第6話 対戦 ――その②

「うりゃ!うりゃ!うりゃ!とーう!!」

「ほい、ほい・・・ほいっと。」

「う、くそっ!負けるかっ!」

昼下がりの屋内、僕と水那方さんの間で、小一時間前と同じ様なやり取りが行われていた。

しかし、その時と決定的に違うのは、今は僕が水那方さんを手玉に取っているという点だ。

繰り出される付きや蹴りを引き付けて寸前で受け流し、カウンターで効率的に相手の体力を削っていく。

「くっ、この~っ!」

苦し紛れにジャンプからの大技を狙って突進してくる水那方さん。

だが僕には好戦的な水那方さんが一か八かの玉砕に出ることが手に取るように予測できた。

冷静に下を潜った僕は、がら空きの背中にとどめの一発を見舞い、勝負は決した。

水那方さんを全く寄せ付けない磐石の試合運び。

You Win!

「うぐっ、ダメだ、りうっちに全然勝てない・・・」

それも当然である。繰り広げられている格闘は、ゲームの中のものなのだから。

この分野であれば相手が誰であってもそうそう遅れを取る気はしない。

(・・・だけど。)

思ったよりやるなぁ、というのが、正直な感想である。

どう見てもアウトドア派な水那方さんがここまでゲームに熟達しているのは逆に驚きだった。

まあ、こんな落ち着いた感想を持てるのも、ゲームを始めてからまだ一度も彼女に負けていないからなのだが。


地下施設で生活することになった僕だが、地上へは意外とすんなり出られる。これは薄野さんの作戦行動に付いていったときにも感じたことだ。

外出には申請が必要であり、その際は行き先と帰宅時間を明示する必要がある。だが、行き先については県を跨いで別の場所に向かわなければ基本問題無いらしい。帰宅時間についてはかなり厳格にチェックされるものの、あらかじめ遅めに申請しておけば特に不自由はしない。

申請はすぐに通るので、思い付きでふらっと外に出ることも充分可能なようだった。

僕らがこうやってゲームセンターで対戦に興じているのも、与えられた自由を存分に享受している証拠と言える。


You Win!

「だーーっ!またやられたーーっ!」

僕に捧げられたもう何度目か分からない勝利の宣告に重ねて、台の向こうから悲痛な叫びが聞こえてきた。

「りうっち・・・強すぎじゃない?この私が一度も勝てないなんて・・・」

「まあ、その、このゲームはそれなりにやり込んでるし・・・というか水那方さんも充分強いよ。」

「む~~っ、上から目線だ!」

「あ、いや、そういうつもりじゃなくて・・・」

言われてみて初めて自分の高慢さに気付く。今の自分はこんな非生産的な技術を誇って悦に入っている場合ではないだろう。

「調子に乗っていられるのも今のうちだからな!いつか絶対りうっちを倒してやる!そのためにも、りうっちは今日から・・・」

びしっと僕に指を突き付け、水那方さんが高らかに宣言する。

「私の師匠だ!!」

「・・・え?」

威勢のいい語気と言葉の内容が全く一致していない。

「分かった?りうっち!」

「は、はぁ・・・」

敵に塩を思い切りねだる行為のような気がするが、彼女のプライド的には問題無いのだろうか?

「ふっふ、逃がさないからね!これからは暇な時間があれば特訓に付き合ってもらうから!」

どうやら僕は、僕を倒すための特訓に付き合わされるらしい。

(まあ、それでも・・・)

活き活きした水那方さんの笑顔を見ると、そう悪い気はしなかった。現実の格闘を教えてもらう対価としては安いものである。

「それにしても、りうっちこれだけ強ければチームナンバー1の地位も狙えるんじゃない?」

(・・・え?)

水那方さんの物言いに僕はちょっとした引っ掛かりを覚えた。

「組織には、他にかなり強い人がいるの?」

「強いなんてもんじゃないよ!なんたってこの私が一度も勝てたこと無いんだから!」

その表現だと僕からは微妙に強さの度合いが分からないが、腕の立つゲーマーがいるというのは俄然興味の湧く話だ。

(一体誰なんだろう?アレクさんかな?)

アレクさんならどんなことも器用にこなすイメージがあるし、それにちらっと『キミもゲームが得意なら・・・』みたいなことを言っていた記憶がある。

色々と考えを巡らせていると、不意に筐体の画面に割り込み対戦の通知が表示された。

(お、誰だ?)

