第9話 誤算 ――その③
(・・・・っ!!??)
突如、天地が反転し、全身が地面に叩きつけられた。
「・・・かはっっっっ・・・!!!!」
電流が駆け巡るような激痛に、膝、胴、額が灼かれる。
悲鳴を上げようにも息が詰まって声すら出ない。
気付いたときには、僕はショウに組み敷かれていた。
(・・・えっ・・・何っ・・・バレてっ!?)
何だこの状況は。どうしてこんなことになってるんだ?
ついさっきまで作戦通りに進んでいた筈だ。
何も問題なんて無かった筈なんだ。
なのに、なんだこれは?何が起こっているんだ?
僕の頭は完全に混乱し切っていた。
これは・・・かなりまずい状況なんじゃないか?
血の気がサーっと引いていく。
「・・・っ、があぁっ・・・!!」
後ろ手に締め上げられ、ギシギシと軋む肩。
身体が全く動かせない。背中に押し当てられた膝で肺がぐいぐい圧迫され、酸素の欠乏が顔の痺れを誘発し始めていた。
油断していたワケじゃない。
ここは敵のアジトのど真ん中。いつ襲い掛かられるか分からないという危惧はあった。
だからこそ注意深く“力”を張り巡らせて男たちの心の動きを探っていたのだ。
だが、寺門が発した思いも寄らない言葉に、動揺を隠すため反射的に“力”を切った。
まさにその瞬間を、不幸にも突かれる形になってしまった。
視界の隅に、僕と同じように組み伏せられている芹花さんの姿が映った。
「・・・寺門っ・・・貴様ぁっ!!!!」
「おうおう、そんなに睨むなよ芹花。俺とお前の仲じゃねぇか。」
もはや上辺の丁寧さを完全に取り払って、馬鹿にしたような口調で寺門が言った。
「それにしてもよく化けやがったなぁ。タレコミがなけりゃ気付かなかったぞ。こいつは地毛か?んん~~?」
芹花さんの髪を鷲掴みにし、強引に引き上げる。
小さく呻きながら寺門を睨みつける芹花さん。
「・・・っ、誰のタレコミだっ・・・誰に聞いたっ!」
ガシャアアアッ!!!!
「誰が質問しろって言ったよコラぁぁ!!!!」
(・・・ひっ・・・!)
耳をつんざく怒号と騒音に、心臓が止まりそうだった。
「それより今はお前のことじゃねぇのか?ん?何しに来たんだ・・・銃なんか持ってよ。」
芹花さんの銃は彼女を押さえている部下の1人に探り当てられ、取り上げられていた。
「おい!ショウ!」
「ウッス!さーて、失礼するねお嬢ちゃんっと・・・」
寺門の指図を受けて、ショウが僕の体をまさぐる。
事態の激変についていけずなすがままの僕は、太腿の外側に隠した銃がショウの手によって抜き取られるのを呆然と見送ってしまっていた。
「あれー、お嬢ちゃん。こいつで何をしようとしてたのかなぁ?ボクタチを殺す気だったのかなぁ?」
こめかみに突きつけられる、ひんやりと冷たい銃口。
「バアァァァァン!!!!」
(・・・っ、ひぃぃぃっ!!!!)
一瞬、目の前が真っ暗になった。
下腹部の感覚が何かおかしい。全く力が入らない。漏らしてしまうときというのはこんな感じなのだろうか。
全身を支配するのは、ただ“恐怖”のみだった。
「うっひゃっひゃっひゃ!!ごめんねお嬢ちゃんおどかしちゃって。さてと、他に武器は無いかな~~?」
無遠慮な手が僕の脚をいやらしく撫で回す。
ぞぞぞっと背筋に悪寒が走った。
泣き出したくなるような嫌悪感とともに湧き上がったのは、強烈な危機感だった。
(・・・やばいっ!バレるっ!!)
