第9話 誤算 ――その①
(・・・ううっ・・・)
股がスースーして居心地が悪い。
どうして女の子はこんなの履いて平気な顔していられるんだろう。
くるりと巻いた睫毛、チークでほのかに赤みがかった頬。
鏡に映る自分の顔が、芹花さんの手によってみるみる変わっていく。
目の前にあるのは見知らぬ女の子の顔だった。僕が眉を動かすと、女の子の眉も動く。
まるで手品だ。強烈な違和感に気分が悪くなってくる。
『ミッションのためには仕方ないんだ。私だってやりたくてやってるわけじゃねぇんだから、お前も我慢しろ。』
芹花さんにそう説得されて受け入れたものの、今こうして鼻歌を歌いながら楽しそうにメイクを施している芹花さんを見ていると、どうにも騙された気がしてならなかった。
「フンフン、我ながら上出来だ。私の目に狂いは無かったな。男の頃より全然イイぞ。」
いや、ちょっと待ってほしい。僕は男を辞めたつもりなど毛頭ない。
「肌もやたら綺麗だしな。ファンデーション殆どいらねぇじゃねぇか。くそーっ!なんか気が滅入ってきた。」
気が滅入っているのはこっちのほうだ。ミッションどころか、この格好で外を出歩くことを想像しただけで頭がおかしくなりそうだった。
最後に薄くリップを引いて、芹花さんは満足したように「完成だ!」と宣言した。
「どうだ?可愛いだろ?」
そう言われても、自分の顔がベースになっていることへの不快感ばかりが先立ってよく分からない。
「できるだけ喋るなよ。基本は“はい”か“いいえ”くらいで受け答えしろ。ちょっと試しに一回裏声で“はい”って言ってみろよ。」
「・・・“はい”。」
(うわっ、何だ今の声っ!)
ぞわっと鳥肌が立った。僕は一体何をやってるんだ。
「おおっ!いいじゃねぇか!やっぱお前才能あるよ。」
反面、大はしゃぎの芹花さん。
僕が初めて芹花さんに認められた才能が女装の才能だなんて、嬉し過ぎて泣けてくる。
「おっし、それじゃ30分後にDゲート集合だ。一旦自分の部屋に戻って銃を持ってこい。」
女の子の格好のまま、僕は芹花さんの部屋から追い出された。
(・・・ううううっ・・・!)
猛烈に恥しい。こんなところを誰かに見られようものなら恥し過ぎて死んでしまいそうだ。
心臓がバクバクいっている。
お願いだから・・・お願いだから施設を出るまで誰にも見付からないでほしい。
(とりあえず、まずは銃を取りに戻らないと・・・)
自分の部屋までの短い距離が果てしなく長いものに感じられる。僕は顔を伏せ、身体を縮こめるようにして、そそくさと歩を進めた。
(もうすぐっ!・・・あとちょっとっ・・・!)
ひやひやしながらもようやく部屋の前に辿り着いて、ホッと胸を撫で下ろす僕。
何とかここまでは見付からずに済んだ。後は・・・
ガツッ!!!!
突如、後頭部に衝撃が走った。
「ひいぃっ!!!!」
そのまま勢いよく顔面をドアに押し付けられ、僕は堪らず悲鳴を上げた。
「お前は誰だ!?どうやって入ってきたっ!?」
背中から聞こえたのは、水那方さんの凄みの効いた声だった。
「ぼ・・・ぼ、僕だよ、僕っ。」
恐怖のあまり何も考えられない。羞恥が頭から丸ごと吹っ飛び、僕は慌てて身元を明かした。
「え・・・えええええっ!!??も、もしかしてっ、りうっち!!??
・・・何??何??どうしたのっ??どうしてそんな格好してるのっ!?」
しかし、それも束の間。水那方さんの驚きっぷりが無慈悲に僕の羞恥心を呼び戻す。
顔が熱い。真っ赤になっているのが自分でも分かる。
「・・・ええっと・・・」
何と答えたものか・・・ミッションのことがばれるのはまずい。何とか誤魔化さないといけない。
(芹花さんの遊びに付き合わされた・・・ってのはどうだ?)
