥と、いくつかの小鉢。

お粥にはスライスした鶏肉が混ぜ込んであった。

「大変な任務を終えられた後ですから、胃腸も幾分か弱ってらっしゃるかと思いまして、今朝はお粥にしてみました。

お怪我の回復のためにタンパク質も摂取できるよう考慮しましたが、重いようでしたら別のメニューに差し替え致しますのでお申し付けください。

それともいつものトーストのほうがよろしかったでしょうか?」

「いえっ!これでいいです。凄く美味しそうですし!」

昨晩、最低の態度を取ってしまったにもかかわらず、櫻井さんは僕の体をこれ程までに気遣ってくれている。

僕はいてもたってもいられなくなり、朝食を並べ終えた櫻井さんに声を掛けた。

「あのっ、櫻井さんっ・・・」


ほぼ同時に、櫻井さんは崩れ落ちるようにして唐突に床へと座り込んだ。


「・・・あっ、えっ!?」

「先日は大変失礼いたしました。」

何事かと戸惑う僕の足下でしきりに額を床へと擦り付ける櫻井さん。

「龍輔さまに身勝手な奉仕を押し付けるという浅はかな所業、如何な罵倒を頂戴しようとも許されるものではございません。」

理解の域を遥かに超えた謝罪に圧倒されて、何か言おうにも言葉が出ない。

「何なりと処罰をお申し付けくださいませ。」

「しょ、処罰なんてっ!」

どうにか声を絞り出して櫻井さんに顔を上げさせた僕は、詰まっていた言葉を喉から押し出した。

「僕のほうこそ、すみませんでした。櫻井さんは僕を気遣ってくれてたのに、僕はあんな酷い態度を・・・」

僕が頭を下げると、今度は櫻井さんのほうから慌てたような声が返ってきた。

「滅相もございません!全ては私の不徳の致すところ。龍輔様がお気になさる必要は全くございません!」

「いや、でも・・・大声出しちゃったし、乱暴に突き飛ばすなんて・・・」

食い下がる僕に、不思議なものでも見るような視線を向けてくる櫻井さん。その張り詰めた表情が緩んでいつもの温かな笑みに代わるのを見て、僕もようやくほっと息を吐いた。

「龍輔さんは、お優しいんですね。」

そのような賛辞を、僕が、よりによって櫻井さんから貰えるに値するとは到底思えない。

日頃の何気ないことでも、少し注意を向ければ、櫻井さんの行動には相手への気遣いが隅々にまで満ちていることに気付かされる。

翻って僕はどうだろう。

僕の思考はいつだって、気付いたら自分の内側へと深く潜ってしまっている。相手のことが、目の前のことが、見える筈のものが見えなくなってしまう。

それが諦観であれ、自嘲であれ、意識の先にあるのはどこまでも自分自身だ。

肥大化した自意識、歪んだ自己愛こそが僕の本質なのか。

基本的に、僕の精神は他者を思いやれるようにはできていないのではないか。


今もこうやって僕を閉じ込めてしまいそうになる思考の檻を、いとも簡単に瓦解させていく、櫻井さんの敬意に満ちた眼差し。

「綺麗事だけでは済まない任務に従事なさっていることは充分に存じております。お優しい龍輔様であればこそ苦しい思いをなさることも多いかとお察しします。

分を弁えない差し出口で恐縮ですが、どうか自分をお許しになってください。

辛いことがおありでしたら、いつでもお声掛けくださいませ。」

そう言い残して退出する櫻井さんの後姿を見送りながら、どうやったらこうも他人のことを思いやれるのかとつくづく考えさせられる。

困っている人を目の前にしたとき、僕は途方に暮れてばかりだ。どんな手助けが必要かを聞き出すことも躊躇われてしまう。それが自分の手に余るものであったとき、意に沿えず失望されるのが怖いからだ。


(お声掛けください、か・・・)

そのとき、ふと「お声掛け」というのがアレ系の要望のことを指している可能性に気付いた僕は、先程とは別種の情動に頬が炙られるのを感じるのだった。



--------



朝食を終えた頃には、急がないとミーティングに間に合わない時間になってしまっていた。

慌てて着替えてから病室を飛び出そうとした僕は、あるべきものの存在の欠如にこのときようやく気付いた。

(銃が・・・銃とガンホルダーが無い!)

