第4話 失格 ――その②

薄野さんはそれ以上のことを語ろうとしなかった。

黙々と歩を進めるその背に僕も黙って付いていく。

するりと細い路地に潜り込むと、周囲の景色は一気にじめじめしたものへと変容した。

表の街並みはごく普通で、BCLに入る前にもこんな感じの街を歩いたことは何度もある。しかし、メインストリートからモグラの巣穴のように口をあけた小さな路地に踏み入る機会など、これまでは1度も無かった。

道端にしゃがみ込んだ男女がこちらに死んだ魚のような目を向けてくる。生気を感じさせないその目付きにぞわりと悪寒が走った。

両脇にそそり立つビルの外壁が視界を遮断し、息苦しい程の圧迫感に眩暈がしそうだった。

ゴーっと地味にうるさく鳴り続けているのは、路地裏に面して設置された数々の換気扇や室外機の音だ。それらのむわっとした排気が、ただでさえ淀んだ空気をさらに濁らせていた。

繁華街が持つ裏の顔・・・それは今までだって僕が生きてきた世界のすぐ隣に存在していたかもしれないものだ。

それなのに、僕はずっとこういう空間を知ることは無かった。これまでの僕の日常など、広大な湖の薄っぺらい水面に過ぎないのかもしれない。

「お、なんだ?急に緊張してきたみてえじゃねぇか。」

振り返った薄野さんが僕に向けてニヤリと笑みを浮かべた。

(・・・あ・・・)

薄野さんが力を使っている。緊張で気付かなかったが、彼女は今僕の心を覗いてるんだ。

不意打ちで力を使われたことにややムッとして、つい僕は薄野さんを少し睨んでしまった。

「あはは、そんな顔するなよ。力を使いこなすためにはこういう悪戯で馴れるってのも必要だってことだよ。

鴉も言ってたけど、私らは力をどんどん使ってこその存在だからな。」

確かにそうかもしれない。サイトの力を濫用するのは流石に問題だが、心を読む能力は使えるときに使えるだけ使ったほうが、訓練にもなって有効だろう。

それに対しどことなく抵抗を覚えるのは、自分の内にある倫理観からだろうか。だが僕はもはやそんな甘っちょろいモラルを大事に抱え込んでなどいられない状況に置かれている気もする。


迷路のように入り組んだ路地は、意外な奥行きを感じさせるものだった。

人影は疎らで、すれ違う際の彼らの警戒心を宿した鋭い視線や、焦点の甘い無気力な眼差しは、一つ一つが僕に何とも言えない不安を抱かせた。

微かに漂うドブ川のような臭いが、輪を掛けて僕の神経をささくれ立たせる。


「マカロン?ビスケットサンド?あーマカロンね。オーケーオーケー。」

妙なアクセントの話し声に目を向ける。そこにあったのはビールケースに腰掛ける初老の男性の姿。

彼の前には目深に帽子を被った1人の少女が立っている。彼女はくすんだジャージのポケットからお札を取り出すと、それを目の前の男性に握らせた。

2人の手がまるで握手するかのように深く重なる。単にお金を渡すだけにしてはどこか不自然だった。

僕には、少女がお金を渡す代わりに何かを受け取ったように見えた。

(・・・あ、あれって・・・)

顔を伏せながら踵を返す少女。その瞳には濃く霞がかかっていて、意識が半分現実から抜け出しているかのようだった。

その手に掴んでいるのが何かしらやばいものであることは容易に想像できた。例えば、禁止薬物とか、そういった類の何か・・・

こういう怪しげな光景を目撃するのは初めてで、僕はどうすればいいか分からなかった。

いや、どうもこうも無い。僕にできることなんてありはしない。

そもそも僕はこういうときに何かする人間だったか?

自転車が盗まれるのを目撃したとき、往来で男の怒鳴り声が聞こえてきたとき、僕はそれを看過せずに立ち向かうような義侠心に溢れた人間だっただろうか?

答えは否だ。求められてもいないのにいちいち首を突っ込むのは僕の流儀ではない。

今は異様な場の空気に呑まれてちょっと過敏になってしまっているだけだろう。

いつもだったら、これくらいのことはさほど苦も無く無視してしまえる。

僕はその程度の人間のはずなんだ。

(・・・わ、わっ・・・こっちに近付いてくる!)