事実を基にした上手い受け答えに思える。
だが、芹花さんの名前を出すこと自体、いらぬ疑いを生んでしまいそうな気もした。
「・・・あっ!もしかして・・・」
訊いていいものか迷うように、遠慮がちに口を開く水那方さん。
「りうっちって・・・えっと、その・・・そういう趣味・・・」
「いっ!いやいやいやっ!そんなことはっ・・・!!」
思いっ切り否定しようとして、僕は咄嗟に思い止まった。
気付いてしまったのだ。
いっそそういうことにしてしまうのが一番の良策かもしれない、と。
それなら僕だけの問題に収められるし、細かい辻褄合わせみたいなことも必要無い。
(・・・いや・・・でも・・・あああっ・・・)
踏ん切りが付かず口篭る僕。その様子を誤解した水那方さんが「ふ~ん、そうなんだ・・・へぇ~~」と1人で勝手に納得している。
こうなったら仕方ない。もうこの線で押すしかない。
「あ・・・あの、このことは、みんなには・・・」
「あ~~、大丈夫だよ!安心して!りうっちの秘密は私が絶対守るから!!」
自分の胸をドンと叩いて自信満々にそう言い切る水那方さんの姿が、僕の惨めな気持ちを増幅させた。
「ただ~~し!1つ条件があります!」
「・・・な、何でしょうか、水那方さん・・・」
「写真撮らせてっ!」
「・・・うっ・・・」
嬉々として携帯のカメラをこちらに向ける水那方さん。
もう何と言うか、却ってますますドツボに嵌っている気がする。
カシャッ カシャッ
無機質な電子シャッター音が身体に降り掛かってくる。
「いいよ~~、りうっち、可愛いよ~~。ほら、笑って笑って。」
カシャッ カシャッ
拷問だ。僕のなけなしの自尊心は今まさに崩壊寸前だった。
「あのっ、僕・・・もう時間が無いんだけど・・・」
「えっ~~、りうっちのケチ!もっと撮らせてよ~~!」
「いや、だから、ホントに急いでるんだって。」
こういう遣り取りを何度繰り返したことだろうか。
ややあって、駄々を捏ねていた水那方さんもようやく引き下がってくれた。
「でも、こんなの見せられちゃったら、りうっちが私のこと男女だって言うのも分かる気がする。だってりうっちってすっごく可愛いんだもん。」
そんなに
可愛いとかいう評価を僕はこれっぽっちも欲していないし、そもそも僕は水那方さんのことを1度も男女だなんて言っていない。
「それじゃ、僕はもう行くね。」
ガチャッ バタン!
このままではずるずると拘束され続けかねないので、僕は隙を見て自分の部屋に滑り込んだ。
・・・疲れた。
精神的な疲労感が半端ではない。
本来ならば僕は密売組織の事務所に乗り込むという大それた作戦の心配をしていないといけない身の筈だ。
しかしそれ以前に、この建物から外に出るまでの間に僕の神経は擦り切れてしまいそうだった。
--------
日没後の街の空気は冷たく肌を刺し、薄手のストッキング1枚の足に酷くこたえた。
駅前の人込みの中を、僕は芹花さんに半歩遅れて歩いていた。
これだけ人に溢れているのだ。派手に着飾った人、コスプレっぽい衣装の人、あからさまにオカマだと分かるような無理な女装をしている人だっている。
この中に紛れていれば、誰も僕らのことなんて気に掛けたりはしないだろう。
・・・そう思っていたのだが、どうもちらちらと視線を感じる。
単に意識しすぎなだけだろうか?いや、やっぱり何か微妙に注目されている気がする。
どこか僕の仕草におかしなところでもあるのか?
姿勢?それとも歩き方?
分からない。女の子らしく振舞ったことなんて無いのでどこが悪いのか見当も付かない。
慣れない内股でぎくしゃく歩を進めながら、僕はできる限り身を縮めて芹花さんの陰に隠れていた。
「ねぇねぇ、キミら暇?」
声を掛けてきたのは、いかにも遊んでいそうな20歳くらいの男たちだった。
「暇なら俺らと遊ぼうよ。カラオケとかどう?」
(・・・ああ、そっか、これがナンパなのか。)
ようやく理解した僕は、それと同時に僕らが注目を浴びていた原因に思い当たった。
傍らに立つ女性をちらりと見やる。
(芹花さんのせいだ・・・)
女の子のフリをしているせいか、男としての視点が全く抜け落ちていた。
漆黒の髪を靡かせ、清楚な雰囲気を身に纏う芹花さん。
普段のあけすけな彼女を知っている僕でさえ、一瞬目を奪われるほど美しいのだ。
そんな美人が街中を歩いていれば、そりゃあ見られるに決まってる。
言い寄る男を無視してつかつか歩く芹花さん。僕は慌てて彼女に追い縋った。
「ねぇって!おーい!何無視してくれちゃってんの?何その態度。俺らさっきからずーっと話しかけてるんですけど?」
男たちはしばらくの間しつこく纏わり付いてきたが、いくら粘ってもこちらが反応を示さないと分かると諦めて去っていった。
「いいか、龍。話しかけられても徹底的に無視しろ。絶対に返事するなよ。」
芹花さんの忠告に頷く僕。その後も何人もの男に声を掛けられたが、僕は言われた通り芹花さんに倣って無言を突き通した。
(・・・随分と面倒なもんなんだな。)
綺麗な女性がどんな苦労を抱えているかなんてこれまで知る余地も無かったが、こうやって芹花さんの側で身を持ってその鬱陶しさを体験してみて、少しだけそれが理解できた気がした。
「あの、ちょっとすみません!」
「・・・っ、はい?」
カジュアルスーツ姿の腰の低い男性に声を掛けられ、僕は思わず返事をしてしまった。
芹花さんが呆れたような目で僕を一瞥する。
(・・・あれ、もしかしてこれも応えちゃいけないやつだった?)
