第5話 宴 ――その①

アジトに帰投した僕たちを待ち構えていたのは、アレクさんだった。

「やっと帰ってきたか。芹花、お前は前回の言語文化研修もサボっただろ。あまり悪い道に龍クンを勧誘するな。」

「正当な作戦行動だよ。いっつも申請は出してるじゃねぇか。」

「あのなぁ、わざと座学研修にぶつけてるのは分かってるんだ。いい加減にしないと、俺と小一時間ほど面談してもらうことになるが・・・」

「うわっ、勘弁してくれよ。充分反省したからさ。次から気をつけるって。」

アレクさんの小言に白旗を揚げる薄野さん。

なんだか僕が、不良の先輩の授業ボイコットに付き合わされた後輩みたいな立ち位置になってしまっている。

「龍クンもこいつに何か言われたかもしれないが、情報収集ってのは路上だけでやるもんじゃない。知識層とのコミュニケーションでは文化的な教養が不可欠なのさ。ストリートで得た知識だけでは決定的に足りないんだ。」

まるで外での会話を聞いていたかのようなアレクさんの台詞に笑いそうになる。大いに納得させられた薄野さんの言葉だったが、アレクさんにしてみれば彼女のそれは言い訳の常套句みたいなものらしい。

「ふむ、運良く2人ともこれからの時間スケジュールが空いているな。」

携帯端末を見ながらアレクさんがそう呟く。

「そ、それじゃ龍。また任務関連で緊急招集かけるかもしれねぇからそのときはよろしくな!」

「待て、芹花。逃げるな。」

「いてっ、やめろ!離せよ!」

「離せないな、お前にはこれから龍クンと一緒に補習を受けてもらうぞ。」

アレクさんの無慈悲な宣告に肩を落とす薄野さんの姿は、まるで悪戯を咎められた子供のようだった。



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シンボル・バインディング

それが、今日のスケジュールに組まれた最後の項目だった。

文字面からは内容が想像できない。一体どんなことをさせられるのだろうかと少し不安になる。

指定された場所は、午前に定期測定のあった診察測定室だ。

中に入ると、待っていたかのようにスクリーンが点灯した。

「やあ、龍さん。待ってたよ。」

そこに映し出された姿に、僕は思わず声を上げた。

「あ、か、鴉!」

「今日一日はどんな感じだった?困ってることとか無い?龍さんに意地悪する人とかいたら僕に言ってね。僕から言い聞かせてあげるから。」

「え・・・と、大丈夫だよ。みんなに親切にしてもらってるから。」

「そう、それはよかった。」

満足そうに笑う鴉。それはそうと、なぜ鴉が画面に現れたのだろう。まさか世間話する為とも思えない。

「龍さんはシンボル・バインディング初体験だから、今日は僕がガイダンスしてあげる。」

なるほど、鴉がガイダンス役なのか。それにしても隊長自らガイダンスをしてくれるなんて、随分と厚遇なのではないだろうか。

「・・・あ、ありがとう・・・ところでその・・・シンボル・バインディング?てのは何なの?」

「そうだね・・・龍さんは“パブロフの犬”って知ってる?」

「えっと、餌の時間に毎回ベルを鳴らすと、その内にベルを鳴らしただけで犬が涎を垂らすようになる・・・ってやつだっけ?」

教科書にも載っていた有名な実験の気がするが、それが何か関係するのだろうか?

