第12話 慰労 ――その①

『どうだった?』

声が聞こえる、

浮かれたような、わくわくしたような声で囁いてくる。

『どうだった?』

誰だろう。どこから聞こえるんだろう。

一体何を訊こうとしてるんだろう。

『どんな感触だった?』

・・・え、何?・・・感触って・・・

問い返そうとした瞬間、目の前がパッと開けた。

途端に流れ込んでくる、洪水のような赤、赤、赤


ガンッ!! ガンッ!! ガンッ!! ガンッ!! ガンッ!! ガンッ!!


銃声のような、ハンマーで何かをぶっ叩いたような音が喧しく響く。

砕ける骨、飛び散る肉片

苦痛に目を見開いたまま固まった醜悪な顔が、食い散らかされた残飯のように累々と積み重なっていく。

『どうだった?どんな感触だった?』

からかうように、おちょくるように訊いてくる。

・・・やめろ・・・やめてくれ・・・

『怖かった?気持ち悪かった?』

・・・やめろ・・・やめろ・・・

進入してきた赤い液体が腹の中で腐った泥濘に変わる。

体の中の物を全部吐き出したかった。

最悪だ。もう耐えられない。

『辛かった?苦しかった?』

逃げ出したかった。そうだ、当然だ。こんな最悪の感覚からは一刻も早く開放されたい。

当たり前だ。誰だってそうだ。

そうに決まってる。


『・・・それとも』


・・・やめろっ!・・・やめろよっ・・・!!



『気持ちよかった?』



「あああああああああっっっっ!!!!」

「うわっ!びっくりしたっ!」



跳ね起きた僕の目の前に、あんぐりと口を開けた少女の顔があった。

「・・・え、あ・・・み、水那方さん・・・?」

カーテンで仕切られたベッド、漂う薬品の匂い・・・ここは医務室だ。イグザミニーズのアジトに隣接した研究棟内の一室だ。

記憶が蘇るまでさほど時間は掛からなかった。血を流し過ぎた僕は、あのままあそこで気を失って・・・


「よかった!気が付いた!大丈夫?りうっち。痛いところとか・・・」

「・・・っ!芹花さんっ!・・・芹花さんはっ!?」


僕の剣幕に再び目を丸くした水那方さんは、僕を安心させるように微笑んだ。

「せりりんなら大丈夫だよ。手当て済ませてさっきまで一緒にいたんだけど、アレクに呼び出されて先にアジトに戻ったから。」

その説明を聞いて、心臓を縛り付けられるような切迫感から解放され、僕は大きく息を吐いた。

「・・・そ、か・・・無事だったんだ。ふ~~~・・・」

よかった。ようやく終わったんだ。

何度も絶望しそうになった。もう駄目だと諦めかけた。

でも、ついに僕らは帰ってきたんだ。1人も欠けることなく。

長い一日だった。出口の無いトンネルを彷徨うような僕の初任務も今度こそ完全に終わりだ。紛れも無くミッションコンプリートだ。

圧倒的な安堵の波に呑まれて頭が溶けそうだった。

つい先刻まですぐ傍らにあった死の恐怖、破滅の恐怖はもはやどこにも見当たらない。

もっと柔らかく穏やかなものだと思っていた安堵という感情がここまでの恍惚を生み出せることを僕は初めて知った。

「あっ!ところでりうっち!!」

唐突に大声を上げた水那方さんが、真剣な表情で僕の顔を覗き込む。

「え・・・な、何・・・?」

張り詰めた空気に圧されて仰け反る僕。

「りうっち、嘘付いたよね?今日廊下で会ったとき。ホントはミッションで出動する準備してたのに、私にそれを隠して・・・」

「・・・あ・・・」

言われてようやく思い出したが、思えばあれが重要な分岐点だったのではないか?

僕はあの時、水那方さんに相談すべきだったのではないだろうか。

そうだ、ミッションは失敗する一歩手前だったんだ。水那方さんとアレクさんが助けてくれなければあのビルから脱出することなんてできなかった。

僕が考えなしに芹花さんに追従したせいでむしろ彼女を絶体絶命の窮地に追いやったとも言える。

あの時水那方さんに打ち明けていれば、少なくともああはならなかったはずだ。

もしかしたらミッションは中止になっていたかもしれない。でも、僕が思い悩むより彼女のほうが遥かに芹花さんにとってプラスとなる答えを導くことができたに違いない。

「りうっちのバカっ!!このっ!!」

突き出される小さな拳。

(・・・ひっ!)

