第7話 相棒 ――その③
「はい、是非・・・」
アレクさんの憶測ならば僕なんかの憶測よりずっと深い見識から導かれているに違いない。聞いておいて損は無いように思う。
「龍クンは、フラッシュバックという言葉を聞いたことがあるかな?」
「えっと、聞いたことくらいなら・・・確か、昔経験したことの記憶とかが一気に蘇ってくる現象・・・でしたっけ?」
「ふむ、その通りだ。広義の意味はキミの説明で正しい。狭義では麻薬精神病の分野における専門用語としてもフラッシュバックという言葉が使われるけど、そっちの意味は知ってるかい?」
質問を畳み掛けてくるアレクさん。
その意図は分からないが、僕は曖昧な記憶を必死に辿って答えを搾り出す。
「薬を使ってるときの感覚が、薬を使っていないのに突然襲ってくる・・・みたいな症状だったと思いますけど・・・」
「ほぼ正解だ。付け加えるなら、襲ってくるのは“薬が効いている最中”の感覚とは限らない。離脱症状に見られるような、強烈な苦痛や飢餓感であるケースも存在するんだ。」
アレクさんの示唆にようやく気付き、僕は声を上げた。
「・・・あっ!もしかしてアレクさんは、芹花さんの症状がフラッシュバックだと考えてるんですか?でも・・・」
納得いかない僕の表情を読み取ったらしく、先回りで同意するように頷くアレクさん。
「確かに、フラッシュバックだと仮定すると辻褄の合わないことが1つある。それは症状の頻度だ。
定量的に説明しやすい離脱症状と違って、フラッシュバックがあれほど頻繁に、しかも定期的に襲ってくるというのは例の無いことだろう。それに・・・」
眉間に皺を寄せたアレクさんの眼差しが、後に続くのが前向きな内容でないことを暗示していた。
「あいつの症状が、ここ最近やや悪化傾向にあるんだ。」
話を聞けば聞くほど、フラッシュバックという説は正解から遠い気がしてくる。アレクさんはどうして僕にこんな話をしたのだろう。
「フラッシュバックは、強いストレスが引き金となって発症するケースが多い。
これは軍属時代の俺の友人の話だが・・・そいつもヤク中だった時期があってな、フラッシュバックも何度か経験したらしいんだが、それが襲ってきたのはいつも、薬物のことを想起したときだったそうだ。
ストレスを感じるような出来事があって、何か気晴らしにと思ったときに、ふとドラッグのことが頭に浮かぶ・・・そんな瞬間だったと言っていたよ。」
「ストレスの対処法を間違えれば、高頻度でフラッシュバックが起こることも有り得るってことですか?ということは・・・」
裏を返せば、芹花さんがここ最近強いストレスを感じているということだろうか・・・その原因に、僕は大いに思い当たるところがあった。
「・・・っ!もしかして、僕みたいなのが補佐に付いたのがストレスになって・・・」
「いや、それは無いな。最近とは言ったが、悪化傾向が出始めたというのはさすがにそこまで近い話じゃない。
もうちょっと詳しく言うなら、およそ1ヶ月前、ちょうど芹花が今のミッションの担当に就いた辺りからだ。」
確かにあんなとんでもないミッションを言い渡されれば恐怖に駆られても不思議ではないが、でもそれば僕を基準にした話である。
これまで芹花さんに気負った様子など全く見当たらなかったし、馴れた作業をこなすような余裕さえ感じられた。
しかしそれはあくまで見せ掛けだけで、内心はプレッシャーに押し潰されそうだったということなのだろうか・・・
芹花さんのあの落ち着きが、正気とは思えないミッションに参加することになった僕がたった1つ縋れるものだったのに、それがただの虚勢かもしれないと考えると、むしろ僕のほうが押し寄せる不安に窒息してしまいそうだった。
「ミッションの配置換えとかって、難しいものなんですか?」
「それは、芹花のかい?それとも君のかい?」
「えっと・・・どっちというか、どっちもというか・・・」
探るような目で僕を見るアレクさん。
「出来ないこともない。だがそうなると当然キミたちが担当しているミッションの人員に穴が開くことになるが・・・龍クン、キミはメンバーの誰を代員として推薦するかい?」
その問いに、僕はハッとなった。
過度な不安から逃れるために配置換えを申し出る・・・すなわち、ここで誰かを指名すると、その人を身代わりにすることになってしまうのではないか。
答える言葉が見つからない。
ふと、頭の中に1人の人物が浮かんだ。
鉄真だ。
彼ほどヤクザな組織相手に闘争を繰り広げる姿がしっくりとくる人物もいないだろう。
しかし、そのアイデアを肯定することも僕には無理だった。
個人的な感情で鉄真に嫌がらせをするみたいで気が引けるというのもある。それに、自分が手に負えないことの尻拭いをよりによって鉄真にしてもらうなんてできるワケが無い。鉄真の前であれほど虚勢を張っておきながら、今さらどの面下げて彼に縋るというのか。
「ふっ、少し意地の悪い質問をしてしまったかな。」
僕の葛藤を見透かすかのように笑うアレクさん。
「そもそも俺は、芹花のフラッシュバックの原因が任務のストレスだと思ってるワケじゃ無いんだ。」
「・・・えっ?それって・・・」
だったら今までの話は何だったんだと思えてくる。アレクさんの“憶測”が別のところにあるというなら、彼が軍の友人の話を持ち出したことの意味がまるで分からない。
「俺が言いたいのはな、もしかしたらフラッシュバックは自ら人為的に引き起こすことも可能性なのかもしれないってことだ。」
「・・・え、でも・・・」
やっぱり理解できない。その仮説が正しいかどうか以前の問題だった。
「そうだったとして・・・アレクさんは、芹花さんがわざと自分でフラッシュバックを起こしてるって言いたいんですか?
