第2話 正しさ ――その②
鉄真の言葉は的を射た評価に思えた。
僕には2つの選択肢があった。あくまでも否定し続ける道と、認めて、受け入れる道だ。
僕は後者を選んだ。だから、今さら僕の奥底で蠢く何かの存在を無視しても仕方が無い。
少なくとも、これのおかげであの時僕は鉄真に対抗できた。治樹や新沼さんを失わずに済んだ。
その結果を考えれば、あながち悪い事ばかりでも無いように思えてくる。
ただ、僕には1つ気掛かりがあった。
昨日、僕が殺した人たちは、本当に死に値する連中だったのか・・・
誰しもまともな風貌ではなかった。生活が荒んでいるのは一目で分かった。
しかし、彼らが自分の意思で僕たちに襲い掛かってきたようには到底思えなかった。
どの顔も虚ろで、何と言うか、理性を失った状態で誰かに操られているような・・・
もし・・・もしそうであれば、僕は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
「おっはよー!・・・あれぇ?みんなどうしたのかな?」
場に不釣合いな暢気な声で勢いよく部屋に入ってきたのは、水那方さんだった。
「よぉ、皐月。いやさぁ、男どもが妙に殺気立っちゃって・・・新入りのことが気に食わないらしい。」
薄野さんが溜息混じりにそう嘆く。
「え~っ、ダメじゃない。ちゃんと仲良くしないと
水那方さんの後ろからひょっこり出てきた玲香ちゃんが、不満げな眼差しを鉄真と狩谷くんに送った。
「ほら、2人とも!ちゃんとお兄ちゃんと仲直りしなきゃ。」
「仲直りも何も無ぇ。さっき言った通り俺のはただの挨拶だ。そいつに対して別に思うところはねぇよ。」
鉄真がそう言って玲香ちゃんの要求を受け流す。
「じゃあ、陣くんは?」
「・・・けっ、仲良くなんてやってられるか。」
玲香ちゃんに見つめられた少年は、ふてくされたように目を逸らした。
「じ~~ん~~くん?」
「・・・分かったよ。おい、新入り、同じチームだが俺は別にお前とトモダチになったワケじゃねぇぞ。
俺たちの任務はガキのお使いじゃねぇ。せいぜい足引っ張るなよ。」
相変わらずの毒舌だ。しかし、玲香ちゃんにたしなめられながらいきがる様子は、彼には申し訳ないがどうも微笑ましく見えてしまう。
「へぇ、もうみんな揃ってるみたいだね。少しは親睦を深められたかい?」
一同が視線を向けた先に、鴉がいた。傍らには付き従うようにアレクさんが並び歩いている。
「もっちろん!もうみんな、
「お、おい皐月!俺はこいつとはトモダチじゃねぇと言ったんだ!聞いてんのか!?」
「ふふっ、だいぶ打ち解けてきてるみたいだな。」
「その纏めかたはねぇだろアレク!」
こういういじられ方が狩谷くんの普段の立ち位置なのだろうか。
もっと殺伐とした感じを想像して恐々としていたが、意外と彼らなりの愉快な人間関係が出来上がっているのかもしれない。
「それじゃ、ミーティング始めようか。」
鴉が宣言し、場の空気が一気に引き締まった。
「龍さんが入ってきたからね。各自の現行のミッションについて少し配置を変えるよ。
それを聞いた薄野さんが、小さく呻くような声を上げる。
「な、ちょ、ちょっと待てよ。それじゃ、皐月の代わりの私の補佐は、まさか・・・」
「うん、龍さんにはさっちゃんの後任としてリカの補佐に付いてもらう。」
「待て!おい、鴉!その・・・考え直せねぇのか?」
「もう決めたことだよ。ここに早く慣れてもらうためには丁度いいしね。」
「それにしたって・・・他にも何か適任があるだろ?いきなり私の補佐やらせるなんて・・・」
薄野さんが必死に再考を迫る。
それもそうだ、いきなりやってきた訳の分からない人間に補佐に付かれるなんて不安でしかないだろう。どんな任務なのかは知らないが、僕にしたって補佐として彼女の力になれる自信など全く無いのだ。
「リカ、ちょっとしつこいよ。ぼくの言うことが聞けないの?」
鴉が温度を感じさせない声で薄野さんの反論を封じる。
「何も躊躇うことは無ぇだろ?お前だってさっき新入りのこと気に入ってるって言ってたじゃねぇか。丁度いい配置だろうが。」
狩谷くんの顔には歪な嘲笑が浮かんでいた。
「・・・ぐっ・・・」
唇を噛み締めて苦しそうにうなだれる薄野さん。
「とにかく、これは決定事項だから。リカとさっちゃんはこの後龍さんに任務の引継ぎしといてね。」
ミーティングが解散となった後、僕は無言で歩を進める薄野さんの背を追い廊下を歩いていた。隣には水那方さんも付いてきている。
鴉に言われた任務引継ぎをするので場所を変える・・・ミーティング後に薄野さんが発したのは今のところその一言だけだ。
「へっ、よかったな。やり方しだいによっちゃあイイ目見られるぞ。」
会議室を出る際、狩谷くんからそんな言葉を掛けられた。
何を言いたいのかは分からない。ただ・・・こんな事は言いたくないが、痣のあるなしに関係なく、その時の彼の顔は今までの中で最悪だった。
「あ、あの、ごめんなさい。僕なんかが補佐になっちゃって・・・やっぱり迷惑ですよね。」
「ん?ああ、違ぇよ。そうじゃねぇ。どっちかって言うと迷惑掛けるのは私のほうだ。」
振り返ったその表情は、随分と元気の無いものではあったが、僕に苛立ちを覚えている風でもなかった。
むしろ、その言葉どおり、僕に対して何か気兼ねしているようにも見える。
(どういうことだろう・・・?)
