第2話 依頼 ――その②

「・・・ねえ、白峰くんに、何が起こってるの?」

涼子に並びかけつつ、ゆうみがそう問い掛けた。

勇気を振り絞っての質問だった。彼の身にどんな災厄が降り掛かっているのか・・・それを想像するだけで、ゆうみは怖くて堪らなかった。

「ちょっと前に学校であった集団飛び降り事件、覚えてます?」

忘れようの無い大事件を話題に持ち出され、背筋に冷たいものが走る。

「・・・それがどうかしたの?」

「全身の打撲、内出血、肋骨の軽度骨折・・・」

抑揚の無い声で、怪我の名称を並べる涼子。

「併せて全治1ヶ月。それが、あの日、屋上にいた人たちにリンチされて龍輔さんが負った傷の程度です。」

後ろに付いて来ている智子の肩がビクッと震えた。ゆうみは言葉を失い、その顔はみるみる蒼白に変わった。

「龍輔さんを襲った生徒たちは、直後に校庭へと転落しました。自分を取り囲んで暴行を加えていた連中を一瞬にして排除するなんて、普通できると思います?

 龍輔さんには、それができます。それを可能にする特別な“力”があるんです。」

「・・・何、言って、あの人たちは・・・自殺・・・」

涼子が言うことの全てがゆうみの理解の外だった。

・・・リンチ?暴行?・・・それで、白峰くんが・・・排除?・・・何を?

まるで彼があの事件で多くの人を死に追いやったかのような口振りだ。

・・・きっと私の聞き違いだろう。今日は色々あって少し精神的に疲れているのかもしれない。

「龍輔さんが、あの時屋上にいた人たちを殺したんです。」

しかし、涼子の言葉はそんな逃避的思考を許してはくれなかった。

「・・・だけど、どうやったって言うんだ?あいつは・・・白峰は一体何をしたんだ。」

割り込んできた智子の問いに直接答えること無く、涼子は治樹に質問を投げた。

「鈴掛先輩。先輩は今日、龍輔さんが周囲の人間を“排除”する瞬間を見ました?」

「・・・いや。けど、何があったにしてもあいつのせいじゃねぇっ。あいつは俺たちを救ったんだ!自分の身を守るのが、仲間の命を救うのが悪いことなのか!?ああしないと、俺たちがやられてたんだ!・・・だから、あれは正当防衛なんだっ。」

涼子はそれを聞いて小さく頷いた。

「そう思ってるのが少なくとも先輩だけじゃないことは確かですね。

現時点での龍輔さんの評価はフェーズ3。多数の犠牲者を出しつつも“力”の行使は逼迫した状況における自衛のみに限定されているという意味です。

このフェーズに留まる限り、彼に危害を加えるような作戦は発令されません。今回の目的もあくまで彼の身の安全の確保ですから。」

「作戦ってのは・・・」

そう言いかけて、治樹は不意に涼子の行き先に嫌な予感を覚えた。

「おい、これはどこに向かってるんだ。」

治樹の問いに、涼子は振り向きもせず黙々と歩を進める。

「・・・ちょっ・・・おいっ!どこ行くんだって聞いてんだろうがっ!!」

「ふぅ・・・うるさいですね。着けば分かりますよ。帰りたいんだったら止めはしませんけど。」

「・・・くっ、智子、西原、俺の後ろに付いてろ。俺が止まれと言ったらしばらくその場に待機するんだ。そこから先は俺が状況を確認する。」

涼子の返答に確信を抱いて、治樹がそう指示を出す。

間違いない。これから向かう先は、今日起こった惨劇の現場だ。


並木道に入ると、治樹の緊張は一段と増した。

あの光景が再び目に飛び込んでくるのが怖い。前など見ていたくなかったが、後ろの2人があれを見てしまうのは何としても避けたかった。

ちらりと後ろを窺う。西原はまだ事態が把握できない様子で、怪訝な表情を浮かべていた。気がかりなのは智子のほうだ。先程からガチガチと歯を鳴らしているのは、寒さのせいだけでは無いだろう。

歯を食いしばって前方を凝視する治樹。涼子の言葉を無視できない以上、自分がここで踏ん張るしかない。


歩きながら、治樹は違和感に囚われ始めていた。その違和感は現場に近付くにつれ次第に大きく膨らんでいく。

(・・・こ、これは、どういう・・・)