その威力を嫌というほど知っている僕は反射的に身を強張らせた。


ポスンッ


水那方さんの拳は、しかし思いの外緩やかな力加減で僕の胸元に納まった。

「・・・ありがとう。」

俯いたままぽつりと呟いたその声は、微かに震えていた。

(・・・え・・・?)

何を感謝されているのかまるで分からない僕に、水那方さんが言葉を続ける。

「ありがとう、せりりんを助けてくれて。」

・・・助けた?・・・僕が?・・・芹花さんを?

違う。僕は助けられたんだ。芹花さんに、水那方さんに、アレクさんに。

僕には感謝を受ける資格なんてありはしない。

・・・そう声を上げればよかっただろうか。

だけど僕は、不意に顔を上げた水那方さんの、その眼差しの心地よさを振り払うことができなかった。

ほんのりとした温もりに包まれた僕の胸には、一掬いの後ろめたさが重石となって深く沈みこんでいた。



--------



はあっ、はあっ、はあっ、はあっ


体が熱い。焼けそうだ。

ぐつぐつと滾ったスープが腹の底からこみ上げてくる。

(・・・なんだよっ、これっ・・・!)

ワケが分からない。

激動の1日を終えて指一本動かすのもしんどいほど疲弊していた。

経過観察のため一晩の入院を言い渡された僕は、このベッドの上でぐっすり泥のように眠るであろうことを疑わなかった。

なのに、なんなんだこれは。

「・・・ぐぅぅっ・・・!」

駆け巡る熱に身悶えしながら、僕はケットの端を齧って唸り声を噛み殺した。

限界まで疲れ切っているのに、神経がむき出しになったかのように感覚が冴え、まるで眠れる気がしない。

人差し指のうずうずが止まらなかった。

そこには、あの時の引き金の感触が今も留まっていた。

殺した。たくさん殺した。

今までとは違うやり方で。

銃で。この指で。

今日、僕はたくさんの人を殺した。

僕は罪を犯したのだろうか?

殺した連中は、元々生きている価値など無かった連中だ。

テレビドラマに出てくる“悪役”なんてとんだ紛い物だということを僕は思い知った。

本物の悪党の顔つき、醸し出す毒々しい雰囲気は、もはや同じ生物であることを疑わせるほど醜悪だった。

僕は死の危険に晒されていたのだ。いや、ともすると死よりも悲惨でおぞましい何かだったかもしれない。

法が何の助けにもならない空間で、道理も情も通じない相手に、にこやかに友好を呼びかければ問題が解決すると考えるほど僕の頭はお花畑じゃない。

ならばあの時、僕はどうすればよかったのか?