要領を得ないまま、ただただ薄野さんの先導に従う僕。
「ほら、入れよ。」
案内されたのは、居住区の一室だった。
「ここが私の執務室だ。お前んとことあんま変わらねぇだろ?」
薄野さんの言うとおり、今朝方確認した僕の執務室と基本的な構造は同じだ。
だが、彼女流にアレンジされているところも多々あって、雰囲気はまるで違う。
奥のデスクの上の花瓶に活けられたフリージア。壁際の本棚に目を向けると、そこは大量のファッション雑誌に埋め尽くされていた。
「どうせだから希にお茶を持ってきてもらおっか。お前の分も頼んどくぞ。」
「あ、どうもすみません。」
漂う匂いはアロマの甘い芳香だ。
何よりも僕の目を引いたのは、デスクの傍らに鎮座している白い大きな塊だった。
子供の背丈ほどはある。ゴツゴツした外見から何かの鉱石かと最初は思ったが、よくよく見てみると、どうやら発泡スチロールのようだ。
(何だ?あれ・・・何に使う物なんだ?)
「ああ、あれか・・・まあ、気にするな。そのうち分かるよ。」
僕の視線に気付いた薄野さんの言葉は、随分と歯切れが悪かった。
「それじゃ、不肖、水那方皐月!りうっちに引き継ぐ任務の説明をさせてもらうよ!」
櫻井さんに用意してもらった紅茶を一口飲んだ水那方さんが、ぴしっと右手を上げて宣言した。
「りうっちの任務は
「おいおいおい、お前からそんな献身受けたこと無ぇぞ。つうか、冷蔵庫に置いといた私のアイス食ったのお前だってバレてるからな?お前が私の糧を奪ってどうする。」
「え、えへへ・・・あれは、その・・・せりりんのカロリー取り過ぎを心配しての私の配慮というか・・・」
「誰がカロリー過多だ。お前の食い意地の問題だろうが。・・・もういい、まずは私から説明するよ。」
薄野さんから向けられた真剣な眼差しに、今しがたの愉快な漫才に頬を緩めていた僕は慌てて背筋を正した。
「私が現在担当しているミッションのコードはM064。薬物を使った悪質な売春斡旋を繰り返している組織の粛清だ。ターゲット組織のコードはT15298、コードネームはローズマリ。実名も後で教えるが、口に出すときは絶対にコードネームを使えよ。」
手に滲む汗に、自分の緊張を自覚する。
(・・・や、薬物?・・・売春・・・?)
要約すると、暴力団に真っ向から殴り込みをかけると言っているように聞こえる。いかに“力”があろうとも流石に無茶が過ぎるのではないか。
「えっと・・・このミッションには何人くらいのメンバーが参加するんですか?」
「潜入隊は2人だ。私とアンタだけだよ。あと、作戦行動時はディーネのナビを受けられるから、総勢では3人になる。」
「・・・」
言葉も無い。正気だろうか?