少女は、そそくさと早足でその場を立ち去ろうとしていた。

このまま黙って彼女を見送ることしか、僕にはできない・・・そう分かっていても、どうにも収まらないもやもやしたものが胸中に充満していく。

(この娘は、どう思ってるのかな・・・助けて欲しいとか、思ってるのかな・・・)

思っていたとして、それがどうかする訳でもない。

だけど、僕はそれを知りたかった。

力を使いこなすためには悪戯で馴れることも必要・・・薄野さんだってそう言っていた。

だから、これは悪戯だ。

僕は心を沈め、集中力を高めていく。

もし彼女が助けを求めていたらどうするのか・・・いや、そんなことは考えなくていい。だってこれは、ただの悪戯なんだから。


少女が傍らをすり抜ける瞬間、僕は“力”を発動させた。


(・・・ぁあ・・・・くあああっ!!!!)

途端に、気が狂いそうな程のどす黒い濁流が胸の奥に流れ込んできた。

タール状のねばねばしたものに意識が容赦なく絡め取られる。

目、鼻、口・・・ありとあらゆる穴から注がれる禍々しい何かが、急速に僕の中を侵していった。

(だっ・・・だめ・・・だっ・・・!!!!)

その流れに翻弄されそうになり、咄嗟に“力”によるリンクを打ち切る。

「・・・くっ!」

苦悶の呻きを噛み殺した僕の肩に手を置いて、薄野さんが呟いた。

「やめとけ、アレはお前の手に負える代物じゃねぇよ。」

何気ない口調だったが、その表情には僅かに翳りが見えた。僕が受けたワケの分からない感覚を、薄野さんは全て理解している風でもある。

薄野さんはそのまま、先程まで少女と対面していた男の許へと歩み寄っていく。

浅黒い肌に深い皺、ぎょろりとした目がカメレオンを思い起こさせる男だった。

その風貌からも、また先程の片言の日本語からも、彼が日本人でないことは確実と思えた。

薄野さんは彼に用があるらしい。もしかしたら彼に制裁でもするつもりなのか?・・・そう考えてしまうのは、胸に渦巻くやるせない思いの捌け口を無意識に求めていることの表れなのかもしれない。

「chào!」

片手を軽く挙げて薄野さんが発した声は、しかし敵意とは程遠いものだった。

「chào! serica. BẠN khỏe không?」

男も笑顔で応じる。2人の間で交わされているのは僕にとって全く未知の言語で、遣り取りの内容は見当も付かない。

「ai?」

男が突然僕を指差し、怪訝そうな声を上げた。

見慣れない人物が立ち会っていることへの警戒だろうか、厳しい語気に思わず足が竦んだ。

そんな男の様子に薄野さんはニヤリと笑みを零し、二言三言返事をする。

すると、どうしたことだろう、男の態度は一変し、両手を目の前に組んだまま地面に付くかと思うほどしきりに頭を下げてきた。

「わ、わっ・・・」

困惑した僕は助けを求めて薄野さんに視線を向けた。

「あはははっ!いや、こいつがお前のことを誰だと訊くもんだから、『鴉のお気に入りだ。失礼の無いように。』って答えてやったのさ。」

鴉の名前を出しただけでこの反応なのか・・・鴉がどれ程畏れられているのかが良く分かる。というかその紹介の仕方だと、僕がとんでもない重要人物みたいに思われてしまっていないか?

事実、そう思われたのだろう。男は他ならぬ僕に向けて深々と頭を垂れているのだから。

「でも、こんなに有名になっちゃってるのってまずくないですか?」

ふとした疑問を口にする。諜報や特殊工作の任務をこなすというのであれば、名が知れるのは活動の妨げになるように思える。

「組織の実体について情報が漏れるのはもちろんダメだけど、通り名くらいだったらある程度知られてたほうが逆にメリットも大きいんだよ。一目置かれれば入ってくる情報の精度が格段に上がるからな。」