考えるまでも無い。撃つのが正解だ。僕は正解を引いたんだ。

僕らの組織が正義だなんて思ってはいない。だが彼らの組織は紛うことなき悪だ。

連中もそれなりに場数を踏んだ面々だったのだろう。

そんな奴らを僕らは2人だけで打ち破った。叩きのめした。徹底的に蹂躙した。

倒したんだ。ドラッグを売り人を売るやくざな非合法組織を、2人だけで打倒したんだ。

そのほとんどは芹花さんの“力”がもたらした成果であり、僕はただ引き金を引くだけでよかった。

だけど、彼は違う。あのショウという男は違う。

彼を倒したのは僕だ。芹花さんの方に注意を引かれていたというのはあるが、上手く機転を利かせて彼の銃を奪うことができた。その銃を使って彼に打ち勝つことができた。

僕の勝ちだ。街で出くわそうものなら無条件で道を譲ってしまうような恐ろしい相手に僕は勝ったんだ。

引き金を引いたあの瞬間、勝利が確定した。

あの感触は格別だった。

思い出すだけでもゾクリと身震いしてしまう。

その後も良かった。ぐったりと力の抜けたショウの身体をゴミみたいに蹴り退けたのも何とも言えない感触だった。

昂る。猛る。漲ってくる。

何が悪い。悪人を殺して何が悪い。

世の倫理が移り変わろうとも、法の加護が届かない極限状態において力で悪人を打倒するのは今も昔も万人から称賛される行為だ。ならば今回のも非難される謂れは無いはずだ。

湧き上がってくるこれは悪人を退けた達成感だ。達成感に浸って何が悪い。

「・・・くっ、ううっ・・・」

だけど、僕の中の理屈でない何かが、この感覚はまずいと警鐘を鳴らしていた。


コンッ、コンッ、コンッ


その時、ノックとともに麗かな女性の声が届いてきた。

「お休みのところ失礼しますね。龍輔様。」

「・・・?・・・櫻井、さん?」

意外な人物の来訪に、胸中俄かに飛来したのは若干の戸惑いだった。

普通に考えれば見舞いに来てくれたのだろう。

イグザミニーズでも無いのにわざわざ研究棟まで見舞いに来てくれたのだから、櫻井さんには感謝しないといけない。


コツ、コツ、コツ、コツ・・・


そう理解してはいるものの、疲労で身体が思うように動かないときにゆっくり足音が近付いてくるのはどことなく不気味にも感じてしまう。


「んっ・・・しょっと・・・」

力を振り絞って上体を起こした僕の顔を、櫻井さんはベッドの脇に跪いて上目遣いで見上げた。

「お体のお加減はいかがですか?どこか具合の悪いところなどございましたら我慢なさらず仰ってください。」

眉をハの字にして大袈裟なほど心配そうな顔をしている。

「大丈夫ですよ。心配掛けてしまってすみません。ホントに身体は何とも無いですから。」

過度な気遣いを受けるのが心苦しくて、僕は安心させるようにそう返した。

しかし、そこには自分でも無意識のうちに、心の奥に押し留めた悲鳴が漏れ出てしまっていたのかもしれない。

「・・・そうですか、お体はお変わりありませんか。」

束の間ほっとしたような表情を見せた櫻井さんだったが、すぐさまその顔は引き締まったものに戻った。

「龍輔様・・・お休みになっていらしたようですが、なかなか寝付けないのではございませんか?」

唐突に切り込まれ、僕は口を噤んだ。

ひやりと背筋が寒くなる。

同時に、羞恥の熱に頬が灼かれるのを感じた。

(・・・バレてるのか?)

ダメだ。アレは・・・さっきまでのあの感覚は知られちゃいけないものだ。

汚く、浅ましく、嫌らしいものだ。

あんなもの櫻井さんには見せられない。誰にも見られたくない。

「そ、そんなことないですよ。大丈夫です。ちょうど寝入ったところだったんですから。」

慌てて抗弁する僕に、櫻井さんが申し訳無さそうな表情を返してきた。

「そうでしたか、それは失礼いたしました。」

しまった、失敗だったか。気が動転していたせいで意図せず彼女を非難するような口ぶりになってしまった。

僕のことを案じて見舞いに来てくれたことには感謝しかない。ただ時間が時間なのも事実だ。

とにかく僕は1人になりたかった。櫻井さんには申し訳ないが、この言い訳を聞き入れて出て行ってくれるのであれば・・・


(・・・?・・・)


しかし、どうしたことか櫻井さんはじっとその場を動かない。

何気ない仕草で襟を直す櫻井さん。いつもより胸元が広く、タイトな絹地がピッタリと肌に張り付いている。

か細い肢体がくっきりと浮かび、アンバランスなほどふくよかな胸が襟の合間からちらりと覗いた。

「・・・龍輔様。」

(・・・っ!)

顔を覗き込まれ、僕は慌てて目を逸らした。

差し伸べられた白魚のような指が僕の手を捉える。

「え・・・は、はいっ?」

「無理はなさらないでくださいませ。」

ふわっと立ち昇った甘い香りに、異常なほど心拍が上がっていくのを感じた。

「いやっ、無理なんてっ・・・」


「私、存じ上げておりますのよ。」


柔らかに絡みついた指がするするとヘビのように腕を這い登ってくる。

熱い。身体が燃えるようだ。

先程までのどす黒い灼熱が、別の何かに変換されていくのを感じる。


「その昂りの、癒しかたを。」

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