第19話 根源

「とぉっ!とりゃっ!たああああっ!!」

水那方さんが拳を、蹴りを、連続で突き出してくる。

しかしそのコンビネーションにいつものキレはなく、らしくもないぎこちなさが目立つ。

「くっ、はっ・・・うおっ、とっ!!」

それを捌く僕の動きも、お世辞にもスムーズとは言い難いものだった。

動きづらくなることは覚悟していたが、これは予想以上だ。四苦八苦しながら1つずつカウンターを合わせていき、徐々にダメージを与えていく。

「おりゃっ!おりゃっ!おりゃ!たああああああっ!!」

このままではジリ貧だと悟ったのか、水那方さんが一気に間を詰めて飛び掛かってくる。

「くっ・・・っ!!」

焦らなければ問題ない、しっかりガードして・・・そう考えていたはずなのに、僕は全くもって中途半端なジャブで彼女の突進を迎えてしまった。


スカッ・・・


むなしく宙を切った僕の拳の上方から水那方さんの飛び蹴りが襲い掛かる。

(・・・終わり・・・か・・・)

もう観念するしかない・・・脱力して被弾を待つ僕の、しかし遥か頭上を不格好な前蹴りが通り過ぎていった。

思わぬチャンスに身体が反応する。

「はあああっ!!」

難しい技は必要ない、通り過ぎた水那方さんの背中に放ったのはただのジャブだが、それは彼女の体力を削り切るのに充分だった。


1 Player Win!!


高らかな宣告が闘技場に響く。

「うわああああ!!や~~ら~~れ~~た~~っ!!」

悔しそうな声を上げて、水那方さんがソファーに倒れ込んだ。

僕が彼女に勝てたのは、もちろんこれがゲームだからだ。が、完全優位の筈の分野でここまで拮抗してしまった。

まるで素人のような無様な攻防しかできないことに笑えてくる。

それもこれも、今回の対戦が、「足プレイ縛り」であるせいだ。

大きなアーケードコントローラーを敷いて、左足でスティック、右足でボタンを操作する。

「・・・にしても、どうしていきなりこんな縛りプレイやろうなんて言い始めたんだよ。」

「だって、普通にやっても全然勝てないじゃん!差が詰まってる気すらしないじゃん!

あーあ、足ならチャンスあると思ったんだけどな~~」

アクロバットな体術をこなし足技も多彩な水那方さんのことだけはある。コントローラー捌きは僕より断然器用にこなしていた。

僕が勝ちを拾えているのは、駆け引きを駆使してどうにか煙に巻けている結果に過ぎない。

このまま続ければいずれ誤魔化しきれなくなる時が来るだろう。

フラストレーションを感じるのは確かだが、一方で、久しく味わう“勝つか負けるか”のスリルは意外と悪いものではなかった。


それにしてもこんなにのんびりと日中を過ごすはいつぶりだろうか。

僕たちが昼間っから格ゲーに興じているのは、別にサボっているわけではなく、数日の休暇を言い渡されたからだ。

先日の激闘で、水那方さんは太腿、僕は脇腹にそれぞれ重傷を負ってしまった。幸い安静にしていれば後遺症もなく治る類の怪我だが、座学を含めての完全休養に至ったのは、慰労の意も多少含まれているのかもしれない。

芹花さんのほうは、今も要女先生の家に滞在している。あの少女の身元を引き受けるのが決まったこともあり、少女のリハビリに付き添っているらしい。

少女の名前は、“のぞみ”に決まったそうだ。

本当にいい名前だと思う。

彼女は最新の義手開発の被験者として、しばらくは要女先生のところに逗留し続けることになっている。その間、芹花さんも保護者として生活を共にすると聞いた。

これでよかったのかもしれない。この形が、一番よかったのかもしれない。

守るものがあってこそ、芹花さんは強くあることができる・・・そんな気がする。

組織に入ってから、ただ狼狽するばかりの僕を、芹花さんが鍛え、導いてくれた。寺島の事務所に乗り込んだあの夜も、僕の必死の懇願に応えて、闇の底から這いあがって来てくれた。