肌の感触を味わうように、ショウの手が少しずつ股間に近付いてくる。
このままでは男だとバレてしまう。
もしバレたら一体どうなるのか・・・考えたくも無い。僕は必死に身を捩って抵抗したが、腕を捻りあげられてやすやすと制されてしまった。
「・・・ぐ・・・かぁっ!!」
「ちょっとちょっと、おとなしくしてないとダメじゃんよ。」
太股から足の付け根へと、ゆっくりショウの手が這い登ってきて・・・
そしてついに、僕の股間に触れた。
「んんん~~?何だこれは?おいおい、こんなところにもう一本銃がぶら下がってるぞ?」
ダメだ。終わった。バレた。おしまいだ。
自分でもよく分からないが、この瞬間、僕は心底自分が男であることを呪っていた。
それが馬鹿な倒錯だと思い至ることができるだけの余裕も、もはや残されてはいない。
「おい、これはどういうことだ?」
「・・・・・」
ギリリッ!!!!
「どういうことだって訊いてんだろぉが!!!!」
「ぎぃいいいいあああああっっ!!!!」
目の奥で火花が散った。身体がバラバラになるかと思うほどの痛みが下腹部を襲う。
「社長、こいつ男っすよ。」
ショウの手が緩むことなく急所をゴリゴリと握りめる。
(ひぃっ!!ひぃぃっ!!!!)
涙が、唾が、自分の意思に反してだらしなく漏れ落ちた。
「・・・ほぉ。」
すうっと目を細める寺門。
射抜くような視線が、僕の心胆を凍りつかせた。
呻き声すら出ないほど喉がカラカラだ。
もしこの喉が声を発することができたなら、恥も体面も無く許しを乞うていたかもしれない。
やはり怒っているだろうか?
当然そうだろう。僕は女装して、彼らを騙してその懐へと潜入したのだ。
忍ばせていた銃が見つかったからには、僕らの目的はもう分かり切っているだろう。
殺そうとしていた相手にその企みがバレてしまったのだ。それも、組長と呼ばれる人物に・・・
怒鳴り声が、暴力が、いつ自身に降りかかってくるか分からず、僕はひたすら身体を強張らせて沈黙に耐えた。
「こいつぁ拾いモンだ。いい土産連れてきてんじゃねぇか。なぁ、芹花。」
しかし、寺門が示したのはむしろ逆の反応だった。
(・・・拾いモン?・・・土産・・・?)
何を言っているのか理解できない。
「ガチで女装に堪え得る男娼ってのは相当レアだからな。コイツなら顔イジんなくてもそのまま出せそうだ。高く売れるぜぇ。」
(・・・だ、男娼!!??)
・・・駄目だ、やっぱり分からない。
辞書的な意味は知っている単語だが、思考がそれを受け付けない。
むしろ彼らが上機嫌であることに、苛烈な怒号や殴打に晒されないことに安堵すら覚えてしまったくらいだ。
「ショウ!丁度良かったな。そいつの仕込みはお前に任せるぞ。好物だろ?」
「うぃっす!ごちそうさんっす!・・・うひひっ、マジで俺好みの男のコだよ。さっきは痛くしてごめんな?」
先程とは一転、イソギンチャクのような粘着質な手付きでショウが僕の股間を揉み回す。
(・・・っ!・・・お、えぇっ・・・!!)
微かに抱いた浅はかな安堵など、一撫でで根こそぎ吹き飛ばされた。
猛烈な悪寒が腹の底からぶわっと湧き上がる。あまりの気持ち悪さに吐きそうだった。
彼の手が動くたび、“男娼”という言葉の持つ意味が容赦なく体に刻み込まれていく。
なんだこれ。
僕は一体何をしているんだ。
どうしてこんなのを我慢する必要があるんだ?僕はこいつらを殺しに来たんだ。だったら今すぐ殺せばいいじゃないか。
ここに踏み入る前の僕の逡巡は完全に間違っていた。こいつらは生きる価値のないゴミどもだ。ゴミを処分するのに良心の呵責なんて一切必要無い。
限度を超えた恐怖と不快感は、僕の中で圧倒的な怒りに昇華されつつあった。
僕にはできる。
サイトの“力”を使えばこのショウを簡単に殺せる。
しかし、そこには大きな障害があった。
確かにこの状態でも“力”を使えばショウ1人を殺すことは簡単だろう。だが、芹花さんの周りの連中はどうなる?