男はパッと笑顔に変わって、懐から名刺を取り出した。
「あの、僕はモデル事務所のスカウトなんだけど、少し話を聞いてもらえないかな。」
(・・・モ、モデル!?)
モデルのスカウトなんてものに現実にお目にかかる機会があるなんて思ってもみなかった。
名刺には僕でも知っているような有名な雑誌名が書かれている。
芹花さんが雑誌に載っているところはちょっと見てみたい気もする。これだけ綺麗なんだから、きっと紙面にもよく映える筈だ。
だがこういう甘い話は逆に疑わしくもある。有名雑誌の名を借りたいかがわしい勧誘だったりするんじゃないか?
「ごめんなさい、先を急いでますので。」
思わず吹き出してしまいそうな猫被りっぷりで1度だけにっこり笑うと、後は目も合わせず歩き出す芹花さん。
その冷静な対応に僕もはっと我に返る。
そうだ、こんなことやってる場合じゃ無い。今から僕たちは・・・
「いや、うちはティーンモデル雑誌だからどっちかというとそちらのお譲ちゃんの方が・・・」
・・・
(・・・えっ、ええっ~~~!!!!ぼ、ぼ・・・僕っ!!??)
モデル??・・・僕が??・・・女装で!!??
何が何だか分からない。あまりの荒唐無稽さに頭がクラクラしてきた。
ぼんやり突っ立っている僕の腕を芹花さんがわしっと掴む。
彼女はもう一度だけ、男に向かってにっこり微笑んだ。
「いい加減にしないとぶち殺すぞロリコン野郎。」
唖然として固まった男を尻目に、芹花さんは僕の手を引いたままその場を後にした。
「い、いたっ・・・ちょ・・・待って・・・」
きつく握られた腕を芹花さんが解放してくれたのは、路地裏に入ってからのことだった。
「ったく、あの野郎私を何歳だと思ってるんだ!一応まだティーンだっての!」
ああ、何か怒ってると思ったらそこだったのか。
「よかったじゃねぇか、お前も。足抜けしても食っていけるってよ。モデルでな。」
「ば、馬鹿なこと言わないでくださいよ。女の子のモデルですよ!?」
「いいんじゃねぇの?言ったじゃねえかお前は素質あるって。なあ、“りん”ちゃん。」
“りん”というのが僕に与えられた偽名だ。芹花さんは“ミキ”を名乗ることになっている。
しかしやはり実際に呼ばれてみると違和感は半端でなかった。
「素質なんて・・・僕はそんな素質いりませんよっ!」
僕が食って掛かると、芹花さんは不意に穏やかな笑みを浮かべて僕の肩に手を掛けた。
「まあ、そう言うなよ。何であっても表で身を立てられる才能があるってのは大事なことだぞ。お前にはウチの水は合わないって前から思ってたんだ。
勘違いするなよ。私はこれでも最近は結構お前のこと認めてるんだ。能力が足りないって言ってるんじゃない。お前はずっとこっちに留まってるべき人間じゃねぇって話だよ。」
それが嬉しいとか悲しいとか以前に、僕には芹花さんの言葉がピンと来なかった。
「それじゃ、芹・・・じゃ無くて、“ミキ”さんはどうなんですか?ずっとあそこにいるつもりなんですか?」
「ん・・・まあな。私はちょっと歳を取り過ぎたよ。今さら外じゃ生きていけねぇ。さっきの野郎がババア扱いしたのも満更外れじゃねぇな。」
「そんなっ!歳って言っても、2歳しか違わないじゃないですか!」
僕の反論に、諦めた様に首を横に振る芹花さん。
「歳をとるスピードってのは、みんな同じじゃねぇんだよ。」
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