どうやら通信対戦らしい。プレイヤー名にはCloudineと表示されている。外国名のように見えるがネット対戦時の名前など相手の素性のヒントにはなり得ない。

「おおっ!早速出てきたね!」

水那方さんが歓声を上げた。対戦の通知は水那方さん側の筐体にも表示されているが、“早速出てきた”というのはどういう意味だろう?

有名な人なのか?水那方さんの知り合いなのだろうか。

「いきなりチーム頂上決戦かぁ!くぅ~~~、燃えてくるね!」

「・・・えっ!?」

今、チーム頂上決戦と言ったのか?

ということは、この人がBCL最強のプレイヤー?

「え、えっと、水那方さん。この人って・・・」

誰なの?と訊こうとして、改めて対戦相手の名前を観た僕は、あっ、と小さく声を上げた。

Cloudine・・・Cloudine??

もしかして・・・

「我がチーム最強の格ゲー戦士、ディーネちゃんだよ!」

興奮気味に水那方さんが教えてくれる。

改めて考えてみれば、ディーネさんほどBCL内で最強ゲーマーの肩書きに相応しい人はいないだろう。

『龍くん、いくよ~~!手加減はしないからね!』

突如、筐体から声が湧き出て、僕はビクッと肩を震わせた。

まさか、アーケード機をハックしたのか!?それとも、僕と水那方さんの携帯端末を使った得意のマジックだろうか。

「りうっち頑張れ~~~!!師匠の強さを見せ付けてやれ!!」

あれよあれよとジャッジのカウントダウンが始まり、僕は現状の把握もままならないままコントローラーを握った。


Round1 Fight!


とにかく、こうなったからには全力でやるしかない。

僕が使うのは万能タイプの日本武術家キャラ。バランスがよく戦術選択の幅も広いのでやりこみ甲斐があるキャラである。

ディーネさんが選択したのは小柄な女性キャラだ。敏捷性に優れているが基本技の威力は低い。しかしアクロバティックな跳び技は欠点を補うに余りある威力を備えている。

ディーネさんのあのキャラは僕もよく使う、レスポンスが速くて使い勝手がいいし、華麗なアクションはプレイしていて楽しい。

ただ、真剣勝負では選択を避けることが多い。あのキャラには重大な欠点があるからだ。

僕はジャブでけん制しつつじわじわと間合いを詰めていく。

地味だが、あのキャラを相手にするには堅実な戦い方である。

あのキャラの一番の弱点は、ロバストネスが低く被ダメージが大きいことだ。

このゲームでは、ガードの上からの攻撃でも一定のダメージを相手に与えることができる。躱しづらい地味な技の当て合いになればロバストネスの低さは致命的な欠点となって勝敗に多大な影響を及ぼすのだ。

加えて、そういう闘いになればあのキャラにとっては基本技の威力の低さもネックとなる。

だからといって無理に大技を繰り出せばカウンターの絶好の餌食だ。

プレッシャーを与えて少しずつライフゲージを削り、無理な飛び出しを誘ってカウンターで沈める・・・それがあのキャラを相手にするときの王道の闘い方なのだ。


ジャブを散らせて間合いを計っていた僕は、相手の踏み込みに合わせてしゃがみ込み、足元目掛けてパンチを放った。

実際の格闘では有り得ない技だろうが、この技はガードしづらく躱し辛い上に、カウンターを取ろうとしても攻撃に晒される面積が小さいので難しく、このゲームでは定番の削り技だ。ジャンプで躱されたとしてもアッパーからの追い討ちが強力で、コンボに繋げば多大なダメージを与えることができる。


慎重に慎重を期して放ったその技を、ディーネさんは何気なくひょいっと脇にはたいた。

(・・・えっ?)

下段逸らし!?

そんな馬鹿なっ!!

捌き技は単純なガードと違ってダメージを受けることがなく、逆に相手のたいを崩すことができるため、上手く使えば非常に有用だ。

しかし、相手の攻撃に対してタイミングを合わせるのが難しいので、クセも何も分からない初対戦の相手に最初からいきなり決められる技ではない。

しかも、ディーネさんは、タイミングを念入りに偽装して放ったモーションの小さいしゃがみパンチに合わせてきたのだ。

キャラの制御が利かなくなる一瞬を逃さず、ディーネさんの水面蹴りが襲い掛かってくる。

成す術なくそれを食らった僕は、更に煽り技で完全に宙に浮かされた。

こうなってしまってはもうどうしようもない。キャンセル不可能なコンボが終わるまでただ待つしかない。

旋風脚に双龍脚、そしてラストの・・・

(・・・あれ?)