治樹は愕然とした。

治樹の制止の声が無いのを不思議に思いつつ恐る恐る前を覗いた智子も、驚きの声を上げた。

「何だ、これ・・は・・・」

「何って、何も無いじゃない。」

西原が1人首を傾げる。

確かに何も無い。むしろ何も無くなっている事が、極めて異常なのだ。

「ここに散らばってた死体はどこにいった!?」

治樹の叫びが虚空に響いた。

死体だけではない。その一角は落ち葉がすっかり取り除かれ、剥き出しの石畳には血糊1つ残っていなかった。

「これで分かってもらえました?前回は校庭の様子を見た人が多かったから大きな騒動になりましたけど、今回はニュースにもなりません。あなたたちが騒ぎ立てたとしても無視されるだけです。」

声も出ない。しばらく呆気に取られたものの、我に返った治樹はすぐさま涼子を睨みつけた。

「お前は・・・お前らは一体何なんだ?何が目的なんだ!」

「言ったじゃないですか。龍輔さんを連れ戻すのが目的だって。今日はあなたたちに協力をお願いしに来たんです。」

「そんな答えで納得すると思ってるのか!?裏には何があるんだ。どんな力が動いてるんだよ!」

「その質問には答えられません。私はあなたがたに協力を依頼してるだけで勧誘してる訳じゃないですし、そもそも皆さんからはまだ協力の要請に対する承諾ももらってないのに、教えられることなんてある訳無いでしょ?」

「協力を求める態度ってもんがあるだろ!素性を明かさない連中になんて協力できるか!」

「だったら勝手にしてください。あなたがたからの協力の取り付けは絶対では無いんです。一応、今日のことを口外しないという約束はしてもらいますけど、気が済まなければそっちはそっちで独自に調査しても構いません。」

あらゆる手段を講じて口封じを試みてもよさそうなものなのに、協力を拒否した際の制約は寛大とも言える。

しかし、治樹はその言外に込められた余裕を感じていた。

(つまり、俺たちがいくら調べたって何も分かりはしないってことか・・・)

そしてその余裕は正しいように感じられた。今、この機会を逃したならば、自分たちの調査だけで龍輔に辿り着くなど不可能に思える。

「・・・協力すれば、素性を明かすのか?」

「それもできません。提供するのはあくまで任務に必要な情報だけです。」

「・・・っ、ふざけるなっ!!」

堪えきれずに治樹が一歩を踏み出す。

「待って!」

それを制したのはゆうみの声だった。ピンと一本芯の入った彼女の声は、涼子にとって意外だった。

西原先輩は今日はずっとおろおろしたまま、会話にもまともに加われずにいるだろう・・・涼子はそう思っていた。別に見下していた訳ではない。それが彼女のような優等生の一般的な反応だというだけだ。実際、つい先程までのゆうみの振る舞いは涼子の予想を裏付けていた。

「涼子ちゃん、1つ訊かせて。」

しかし、今この瞬間に真っ直ぐな視線を向けてくるゆうみの姿は涼子の想定からいささか逸脱したものだった。

「・・・何ですか?」

「涼子ちゃんが白峰くんを連れ戻そうとしてるのは、誰かの命令なんだよね。」

「そうですけど・・・指令元を尋ねられても答えられませんから。」

「ううん、そうじゃなくて。」

涼子を見つめる眼差しに一層力がこもる。

「涼子ちゃんは・・・涼子ちゃん自身はどう思ってるの?白峰くんに帰ってきて欲しい?」

「・・・え・・・」

全く予期していなかった質問に、涼子は面食らった。

それを訊いてどうしようというのだろう。今はあらゆる駆け引きを行って少しでも多くこちらの情報を引き出そうとするのが当然の筈なのに、この問いは一体何を意図するものなのか・・・