異変を目の当たりにした彼らが銃を使ったら、僕には対抗する術が無い。
力を全開で使えば連中もろとも死に追いやることが可能かもしれない。けれどもその場合に問題になるのが、芹花さんの存在だ。
芹花さんは男どもに囲まれた状態なのだ。連中を皆殺しにしようとすれば必然的に芹花さんも巻き込まれてしまう。
芹花さんが気絶していればどうだ?
いやいや、そんな都合よく気絶してくれるなんてことがそうそう起こるワケが無い。
だったら、どうする?
僕の間違いは芹花さんを戦力として考慮に入れていないことかもしれない。
彼女は僕より遥かに優秀な工作員の筈なのだ。同時に行動を起こすことができさえすれば、事態は打開できるのではないか。
(・・・何とかして、芹花さんとタイミングを合わせられれば・・・!)
その時、耳の奥に芹花さんからの信号音が届いた。
『タ・イ・キ』
モールス信号による芹花さんの指示は、僕に待機することを要求していた。
間を置かず、今度はディーネさんの声がイヤホンから聞こえた。
『龍クン、早まった行動はしないでね。』
落ち着いた呼び掛けに、昂ぶった熱が冷まされてゆく。
『彼らはあなたたち2人に高い商品価値を見出してる。大人しくしてれば当面命の危険は無いと思われるから、チャンスが来るまで従順にしてて。さっきBCLの待機メンバーにも協力を要請したから、待ってれば援軍も来るよ。
アクションを起こす場合、切欠は芹花に任せること。分かった?』
小さく奥歯を鳴らして了解の意を返す。
とにかく今は我慢。我慢だ。
ディーネさんの言う通り、殺されさえしなければ反撃のチャンスはいくらでもある筈だ。
「さーて、芹花。再会を祝う前に、お前に聞いておくことがある。どこの誰に言われてここに来たんだ?ほら、言ってみろ。」
いかにも余裕綽々の様子で寺門が芹花さんの顔に耳を近づける。
「ぺっ!」
芹花さんは反抗的な態度を緩めず、盛大に唾を吹きかけて凄んだ。
「言うかよっ・・・クズ野郎がっ・・・!」
バキィィィィッ!!!!
「・・・ごおっ!!」
容赦ない殴打が芹花さんの頬を捉え、その顔が大きく弾かれた。
「ははっ、強がらなくてもいいんだ。お前のことは俺が一番分かってるんだからな。
辛かったろ?苦しかったろ?
俺も悪いと思ってるんだよ。随分長い間お前をほったらかしにして。」
どうにも気味の悪い、勿体付けた言い方だ。嫌な予感しかしない。
「おい、ムーンライト持ってこい。」
「はい。」
寺門の指示を受けて、男たちの1人が社長室へと姿を消す。
「・・・ううっ!・・・くぅぅっ!!」
慌てたようにじたばたする芹花さんだったが、数人がかりで押さえ付けられた身体はびくともしない。
そんなに狼狽するほど深刻な事態が迫っているということだろうか?
(・・・何だ?ムーンライトって・・・)
今度は完全に知らない単語だ。だが、僕の頭の中には最悪の可能性が浮かんでいた。
というか、どんなに否定しようとしてもそれ以外思い浮かばない。
僕は聞かされているのだ。かつて寺門がどんなものを使って芹花さんの自由を奪ったのかを・・・
程なくして、先程の男が戻ってきた。
(・・・ぐっ・・・!!)