ベッドのケットを剥ぎ取っても、ごみ箱をひっくり返しても、どこにも見当たらない。

どうしよう、銃の紛失はBCL規定上かなりの重大事案だった筈だ。

このままでは相当厳しい懲戒を受けてしまうことになりはしないか。

どうしよう、どうすればいい・・・ヤキモキを押し留めつつ冷静に昨日のことを思い出そうと試みる。

そうだ、警察に連行されながら、廊下で自分の内腿をまさぐった時、あの時には確かにまだあった。

問題はその後だが・・・あれから気を失うまでは朦朧としていて正直ほとんど覚えていない。

病室で目を覚ましてからはどうだろうか?

いくら記憶を掘り起こしても、僕はこの病室で銃を見た覚えがなかった。

一緒に病室に運ばれてこなかったのか?

いや、そうとも限らない。意識を取り戻した後もぼーっとした感じはあったし、注意を向けなければその存在に気付かないことは充分にあり得る。

仮にこの病室に一時でも銃があったのだとして、少なくとも僕の不注意によりどこかへ置き忘れてしまったということはなさそうだ。それなら流石に見かけた記憶すらないということはないだろう。


もし・・・もし第3者がこの部屋から持ち出したとしたら、誰の可能性があるだろう?

僕の記憶にある限り、この病室を訪れたのは3人。

水那方さん、芹花さん、櫻井さんだ。

水那方さんが人のものをこそこそ持ち出すなんて考えられない。彼女なら必要であれば躊躇いなく「貸して」と要望してくる筈だ。第一、水那方さんも自分の銃を持っているのだから、他人の銃をくすねる理由がない。

芹花さんも全く同じ理由で除外できるだろう。

じゃあ、櫻井さんは?

それこそあり得ない。彼女の場合、そもそも銃なんて手に入れても使い途が・・・


ぞくり・・・と、僕の背筋を震わせたのは、“動機”とは全く別方向からの思考だった。


昨日、櫻井さんが僕の許を訪れたのは、本当に慰労が目的だったのか?

何かしら重要なもの・・・書類や鞄、財布、時にはデータなどを盗み取る有効な手段として色仕掛けが用いられてきた歴史を僕も知らないワケではない。

あの櫻井さんの幻想的ともいえる程の妖艶さが、その裏にある真の目的を覆い隠すためのものだったとしたら・・・

ついさっき感銘を貰ったばかりの櫻井さんをこうも疑わしく感じるなんて、自分の認識の節操無さにほとほと呆れてしまうが、頭に浮かんだ疑念を無視することがどうしてもできなかった。


(・・・やめよう。証拠も何も無いんだ。)

僕は頭を振って自分の妄想を振り払った。

大体、あの病室に銃があったという所からして単なる仮定だ。

それより遥かに納得できる推測がある。僕がアジトに担ぎ込まれて気を失ったまま治療を受ける際にガンホルダーが取り外され、今もどこかで保管されているという可能性だ。


素直にアレクさんに訊けば、案外すんなりと在り処を知れるのではないか・・・そう考えると今しがたの自分の狼狽が急に馬鹿らしくなり、嘘のように軽くなった足で、僕は小走りしながらミーティングルームへと向かった。



