第16話 傀儡 ――その②
「試料交換?」
鉄真の口から出た聞き慣れない単語を、僕は思わずオウム返しで問い返した。
「そうだ、俺は元々BCL所属じゃねえんだよ。」
それを言葉通り解釈しても、何ら特別なことは言っていないように思える。
僕だってBCLに所属する前は普通の高校生をやってたわけだし、皆それぞれBCLに入る前に属していた社会があるはずだ。そういう観点で考えると、ずっとBCL所属なんて状態を想像するほうが難しい。
それなのにこういう言い方をする意味は・・・
「もしかして・・・BCL以外にも、同じような研究所が存在するんですか?」
その可能性に今まで思い至らなかったほうが馬鹿なのかもしれない。
あれだけ設備と制度が整った施設が存在するという事実から、おそらくそれなりの年月研究が続いていて、相当な資金が投入されているというのは容易に想像できる。
で、あれば、そもそも1つしか研究所がないなんてことのほうがあり得ないのだ。
「はっ、そういうことだ。そことウチと、1人ずつメンバーを出し合って所属を交換する試みがあってな、それで俺は3年前にこっちに移ってきたんだ。」
鉄真の説明で、段々と話が見えてきた。
『こいつらは、俺の顔なじみだ。』・・・そう、鉄真は言っていた。ということは、つまり・・・
「芹花さんを追ってる連中も、僕らと同じ力を・・・」
「違ぇよ」
「えっ・・・?」
それは、完全に意表を突いた即座の否定だった。
話の流れはどう考えても一つの結論に向かっていた筈だ。連中が力を持ってないというのなら、一体・・・
「同じじゃねぇ。俺とお前らの持ってる力は、同じじゃねぇんだよ。」
「えぇっ・・・!?それって・・・・・・あっ!」
瞬間、僕の脳裏に蘇ったのは、初めて鉄真に会った日の光景だった。
あの日、僕は、奇妙な連中に取り囲まれていた。目に光は無く、口元はだらしなく開き、まるで操られているかのように次々と襲ってくる男たち・・・あれがもし、本当に操られていたのだとしたら。それがすなわち、鉄真の能力だったとしたら・・・
「マーくんはね、私らみたいに心をリンクするんじゃなくて、身体制御をリンクすることができるんだ。」
そう補足する水那方さん。
それは僕の予想の正しさを示すものではあったが、それでも僕は驚愕を禁じ得なかった。
(・・・体を・・・操る?・・・対抗なんてできるのか?そんなのに・・・)
僕らの力では、相手の心を感じ取ることしかできない。充分信じ難いことではあるが、とはいっても相手の思考を読めるわけではなく、戦闘に向いているとは言えない。
僕のサイトの力みたいな例外はあるが、これもとにかくリスクが高く使いづらいというのが、実戦を経験してみての僕の感想だ。
「・・・体を乗っ取られたら、何か対処の仕方は・・・?」
「『乗っ取る』ってのは大袈裟だな。完全に自由が奪えるわけじゃねぇ。基本は綱引きだ。」
「綱引き?」
「そうだ、“力”の使用者と、体の本来の持ち主とのな。
ずっとその体を使ってきた持ち主に対抗するのは簡単なことじゃねぇ。大抵は、体の一部を無理やり引っ張るのが限度。
その引っ張る力の強さに応じたランクがあるんだが、俺が組織を移った時点では、防犯カメラに映ってた奴らのランクはC。10代後半くらいの平均的な身体能力の持ち主が相手になってくると、今回の奴らにとってはもうキツイだろう。」
身体制御にアクセスする力だと知ったときは絶望的かと思っていたが、鉄真の説明を聞くうちに、充分立ち向かえそうだという印象に変わっていく。
「とは言っても、脅威であることには変わりないがな。目に見えない奴にいきなり引っ張られることを想像してみろ。その瞬間はまず抵抗なんて出来ねぇ。
一瞬でも思い通りに身体を操作できれば、充分相手をかき回すことはできるし、致命的な効果を与えられる状況だってある。相手が銃を持ってる場合なんかは特にだ。」
確かに、それを聞くとやはりとんでもない連中だ。
いつかのアレクさんの講義で、“戦術の基本は自陣営の攻略を相手の立場に立って徹底的に考え抜くことだ”と教わったのを思い出した。
もし、自分がその力を使えたら・・・そう考えると、降りかかってくる脅威は一層途轍もないものに感じられる。
こちらが彼らを発見する前に、こちらの存在を彼らに認知されたら、その時点でもうほとんど詰んでると言っていい。
極めて慎重に事を運ぶ必要があるのは明らかだ。
その時、ふと、僕の頭に1つの疑問がよぎった。
「えっと・・・連中の“力”じゃ、人1人の全身を完全に操ることはできないんだよね・・・?」
