第2話 正しさ ――その③
「さあ、龍クン。どれがいいかい?」
(うわっ・・・)
携帯の予定表に記された指示に従い会議室を訪れた僕。
待ち構えていたアレクさんが、まるでお菓子でも選ばせるような口振りで僕の目の前に広げたのは、様々な色や形をした拳銃の数々だった。
「“力”というのは驚異的なものだ。普通の人々に囲まれて生活していれば、それ1つで最強の存在となりうる。
だがな、戦士として生きていくなら、俺たちの能力は付加価値の1つに過ぎない。
“力”の使えない状況でも自分の身を守れるように訓練が必要だってことさ。」
戦士として生きていくために、銃を携帯する・・・ならば、この銃を取ることは、即ち戦士として歩む決心をするということになるのだろうか。
その覚悟が、僕にはできていると言えるのか・・・
僕は結局、ずっと状況に流され続けているだけじゃないのかという気もする。
流されるまま銃を取って・・・このままいくと、僕はこれをどう使うようになるのだろう。
いつしか、流されるまま、その銃口を誰かに向ける時が来るのか。
分からない。怖い。自分は一体どうなってしまうのか。
変わりたいと望んだのは僕だ。しかし、僕にとって望ましい方向に変わっていく保障はどこにもないのだ。
達治さんは、初めて銃を取ったときどういう気持ちだったのだろうか・・・
少なくとも僕の目には、達治さんは流されることなく自分の足でしっかりと歩んでいるように映った。
実際には僕はあの人のことを何も知らないし、ただの幻想かもしれないが、そう見えたのは事実だ。
たとえ自分が醜く腐り果ててしまったとしても、せめてあの人のことを心の片隅に留めておけるようにと思い、僕は彼の持っていたものに良く似た1丁の銃を手に取った。
「へぇ、いいのを選んだじゃないか。ドイツ製の高級品だ。先進国の中でも軍隊の支給品として採用しているところもある。買い付けるの結構苦労したんだぞ。」
「え、これって全部アレクさんが買った私物なんですか!?」
「はは、いや、BCLの装備品の調達でちょっと手伝いをしているだけさ。まあ、多分に趣味が入っちゃってるから、私物化してると言われたら否定しきれないけどね。」
悪戯っぽくしてみせるウインクは、さすが外国の人だけあってさまになっている。
「それじゃ、行こうか。」
射撃訓練場は、僕がここに来たとき通った入り口よりもさらに下の階にあった。
ドーム球場ほどはあるんじゃないかという広い空間のそこかしこに、人型の的が設置してある。
要女先生のところのように仕切りは無く、足元にはでこぼこと土が盛ってあった。
「今日は初日だから直立で撃つ練習からだな。上達してくるとこの足場を駆け抜けながら的を撃つ練習も混ぜる。あんな風にな。」
アレクさんが指し示す先に見えたのは、狩谷くんの姿だ。
パァァン!! パァァン!!
「はあっ!はあっ!」
狩谷くんの放つ銃弾が、確実に的を捉えていく。この足元の悪い中を走りながらよくもあれだけ精度の高い射撃ができるものだ。
子供のようであっても、彼もまた1人の戦士なのだろう。僕なんかよりよっぽど優秀な・・・
「ふうっ・・・なんだ、新入りじゃねぇか。何しに来たんだ?ガキはゲーセンのシューティングゲームででも遊んでな。」
投げつけられる不快な言葉には慣れるほかないのかもしれない。できればここにいる間はみんなと良好な関係でいたいのだが、鉄真と狩谷くんに限ってはそれは望めそうにない。
「今日から龍クンに射撃訓練を開始してもらおうと思ってね。端のほうを何列か使わせてもらうよ。」
「ちっ、分かったよ。勝手にしてくれ。」
アレクさんが確保してくれたスペースに立って、僕は先程渡された銃を懐のガンホルダーから取り出した。ガンホルダーは銃と一緒に支給されたもので、わきの下に銃を吊るすタイプだ。
「いいかい、その銃は・・・」
マニュアルセーフティが付いていないからトリガーにむやみに指をかけない。最初のうちは両手でしっかり持ち重心を安定させて撃つ・・・アレクさんのアドバイスは、達治さんが言っていたのと同じものばかりだった。
「注意点はとりあえずそれだけだ。それじゃ、まずは思うように撃ってみるといい。」
あの時はおそらく気晴らしの一環として撃たせてもらった。だが、今回は訓練だ。
そして実戦では、この照準の先にいるのは、人間なんだ。
殴り合いの喧嘩なら、相手を屈服させればそれで終わるかもしれない。でも、僕にはそれを成しうるだけの拳が無い。
僕が相手に向けるのは、銃か、“力”。
そうなると、行き着く先はきっと殺し合いしかない。銃を向けておいて、相手を殺さず、自分も死なない・・そんな道は果たしてあるのだろうか。
パァァン!!
