第5話 宴 ――その③

卓上に所狭しと並べられた料理。目の前のローストビーフを1カケ口に入れると、何とも言えない幸せな風味が口内を駆け巡った。

押さえ切れずに次々と料理を掻き込みながら、自分が随分とお腹を空かせていたことに気付く。

自分は小食な方だと思っていたが、それは単に運動不足だっただけなのかもしれない。

「いい食べっぷりだな。たくさん食べて身体を作るといい。」

アレクさんがにこやかにそう評す。

この場にいるのはアレクさん、薄野さん、水那方さん、玲香さん、櫻井さん、それに脇に控えている櫻井さんで、僕を含めると7人になる。

逆に言うと、鉄真、狩谷くん、鴉の姿は無い。

まあ、彼らがこういうパーティーではしゃいでいる姿は、何というか想像できない。

僕にとっては、鉄真や狩谷くんがこの場にいるとくつろぐなんてできる気がしないので、その2人がいないことには安堵を感じてしまう。


「ねぇ!りうっち!りうっちには恋人いるの?」

目をらんらんと輝かせながら、水那方さんがそんなことを訊いてきた。薄野さんも面白そうにこちらを窺っている。

「い、いや、いないよっ。」

「じゃあじゃあ、好きな人はいるの?どんな人が好きなの?」

怒涛のように質問を重ねる水那方さんに僕はたじたじだ。

「ちょっとさっちゃん落ち着いて!」

割って入った玲香ちゃんが、僕を庇うように両手を広げて水那方さんを制止する。

ほっと一息を吐いた僕をよそに、玲香ちゃんが声を張り上げた。

「お兄ちゃんには、お互いに好き合ってる人がいるんだから!そりゃまだ恋人とかじゃないけど。」

ガラナを気管に吸い込んでしまいゴホゴホと咳き込む僕。今のは完全に意表を突かれた。

「え~~っ!誰?誰?教えて~~!」

「だーめ!」

「ひどいっ!れいちゃんの意地悪っ!教えて教えて教えて!!」

「だめだって!こういうのは軽い気持ちで口に出すと恋が叶わなくなっちゃうんだから!」

玲香ちゃんは顔だけこちらを振り向いて、“私に任せてね!”とでも言いたげな表情で僕にウインクをして見せた。

僕を追い詰めているのが彼女自身だということにどうやら気付いていないらしい。

「ふっふ、そんなんだからお前らはお子様なんだよ。」

口を挟んできたのは薄野さんだ。ニヤリと悪者じみた笑みを浮かべて僕たちの顔を見渡す。

「その話が本当だとしても、こいつは今のところ誰のものでも無いってことだろ?童貞っぽいツラしてるしな。」

肩を掴まれ、ぐいっと引き寄せられた。頬にサラリと触った髪からすごくいい匂いがして、なんだか落ち着かない。

「だったら何も関係ねぇ。奪いたかったら奪えばいいんだよ。お行儀よく順番待ちしてたんじゃ男はモノにできねぇよ。」

(・・・わっ・・・わわっ・・・)

ガッチリと肩を組まれ、そのまま頭をガシガシと撫で付けられた。お酒の影響か、ほんのり赤く染まった頬が妙な色気を醸し出していた。

「おっ~~、大人だ~~~っ!」

感嘆の声を上げる水那方さん。

「ダメ~~~!!離れて~~~~!!」

叫びながら強引に割り込んできたのは玲香ちゃんだった。

「お兄ちゃんは渡さないからねっ!お兄ちゃんには将来を誓い合った人がいるんだからっ!」

そんな人がいるなら僕が知りたい。玲香ちゃんの中で話がどんどん天井知らずにインフレを起こしてしまっている気がする。

「せりりんは、りうっちみたいのがタイプなの?」

水那方さんの質問に、薄野さんが「ん~~?」と唸りながら僕に顔を近付けてきた。

薄野さんが顔を突き出した分だけ、僕は仰け反る必要に迫られる。そうしないと、その・・・当たってしまうからだ。顔、というか、唇が・・・

「はっ、まだこのボウヤには私の相手は早ぇよ。もっと私に相応しい大人の男になってからだな。」

この返答は妥当だろう。薄野さんにとって僕はからかう対象になりこそすれ、1人の男として見ることなど有り得ないように思える。

「べーっだ!お兄ちゃんに相応しくないのはリカちゃんの方なんだからっ!」

それでも玲香ちゃんはご立腹のようで、薄野さんをしきりに威嚇していた。

ふと見ると、グラスを片手にアレクさんが柔らかな目付きでこちらを眺めていた。まるで子供がはしゃいでいるのを見つめる親のようだ。

まあ、アレクさんから見れば、僕らは全員子供のようなものなのかもしれない。

「ははっ、まるでお姫様を守るナイトだな、玲香。将来を約束した相手ってのはもしかしてお前のことじゃないのか?」

「ちっ、違うよっ!!もーっ、何言ってるのアレク!」

アレクさんのとんでもない憶測を、玲香ちゃんが顔を真っ赤にして否定する。

「口先だけで否定されてもなぁ。俺たちはその相手を知らないんだから、邪推するのも仕方ないだろ?誰なのか教えてくれたら、疑いも晴れると思うんだけどな。」

「う・・・そ、その手には乗らないんだからっ!」

玲香ちゃんの心が明らかにグラついているのが見て取れた。さっきから墓穴を掘ってばかりで見ていて可哀想になってくる。こんな反応をするものだからアレクさんが面白がってからかってくるのだということを自覚したほうがいいように思う。