ここではムーンサルトキックが定番技だが、ディーネさんは回し蹴りのモーションに入っている。

単なる回し蹴りだとムーンサルトキックに比べてトータルダメージが劣ってしまうはずだが、技の選択ミスだろうか?

しかし、これほどのプレイヤーがそんなミスを犯すだろうか・・・

(・・・しまった!まずいっ!!)

回し蹴りを食らった瞬間、僕はディーネさんの狙いに気付いた。

この回し蹴りだと、弾き飛ばされる方向がムーンサルトキックとは異なる。

問題は、弾き飛ばされたその先。そこに存在するコンクリート塀だ。

ディーネさんの狙いは、僕を壁挟撃に追い込むことだったのだ。

塀への衝突の間際、僕は咄嗟に受身を取って跳ね返りを防ぐ。

間一髪でディーネさんの蹴りが鼻先を掠めた。これを食らっていたら挟撃に巻き込まれてこのラウンドは終わっていただろう。

この攻防でハッキリしたのは、ディーネさんが僕を格下と見ているということだ。

壁挟撃狙いに僕が嵌ると思ったからこそ、絶対に稼げるコンボダメージをあえて犠牲にして回し蹴りを選んだ。言い換えると、相手が僕ならば着実にHPを削る必要など無いという判断をディーネさんは下したわけだ。

ディーネさんの選択は僕のプライドを大きく傷つけるものだったが、実際にここまでやられっ放しなのだから仕方ない。評価を覆すにはゲームで一矢報いるしかない。

そのためにも反撃が必要なのだが、僕は未だに壁際から脱出できずにいた。

ディーネさんの猛攻が止まらない。

この状態で迂闊に手を出そうものなら、逆にカウンターをもらって一気に勝負が決まってしまうだろう。

必死にガードで堪えるものの、ガードの上からでも若干のダメージを受けるこのゲームでこんな状況が続いてしまっては完全にジリ貧だ。

(くっ、どうすればっ!)

できることは多くない。何とかして押し返すしかない。

僕はディーネさんの連打が途切れた一瞬を狙ってジャブを突き出した。

(・・・あ・・・)

しかし、次の瞬間、僕は絶望的な気分に陥った。

するりとジャブを躱して無防備の懐に潜り込むディーネさん。

誘われたのだ。

防ぐ間も躱す間も与えられず、ディーネさんの肘が鳩尾にめり込んだ。

その一撃でキャラの制御を失った僕に、もはや壁挟撃を逃れる術は残されていなかった。


You Lose!


圧倒的だ。1発も返すことができなかった。

このゲームで僕がラウンドをパーフェクトで落とすのは初めてのことだった。

「すげぇ・・・」

不意に背後から漏れ聞こえる感嘆の声。徐々にギャラリーが付き始めたようだ。

練り上げられた技は見る者に一種の快感を与える。惨敗を喫した僕でさえ、胸中には悔しさを通り越して清々しさみたいなものを感じてしまうくらいだ。

凄まじい使い手である。ゴチャゴチャと余計な事を考えていて勝てる相手ではない。

体中の神経が目の前の画面へと集中していく。周囲の音や景色は、薄膜の向こう側にあるかのようにぼんやりしたものとなった。


Round2 Fight!


(・・・ここだっ!)

僕が仕掛けたのは、1ラウンド目よりかなり遠い間合いからだった。

ジャンプからの足刀前蹴り。

前のラウンドと同じように基本技での削り合いを挑んでくると思ったのだろう。やや対応の遅れたディーネさんは、切り返しを狙わず無難にガードを固めてその蹴りを防いだ。

(よしっ!受けてくれた!)