でも、僕だっていつまでも芹花さんに甘えているわけにはいかない。

彼女の庇護を離れ、独り立ちしなければならない。

それは同時に、彼女を生に執着させる存在としての僕の役目の終わりを意味するのだろう。

これからは、あの、希と名付けられた少女が、芹花さんの生きる理由になってくれる・・・それは喜ばしいことであり、一方で少し寂しくもあった。

しかしそんな寂寞なんかどうだっていい。

芹花さんのBCL除籍処分は覆らないが、芹花さんはいつまでも僕の相棒だ。僕の中でそれが揺らぐことはない。


規定上、僕らが芹花さんと会うことはもはやできなくなった。電話やメッセージチャットも禁じられている。

しかし、今回は特例として、芹花さんが要女さんの所に滞在している期間のみ、手紙・録音・録画を1日1回ずつの制限で送り合うことができることになった。それらに加えて贈り物を添えることもできる。

これは物凄く有難い措置だった。

芹花さんにはまだまだ伝えたいこと、聞きたいことが沢山ある。

両手では収まらないほどの感謝、今の状況をどう感じているのか、そして、これからのこと。

時間は有限だ。色んなことをきちんと話し切るには、少しも無駄になんかしていられない。

だというのに・・・


「ほらっ!カメラ回ってるんだから!りうっちもっと笑って!」

「笑ってって言っても・・・なんで芹花さんに送るビデオが僕らの対戦なんだよっ」

これじゃただのゲーム実況だ。出来損ないの配信動画みたいな代物を見せられて芹花さんがどんな気持ちになることか。

「ちっちっ、分かってないなーりうっちは?」

「え? な、なにが?」

「いい?せりりんは今のぞみんと暮らしてるんだよ? ということは、この動画はのぞみんも一緒に観る可能性が高いわけだ。」

「・・・だから?」

「もーっ!ホントりうっちはニブイなぁ。教育だよ教育! 英才教育! 私たちがちゃんと責任持ってのぞみんを一流ゲーマーに育て上げるんだから!」

控えめに言って迷惑極まりない。欲しがる子供をなだめることほど親にとって厄介な作業もないだろう。

(まったく・・・変わらないなぁ、水那方さんは・・・)

こんなことになったっていうのに、水那方さんはまるで普段通りだ。

いや、もしかしたら、意識して普段通りの姿を見せようとしているのかもしれない。

こっちは大丈夫だ、自分たちでやっていけてる・・・それを見せることで、芹花さんに余計な心配をかけまいとしているのかもしれない。

「うあっ!くあ~~っ!またやられたぁっ!うあああん~~~せりり~~ん!りうっちがイジメるよ~~!助けてよ~~っ!!」

・・・やっぱり勘違いだったか。駄々をこねる水那方さんを見て僕は脳内の前言を撤回した。

流石にこれだけだとワケの分からない感じになってしまいそうだから、僕はこのビデオに贈り物を添えることにしていた。

贈るものはもう決まっている。香水とハーブティリーフだ。

とは言っても、何を選べばいいか僕にはさっぱりなので、櫻井さんによさげなのをいくつか見繕ってくれるようお願いしておいた。さすがに全部お任せなのは贈り物としてどうかと思うので、最終的な選択は一応自分でするつもりだ。