--------



「わーっ!お兄ちゃんお疲れ様っ!昨日はよく頑張ったね!起きても大丈夫?疲れてない?どこか痛くない?」

開始時間間際にミーティングルームに到着した僕を迎えたのは、朝の気怠さを吹き飛ばしてくれる元気な声だった。

「ねえねえヒドイんだよ!?玲香だってお兄ちゃんをお見舞いに行きたかったのに。玲香だけ研究棟の入棟許可が出なかったの!」

膨れっ面で熱弁する玲香ちゃん。

「私だってお兄ちゃんの傍で看病したかったのに!目を覚ましたお兄ちゃんと目が合った瞬間リンゴ剥いてるナイフを取り落とすイメージまでできてたのにっ!」

「あれ?れいちゃんってリンゴ剥けたっけ?」

割り込んできた声は水那方さんのものだ。

「剥けるもん!ちょっと皮が厚くなっちゃうだけだもんっ!」

「え~~っ、前に剥いてもらったときほとんど芯だけになってたじゃん・・・

っと、そんなことより、りうっちおはよう!随分顔色よくなったね!昨日はちょっと貧血っぽい青白さで心配だったけど、もう大丈夫みたいだね!」

「えっと、そ、そう?」

昨日の自分がどんな状態だったかあまり自覚が無い。それでも、意識を取り戻して目を開いた先に水那方さんの顔があったのが本当に心強かったのは覚えている。

「昨日は、ありがとう・・・その、看病してくれて。」

詰まりながらも感謝の言葉を口にする。

「ん、いいよお礼なんて。りうっちが無事でホントよかった。」

ちょっと恥ずかしそうに頭を掻く水那方さん、可愛く頬を膨らませたままの玲香ちゃんも、死地をからがら脱したばかりの僕にとって代えがたい癒しだった。


今、この部屋にいるのはあと2人。鉄真はこっちを一瞥したきりで興味なさそうにしている。陣くんにいたっては、僕の顔を見るなり「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

そして、今僕が一番お礼の言葉を伝えたいと思っている芹花さんは、残念ながらまだ来ていないようだ。

そういえば、僕はどんな顔をして芹花さんに話し掛ければいいのだろう。

昨日あんなことがあったのだ、自然に顔を合わせられる自信が全くない。まあどうせ気にしているのは僕だけで芹花さんは普段通りだろうから、その余裕に頼るしかない。


気を揉みながら待つ僕の前に、しかし芹花さんは一向に現れなかった。

しばらくして姿を現したのはアレクさん。もうミーティングの開始時間だ。

「おはよう諸君!おー、みんな揃ってるようだな。龍クンも起きてきたか。

それじゃ、ミーティングを始めるぞ。」

アレクさんの一声で場の空気が引き締まる。

鴉がアレクさんに仕切りを任せて朝ミーティングに参加しないのは度々あることなので気にする必要もないだろう。

それより、とうとう芹花さんが来ないままミーティングが始まってしまった。

居室で休んでいるのだろうか。

考えてみればそれで良かった気がする。昨晩は平然と振舞っていたように見えたが、実際にはかなりのダメージを隠して何ともないように見せかけていただけかもしれない。

休めるときにゆっくり休んで欲しい。

ミーティングが終わった後で僕のほうから芹花さんの居室を訪問すればいいだけだ。


「さて、昨日は芹花・龍輔組のミッションが完了した。龍クンの初陣にして、ターゲットの殲滅という目標は最終的に達成された。よく頑張ったな、龍クン。」

アレクさんの思わぬ労いに少し胸が熱くなる。

この言葉は芹花さんと並んで聞きたかった・・・そう思うと、やっぱり芹花さんの欠席は少し勿体なかったなという気がしてくる。


「そのミッションについてだが、BCLイグザミニーズメンバー薄野芹花による重大な規約違反が多数散見された。」


突如として厳めしく変わったアレクさんの口調。

それは、浮かれていた僕の気分を瞬時に凍り付かせるのに充分な重さだった。


「虚偽の報告書の提出、異動命令無視、ミッションの独断決行・・・」


淡々と並べられる事実が、嫌な予感を増幅させていく。

同時に、誰に向いているのか自分でも分からない怒りが沸々と湧き上がるのを感じた。


・・・違う・・・そうじゃない・・・!

何が分かるっていうんだ・・・芹花さんの何を知ってるっていうんだ!

芹花さんの苦悩を、葛藤を、決断を、そんな言葉で片づけるな!


「度重なる違反によってBCLにもたらされた危機は到底看過できるものではなく・・・」


やり場のない僕の苛立ちを無視するかのように、アレクさんの通告はごく事務的に進み、


「よって・・・」


そしてついに、その口から核心が発せられた。



「本日をもって、薄野芹花はBCLイグザミニーズを除隊。BCLを除籍処分とする。」

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