「・・・こういう作戦は・・・今までにも結構あったんですか?」
「ああ、この程度の規模の組織なら何度も相手してきた。」
想像以上に頭のネジが外れた人たちの群れに、僕は紛れ込んでしまったらしい。
ここに来たときからBCLという組織の活動について危険なにおいを感じてはいたが、それがいよいよ具体性を持って僕の目の前に突きつけられている。
僕は馬鹿だ。アレクさんからあれだけ示唆されていたのだから、こういう可能性は充分予測できたはずである。
それなのに、僕は一体どれだけ楽観的な見込みでいたというのか・・・
自分の心を誤魔化してもしょうがない。そうだ、僕は公開処刑のようなやり方を想像していたのだ。
自分だけ安全なところに居座って、追い込まれてきた無法者たちを“力”で蹂躙するような、そんな都合のいい画を思い描いていたのだ。
相手を殺すことは受け入れられるのに、想定を超えた危険が自分に降り掛かるとなると途端に尻込みする・・・僕は結局その程度の人間ということだろう。
自分の性根の汚さが理解できたところで、何の足しにもなりはしない。絡みつく恐怖から逃れられる訳でもない。
無理だ。逃げ出したい。
今だったらまだ間に合うんじゃないか?
そう、僕はあくまで仮所属。帰ろうと思えばすぐにだって帰れる・・・
だけど・・・
(これだ・・・こういう僕だ・・・僕が捨て去りたいのは・・・)
忘れてはいけない。僕がなぜ、鴉に付いてここにやってきたのかということを。
ここでも逃げてしまったら、きっと僕はいつまでも今のままだ。ゴミのような存在のままなんだ。
「怖いのか?心配はいらねぇよ。私もプロだ。アンタは私の言うことをきっちり聞いてればいい。油断は禁物だがな。」
とにかく今は薄野さんの自信ありげな態度を信じよう。逃げるにしても、もう少し見極めてからだ。
「それで、僕は何をすればいいんですか?」
「それはその都度指示を出すから、とりあえずは何もしなくていい。・・・そうだな、アンタの執務室のPCにターゲットの詳しいデータ送っとくから、目を通しておいて貰おうか。
それと、基本的に私が外出する際には同行してもらうから、そのつもりでいてくれ。」
何もしなくていい・・・戦力として期待されていないということなら、僕にとってはそっちのほうが都合がいい。こんな途方も無い作戦を遂行するにあたって僕の働きが計算に入れられてたりなんかしたら非常に困る。
さしずめ、薄野さんの仕事ぶりを見て学べといったところか。
「それから、どっちかっていうとこっちのほうが重要なんだけど・・・」
言いにくそうに呟いた薄野さんが、水那方さんにちらりと視線を送った。
「はいはい!ここからは私が説明するね!ほら、これ、受け取って。」
水那方さんから手渡されたのは、白いタブレットケースだった。
「えっと・・・これは?」
「それはせりりんの薬だよ。その薬の管理がキミの仕事。」
「・・・管理?・・・えっ?」
「とっても危ないお薬だから、ちゃんとした量をちゃんとしたタイミングで飲ませないとダメだからね。」
薄野さんは何かしら持病を持っているらしい。てんかん、糖尿病・・・薬を常用しなければ発作を起こしたりなどして危険な状態に陥る病気を幾つか知ってはいる。
大雑把に一括りにはできないが、そういった病気の治療に使われる薬は取り扱いに注意が必要なものが多かった筈だ。
きちんとした管理が必要なのは分かる。でも、どうしてその管理を僕に委ねるのだろう?
別に困る訳ではないが、彼女のような大人であれば自分で管理するのが普通ではないだろうか。
「薬が必要になったときは携帯に特殊通知が入るから気に掛けといてね。用量の限度は1日1錠だよ。せりりんは飲む前と飲んだ後の体温とか血圧とかを室長に報告しなきゃいけないんだけど、そのときは一応側にいて確認をお願い。
飲む前の確認は・・・まあ、できるときだけでいいから。
緊急の時はまず薬を飲ませるのが大事!」
かなり激しい発作に見舞われるということか・・・それなら確かに補佐が必要なのは理解できる。
しかし一方で、だからこそ発作の予兆を感じたときにすぐ飲めるよう本人が薬を保持しておいたほうがいいという気もする。
「・・・分かった。注意しておくよ。この薬を飲んでもらえばいいんだね?」
「うんっ!それと・・・はい!これが作戦遂行中に発作が来たときのためのお薬ね。さっきのやつよりはちょっと弱めだから。」
「えっと、普段がこっちで、作戦遂行中がこっち・・・」
「そうそう。それじゃ、せりりんのことはよろしく頼んだよ!」
それでも何らかの理由があってこのような形態を取っているのだろう。薄野さんの補佐を続けているうちに分かることかもしれないし、まずは言われたとおりにやってみよう。
「悪いな、迷惑掛けて。」
この話になってから終始バツが悪そうな顔をしている薄野さんだが、2人で暴力団に乗り込めと言われるのに比べれば余程苦の無い任務だと僕には思えた。
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