ヴーッ ヴーッ ヴーッ


その時、不意に、僕の携帯に着信があった。

「あっ、鴉からだ・・・それじゃ、呼ばれちゃったから僕はこれでもう行くね。戻ってきてから僕が片付けるから、ゲーム終わって部屋出ていくときは出しっぱなしでいいよ。」

「なにぃ~~!?ふざけるなっ!ズルイぞ勝ち逃げだ勝ち逃げ!コラまて~~っ!」

食い下がる水那方さんを残して、僕は自分の部屋を後にした。



それにしても、鴉から呼び出しがかかるなんて随分久しぶりだ。

組織に入った当初の僕は、完全に異物だったと思う。

エキスパートの中に放り込まれたど素人。お荷物以外の何物でもない僕を、まるで大物ルーキーのように扱う鴉のせいで、何となく一目置かれているような空気を感じたものだ。

しかし今は、よくも悪くも“普通”の扱いになってきた。

ミッション単位で関係するメンバーとの絡みが圧倒的に増え、必要以上に鴉とやり取りすることもなくなった。

一抹の寂しさもあったが、同時に、それは仲間として受け入れられていることの証でもあるように思えた。

この生活が、この世界が、僕にとって当たり前のものになっていく。

銃を振り回して命を晒す場面は今でもまるで夢のようにフワフワ現実味が無いように感じることもある。

だが、死線を乗り越えた仲間は、付き合いの年月こそ浅いものの、もう旧来の友のように僕の精神に刻み込まれ、僕の一部になっている。

僕というものが、段々と作り替えられていく。

同時に、前の世界で自分がどう生きていたのか、僕は次第に思い出せなくなってきていた。



長い通路を抜け、エレベータの前に立って最下層のボタンを押す。

「あっ、お兄ちゃん!」

開いたドアから出てきたのは、玲香ちゃんだった。

「お兄ちゃん、聞いたよ~~っ!また無茶したんだって?おなかの怪我は大丈夫?痛くない?」

まるで子を労わる母親のようにポンポンと両側から二の腕を叩かれる。

さすがにちょっとこれは気恥ずかしかった。

「だ、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて・・・」

「もーっ!ホントだよ! 今、お兄ちゃんのいる世界はね、少しでも選択を間違ったら、あっという間に命まで無くなっちゃうような場所なの。それだけは覚えといて。」

俄かに切実な色を含んだ忠告に、背筋が伸びる。

「うん、大丈夫。分かってるつもりだから・・・」

「んーん、分かってないよ。頭で理解してるつもりになってるだけ。だって、お兄ちゃんはまだ何も失ってないもの。

大事な人がもう戻ってこないと分かった時に、初めてそれに気付くんだよ。」

何も、言葉が出てこなかった。静かな口調にも関わらずひしひしと感じる、尋常でない重み・・・それを実感するときが、やがて僕にも訪れるのだろうか。

弾の1つ入ったリボルバーをこめかみに突き付けて引き金を引き続ければ、いつか弾が出る。そんな当たり前のことを思い知るときが来るのだろうか。


「お兄ちゃん、逃げたいときは逃げていいんだからね。お兄ちゃんがどうなっても、どんな選択をしても、私はお兄ちゃんの味方だから。」


荒原に降り注ぐ雨のように、優しく染み入る玲香ちゃんの言葉。

その声に心を救われながらも、奥に込められた不思議な音色に、どこかしら予言めいた響きを感じてしまうのだった。



--------



僕らが外に出る際によく使う通常エントランスから、更に下にくり抜かれた地中の奥底に、そのフロアはあった。

ここまで深くになると、地熱の影響で冬でもとんでもない暑さになってしまう。通路には放熱のために細い配管が張り巡らされていた。各所に配置されたポンプによってその中を水が流れ、熱が循環するシステムだ。

花崗岩削りだしの通路は、それでもむっとした熱気を孕み、水分を多く含んだ空気が肩にのしかかるようだった。


ようやく辿り着いたのは、黒い金属光を放つ物々しい鉄扉。

ぐっと力を込めて押し開けると、その先には突き抜けのだだっ広い空間があった。

第3指令室。

非常時の中でも極めて特殊な状況においてのみ運用されるこの部屋は、普段は誰も詰めておらず、がらんどうだ。

「来たね。龍さん。」

透き通った声がコンクリートの壁に反響する。

小高くせり上がった部屋の中央に、鴉は佇んでいた。

「待ってたよ。こうやって2人で話すのは随分久しぶりの気がするね。」

心なしかうっとりとした表情で、そう語り掛けてくる。

「・・・う、うん、いつ以来かな。」

かたや隊長、かたや新参隊員、舞台における立場の差は明らかで、徐々にどこかしら遠い存在に感じられてきていた鴉。

その鴉とこうやってフランクに言葉を交わすのは、かつてと違って少し不思議な感覚だった。

「龍さん、今回のミッションでは大活躍だったみたいだね。龍さんの凄さをみんなに知ってもらえてぼくも嬉しいよ。」

「い、いやっ、あれは芹花さんとかみんなに助けてもらっただけで、僕は何も・・・っ」

一人では何もできやしなかった。自分が何かしら貢献した度合いより、助けてもらった度合いのほうが遥かに多い。にも拘わらず、まるで僕の手柄のように言われるのはどうも居心地が悪かった。