「おっ、やるじゃないか。まあ頭や胴体は外してるが、逃走を阻止するために足を撃つことだって実際にある。」
「なにフォロー入れてんだよアレク。狙ってやってるわけ無ぇだろうが。所詮ガキの射撃なんてあんなもんだ。」
足を撃たれたとして、相手はそれで諦めてくれるのか?
こちらを振り向き、むしろ怒りの形相で銃を向け返してくる・・・そんなビジョンが不意に浮かんでくる。
パァァン!!
「今度は右腕か。これも当たった場所としては悪くないな。」
「はっ!冗談じゃ無ぇ。外しまくってるだけだろ。一発で仕留めねぇとこっちが死ぬだけだ。こいつは使い物にならねぇよ。」
自分が何をしたいのか、段々分からなくなってきた。的の右足と右腕に穿たれた穴・・・これじゃあただいたぶってるだけじゃないか。
戦いの場で、相手が僕を殺しにきている状況で、自分が生き延びるためにやるべきことは、多分1つしかないんだ。
パァァン!!
「・・・・・」
「ようやくちゃんと命中かよ。素人でも3発撃ちゃあビギナーズラックでど真ん中に当たることもあるってか。けど実戦じゃ3発も撃つまで待ってくれるお人好しはいねぇ。おい新入り、お前、死ぬぞ。」
達治さんに撃たせてもらったときのような爽快感は無かった。
素手では敵わないから、ナイフを持つ。ナイフでは自分の弱さを補うのに足りないから、今度は銃を持つ・・・そんなのは即時的な逃げじゃないのか。
でも、だとしたら、“力”を使ってやるのであれば許される、なんて言い逃れだって通るワケが無い。それもやっぱり逃げでしかないってことだ。
今さら撃つのを躊躇っても、どうしようも無いんだ。
「ふむ、今日の予定には無かったんだが、ちょっと走りながらの射撃もやってみるか。」
「おいおいアレク!冗談だろ?たかが一発のまぐれ当たりを真に受けるなよ!」
「いいじゃないか。少なくとも今までの感じで危なっかしいところは無いんだ。さあ、龍くん、ここからスタートして盛り土を駆け抜けながら撃ってみてくれ。」
アレクさんに促され、僕は盛り土の切れ目付近に移動した。
「いいかい、走りながらの射撃も立位静止姿勢での射撃と基本は同じだ。しっかりと両手で銃を握って、上半身を固定する。それで、そのまま上体がぐらつかないよう、滑るように走るんだ。こんな風にね。」
突如、アレクさんの姿がブレた。
信じられない速度で遠ざかっていくアレクさんを慌てて目で追うと、その手元から破裂音が続けざまに放たれた。
いつ抜いたのかすら分からない。弾痕は
凄まじく俊敏な動きでありながら、アレクさんの腰から上は確かに優雅なドライブを楽しんでいるかのような穏やかさがあった。
狩谷くんの射撃も凄いと思ったが、これはさらにその数段上をいっている。
「と、まあ、こんな感じかな。龍クンの手本になれたかどうかは自信ないけどね。
俺たちはそれぞれが単独またはごく少人数で行動する工作部隊。多様な局面において常に味方の援護を得られるわけではないし、身を隠す遮蔽物があるとも限らない。
だから、体勢の安定しない状況でも手足のように銃を扱えるよう感覚を養う必要があるんだ。
ほら、キミもやってごらん。」
折角のアレクさんの実演だったが、正直凄すぎて何の参考にもならない。だけどまあ、要するに走りながら的を撃てばいいということなのだろう。
走る、そして、撃つ。
幾つもの事を同時にできるほど器用ではないが、2つだけなら何とかなるのではないか。
とにかく、やってみるしかない。僕は見よう見まねで両手持ちの銃を斜めに下ろし、そのままアレクさんの辿ったルート目掛けて駆け出した。
(・・・くっ・・・つあっ・・・!)
直後、僕は自分の認識の甘さを思い知らされることになった。
体が暴れる。ロデオマシンにでも乗っているかのようだ。
両手が自由であることがバランスを取る上でいかに重要か改めて気付かされる。
銃を的に向けたとき、僕は絶望に近い気分になった。
上下左右へと照準が激しく跳ね回り、とてもじゃないが当たる気がしない。
パァァン!!
苦し紛れに放った1発は、狙いを大きく逸れて標的の遥か上方を通過した。
「うっはっは!なんだ?そりゃ。陸上競技のスターターの真似か?」
狩谷くんの野次に構う余裕も無い。僕は当たらないと知りつつも2発目を撃った。
パァァン!!