「ああ、10歳くらいまでのガキなら無理やり引きずることもできるだろうが、それでも相当難儀するはずだ。」
「じゃあ、鉄真は・・・? 僕が組織に来た日・・・あの日のあれが鉄真の力なら、鉄真は何十人も一気に操れるってことじゃないの?」
「あれが普通にできりゃあ苦労しねぇ。まあ俺の力であることは事実だが。あれをやるには条件が整ってないと無理だ。」
「条件?」
「操られる側が深い酩酊に陥ってる必要がある。あの日俺はお前らと会う前、脱法ドラッグパーティやってる地下クラブに立ち寄ったのさ。手頃な兵隊をかき集めるためにな。
ああいう所に通う連中は日頃家族からも放置されてる奴がほとんどだから、死んだときの後処理が楽なんだよ。」
とてもまともな連中には見えなかったが・・・そうか、ドラッグパーティか・・・
それなら、たとえ生きていたとしても、明るい将来が待ち受けていた可能性は極めて低かったと言えるか・・・
あの日の自分を正当化する言い訳を無意識に探してしまう僕だったが、芹花さんに出会ってしまった後では、それも無駄な足掻きだった。
誰は殺していいとか悪いとか、そんな基準に正当性を持たせるなんて端っから無理ことなんだ。
救いたい人を救うためには何だってやらなきゃいけない。そのために、邪魔なものはすべて排除する。
僕にはその覚悟が必要なのかもしれない。
「さあ、ぼやぼやしてる暇はねぇ。到着までに作戦を立てるぞ。」
鉄真の声に、僕はごくりと唾を呑んだ。
一瞬の判断ミスで、取り返しのつかない事態を招いてしまう・・・そんな予感に胃の辺りが強く締め付けられる。
思えば昨日からずっとギリギリの綱渡りの連続だった。すんでのところで何とか踏み止まってはいるものの、少しでも運に見放されていたら、その時点で全てが終わってしまっていただろう。
だけど、じゃんけんで勝ち続けられる人なんていやしない。
破滅の一歩手前で未来を繋ぎとめているか細い糸が、流石にもう切れてしまいはしないか・・・僕はそれが、心底怖かった。
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ふわふわ漂い落ちてくる白い結晶が、フロントガラスに張り付いて瞬時に溶け消える。
ハンドルを切り細い道に入ったところで、ややスピードを落とす鉄真。モーターからほとんど音の消え去った車体を駆り、住宅街特有の入り組んだ路地にするする滑り込んでいく。
いよいよだ。いよいよ、芹花さんのアパートに着く。
芹花さんは、まだそこにいるだろうか?
彼女を追っている“鉄真の顔なじみ”に先んじることはできたのか?
もう何もかもが手遅れなんじゃないか?
渦巻く不安を胸の奥に押し込めて、オーダー遂行のみに思考を集中させる。
鉄真が車を止めたのは、芹花さんの隣のアパートの駐車場だ。
ここからは車のタイヤが砂利を踏む音すら障害になり得る。
車から降り降りた僕らは、車内で立てた作戦に従って即座に行動を開始した。
ゆっくり状況を確認する猶予はない。
僕と水那方さんはこのアパートを左回りし、裏側の駐車場を突っ切って芹花さんの部屋のベランダに直行する計画である。
鉄真は逆に右回りしつつ路地に出て、玄関側を押さえる手筈になっている。
静かに、かつ迅速に、小走りでポイントへと移動する僕と水那方さん。
やがてアパートの端に辿り着いた僕は、後方の警戒を水那方さんに任せて、芹花さんの部屋のある建物のほうを覗き見た。
漆喰の壁にいくつもの窓が並んでいる。その殆ど全てがカーテンで閉ざされていたが、僕の目線の先にある1室は視界を遮るものが無く、無防備にも中の様子が筒抜けだった。
「っ!!!!」
瞬間、僕の足は芹花さんの部屋に向かって全速力で駆け出していた。
「ちょっ、りうっち!」
背中から追ってくる水那方さんの声もお構いなしに、僕は死に物狂いで走った。
なんだ?・・・なんなんだ?あれは・・・
目の前の光景が理解できない。
少女が・・・1人の少女が、銃をゆっくりと持ち上げている。
ペタンと座り込んで、いかにも頼りなげに背を丸めた少女の、しかしその右腕だけが、別の生き物のように、明確な敵意を感じさせる動きで照準を定める。
その銃口の先に・・・
芹花さんが、いた。
芹花さんは立っていた。
逃げるでも、取り押さえるでもなく、呆けたように佇んでいた。
どういう状況なのかまるで分らないが、最悪の結末がすぐそこにまで迫っていることだけははっきり感じられた。
今にも消え去ってしまいそうなほど存在感の希薄なその姿には、生への執着など微塵も感じられない。
どうして・・・っ!? どうして抗わないんだ!? 何で逃げてくれないんだよっ!?