ガードの上からとはいえ、今まで霞のようだった相手から感じた確かな手応え。僅かではあるものの減衰するHPゲージ。

ここぞとばかりに、僕は畳み掛けるように連続攻撃を仕掛けた。

持てる技を総動員して、とにかく攻めて攻めて攻めまくる。生まれる隙は次なる攻撃で埋めればいい。

前のラウンドにおいて“静”の攻防ではまるで歯が立たなかった。

勝機が残っているとしたら、それはおそらく激しい“動”の中にしかない。

最初のうちはこちらの攻撃を丁寧にブロックして対処していたディーネさんだったが、徐々に馴れ始めたのか、カウンターでの反撃が増えてくる。

やがて、戦いはお互いが手数を尽くした超乱戦へと突入していった。

乱戦とは言っても、デタラメに捨て身の攻撃を仕掛ければいいというわけではない。少しでも気を抜けば、たちまち技の濁流に飲み込まれて一気にHPを失ってしまう。

神経をすり減らす綱渡りの攻防だ。

クリーンヒットの数は、僕が1に対してディーネさんが2くらいの割合だろうか。いくらロバストネスに差があるとはいえ、これではさすがに分が悪い。

出だしで築いたマージンは既に吸収され、次第に敗色が濃厚になってきた。

ディーネさんのHPもかなり削ったが、僕の技量ではどうしてもこれが精一杯だ。

やがて、僕のHPは、ガードの上からの攻撃でも1発で空になってしまうまでに減らされてしまった。

完全に崖っぷちである。

僕は一旦距離を取って、ジャブやローキックで間合いを計る。

もはやこれまでのようにひたすら殴り合う攻防は出来ない。僕はディーネさんの攻撃を1発ももらうことなく一方的に相手に攻撃を当て続けなければならないのだ。

だが、そんなことは限りなく不可能に近い。

勝利を決定付けるべく、ディーネさんが近付いてくる。

大胆に間を詰めるその動きからは余裕が感じられる。それも当然だろう。ここから僕が逆転できる可能性などほぼ皆無に等しい。

(・・・くっ!)

ディーネさんが間合いに踏み入った瞬間、僕は咄嗟にしゃがみ込み・・・


その直後、ディーネさんの頭上へと大きく跳び上がった。


これが最後の賭けだ。

そして、僕はどうやらその賭けに勝ったらしい。

僕が繰り出したのは大技の胴回し回転蹴り。通常ならディーネさんが食らうような技ではないが、しゃがみフェイントが功を奏してディーネさんの反応が僅かに鈍った。

間合いを取ってジャブやローキックのフェイントを入れたのはこのための仕込みだ。1撃も食らえない状況に追い込まれたことで、もはや僕には大胆な選択ができなくなったと思わせたかったのだ。

そういう心理に陥ったならば、カウンターのリスクが少なく攻撃を当てやすいしゃがみパンチは僕が選択し得る最も有力な選択肢と言える。

だからこそ、そのしゃがみパンチの初動を囮にしたことで、僕はディーネさんの反応を遅らせることに成功したというわけだ。

ガードを貫通するこの胴回し回転蹴りの前では、回避する猶予を失った時点でもう対処は不可能である。

直撃を食らったディーネさんをさらに蹴り上げて浮かせ、僕はコンボを仕掛ける。

コンボのトータルダメージで、ディーネさんのHPをぴったりゼロに出来る筈だ。

コントローラーを握る手に力を込めて、僕は技を重ねた。

1発、2発、そして・・・

(いけぇぇぇっ!!!!)

最後の技がディーネさんにヒットし、HPゲージの棒グラフが完全に消滅した。


You Win!


周囲から「おおーっ」とどよめきの声が巻き起こる。

気付かないうちに随分とギャラリーが増えていたらしい。

(か、勝った・・・のか・・・?)

「おおお~~~っ!!りうっちやった~~~!!すごい!すごい!」

いつの間にか僕の隣に回りこんでいた水那方さんが大喜びで僕に抱きついてくる。

「わっ、ちょ、ちょっと・・・」

余程興奮しているらしく、僕の抗議などお構いなしだ。

それにしても、本当にギリギリだった。

持てる力を出し尽くした上にこちらの一か八かの戦略がたまたま全て嵌ってくれたラッキーなラウンドだったにも関わらず、ゲージが見えないくらいの僅かなHPしか残らない薄氷の逆転勝利だった。

ディーネさんは僕を侮っていた。僕とディーネさんの間にはそれだけの実力差があるのだから無理も無い。

しかしだからこそ、僕がしゃがみフェイントを入れた瞬間、下段逸らしで華麗に勝利する画が頭に浮かんだ筈だ。

今回の逆転劇は、ディーネさんのそういう心理をも利用してようやく成し得たものだった。

だが・・・

「ごめん、水那方さん。そろそろちょっと、その、離れてくれないかな。」

このゲームは3ラウンド先取なのだ。現在の互いの取得ラウンド数は1対1。まだまだ勝負は続く。

先のラウンドで使った手はもはや2度と通じないだろう。

まるで勝てる気がしない。


Round3 Fight!


望みを託せるような秘策などもありはしない。対戦の展望は絶望的だった。

しかし、これほどのプレイヤーと対戦できる興奮は、絶望を遥かに上回るものだった。

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