薄野さんが耳打ちでそう教えてくれる。なるほど確かにそういうこともあるのかもしれない。

「アンダーグラウンドに情報ネットワークを築いておくと何かと便利なのさ。少しくらい噂が立ったとしてもただの都市伝説で終わるから、それほど問題にはならねぇんだよ。」

その大胆さには余裕すら窺える。守るべき一線を心得ているからこそ、逆にこうやって奔放に振舞えるのかもしれない。


薄野さんは2、3分ほど彼と会話を交わし、その場を離れた。

「一体、何の話をしてたんですか?」

「ん、いや、ここ最近のターゲットの動向を訊いてたんだ。ガサ入れが無かったかとか、事務所に詰めてる人員に変化は無いかとかな。」

裏通りの道端でそんなところまで情報を引き出せるものなのか。それにしても日本語でないだけに僕にはさっぱり聞き取れなかった。

「あれって何語なんですか?」

「ベトナム語だよ。巡査レベルじゃマイナー言語に精通してる奴は皆無だからな。サツが聞き耳立ててたとしても安全ってワケだ。」

「ベトナム語が喋れるんですか・・・どこで習ったんですか?」

「実地だよ実地。言っただろ?座学なんて役に立ちゃしねぇ。そんなんで身に付けたものをひけらかしても連中にジジババ扱いされるのがオチさ。」

僕が出席する予定だった言語文化研修のことを言っているのだろう。目の前で見事に外人とコミュニケーションを取っている姿を見せられると、彼女の言うことの信憑性も高く感じられる。

納得しつつ薄野さんの横顔を見やると、彼女は何やら面倒そうに前方を眺めていた。

釣られて僕もその視線の向く先を見ると、男が2人、ニヤニヤしながらこちらに歩いてきていた。

キャップを被った顎鬚の男と、ガムをクチャクチャ噛んでいるぼさぼさの長髪の男。いずれもガタイがよく、目付きに毒気が感じられる。

「へぇ~、アンタいい女連れてんねぇ。」

僕は出来るだけ彼らと視線を合わさないようにしていたのだが、残念ながら素通りさせてはくれなそうだ。

「おいおい、何か釣り合ってねぇカップルだな。キミら何?ねぇ、従兄弟?」

馴れ馴れしい割には全く友好の意が感じられない問い掛け。

どうしよう。どうすればいいのだろう。

チラチラと薄野さんの様子を窺うが、彼女の方は落ち着き払ったまま堂々とした立ち姿で男たちと対峙している。

「うっは!ダセェ。女の顔色窺ってんじゃねぇよ!」

キャップの男が僕に向けて侮蔑の言葉を吐く。当然の批判だが、僕は薄野さんの補佐なのだから、彼女の動きに従うしか選択肢は無い。

「なあ姉ちゃん。そんなガキより俺らの方がよくねぇ?なんつうか男として俺らの方が上じゃねぇ?」

下卑た眼差しに鳥肌が立つ。薄野さんはこの状況をどう切り抜けるつもりだろうか。

「俺らと遊ぼうよ。その兄ちゃんにはおうちで受験勉強してもらってさぁ。」

ギャハハ、と愉快そうな笑い声が路面に響く。

男たちの脂ぎった視線を受け流すように笑みを浮かべ、薄野さんが口を開いた。


「別に構わねぇよ。」


(・・・は?)

予想外の了承に、僕だけでなく目の前の2人もポカンとした表情を浮かべている。

「けど、私は弱い奴に興味は無ぇ。強い男が好みなんだ。だから・・・」

挑発的に微笑んで、薄野さんは思わぬ言葉を口にした。


「こいつを倒せたら、考えてやるよ。」


(・・・え、ええぇ~~~~~!!??)

「・・・オーケェーイ。了解だよ。」

男たちは舐めるような視線で僕を品定めすると、喜色を満面に浮かべた。

異議を唱えようとした僕の肩をポンと叩き、薄野さんが耳元で囁く。

「いいか、使えるものは何でも使え。遠慮はいらないからな。」

そのまま食い下がる間も与えず、彼女はコンクリートの外壁にどかっともたれかかった。

どうやら本気でこの状況を僕に放り投げたまま静観するつもりらしい。

「そういうことらしいからよ。ちょっと遊ぼっか、兄ちゃん。」

「何この状況!面白過ぎだろ!じゃあ俺レフェリー?

はいはい2人ともリングの中央に寄ってきて~。ドゥーヘッド、ドゥーエルボー、ドゥー金的。OK?OK?・・・レディ~~~~~、ファイっっ!!」

合図を受けて、キャップの男がじりじりと歩み寄ってくる。追い詰められたらまずい。もう腹を括るしかない。

僕は、“力”を発動させた。

心を落ち着け、攻撃の気配を探る。

男が垂れ流す心の臭気は不快極まりなく、鼻をつまみたくなるほどだった。

じわじわと男の興奮が高まっていく。闘気が風船のように膨らみ、いよいよ破裂しそうなところまで来ていた。

(・・・来る・・・っ!!)