そんな、馬鹿げた・・・だって、何のために・・・」
「確かに普通には考えにくいことだ。だが、一見すると無意味な、自分を傷つけるような行為に走る人間が世の中に存在するのも事実だ。龍クン、キミなら何か思うところがあるんじゃないか?」
僕なら・・・意味深なアレクさんの言葉に、僕は無意識に自分の左手首をさすった。
一体アレクさんは僕のことをどこまで知っているのだろう。
「あのミッションの担当を志願したのは、他でもない芹花自身だ。キミは芹花がここに来る前のことをある程度は聞いてるのかな?彼女の両親のこととか・・・」
「えっと・・・麻薬組織に捕まってた・・・みたいな話なら・・・
薄野さんから聞いたことで、ちょっとよくは分からなかったですけど、薄野さんの親を、その・・・殺したのは・・・」
「ああ、あいつの両親を死に追いやったのも、その密売組織で間違いない。」
僕の推察にアレクさんは小さく頷いて肯定を示した。
「BCLでは基本的には自身の過去と関係のある案件の担当に就くことはできないことになってる。今回のターゲットはかつて芹花を飼ってた組織とは別物だったから志願も普通に通ったが・・・芹花の執着が気に掛かって、俺のほうでも少し調べてみたんだ。」
ふっと笑うアレクさん。それは力の無い、困ったような笑顔だった。
「1つの噂に辿り着いたよ。ターゲットの組長は、芹花を飼ってた組織の元組員らしいって噂だ。名前を変えて顔も少し弄ったようだがな。」
その事実をどんな感情で受け止めるべきなのか・・・喜ぶべきなのか悲しむべきなのか僕には分からない。
だけどきっと、これだけは言える。芹花さんがBCLで闘う牙を得て、今日までそれを磨き続けてきたとしたら、その牙を剥くのに最も相応しい機会はこれを置いて他に無い。
「鴉の言うことは唐突に思えることも多いが、彼の決定には常に意味がある。その鴉がキミを芹花の補佐につけたってことは、多分、芹花のことをよく見ておけってことじゃないかな。」
僕の肩をポンと叩いて、アレクさんは続けた。
「もしそうなら俺も同意見だ。芹花のことを常に観察しておくといい。
“サイトに最も近い存在”・・・芹花はBCLでそう称されているんだ。」
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“サイトに最も近い存在”
自分の部屋に向かいながら、その言葉を頭の中で反芻する。
あれは、どういう意味だったのだろう。芹花さんも人の心を読む能力以外に何か特別な“力”を持っているということなのか。
同時に思い出したのは、槇島さんの言葉だ。
『サイトでありながら正常な人格を保ち、普通に日常生活を送ってこられた・・・そのような例は白峰さんを除いて皆無と言っていいでしょう。』
それなら、芹花さんについてはどうだろうか。
普段の芹花さんの人格はごく正常に思える。スラムのような荒んだ裏通りを自分の庭みたいに堂々と歩き回る神経がまともと呼べるかは議論の余地があるかもしれないが、鴉のような人間離れした空気を纏っている訳でもない。
人格が壊れた・・・そう感じられる瞬間があるとすれば、それは芹花さんが発作に襲われたときだ。
アレが“サイトに最も近い”と称されることに何か関係するのだろうか。
だとしたら、芹花さんが完全なサイトになるということは、あの発作に飲み込まれてしまうということなのか。
いや、そんなことはあり得ない。もしそうだとしたら“サイト”なんてものに一体何の価値があるのか・・・
ふと目を上げると、視線の先、廊下の向こう側に狩谷くんの姿が見えた。
僕を探していたという風ではない。向こうも歩く先に偶然僕がいたみたいな感じだ。
僕ほどではないものの、その顔は複数の絆創膏に占拠されていた。あのときは無我夢中で何も分からなかったが、僕の手足もどうやらそれなりに相手にダメージを与えていたらしい。