何にせよ、訊かれたからには答えなければと思い、涼子は口を開いた。

「私は・・・」

なぜだろう。言葉が上手く出ない。

質問の内容は単純だ。私が龍輔さんに帰ってきて欲しいなら、“そうだ”と答えればいいし、そうでなければ“違う”と答えればいい。ただそれだけだ。

思った事を率直に口にするのが私という人間だった筈だ。こんな簡単な質問に狼狽えている自分が理解できない。

「私は・・・龍輔さんとの生活は・・・嫌いじゃないです。」

やっと言えたのがそれだった。

・・・最悪だ。大体私はもう龍輔さんの家を出ているのだから、龍輔さんが帰ってくるのは私の許ではないし・・・というかそもそもこれでは答えになっていない。

「分かった。」

そう言って、ゆうみはふっと表情を緩めた。

今のやり取りで一体何が分かったのか、涼子には見当も付かなかった。

「私は、白峰くんを連れ戻すために涼子ちゃんに協力する。」

揺ぎ無い口調で言い切るゆうみ。

「お、おい、大丈夫なのかよ。」

あっさり承諾してしまったゆうみに、治樹が心配そうに声を掛ける。

「・・・どうして協力する気になったんですか?」

涼子は思わずそう尋ねた。ゆうみの宣言は涼子にとって任務の進展を示すものなので、この際不要な問いであったが、それでも涼子は訊かずにいられなかった。

「私は、涼子ちゃんを信じてるから。」

そう答えるゆうみの真摯な瞳に射抜かれ、涼子はどうも心が落ち着かなかった。

どの辺りがゆうみの信を得る要因となったのか理解できず、頭が混乱する。

未だ正体も明かさない相手をこんなに簡単に信じるなんて甘すぎる・・・そう思いつつも、あの瞳で見つめられると、何だか逆にこっちが見透かされているような気すらしてくる。

「私だって少しは涼子ちゃんのこと知ってるつもりだよ。隠してることがあるのかも知れないけど、涼子ちゃんは涼子ちゃんだもん。ここにいるのは、一緒に歌を歌ったり遊んだりしてる時と変わらない、いつもの涼子ちゃんだから。」

西原先輩に私の何が分かるというのか・・・そういう思いもあったが、意地を張っても仕方ない。もしかしたら本当に、先輩にしか分からない私というのもいくらかは存在するのかも知れない。

「・・・協力してもらえるんでしたら、歓迎します。」

涼子は平静を装ってそう返した。

「ちっ、分かったよ。俺も協力する。俺たちだけじゃどうにもならないのは確かだからな。龍輔を取り返す為ならいくらでも利用されてやるよ。」

治樹も渋々賛同を示す。ゆうみの決断に引き摺られた形だった。

「けどな、お前らが龍輔に危害を加えるなら、俺はその場でお前らの敵になる。それだけは忘れるなよ。」

「分かりました。覚えておきます。」

これくらい警戒を示してくれた方が分かりやすい。その敵意は涼子にとって不快ではなかった。

「後は・・・」

沈黙したまま佇んでいる智子に、涼子は視線を移した。

「新沼さん、あなたはどうするの?私に協力する?それとも別行動?」

問い掛けながらも、智子の表情を見た涼子は、これは期待できないかもしれないと感じていた。

「無理する必要は無いぞ。お前が付き合う義理なんて無いんだしな。」

治樹が気遣いの篭った言葉を智子に掛ける。伏せていた目を涼子に向けて、智子は口を開いた。

「・・・少し、時間をくれないか?」

声のかすれが、迷いの深さを表しているようだった。

「構わないけど、期限は明日の19:00だから、それまでに結論を出して。」

智子に条件を突きつけた涼子は、3人の顔を見渡して言葉を繋いだ。

「今言った通り、期限は明日の19:00です。その時間までに旧校舎の屋上に来てください。さっき了承をもらったかたについても、指定の時間に旧校舎屋上にいなければ、協力の意思を失ったと判断します。」

「ちょっと待て!旧校舎は立ち入り禁止で鍵も掛かってるだろ!どうやって入れって言うんだ!?」

声を上げた治樹を見て、呆れたように息を吐く涼子。

「大丈夫です。明日は入れるようにしておきますから。それくらいの事もできないで龍輔さんの救出なんて話を持ち出すと思います?

それじゃ、確かに伝えましたからね。」

そう言い残して、涼子は静かにその場を立ち去った。


その背を見送る3人の瞳は、それぞれ異なった色を宿していた。

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