今度は随分手前の床に着弾し、キィンと甲高い金属音が響いた。
「ひゃっひゃっ!あんまり笑わせるなよ。もういいだろ、お前のギャグで浪費できるほど弾だって安くねぇんだ。」
次第に苛立ちが募ってくる。ガンシューティングゲームは僕の得意ジャンルだ。だからといって実際の射撃に通用すると考えるのは早計を通り越して間抜けなのだろうが、専用コントローラから実銃に持ち替えてからここまで、少なくとも狙ったところを撃つことはできていた。
それが、今初めて、撃った弾がどこに飛ぶか分からないという事態に陥っている。
思い通りに的を射抜くことができないというのが、これほどもどかしいものだとは知らなかった。
こうなったら1発でもいいから的に当てたい。
問題は体の揺れだ。これを押さえ込まないことにはどうしようもない。
(ん・・・くうっ・・・こっちの方がまだマシか・・・)
走り方が、飛び跳ねるようなものから足をあまり上げない摺り足のようなものに自然と変わっていく。
気休め程度だが振動がやや和らいだ。
これならかするくらいは期待できるかもしれない・・・僕は銃を眼前に固定し、集中力を高めていった。
そして、引き金を引こうとした、まさにその時・・・
「・・・うぉっつ!!」
盛り上がった土に足を取られてしまい、僕は盛大に転んで地面に突っ伏した。
パァァン!!
「うひゃっ!!おおおお、お前!どこ狙ってんだっ!!」
耳に飛び込んできたのは慌てふためく狩谷くんの悲鳴だ。
自分のあまりの醜態に、惨め過ぎて笑いが込み上げてくる。
銃の腕も人並み以下・・・無能な僕には結局その程度がお似合いなのだろう。
「アレク!もうやめさせろ!危なっかしいどころか殺されるとこだったぞ!素人には素人に見合った修練ってのがあるだろうが!」
「う~ん・・・そうだな、今日はこれくらいにしておくか。そもそも今日は射撃がメインじゃないからな。
いいかい?龍クン。銃ってのは、撃つこと自体よりも大事なことが色々あるんだ。」
アレクさんが教えてくれた大事なこと・・・それは、銃の整備の仕方だった。
「銃ってのは精密機械だ。放っておけばすぐに照準に狂いが生じるし、暴発の危険性も高まる。きちんとした銃ならそうそう事故は起こらないけど、俺たちのような仕事をしてる人間にとっては僅かな照準の狂いも致命的だ。」
壮観なほどに銃器が取り揃えられた部屋に案内された僕は、アレクさんの手解きを受けて銃を分解していく。
たった1つだった黒い塊は徐々にバラバラになり、最終的には70個程の細かいパーツに分断された。
「銃の内部構造をよく覚えておいてくれよ。整備中はその銃を使えないってことだからね。なるべく短い時間で分解し、組み立てられるよう、何度も繰り返すんだ。
実際の整備以外でも空き時間があったら分解と組み立ての練習をしておくといい。」
こんなゴチャゴチャしたものを覚えるなんて頭が痛くなりそうだ。銃を扱うというのは意外と面倒なものらしい。
銃身の内筒(インナーバレルと呼ぶらしい)にスプレーを吹きかけながら、アレクさんが質問を投げ掛けてきた。
「さっきのあれ、狙ったのかい?」
思い掛けない問いに、僕は慌てて首を振った。
「い、いやっ!違いますよ!あれは転んだだけで、その・・・別に、狩谷くんを撃とうなんて・・・」
「あはは、あれは傑作だったけど、そっちの話じゃない。静止したまま撃った3発のことだよ。」
「・・・えっと・・・」
何かまずかっただろうか?指示されてもいないのに勝手に手足を狙ったのがいけなかったか・・・色んな考えが頭を巡って返答に詰まる僕。
「最初は陣が言うように偶然当たってるもんだと思っていたんだが・・・体幹もふわふわ安定しないしな。
けど、何というかな・・・着弾後のキミの様子が、あたかもそこに弾が当たるのが分かっていたかのように見えてね。」
銀光を放つ筒を蛍光灯にかざすアレクさん。
そういう感覚は確かにあった。外すことなど微塵も想像していない・・・むしろそれが普通だと思っていた。
「俺の見込みじゃ、キミは静止状態からの射撃に関しては天性のものを持っている。スナイパーライフルを持てば面白いことになるかもな。」
褒められている・・・のだろうか。
俄かに胸の内が高揚する。僕にとって褒められるなんてことは滅多に無いから、こういうときにどういう反応をすればいいか分からない。
だけどこれは、人殺しの才能があると言われているようなものだ。それなのに子供のように無邪気に喜ぶことが正しいのだろうか。
(・・・ふ・・・正しさ、か・・・)
未だにそんなものにこだわっている自分に内心で苦笑を漏らす。
昨日、僕は、あの並木道で、サイトを使う決断をした。
仮に僕が歩むべき“正しい道”というのがあったのだとしても、あの時以降その入り口は完全に塞がれてしまっているに違いない。
正しさを口にする資格など、僕にはもう残されていないのだ。
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