「薄野芹花・・・ね。あれはぼくにも驚きだったよ。運命というものがあるのなら、彼女は確実に死に向かっていた。突発的じゃない、必然としての死が、彼女の首を絞め落としつつあった・・・」

朗々と詩のように紡がれる言葉に、ぞくりと悪寒が走る。払っても払っても絡みついてくる絶望的な危機に何度も心が折れそうになった日々が脳裏にフラッシュバックしてきて、軽い眩暈を覚えた。

「でもね、彼女は生き残った。死へと収束しつつあった未来を、龍さんが変えたんだ。」

・・・いや、違う。水那方さんは僕なんかよりずっと長い間、芹花さんを支え続けた。アレクさんも、薬について独自に調査したり、ミッションの配置を調整したり、それ以外にも僕の知らないところで色々動いてくれていたに違いない。

そして、最終的に芹花さんを救ったのは、あの少女だ。結局僕が芹花さんに与えることのできなかった生きる目的を、あの少女が与えたんだ。

「さて、龍さん。」

一旦言葉を区切り、僕の瞳の奥をじっと見通す鴉。

「ぼくの出した宿題は、解けたかな?」

「・・・宿題?」

「そう、宿題。“サイト”とは何なのか、龍さんには分かったかい?」

ああ、やっぱりか・・・

宿題について、鴉から何かしら言葉で言い渡されていた訳ではなかった。しかし、組織に入った早々に芹花さんと組まされたことに鴉の意図があったことを、僕はようやく確信した。

『鴉の言うことは唐突に思えることも多いが、彼の決定には常に意味がある』・・・アレクさんのあの言葉は、やっぱり正しかったんだ。

「うん、なんとなく・・・」

そして、鴉の思惑通り、僕は答えを得ていた。

「それじゃ、龍さんの答えを聞かせてくれる?」

静かに、しかし興味津々といった面持ちで、鴉が先を促してくる。

「サイトは・・・」

慎重に唇を開いて、僕は自分の考えを口にした。


「サイトなんてのは、存在しないんだ。」


そう、存在しないんだ。そんなものは。

そこにあったのは、たった一つ。“通じる”力だけだったんだ。

人の感情を読む力も、“サイト”の力も、根源はただ一つ。

それが引き起こす現象の見え方の違いで、別物の力があると思い込んでしまっていたのだ。

“力は双方向”

BCL副所長の槇島さんがそう教えてくれた。だから、相手の心を読む場合は自分の心を落ち着ける必要があった。

ならば、相手の心を塗りつぶすほどの感情を持って力を使ったら?

加速連鎖のリスクを無視して強い感情を込めたら、一体どうなるのか?

“サイト”の力は、その答えの1つだ。

敵を排除すべく力を発動させたとき、場に満ちたのは、殺意ではなかった。他ならぬ僕自身の心が、死へと向かっていたのだ。


「うふふっ、龍さんらしい表現だね。まあ、及第点と言えるかな。」

心底楽しそうに笑いながら、鴉は承認の意を示した。

「サイトってのは力の名前じゃない。力の持ち主の称号さ。」

そう、それも槇島さんからすでに聞いていたことだ。その時は些細なこととして聞き流していたが、ようやくその真意が理解できた。

「死を心に棲まわせている者。常人なら耐えきれずに自ら命を絶つほどの、奈落の闇を抱えつつ、死の縁で静かに佇んでいられる者・・・

そんな稀有な存在が力を操ることで、人の死を支配するサイトとしての資格を得るんだ。」

ゴクリ、と喉が鳴る。漫画の読み過ぎと笑い飛ばされそうな口上も、鴉の口から語られると、むしろ現実のほうが物語の世界へと飲み込まれそうな錯覚に襲われる。

「えっと・・・サイトって何人いるの?」

「3人だよ。ぼくと、きみと、あともう1人。きみのよく知っている人物さ。誰だか分かるかい?」

鴉の問い掛けに脳がフル回転する。口をついた答えは、自分でも意外なものだった。

「それって、もしかして・・・玲香ちゃん?」

しかし言ってしまった後では、それがいかにも妥当な答えに僕には思えた。

玲香ちゃんは組織内で比較的自由を与えられているように思える。ミッションにアサインされている様子もない。体術訓練にだって参加していない。

それがもし、彼女の価値に応じて与えられた特権だとしたら?