・・・しかし、いいのだろうか。

ここに来たときアレクさんから聞いた話から察するに、涼子ちゃんはBCLと敵対する組織に所属しているということらしい。

その涼子ちゃんと僕が親密な仲にあったと玲香ちゃんは誤解しているようだが、それならまずスパイの容疑をかけるのが普通ではないのか。

その時、僕ははっとなった。玲香ちゃんに僕を内通者扱いする気は無いとして、彼女の誤解が他のメンバーに伝わってしまったら、僕は安穏としていられなくなるのではないだろうか。

常に猜疑の視線を浴びせられることになってしまうんじゃないか?

そう考えると、急に嫌な汗が湧いてきて背筋を伝った。

「龍クン、キミの意見も聞きたいな。どうなんだ?ホントにキミにはフィアンセがいるのかい?」

「え、い、いませんよ!いるわけないじゃないですか!」

いきなり話を振られて、僕は必死に否定する。

「・・・お兄ちゃん・・・」

その呟きに目を向けると、玲香ちゃんがすごい顔で僕を睨み付けていた。

「だ、そうだ、玲香。龍クンはお前の味方ではないみたいだぞ。お前は自分の主張を証明するためにもうちょっと頑張ったほうがいいんじゃないか?」

「・・・うっ・・・」

苦しそうに呻く玲香ちゃん。

「ほら、言ってみろ。誰なんだ?」

「・・・それは、その・・・」

まずい、アレクさんの狡猾な攻めに玲香ちゃんが非常にまずいことを口走りそうな気がする。

(・・・考えろ!考えるんだ!)

今、彼女が追い詰められているのは、味方がいないからだ。

彼女を孤立させないためには、僕は真実にばかり拘っていられないのかもしれない。

(だったら、いっそのこと・・・!)

僕は玲香ちゃんににじり寄って、こっそりと耳打ちした。

「玲香ちゃんっ。それは僕と玲香ちゃん2人だけの秘密でしょ?この場を誤魔化すために“勘違いだった”ってことにしといてよ。」

玲香ちゃんは真剣な顔でうんうんと頷く。

「で、どうなんだ?玲香が嘘吐きじゃないってことを俺たちに証明してくれるのかい?」

「えっと、嘘じゃないんだけど、玲香ちょっと勘違いしてたかも。ホントはちょっと仲がいいだけだったかも。」

「何だって?酷いなぁ・・・これだけ話を盛り上げといて、嘘だったのか?」

アレクさんが大げさに落胆してみせる。

「嘘じゃないって言ってるでしょ!勘違いだって!勘違いしたことくらいアレクにだってあるでしょ?」

あからさまに無理のある抗弁だが、この方向で頑張ってくれるなら僕としては充分だ。

そもそも彼女の話が真剣に受け止められていたわけではなく、どちらかというと周囲が煽って遊んでいるような雰囲気だったのだから、こういう風に遮断されればみんなの興味も他に向くだろう。

アレクさんはいかにもお手上げだといった様子で肩を竦めた。

「降参だよ。どうやら龍クンには情報戦の資質もあるらしいな。」

にやっと笑うアレクさん。笑みを向けられた僕は引き攣った笑顔を返す以外なかった。

取り敢えずは誤魔化せたみたいだ。しかし、こんなその場しのぎで本当によかったのかと問われると、全く自信が持てないのだった。



--------



薄暗い照明に照らされた岩肌は、意外にも赤や碧の色彩豊かな光沢を放ち、見る者の目を楽しませてくれた。

どこからとも無く通り抜けるひんやりとした風が、火照った身体に心地良かった。

宴もたけなわの中、僕はバルコニーに出て一息吐いていた。

賑やかな団欒は、思っていた以上に心に染みた。渇き切った喉に水が注がれたような感慨を覚えながら、しかしそれでも時折こうやって静寂を求めてしまうのは、僕のどうしようもないさがなのだろうか。

「おー、龍、ここにいたのか。主役のお前がこんなところで何してんだ。」

だけど、その静寂は長くは続かなかった。

「あ、薄野さん・・・」

彼女は僕に並びかけるように手すりに肘を置くと、視線を薄闇に彷徨わせた。

「こんなほら穴の岩壁に“景色”なんてものがあるなんて、私はここに来て初めて知ったよ。」

僕が感じていたことがそのまま薄野さんの口から語られたのはちょっとした驚きだった。

ふうっと気怠そうに吐息を漏らす薄野さん。その頬には先程と変わらず紅が差している。

「・・・結構飲んだんですか?」

「ん、そうでもねぇよ。私は酒量を制限されてるんだ。アレクがいちいち監視してやがるから飲み過ぎたら厄介だしな。まあその・・・治療中で薬飲んでる身だから仕方ねぇんだけど。」