どうしよう・・・まさかいきなり背を向けて逃げ出すワケにもいかない。
真っ直ぐ伸びた廊下。僕と狩谷くんの間に、緊急避難できるような横道は1本も無い。
どうすることも出来ず惰性で歩き続けるうちに、狩谷くんとの距離はどんどん縮まっていく。
僕はなるべく彼と視線を合わせないようにしていた。横目に見える限りでは、彼のほうも特段僕に構うつもりは無いようだ。
それでも段々と近付いていくうちに緊張感は否応無く高まっていく。
いきなり殴りかかって来たらどうしよう・・・そんな恐怖に駆られるものの、だからといって両腕を上げて頭を庇いながら歩くなんてこともみっともなくてできない。
動悸を押し留めながら僕は歩を進める。
お互い交わらぬ視線を真正面に向けたまま僕らは並び、そしてすれ違った。たったそれだけのことなのに、緊張で足が崩れそうだった。
これから狩谷くんと顔を合わせるたびこんな感じなのかと思うと気が重いが、しかしまあ今回は何事も無くやり過ごせたようだ。
とりあえずはプレッシャーから開放され、ふうっと1つ息を吐く僕。
「おい、新入り!」
気が抜けたところに背中から声を掛けられ、僕は飛び上がりそうになった。
慌てて振り返ると、狩谷くんの灼け付くような視線が突き刺さってきた。
「・・・な、何?」
反射的に漏れた問いに、狩谷くんの返答は無い。
重い沈黙の後、狩谷くんがようやく口を開いた。
「・・・何でだよ。」
何を訊かれているのか全く分からず、僕は答えようが無かった。
もどかしそうに歯を食い縛る狩谷くん。なかなか言葉にできずに苛ついているようにも見える。
「・・・何で、お前はあのとき、サイトの力を使わなかったんだよ・・・!」
確かに当然とも言える疑問だが、しかしそれは、完全に僕の意表を突いていた。
そういえば、何故だろう・・・
あのときの僕は、頭に血が上って我を失っていた。無謀な殴り合いを挑み、気を失うまでに追い詰められていた。
普通に考えれば、意図的ではなくてもサイトの力が発動する条件が揃っていたと言えるのではないだろうか?
だけど、実際には僕の力は発動しなかった。
それを不思議に思う一方で、どこか納得している自分もいた。
あのとき、自分が死んでしまうかもしれないとかいう予感を僕は微塵も抱かなかった。それに、サイトの力を使って狩谷くんを殺してしまおうなんてアイディアもまるで頭に無かった。
不可解な話だ。狩谷くんが僕のことを異常に嫌っているのは知っていたし、僕だって狩谷くんのことを許せない気持ちは何も変わらない筈なのに・・・
「お前、俺に情けでも掛けたつもりかよ!?ふざけんなっ!!」
それを聞いて、僕はちょっと可笑しくなった。
僕らはお互い、相手に情けを掛けられたのではと疑っていたということか。
もちろん僕には“情けを掛ける”気なんて全く無かった。彼が芹花さんに謝罪でもしない限り、和解できるとも思えない。
「はっ、またダンマリかよ。よーく分かったよ。お前単にビビリなだけだろ?人を殺す度胸も無ぇ臆病者だ。
臆病者はBCLに必要無ぇ。サイトだろうが何だろうが、俺はお前を絶対に認めねぇからな。」
吐き捨てるようにそう言い残して、狩谷くんは去っていった。
(・・・絶対に認めない、か・・・)
それはそうだろう。狩谷くんに限らず、本心で僕を一人前のBCLメンバーとして認めている人がいるならば、逆にそちらのほうが驚きだ。
ただ、いかに狩谷くんが戦士として僕より優秀であっても、芹花さんのことに関しては僕も狩谷くんを認めるワケにはいかない。
どうあっても狩谷くんと仲良くなんてなれない・・・そのことを僕は今日、心底思い知ったのだった。
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