僕の答えを聞いて少し目を見開き、可笑しそうにくっくっと喉を鳴らす鴉。

その様子を見て、よほど見当違いの回答をしてしまったかと不安になる。

「そうだよ、その通り。もう1人のサイトは神谷玲香だ。正解だよ、おめでとう龍さん。」

なんだろう、正解したはずなのにこの釈然としない気持ちは。鴉のどこか意地悪な笑みがどうも気にかかった。

「いずれにしても、3人のサイトの中できみは最も興味深い存在だよ。龍さん、ぼくはきみに期待してるんだ。きみは僕を凌ぐ素質の持ち主だからね。きみは王になれる。僕と一緒に世界を変えるんだ。」

大仰な物言いもここまで来るとさすがに呆気に取られるしかない。過大評価も甚だしいし、そもそもBCLに加入したときに僕が変えたかったのは自分自身だ。世界のほうを変えようだなんておこがましいことは微塵も考えたことがなかった。

「え、む、無理だよ、僕にそんな大層なこと・・・」

「できるさ、龍さん、きみはもっと自分の可能性を自覚するべきだよ。」

じっとこちらを見詰めてそう断言する鴉。とても賛同することのできない言葉だが、腹の奥に灯が点ったかのように、よく分からない熱が込み上げてきた。

この感情に何と名前を付ければいいのか分からない。自分がどうしたいのか、何を望んでいるのか、まるで分らなかった。

「とは言っても、龍さんにとってはこれからが正念場かもね、サイトとしての力の在り処を自覚したことで、今の龍さんは心の天秤のバランスが崩れ、死に傾き過ぎている。」

そう、それは僕も感じていたことだ。

この前の芹花さん確保作戦の時だって、僕はもう少しで命を落とすところだった。芹花さんが助けてくれなければ、こうやって生きていることもなかっただろう。

そして、もはや芹花さんはBCLにはいない。次に力を使ったとき僕はどうなってしまうのか、考えたくもなかった。

「でも、僕は信じてるよ、龍さんなら乗り越えられるって。」

一点の疑念もない無垢な笑みは、一方で、僕の前にこれからも高すぎるハードルが敷かれ続けることの予兆にも思えた。

ミッションの中で僕は幾度も命を失いかけた。その全てを見通しているかのように語る鴉だが、僕のほうはと言えば、ミッション中に鴉の存在を感じることは一切無かった。

実際、助けてくれるとかそういうことも無かった。

それが信頼の証であるとすれば、その信頼を裏切った時が、そのまま僕の最期になるのかもしれない。

そう考えると、俄かに背筋を冷たいものが走った。

そんな僕の戸惑いとは裏腹に、こちらに降りてきた鴉が、僕の両手をぎゅっと握った。

「これからも、ぼくと一緒に来てくれるよね。2人で、新しい世界を見に行こう。」

今後どうなってしまうのか、果たしてこのままここにいてもいいのか、さっぱり分からない。

でも、今、僕は間違いなく、自分自身の物語を生きている。傍観者ではなく、自分の人生の中心にいる。

どんな結末になろうと、行く末にあるものを見届けられずにはいられない・・・そう思えてしまうほどには、僕はもうここの生活に染まってしまっていた。


少しだけ、手を握り返してみた。


温かくも冷たくもない、およそ温度を感じさせないその手は、僕をさらなる深淵へと導く標のようだった。


降り注ぐ照明が、月光のようにコンクリートの壁肌を冴え冴えと照らす。








その日、僕は、仮所属の肩書を返上し、BCLイグザミニーズの正式なメンバーとなった。







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