分かっていても、身体が動かない。

(くそっ!動けっ!くそっ!!)

目の前の男に、僕は完全に呑まれていた。逃げないとやばい・・・それなのに、金縛りにあったかのように足が路面にくっついてしまっている。

「おらあぁっ!!!!」

だめだっ、当たるっ!!

瞬間、目を瞑って歯を食い縛ったものの、予想していたような衝撃は訪れなかった。

不思議に思い目を開けると、男は驚いた顔をして飛び退っていた。

「おい、どうした?何びびってんだ!」

長髪の男が声を掛ける。

「いや、何か妙な感じがしたんだよ。」

「くはっ、怖ぇなら俺が代わってやってもいいぞ。」

「ふざけんな!お前は引っ込んでろ。」

2人の遣り取りを聞いていた薄野さんが笑い声を上げた。

「はははっ!おい、龍!ギャグやってんじゃねぇよ。取りあえずは自分の身を守ることだけに集中してみろ。」

彼女は当然、今の現象を理解しているみたいだった。

単純なことだ。僕が力を使ったままキャップ男の攻撃に過度に怯えたため、それが男に伝わり、彼はワケも分からず退いたのだ。

なんとも情けない話である。

「オラ!何か狙ってるならやってみろよ!」

自身の直感が僕の攻撃を察知したとでも思ったのか、的外れなことを叫びながら再び突進してくる男。

僕も再度“力”を使って相手を待ち受ける。

とにかく薄野さんの助言に従ってみよう。男の昂ぶりが極まった瞬間、僕はすばやく身を躱してその攻撃をやり過ごした。

攻撃の意思の高まりを冷静に読み解くと、意外に回避の猶予は大きかった。

闘わなければいけないという強迫観念に囚われて、何をしていいか分からずパニックに陥ってしまっていたが、逃げることだけに専念すればそれ程難しい作業では無いと気付かされる。

「・・・くっ!このっ・・・!」

こちらがあまり早く動き過ぎると相手にも軌道修正のチャンスを与えてしまうらしい。

“力”を頼りに相手の攻撃をギリギリまで呼び込み、避ける。

全く触れさせること無く躱し続けようと思うと流石に苦しく、ややもすると追い詰められそうになってしまうが、“力”を使うコツを掴んでくると手で相手の拳を払うことも可能だった。

「くぅっ・・・はあっ、はあっ、はあっ、はあっ・・・何なんだコイツ・・・」

男の息が上がってきている。もう諦めてくれたらいいのだが、面倒なことにまだまだ戦意に満ちているようだ。

僕にこの男を打倒する術は無い。“力”を使い続けることは予想以上に消耗を伴うようで、彼の体力が切れる前にこちらの集中力が切れてしまいかねない。

これだけ攻撃を捌かれても、凝りもせず突進してくる男。その神経が攻撃に向けて昂ぶっていく。

(・・・来るっ!!)


ドゴォォォッ!!!!


身を躱そうとした瞬間、僕は思わぬ方向からの衝撃に弾き飛ばされた。

「・・・かはっ・・・!!」

アスファルトに叩きつけられた僕は、そのままポリバケツのゴミ箱に頭から突っ込んだ。

「ぐ・・・うっ・・・」

やられた。キャップの男ばかりに気を取られていてもう一方の長髪の男への注意が途切れていた。何も彼らがお行儀よく1対1を貫くと信じ込んでいたわけでは無いが、集中力の綻びを最悪の形で突かれてしまった。

キャップの男の戦意の高揚が長髪の男のものと被ったのも僕にとって不運だった。

そのせいで、“力”を使っていたにも関わらず、側面からの攻撃に気付くことが出来なかった。

「悪ぃな。俺ぁもう我慢できねぇわ。早くやりてぇからとっととこのガキ片付けようぜ。」

「ちっ、まあいい。こいつ逃げ回ってばっかで俺もいい加減飽きてきた頃だったしな。」

男たちがゆっくりと歩み寄ってくる。

最初から2人で来ると分かっていれば対処の仕方はあるかもしれない。

しかしそれ以前に、身体に力が入らず立ち上がることすら出来ない。

先程と違い、今度はダメージが僕の手足の自由を奪っていた。

(・・・くっ・・・)

まずい・・・動かないとまずい。

目の前に迫る暴力に対して身動き1つ取れないというのは、耐え難いほどの恐怖だった。

ちょうど、走れない夢を見ているときのような恐怖・・・1つ違うのは、この現実からは醒めることができないという事実だ。

成す術なく倒れ伏したままの僕。

勢いに任せて2人が一斉に襲い掛かってきた、その時・・・


パシュン!!