彼の手元を見て、胸中を絶望が支配する。
そこには、1本の注射器が握られていた。
懸念が杞憂である可能性を必死に模索していた僕の足掻きが、他愛も無く打ち砕かれた瞬間だった。
満足そうにニヤニヤしながら注射器を受け取る寺門。
「ほら、これが欲しかったんだろ?お前のお気に入りだもんな。」
「・・・っ、やめろっ!!・・・くぁぁぁぁっ!!」
「かーっ!もういいよそういうのは!嫌がるフリはよせって!お前がどういう経緯でここに辿り着いたかは知らねぇが、お前の本心はこれを欲しがってるんだよ。
これほど効きのいいブツは普通には手に入らねぇもんな?他のじゃ満足できなかったろ?
結局お前はこいつに引き寄せられたんだ。お前がこれの味を忘れられるワケねぇ。
案外、タレコミもお前の差し金なんじゃねぇのか?」
「何をっ・・・クソ野郎がっ!!ふざけるなぁっ!!!!」
その激しい抵抗を無視して、男たちの1人が芹花さんの腕を捲る。
(・・・ま、待てっ・・・やめてくれっ!!)
僕の脳裏に、発作に襲われてのたうつ芹花さんの姿が、彼女の心に触れたときのおぞましい感覚が蘇る。
あの薬から立ち直るために、芹花さんは想像を絶する戦いを今も続けているのだ。
その全てを台無しにしようというのか。
それなのに・・・それなのにどうして、こいつらはああやって笑っていられるんだ。
腹の奥で灼熱の何かがぐつぐつと煮えたぎる。
もう駄目だ。限界だ。我慢なんてできない。
こいつらは死ぬべき連中だ。芹花さんから合図さえあれば、すぐにでも殺してやる。
(・・・くっ、まだかっ!!まだなのかっ!!)
銀光を放つ針が、じりじりと芹花さんの二の腕に近付いていく。
もう合図があっていい筈だ。ベストのタイミングを待つなんて悠長なことを言っている場合ではない。
まずい。もう全く猶予が無い。どうして芹花さんは合図をくれないんだ。
注射器の針が、白く滑らかな肌に添えられた。
「ぐっ・・・!くうううううっ・・・・!!」
懸命に身を捩ってもがく芹花さん。
もしかして、芹花さんのほうにあの状態を覆す術が無いのか?フリでも何でもなく、何もできないところまで追い詰められているのだろうか。
それとも、まさか・・・
そんな筈は無い、そんな筈は無いが・・・もし、寺門の言うように、本当に芹花さん自身があの薬を求めているとしたら・・・
ミッションへの執着も、強引な作戦敢行も、僕への待機命令も、全てあの薬を求める一心から生じたものだとしたら・・・
僕は、謀られたのだろうか。
芹花さんの企みに嵌って、組織を裏切ってまで、薬を求める彼女の姦計を手助けしてしまったということなのか。
いや、だとしても関係ない。芹花さんが望もうが望むまいが、あの薬が芹花さんを幸福にすることなど有り得ないのだから。
だからすぐにでも行動を起こさないといけない。それは絶対なのだ。
芹花さんと息を合わせて、ここにいる全ての外道を殲滅しなければならない。
なのに・・・なのに、何で・・・
(何で合図が無いんだ!!・・・くそっ!まだかっ!!・・・ああああっ!!!!早くしてくれっ!早くっ!!!!)
まるで自分の腕に冷たい金属の芯が押し当てられているかのような感覚に襲われ、ゾクゾクと寒気が止まらない。
必ず合図が来る。
僕は最後の最後まで信じていた。
あの芹花さんがこの状況に甘んじるワケが無い・・・そう信じていた。
そんな思いをあざ笑うかのように、あまりにあっけなく
注射器の針は芹花さんの腕の皮をつぷりと突き破り、体内へと埋没していった。
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