「うん、それそれ。シンボルSバインディングBはそれと同じような原理を利用して、自分の精神をコントロールする手法なんだ。」

訓練者は脳波のセンシング機器を付けて、心を平静に保つよう試みる。リラックス状態が検知されたらスクリーンに幾何学模様が表示される・・・これを繰り返すことで、その幾何学模様をイメージするだけで心を静める効果を得ることができるようになる。

同様にして、喜怒哀楽様々な感情を幾何学模様に関連付けていく。

鴉の説明を要約すると大体こういうことのようだ。

シンボル・バインディングは、正式にはBinding Symbols with Each Aspect of Mindというらしい。

「これはね“力”を使ってる最中に自分の感情を制御する為の訓練なんだよ。」

その説明に、僕は引っかかるものを感じた。

「喜怒哀楽とかもってことは・・・じゃあ、“力”を使って、相手を怒らせたり笑わせたりもできるようになるってこと?」

“力”は双方向だという話だった。だとすれば、自分の感情を制御することで相手の感情も好きなように操作できるということになる。そんなことまでできてしまうとなると逆に恐ろしく思えてくる。

「いい質問だね。だけど、そう単純な話でもないんだ。

 例えば“力”を使ったまま強い怒りの感情を持つと、それが相手に伝わり、相手も怒りを抱くようになる。その怒りはまた自分にも返ってくるから、怒りの感情が加速していって、仕舞いにはお互いが怒りを爆発させて暴走しちゃうんだ。

 少なくとも“怒り”に対する耐性が相手より強くないと、むしろ力を使った側の自滅になっちゃうんだよね。

 “力”は本質的にこの加速連鎖に陥る危険性を孕んでるから、心を静めた状態で使うのが基本だよ。」

「・・・うーん、だったら、心を静めるトレーニングだけしてればいいってことにならない?」

「加速連鎖に陥った時のカウンタラクションとして有用なのさ。怒りの加速連鎖から逃れるためには、平静の紋様しるしをイメージするより歓喜の紋様しるしをイメージした方が効果的だったりとかね。」

なるほど、色々と考えられているものらしい。

だけど、気になることは他にもある。

「例えば、この訓練を受けた後に、誰かにその紋様しるしを見せ付けられると・・・感情を操作されたりとかって・・・」

「あはっ、龍さん頭いいね!面白い考え方だよ。でも、SBにはそこまで効果は無いんだよね。紋様しるしはただの鍵さ。それで感情の扉のロックが解除されても、扉を開くのはあくまで本人の意思。紋様しるしだけで人の心を操ったりなんてできやしないから、安心していいよ。」

まあ少なくとも内容を聞く限りでは1、2回でどうにかなってしまうものでもないだろう。実際に体験してから判断を下しても問題無いように思う。

僕は脳電位検査の時に入った暗室へと案内された。あの時と同様にヘルメットがスライドして僕の頭を覆う。

このトレーニングを行うためにはまず自分の心に様々な感情を抱く必要があるが、ただ単に“笑え”とか“怒れ”とか“悲しめ”とか言われてもそれは無理な話だ。

感情を誘導するために、スクリーンには色々な映像が映し出された。コントであったり、悲劇であったり、目を覆うような映像も含まれていた。

笑ったり、涙が出たりすると、そのたびに、スクリーンには独特の模様が映し出される。

ずっとそれの繰り返しで時間が過ぎていった。

「はい、おしまいだよ。お疲れさま。」

鴉がそう告げて、ヘルメットが外れていく。洗脳っぽいものを一応それなりに警戒していたが、その点では拍子抜けと言えた。

「アレクから聞いたよ、龍さん。今日の射撃訓練凄かったんだってね。」

にこやかに話しかけてくる鴉。“凄い”とは褒める意味なのか、貶す意味なのか、僕は少し思案した。

「走りながら撃ったときは、全然当てられなかったんだけど・・・」

「謙遜しなくていいよ、天性の資質があるってアレクが言ってたからね。軍属経験のあるアレクがそこまで褒めてるんだ。相当なことだよ。」

アレクさんは軍隊出身なのか・・・確かにあの人の射撃は素人目からしてもずば抜けていたように思う。ごく自然にみんなを取り仕切る姿にも貫禄が漂っている。だが、その物腰の柔らかさは、軍隊に対する僕のイメージといささか齟齬があった。