(くそっ!!間に合ってくれえぇっ!!あああああっっっっ!!!!)
少女の腕に力が籠り、指を掛けたトリガーがぐっと押し込まれる。
異様に引き延ばされた時間感覚の中で、僕にはその微細な動きがはっきり分かった。
駄目だ、もう無理だ、間に合わない・・・
そう悟った僕は、その場に足を止めて立ち尽くした。
照準を定めるために。確実に当てるために。
パァン!! パァン!!
これしか手は残されていなかった。僕の放った弾丸は、窓を突き抜いて部屋の中に吸い込まれた。
弾道の安定が保証されないガラス越しの射撃。芹花さんへの“攻撃者”を気遣う余裕など一片も無い。
耳障りな粉砕音とともに伝わってきた確かな手応えは、僕に安堵と同時に強烈な悪寒をもたらした。
「りうっち!そのまま中に飛び込んでっ!」
その声にはっと我に返った僕は、脇を追い抜いて行った水那方さんの背を追った。
ガシャァァァァッ!!
ベランダの手摺りを飛び越え、ガラスを破って室内へ侵入する僕と水那方さん。
「・・・っ!皐月!・・・龍っ!・・・お前ら、なんでっ・・・!」
目を見開き、愕然とした表情をこちらに向けた芹花さんが困惑の声を漏らす。
ああ、芹花さんだ。よかった、間に合った。
芹花さんが生きてくれている。生きてそこにいてくれる・・・それだけでいい。そのことだけで、他の全てを補って余りある成果だった。
しかし、僕にとってそうであっても、芹花さんも同じとは限らない。
彼女の意識はすぐさま、被弾して傍らに力なく横たわる少女に移った。
血に染まった肩を抱き起こし、必死に声を掛ける芹花さん。
「おい!しっかりしろ!おいって!」
どれだけ呼び掛けても、少女は全く反応が見を示さない。
再び僕のほうに顔を向けた芹花さんの瞳には、苛烈な非難の色が浮かんでいた。
「龍っ!! お前・・・なんで、こんな・・・っ!!」
それが理不尽な怒りであってもこの際構わない。僕に向けたその激情が、芹花さんの命の灯を燃やすエネルギーになるのであれば、願ってもないことだ。
「説明は後でします!今はとりあえず早くここを・・・っ!」
そこまで口にしたとき、僕は不意に、右手に妙な重さを感じた。
まるで僕の意思など関係ないかのように、つい、と銃口が芹花さんのほうを向く。
「・・・っ!ロストっ!!」
咄嗟に声を上げた僕の、その右腕を強烈な衝撃が襲った。
水那方さんの蹴りが直撃したのだ。
勢いで弾かれた拳銃が宙を舞い、ガシャッと床に落ちる。
やはり来たか。
敵の身体を操る力の持ち主が、やはりもう来ているんだ。
敵の“力”に対抗するための僕らの策は至って単純。敵に体を操られていると感じたら“ロスト”と声を発しつつ抵抗し、もう一人が強い衝撃を与えることでその部位の制御を取り戻すというものだ。
この作戦でなら充分対応だと思っていたが、体感してみると思った以上にやばい。
不意に訪れる“力”に素早く反応するのは極めて難しく、しかも、抗おうとしても無理やり持っていかれるほどにそれは強かった。
あと僅かでも遅れていたら、僕は・・・僕のこの手は、芹花さんを・・・
割れた窓から吹き込む冷気に、言いようのない悪寒が背を駆け上った。
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