小気味よい破裂音と共に、ガシャンとガラスの割れる音が鳴り響いた。

頭から破片を浴びた男たちが慌てて後ろを振り返る。

そこにあったのは、サプレッサーを装着した銃を持つ薄野さんの姿。どうやらあれで彼らの頭上の街灯を打ち抜いたらしい。

「残念だったな。タイムアップだ。両足ぶち抜かれねぇ内に早くおうちに帰んな。」

冷徹に言い放つ薄野さんに、キャップの男が抗議の声を上げる。

「・・・おおお、おい、話が違うじゃねぇか。」

「私は手出ししないと言った覚えは無いけどな。お前らも2人だから対等だろ?

おい!龍!ぼさっとしてないでお前も抜け!」

薄野さんにたしなめられた僕は痺れの治まった手で慌ててホルダーから銃を抜き、男たちに向かって構えた。

照準を合わせた瞬間、その圧倒的優位性に僕は身震いした。

(なんだこれ、無敵じゃないか・・・)

指先を少し動かすだけで、彼らの命を奪うことができる。これじゃあ勝負になるわけが無い。

男たちは一歩も動くことができない。当たり前だ。こんなものを突きつけられたら抵抗など不可能だろう。

「5秒だけ待ってやる。私の視界から消え失せろ。」

容赦を感じさせない声色が、ただの脅しではないことを窺わせる。

「お、おいおい、待てよ。拳銃とか有り得ねーだろ。」

「いーち。」

「こっちがお前らの条件に乗ってやってんだ!卑劣なマネすんな!」

「にー。」

「そ、そっちの兄ちゃんも何か言えよ。そんなん使って卑怯者になりたくないだろ?な?」

「さーん。」

「・・・くっ!ふざけやがって!クソ野郎がっ!!」

苛立ちの篭った捨て台詞を残し、男たちは走り去っていった。


結局、僕は置かれた状況に1人で対処することができず、薄野さんの助けを借りる形になってしまった。

僕を見る薄野さんの表情は険しかった。当然だろう。おそらく彼女は僕を試したのだろうが、僕はそのテストに失格したのだ。

「・・・すみません。」

「私に謝る話じゃねぇだろ。」

「あ・・・はい・・・」

はあっ、と大きく溜息を付く薄野さん。心底呆れられてしまったようだ。

「お前、このままじゃ生き残れねぇぞ。」

辛辣な言葉が胸に突き刺さる。

「体術修練でのお前とジンの組み手でも感じたことだがな、お前は決断のスピードが遅すぎるんだよ。

お前にはサイトとしての“力”がある。銃も持ってる。いくら格闘がダメでも、本来ならあんなザコどもに手間取る要素なんて無ぇんだ。言っただろ?使えるものは何でも使えって。色んな選択肢を持ってるのにお前自身がそれを生かせてねぇ。

今みたいにグズグズしてたらいつか確実に死ぬぞ?

鴉に気に入られるだけのモノは持ってるんだろうけど、こっちの世界じゃ、大きな力を持った奴が生き残るワケじゃねぇ。的確な判断を下せる奴が生き残るんだ。覚えとけよ。」

びくびく怯えてばかりの僕には生き残る資質は無いということか。

分かっていたことだ。僕が特殊工作員?それ自体が馬鹿げた話だし。普通に聞けば現実逃避の妄想話にすら思える状況なのだ。

鴉が僕のことを散々庇護してくれるから、BCL内で一目置かれるような空気になり、僕自身勘違いしそうになっていただけだ。

本当は僕だって分かってる。自分が場違いだってことくらい。

不安で仕方ないから、ちょっと褒められたりするとそれに縋りたくなるのだろう。

理解しているつもりでも、自分に対する妄想は知らず知らずのうちに肥大化していく。

だけど、こうやって素に返ると、この状況の中に自分がいることへの違和感が急激に湧き上がり、僕は途方も無い重圧に押し潰されそうになるのだった。

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