「龍さんが褒められると、僕も鼻が高いよ。」

嬉しそうに笑う鴉の顔には、歳相応の無邪気さが窺えた。

鴉に言われると、僕も素直に喜んでいいんじゃないかと思えてくる。

イグザミニーズの誰もが認める存在である鴉がこんなにも僕を肯定してくれているという事実が、何よりも心強い。

「実際の任務でも、銃って結構使うの?」

「うん、使うよ。」

「それは、人間に対して?」

「大体はそうだね。」

しかし、その答えを聞くと、どうしても割り切れないものが僕の中にあった。

「人を撃つ時って、どんな感じなのかな・・・」

「同じだよ、的を撃つ時と。」

行為に対する非難も、賞賛も、鴉の言葉からは一切感じ取れなかった。

「世界では1秒間に4人の人間が生まれ、2人の人間が死ぬ・・・目の前ではじけた命が、その微かな揺らぎとして循環の輪に加わるんだ。」

「1人の人の命なんて、些細なものだって事?」

「どうかな、小さな風の揺らぎは時に嵐を起こすからね。撃たれて死んだ人間がもし生きていたとしたら、その先100万人を救うかもしれないし、100万人を殺すかもしれない。」

「でも、死んだ瞬間、そういう未来の全ての可能性が失われて、その人は生きる権利を奪われるわけだよね。」

口に出してから、僕が言いたいことはもっと他にあるような気がしたが、零れた言葉は飲み込めない。

鴉は少し困ったように微笑み、ゆっくりと天井を見上げた。

「ねえ、龍さん。龍さんは、生きてて楽しい?つらい?」

今まで聞いたことの無い鴉の声色に、僕はハッとした。

素朴な言葉が、心の芯を俄かに震わせる。

「えっと、両方、かな・・・」

つらいことはたくさんあった。でも、楽しいことだって確かにあった。

「じゃあさ、今まで、つらいことと楽しいこと、どっちのほうが多かった?」

「・・・分からないよ。」

その時、不意に思い起こされたのは、いつかの治樹との会話だった。

『・・・治樹、治樹は生きてて楽しい?』

『おう、楽しい。』

つらいことのほうが多かった・・・そう言うのは簡単だ。

『何が楽しいの?』

『取り敢えず、今はお前とメシを食ってることかな。この唐揚げなんか中々絶品だぞ。どれかと交換すっか?』

しかし、それを認めてしまうと、あの時楽しいと言ってくれた治樹を裏切ることになる・・・何となくだけど、そんな気がした。

「もしさ、楽しいことのほうが多くなければ、生きてなくても別によくない?だとしたら、龍さんはどうして生きてるの?」

「・・・」

「龍さんは、死ぬのが怖い?」

「・・・僕は、臆病だから。」

もし、もし死が恐ろしいものでなければ、果たして僕はここにこうやって存在していただろうか・・・

自問の答えを見出すことができず、僕は左の手首をさすった。

そこにある僅かな引っ掛かり・・・完全に塞がれて目立たなくなったそれが、僕がどうしようもなく生きているということを誇示しているかのようだ。

「仕方ないよ。死の恐怖・・・それは存在するものに等しく与えられる、消滅への恐怖なんだから。

でもさ、それってそもそも存在さえしなければ生じなかったはずのものだよね。

 表裏は一体なんだ。コインの表を定めたとき、同時に裏が生じる。表が無くなれば、裏も無くなる。

 死ってのはそういうものさ。いいとか悪いとか、そんな言葉で縛るのは無意味なんだ。」

詩のように象徴的な言葉が並べられた鴉の言い回しはやや掴み所の無いものだったが、どこか耳にしっくりとくる。

「ねえ、龍さん。人が死ぬときに負う一瞬の苦痛と、生きている限り負い続ける苦痛と、一体どっちが大きいんだろうね。」

その問いは、本気で僕の答えを期待しているようには聞こえなかった。

独り言のような呟きは僕の胸の奥にすっぽりと嵌まり込み、しばらくの間木霊のように反響し続けた。