治療中・・・薄野さんからその言葉が出てきたのは、彼女の事情に触れるいい機会なのかもしれない。

他人の私事を詮索するのは好きではない。でも、“龍さんはリカのパートナーなんだから”と鴉に言われたことが、僕の心に引っ掛かっていた。

「薄野さんは、その・・・麻薬組織とか・・・あの、そうじゃなくて、今回のミッションの話なんですけど・・・」

思い切って口を開いたものの、全然言葉にならない。

「・・・あ?」

「ご、ごめんなさい!何でもないです。」

大失敗だ。自分の度胸の無さを計算に入れておくべきだった。

「・・・誰かから訊いたのか?私のことを。」

冷たい口調で問われ、一気に血の気が引いていく。

「いえ、あの・・・」

「あぁ?イライラさせんな。はっきり言えよ。」

「あの、その・・・すみません。」

僕は一体何をしたかったんだ。これじゃあただ薄野さんを不快にさせただけじゃないか。

「誰から訊いた?アレク辺りか?」

「あ、いえ、鴉ですけど・・・」

薄野さんは口を噤んで、しばらく何も言葉を発さなかった。

どうすればいいだろう・・・取り繕うべきか、それとも話題を変えたほうがいいか・・・

色々頭を悩ませながらも、僕は結局何も言うことができなかった。

「龍、お前は自分がクズだって思ったことあるか。」

唐突に、薄野さんが訊いてきた。

どういう意図が込められた質問かは分からない。

僕がクズであることを自覚しているか確認しようとしているのだろうか?

それならば、僕にとって答えに迷う要素は一片も無い。

「・・・はい。というか、そう思うことばっかりな気がします。」

「どんな時にそう思うんだ?」

「そう、ですね・・・自分のことしか考えずに周りの人たちに迷惑を掛けておいて、そんな自分を直すこともできずに、自虐に酔って誤魔化そうとしてる時、でしょうか・・・」

口に出してみて、それが今の自分に寸分無く当て嵌まっていることに気付く。

僕は、変われてなんかいない。地上にいたときも、ここに来てからも、僕は変わらず卑小なままなんだ。

「私が一番自分のことをクズだと思ったのはな・・・」

ぽつりと呟く薄野さん。遠くを見つめるその目から色が消えた。

そこにあるのは虚無・・・ゾッとするほどの空虚感だ。


「自分の親を殺した奴の、殺した奴の・・・く、ふ・・・」

突然、薄野さんの呼吸が乱れた。片手で顔を覆い、片手でお腹を押さえながら前屈みに震えている。

「・・・っ、薄野さんっ!?」

ぴくぴくと揺れる肩と背中。

(・・・な・・・な、何だ?何が起こってるんだ・・・?)

痙攣?・・・まさか、発作!?

大丈夫だろうか。これはかなりまずいんじゃないだろうか。

誰かを呼んでくるべきか?

しかし、何か様子が変だ。

「っくふ・・・うふふっ・・・ぅくく、・・・ひーっひっひ・・・」

・・・違う。苦しんでるんじゃない。

これは、笑ってるんだ。

「くくっ、悪いな龍。思い出すと可笑しくってさぁ。だって、“お願いします”だぞ?親を殺された相手に“お願いします”だ。ワケ分かんねぇだろ?私もワケ分かんねぇんだこれが。・・・ぷ、くはっ!」

脈絡に欠けた言葉から伝わってくるのは極めて断片的な情報だけ。それは文字の羅列として耳に飛び込んできたものの、具体的な形として脳内で結実することは無かった。

仔細はまるで分からない。だが、僕の心は彼女の領域にそれ以上立ち入ることを拒んでいた。

「ふくっ・・・くくく、くひひ、ひひ、ぷふふっ・・・ふは、はははっ・・・」

音程のおかしな笑い声が岩壁に反響し、異様な空気がテラスを満たす。

どうすればいいのか、何か言葉を掛けるべきなのか、だとしたらどんな言葉を選べばいいのか、僕には全く分からなかった。

(・・・あれ、何、僕・・・震えて・・・)

世界が揺れる。肺の辺りがぐいぐい締め付けられる。

狂気じみた笑いが生み出す緊張感に、僕は普通に息をすることも無意識にはできなくなっていた。

一頻り笑い続けた薄野さんは、全てを吐き出し切ったかのようにだらんと手すりにもたれかかった。

「私は生きる価値の無い女だよ。あの瞬間、私は人間として最低限のものをドブに捨てたんだ。自分の存在なんて、明日にでも消えてしまって構わない。でもな・・・」

その双眸に、昏い情動が滾る。


「それは、奴らが苦しみ悶えながら無様に死ぬのを見届けてからだ。」

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