--------



診察測定室を後にした僕は、課せられた任務の1つをこなすため、薄野さんの執務室へと向かった。

「ああ、龍・・・やっと来たか・・・」

部屋に入ると、デスクに腰掛けた彼女は、机上に両肘をついて俯いたまま、苦しげな声で僕を迎えた。

「だ、大丈夫ですかっ!?薄野さん・・・」

「心配無ぇよ・・・いつものことだ。」

「あのっ、遅れてすみません!薬・・・ですよね、今出します!」

「落ち着けって。まだ検温が残ってるから、ちょっとだけ待っててくれ。」

気怠そうに体温計を咥え込む薄野さん。終始顔を伏せていてとても大丈夫そうには見えない。

これが、薄野さんの持病・・・なのだろうか・・・

「薄野さんの病気って、何なんですか・・・?」

訊いてもいいものかと散々躊躇ったが、薬を預かっている身として何も知らないのもおかしい気がする。

薄野さんはゆっくり顔を上げると、弱々しい笑みをこちらに向けた。

「探ってみろよ、私の心を。少しは、分かるだろうさ・・・」

どういう意味だろう。

ワケが分からないまま、僕は言われた通り“力”を発動させた。

自分の心を落ち着け、薄野さんの心とリンクさせていく。

突如、身体の奥底にポツリと黒いシミが現れた。それは虫のように這い回りながら、ジクジクと侵食を深めていく。

(・・・ひっ!!!!い・・・・ひぃ・・・・!!!!)

内側から肉が腐り、ドロドロに溶けたそれを、寄生した何かが貪る感覚。

食い散らかされた肉片から新たに触手が芽生え、ずるりと四方に根を張り巡らせる。

侵される・・・心が・・・侵される・・・

ウジがのたうつような不快感が末端にまで広がり、いっそハサミか何かで穿り出したい衝動に駆られる。

(何・・・だよ、これ・・・っ!!)

“加速連鎖”

教わったばかりの不吉な言葉が頭を過ぎり、僕は必死に自分の“力”を押さえ込んだ。

似ている、この感覚・・・そうだ!あれだ!

今日の日中に擦れ違った少女。

似てるんだ。あの娘の心に触れた時の感触と・・・

呆然と立ち尽くす僕の顔を見て、薄野さんの目の色が翳った。検温器をタバコみたいに指で挟んで口から抜き取り、喘ぐように言葉を吐く。

「すまねぇ、悪乗りが過ぎたな。それより、そろそろ・・・薬くれねぇか?さすがに、ちょっとキツいわ。」

「あ、はい!今すぐっ。」

僕は急いでタブレットから錠剤を取り出し、薄野さんに手渡した。

薄野さんはそれを口に放り込み、ガリッと一噛みした後、そのまま飲み込んだ。

「・・・っふぅ~~~~~~~っ。」

深い、深い吐息。

そのまま薄野さんは黙り込んでしまい、しばらく部屋に微妙な空気が流れた。

「えっと、その、そろそろ服薬後の検温を・・・」

「・・・んぁ?」

こちらに顔を上げた薄野さんを見て、僕はギョッとした。

口元はだらしなく弛緩し、虚ろな目は焦点が合わずに宙を彷徨っている。

「・・・あの・・・検温を・・・」

「ん、ああはい・・・どうぞどうぞ・・・」

ぞんざいな返事をしてぱくりと口を開く薄野さん。

これは僕に検温器を入れろということだろうか。

僕は慎重に検温器を薄野さんの口に入れ、舌の裏側にそっと差し込んだ。

「・・・」

「・・・」

「あの、口、閉じてもらえますか?」

「あむ。」

まるで幼児の相手をしているみたいだ。

彼女に一体何が起こったのか・・・分からないが、1つ確信できることがある。

薬だ。

この薬が薄野さんをおかしくしてしまったんだ。

これは何なのか。僕は彼女に何を飲ませたのか。


もしかして僕は、とんでもないことの片棒を担がされているのではないか。

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